長年、会社に与えられた仕事を黙々とこなしてきた人は、その先の人生を見失いがちだ。キャリア形成の専門家である石山恒貴さんは「50歳以上のサードエイジを充実して過ごすためには、自分の情熱、動機、強みをきちんと把握し、やりたいことを大事にする姿勢に転換できることが望ましい」という――。

※本稿は、石山恒貴『定年前と定年後の働き方 サードエイジを生きる思考』(光文社新書)の一部を再編集したものです。

トップダウンに従っているだけでは職務設計はできない

ジョブ・クラフティングとは、2001年に組織行動学を専門とするエイミー・レズネフスキーらが提唱した、比較的新しい考え方である。ジョブ・クラフティングには様々な定義があるが、筆者が一番気に入っているのは「従業員が、自分にとって個人的に意義のあるやり方で、職務設計を再定義し再創造するプロセス」という定義だ。つまり、一言でいえばジョブ・クラフティングとは、個人が主体的に職務を再創造することを意味する。

個人が職務を再創造することにどういう意味があるのか。【図表1】をご覧いただきたい。これまでの考え方では、職務設計(ジョブ・デザイン)とは組織側が行うものだった。つまり、組織や上司がトップダウンで個人に割り当てる職務を決定し、それを画一的に個人に与えていくことになる。

ジョブ・クラフティングの特徴は、個人がボトムアップで主体的に職務を再創造(クラフト)する。その際、個人は自分の情熱・動機・強みに沿った形で職務を再創造する。そのことが、定義で「自分にとって個人的に意義のあるやり方」と表現されているのだ。

羽田空港を自分の家だと思って清掃した女性の例

紹介するのは、羽田空港で働く新津春子氏の事例である。詳細は『世界一清潔な空港の清掃人』という書籍に紹介されている。新津氏の事例は、個人が起点になっているところが特徴である。

羽田空港は、英国SKYTRAX社のランキングで、2022年に世界一清潔な空港として選出された。世界一と評価されたのは7年連続である。新津氏は、この羽田空港の清潔さの立役者として有名である。

新津氏は、羽田空港を担当する清掃のプロとして知られる。何種類もの洗剤、薬品、電動ポリッシャー、スチームクリーナー、高圧洗浄機を場面毎に使い分けるそうだ。ここまで新津氏が清掃業務を工夫するのはなぜか。それはやはり新津氏が、業務を単に目の前の清掃だとは思っていないからだった。新津氏は部下に対して、清掃する時は空港を自分の家だと思うように、と指導しているそうだ。またある時は、空港で親をすり抜けて床をはいはいする赤ちゃんを見かけたそうだ。その時には、それまで使用していたモップでは雑菌があると考え、赤ちゃんが床をはいはいしても大丈夫なほどに清掃方法を見直したそうだ。

最適な清掃技術を自分で見つけるという仕事上の喜び

ここでも、仕事の意味づけが重要な役割を果たしていると考えられる。新津氏にとって清掃とは、空港を自分の家のように清潔に保つことであり、赤ちゃんまで含めたお客様に快適に過ごしてもらうことを目的とする仕事なのだ。ここまでこだわって清掃するプロがいるからこそ、羽田空港は世界一清潔な空港として評価されるのだろう。

新型コロナの影響で行き交う人の少ない羽田空港
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この事例では、もうひとつ注目する点がある。それは新津氏が清掃を工夫する理由に、自己の成長の喜びがあることだ。書籍の中で新津氏は、仕事をひとつひとつ覚えていくことが純粋に楽しいと語っている。適切な清掃技術は、時代や床材の変化でも変わる。それに対して、自分なりの安全な手順、工夫を考え、課題をクリアしていくことが楽しいというのだ。

新津氏の場合、清掃という仕事を全体的で有機的なものであり、かつ個人の成長に資するものと捉えている点で、ジョブ・クラフティングの好事例といえよう。

仕事の意味を考えさせられるレンガ職人の例え話

個人にとって、仕事の意味は部分か全体かという話に関してを考えると、レンガ職人のエピソードを思い出した読者もいるのではないだろうか。

このエピソードの概要は次のとおりだ。旅人が3人のレンガ職人に会う。そして、それぞれのレンガ職人は、旅人に仕事をする(レンガを積んでいる)理由を述べる。

1人目は、ただやむなく目の前のレンガを積んでいるだけで、それ以上の理由はない。
2人目は、家族を養いお金を得るためにレンガを積んでいる。
3人目は、歴史に残る大聖堂をつくるためにレンガを積んでいる。

1人目と2人目のレンガ職人は、やむを得ず、しぶしぶレンガを積んでいる。しかし3人目のレンガ職人には大聖堂という夢があるので、いきいきとレンガを積んでいる。できるなら、3人目のレンガ職人のように働こうというエピソードだ。これはたしかに、仕事の意味でいえば、1人目と2人目のレンガ職人は部分的であり、3人目のレンガ職人は全体的ということになろう。

「仕事の専門性」を追求する石工が出てくる例え話も

興味深いことに、マネジメントの父と呼ばれるピーター・F・ドラッカーも類似のエピソードを紹介している。これは3人の石工の話である。

3人の石工が「何のために仕事をしているのか」と、質問される。1人目は暮らしのため、2人目は石切りとしての最高の仕事のため、そして3人目は教会を建てるため、と答える。

日本のネット上で流布されるレンガ職人の話と比べると微妙に内容が異なることがわかる。ドラッカーは、石工の話の出典を説明していない。しかし3人目については、目的は大聖堂と教会なので、ほぼ一致している。全体の話も類似している。レンガ職人と石工のもともとの情報源は同じものだと推測できる。

石工の話では、2人目は石切りとして最高の仕事をしているが、この内容はレンガ職人には出てこない。そうなると、レンガ職人と石工の話には4種類の仕事の意味が存在するのではないだろうか。

第1は「目の前のことだけをする」(1人目のレンガ職人)。
第2は「収入」(2人目のレンガ職人と1人目の石工)。
第3は「自己の成長と専門性の追求」(2人目の石工)。
第4は「全体性」(3人目のレンガ職人と3人目の石工)。

レンガを積む建築作業員の男性
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「自己の成長と専門性」「全体性」が仕事の再定義に必要

やはり、ドラッカーも第4の仕事の意味である「全体性」については高く評価している。問題は第3の仕事の意味である「自己の成長と専門性の追求」だ。ドラッカーは専門性の重要性を認めながらも、それを単独で追求することには落とし穴があるという。自己満足に陥り、組織のニーズと乖離かいりし、貢献できなくなる可能性があるからだ。ドラッカーによれば、「自己の成長と専門性の追求」と「全体性」の両方が結びつくことに意義があるという。

筆者としては、「目の前のことだけをする」は、ジョブ・クラフティングにも幸福感にもつながりにくいと思う。それに対して、「収入」「自己の成長と専門性の追求」「全体性」は3つとも幸福感につながる要素だろう。だから3つとも存在することが理想的だと考える。そのうえで、特に「自己の成長と専門性の追求」と「全体性」の両方が結びつくことは、ジョブ・クラフティングの実現に必要だと考える。

企業や施設、社会への貢献という全体性がポイントに

新津氏の事例がこれにあてはまる。新津氏が清掃を工夫する理由に、自己の成長の喜びがあった。同時に空港を自分の家のように考え、赤ちゃんまで含めてお客様に快適に過ごしてもらうことを目的にしていた。このように「自己の成長と専門性の追求」と「全体性」が結びつくときこそ、ジョブ・クラフティングがもっとも生じやすくなるのではないだろうか。

ドラッカーの評価は低いが、石切りとしての最高の仕事を目指す2人目の石工は、意義ある存在ではないだろうか。特に日本の組織は、個人よりも集団の調和が強調される場合がある。そのため、筆者は2人目の石工の価値を軽んじてはならないと考える。

大手メーカーのシニア社員には転職してやりたいことがなかった

実はこの点にこそ、シニアの働き方思考法において乗り越えるべき大きな課題があると筆者は考える。シニアのキャリアに詳しい前川孝雄の著書に次のようなエピソードがある。

業績不振に陥った大手メーカーのシニア社員が、転職相談に来た。転職相談が目的であるから、当然、どんなことをやりたいか、という質問をされる。しかしそのシニア社員は、仕事とはやるべき義務であり、会社から与えられるものであり、やりたいことと転職相談に関係はないはずだ、と反論したそうである。

転職相談に来ているのに、やりたいことなど不要だと答えるシニア社員の姿には違和感を覚えてしまう。実際問題、それでは転職先を探す手がかりを得ることは難しい。しかし、このシニア社員の考え方を一概に否定することもできない。

考え込む管理職の男性
写真=iStock.com/kazuma seki
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与えられた仕事をこなし期待に応えることが美徳だった

というのも、こうした考え方が生まれたのは、それまでシニア社員が責任感を持ち、まじめに仕事をしてきたからであろうからだ。勤務していた大手メーカーでは、会社がどのような仕事を与えようとも、それに反論することなく責任感を持って業務遂行することが求められたのだろう。そして、それこそが美徳であったのだろう。このシニア社員の姿勢は、真摯しんしに会社の期待に応えようとしたものだといえる。

この姿勢は、とにかく人生に努力を傾注しようとするセカンドエイジに対応したものだろう。しかしだからこそ、サードエイジを充実して過ごすためには、「やりたいこと=意義ある目的=情熱・動機・強み」を大事にする姿勢に転換できることが望ましい。ところが、今までは「やるべきこと」こそ仕事の美徳であると信じてきたのだから、その意識転換は簡単ではないだろう。

「今までやれと言われたことをまじめにやってきただけ」

石山恒貴『定年前と定年後の働き方 サードエイジを生きる思考』(光文社新書)
石山恒貴『定年前と定年後の働き方 サードエイジを生きる思考』(光文社新書)

筆者は企業で、シニア社員を対象に、ジョブ・クラフティングを実践するため、それぞれの「情熱・動機・強み」を洗い出すワークをやることがある。その際、企業側の事務局が、このワークに懐疑的なことがある。実際、筆者は企業側の事務局から「うちの社員に、仕事上の情熱を聞いても、何も答えられないと思いますよ」と言われたことがある。筆者は驚き「なぜそう思うのですか」と尋ねた。その答えは、「だって、今まで、皆、やれと言われたことをまじめにやってきたのだから」というものだった。

どの企業でも、たしかにワークの最初では、参加者たちに戸惑いはある。しかしグループワークなどを通じ、お互いに質問などして考えを深めていくと、ほとんどの参加者が「情熱・動機・強み」を楽しそうに洗い出していけることが実態だ。「やるべきこと」を仕事の美徳だと考えていた人たちにとっても、自分の「情熱・動機・強み」を考えることは楽しいことなのではないだろうか。だからこそ、レンガ職人の話が英語圏でも日本でも、脈々と語り継がれるのではないだろうか。