天皇、皇后両陛下は6月9日にご結婚30年を迎えられた。神道学者で皇室研究家の高森明勅さんは「当日発表された『ご感想』の中で、両陛下はさりげなく『時には悲しみを共にし』と触れられている。両陛下にとって最もおつらい事実は、たったお1人の娘であられる敬宮殿下の将来が、不確定な宙ぶらりんの状態のままで20年以上の歳月が経過したことだろう」という――。
2019年1月2日の新年一般参賀
写真=iStock.com/Tom-Kichi
※写真はイメージです

国民の祝福を受けた結婚パレード

去る6月9日、天皇・皇后両陛下はご結婚30年を迎えられた。このご慶事を国民の1人として心からお喜び申し上げる。

当日、両陛下は「ご感想」を発表された。

その冒頭で、30年前の「結婚の儀」・「朝見の儀」などとともに、ご結婚パレードについて「多くの方から温かい祝福を頂いた」と振り返っておられる。

この日は朝から雨が続いていた。しかし、パレードの直前になって雨がやんだ。さらに、雲が晴れて光が射した。

それは、オープンカーに乗られた両陛下を沿道でお迎えした約19万2000人もの人々にとって、忘れられない印象的な光景だった。私自身、家族と一緒に沿道にいた1人として、あの時の情景を今も鮮やかに思い出すことができる。

このことは、テレビの前で両陛下のパレードに釘付けになっていた視聴者にとっても、同じだっただろう。この時の視聴率は、関東地区で79.2%にまで達していた。両陛下のご結婚が、いかに大きな国民的関心事だったかが分かる。

このパレードで多くの国民から祝福を受けられたご経験は、両陛下にとっても忘れがたい出来事だったことが、このたびのご感想からも拝察できる。

「時には悲しみを共にし」というお言葉

ご感想の中では、30年間の歳月を振り返られて以下のように述べておられる。

「たくさんの方からの助けを頂きながら、二人で多くのことを経験し、互いに助け合いつつ、喜びを分かち合い、そして時には悲しみを共にし、これまでの歩みを続けてこられたことに深い感謝の念を覚えます」

ここに、さりげなく「時には悲しみを共にし」と触れられているのを、見逃してはならない。ご結婚以来、平成の歳月を顧みると、率直に申し上げて「悲しみ」の期間の方が、むしろ長かったのではあるまいか。そのために、皇后陛下は「適応障害」にまでなられ、残念ながらそれは今もなお完全には癒えておられない。

皇室典範の“構造的な欠陥”による「男児を」の重圧

今の皇室典範は、側室制度を前提とした皇位継承資格の「男系男子」限定という、明治典範以来の旧時代的なルールを、一夫一婦制の下でも無理やり維持している。その“構造的な欠陥”のせいで、「男児を産め」という強烈な重圧がかかり続けた。このことが、皇后陛下がご体調を崩された最大の原因だった。

その上、ご体調を崩された皇后陛下に対して、ご病気が原因だったにもかかわらず「ご公務を怠けている」として、週刊誌などから一方的なバッシングが続いていた。

この間、皇室をお守りすべき宮内庁は、十分な対応をしていなかった。宮内庁の落ち度としては、メディア対応のまずさに加えて、皇后陛下のご体調について冷淡な態度を取った時期がしばらく続いた事実を挙げられる。

そうした中で、皇后陛下の最大にしてほとんど唯一の庇護者は、他ならぬ天皇陛下だった。天皇陛下は、国事行為やその他のさまざまなご公務に全身全霊で取り組まれながら、一方では皇后陛下、さらに両陛下の間にお生まれになった敬宮としのみや(愛子内親王)殿下を全力でお守りになった。

その天皇陛下の長くおつらいご努力の上に、現在のご一家のお幸せな輝くようなお姿がある。

愛子さま「プロポーズ再現を」

5月30日、天皇・皇后両陛下と敬宮殿下はおそろいで、東京・日本橋高島屋で開催された「御即位5年・御成婚30年記念特別展 新しい時代とともに――天皇皇后両陛下の歩み」(主催・毎日新聞社、特別協力・宮内庁侍従職)にお出ましになった。

この時、ご婚約内定の記者会見で皇后陛下がお召しになっていた黄色いワンピースも展示されていた。ご鑑賞後の関係者とのご懇談の中で、主催者側の女性がそれに触れて、「プロポーズの当時のお言葉が思い浮かびます」とお伝えした。言うまでもなく、記者会見の席で皇后陛下から紹介された「雅子さんのことは僕が一生全力でお守りしますから」という天皇陛下のお言葉だ。その女性にとっても感銘深いお言葉だったのだろう。

するととっさに、敬宮殿下から楽しいリクエストが飛び出したという。「(それを)再現してみて」と冗談めかしておっしゃったというのだ。

これには、陛下もさすがに少し困られたのではないだろうか。何とも微笑ましい、ご家族の仲睦まじさが伝わるエピソードだ。

天皇陛下はプロポーズの時のお約束を、その後の長く苦しい歳月にあって、ご誠実に守り通してこられた。おそらく敬宮殿下のお心の中には、そのような父親への信頼と尊敬のお気持ちがおありなのだろう。そのお気持ちが、この時の少しおどけたリクエストとして、表現されたのではないだろうか。

即位5年・成婚30年記念特別展「新しい時代とともに―天皇皇后両陛下の歩み」を訪れ、1993年の結婚パレードで使われたオープンカーを見られる天皇、皇后両陛下と長女愛子さま=2023年5月30日、東京都中央区の日本橋高島屋[代表撮影]
写真=時事通信フォト
即位5年・成婚30年記念特別展「新しい時代とともに 天皇皇后両陛下の歩み」を訪れ、1993年の結婚パレードで使われたオープンカーを見られる天皇、皇后両陛下と長女愛子さま=2023年5月30日、東京都中央区の日本橋高島屋[代表撮影]

令和流は“ご家族そろって”

平成時代は、昭和時代以上に“両陛下がご一緒に”ご公務に携わられた印象が強い。令和の場合、さらに“ご家族そろって”というお姿がより鮮明になっている気がする。

皇后のお務めとされてきた宮中でのご養蚕にも、異例ながら“ご家族総出”で取り組まれている(拙稿「天皇陛下も愛子さまも参加…異例の養蚕が『女性天皇即位への布石』といえるワケ」プレジデントオンライン令和4年[2022年]6月24日公開を参照)。 

しかも必ずしもご公務の場面に限らず、ご家族水入らずでのご静養のご様子まで、国民に伝えて下さっている。4月に久しぶりに栃木県にある御料牧場でご家族おそろいでご静養された時(この時は約3年8カ月ぶりのご静養だった)、テレビカメラの前で記者の質問に皆さまでお答えになったばかりか、後日、ご家族ご一緒にタケノコや大根を掘られたり、敬宮殿下が命名された子牛「レインボー」に自らミルクを与えられたりする、いかにも楽しげなご様子が、写真で公開された。これも異例のことだろう。

こうしたご配慮によって、人々はより一層、天皇陛下ご一家のことを身近に感じることができたのではあるまいか。

皇室として「変わらないもの」

両陛下は先のご感想の中で、「世界や社会の変化」をしっかりと見据えられ、「そうした変化に応じて私たちの務めに対する社会の要請も変わってくる」とされた。

しかし、その一方で皇室として“変わらないもの”についても強調されている。それは何か。「国民と苦楽を共にするという皇室の在り方が大切であるとの考え方を今後とも持ち続けていきたいと思います」と述べておられる。

「国民と苦楽を共にする皇室」――これこそは、時代の“変化”を超えて維持され、受け継がれるべきであるとのお考えだ。

両陛下の皇室像を受け継ぐ愛子さま

この一節に触れて、敬宮殿下がご成年を迎えられた時の記者会見でのご発言を思い起こした人も、少なくないのではないだろうか。

あの記者会見で「皇室の一員としての在り方」を問われた殿下は、以下のようにお答えになっていた

「私は幼い頃から、天皇皇后両陛下や上皇上皇后両陛下を始め、皇室の皆様が、国民に寄り添われる姿や、真摯しんしに御公務に取り組まれるお姿を拝見しながら育ちました。そのような中で、上皇陛下が折に触れておっしゃっていて、天皇陛下にも受け継がれている、皇室は、国民の幸福を常に願い、国民と苦楽を共にしながら務めを果たす、ということが基本であり、最も大切にすべき精神であると、私は認識しております」

まさに、天皇・皇后両陛下が指し示されている“あるべき皇室像”を、立派に受け継がれていることが分かる。両陛下との20年余りにわたる日々のお暮らしの中で、着実に「大切にすべき精神」のご継承がなされている事実を窺うことができる。

当たり前に考えて、「日本国の象徴」であり「日本国民統合の象徴」とされる天皇というお立場は、このような気高い精神を間違いなく継承されている方が受け継がれることが、最も自然であり、多くの国民にとって最も受け入れやすいのではあるまいか。

皇室典範を改正すれば次の天皇は愛子さまに

もちろん、先に少し言及したように、構造的な欠陥を抱える現在の皇室典範のルールでは、敬宮殿下は皇位継承資格をお持ちではない。

しかし、一夫一婦制を前提として、正妻以外の女性(側室)から生まれたお子さまなど(非嫡出子・非嫡系子孫)による皇位継承の可能性を排除しながら、継承資格を狭く「男系男子」に限定する今のルールは、そもそも無理がある。このまま無理なルールを放置すれば、やがて皇位継承の将来も皇室そのものの存続も、行き詰まるのは明らかだ。現に、次の世代の皇位継承資格者は秋篠宮家のご長男、悠仁親王殿下ただお1人だけになっている。

もし皇室の存続を望むのであれば、皇室典範第1条を変更して「男系男子」限定を解除するほかない。その限定を解除すれば、皇室典範の直系主義(第2条)によって、「皇長子」(天皇の最初のお子さま)でいらっしゃる敬宮殿下が次の天皇になられる。

これは、小泉純一郎内閣の時の「皇室典範に関する有識者会議」報告書(平成17年[2005年])が示した改正案だ。そこには「今後、皇室に男子がご誕生になることも含め」て慎重に検討した結果として、「皇位の安定的な継承を維持するためには、女性天皇・女系天皇へのみちを開くことが不可欠」との結論が盛り込まれた。それが20年近くも、たなざらしのまま放置されてきたこと自体が異常だ。

愛子さまの未来は引き裂かれたまま

両陛下のご結婚以来の歳月の中で、何よりもおつらい事実とは何か。それは、普通に想像力を働かせれば分かるはずだ。

たったお1人の娘であられる敬宮殿下の将来が、ご自身のご努力ではいかんともしがたい事情によって(皇室典範の改正は国会案件であり、国政事項なので)、不確定な宙ぶらりんの状態のまま、ご誕生以来、20年以上の歳月が経過したことだろう。にもかかわらず政府・国会の無為怠慢によって、今もそれが解決されるメドは立っていない。

上記の報告書に基づく皇室典範の改正が国会でなされたら、敬宮殿下は将来「天皇」になられる。逆に皇室典範が今のままならご結婚とともに「国民」の仲間入りをされる。そのような、目もくらむような“引き裂かれた”未来像のまま、20年あまりの月日が流れた。1人の女性とそのご両親の人生にとって、これほど残酷な仕打ちはないのではないか。

天皇陛下はこれまで、敬宮殿下が将来、天皇の地位を引き継がれる可能性についても考慮されながら、ご養育に当たってこられた。そのことは、平成17年(2005年)のお誕生日に際しての記者会見で、以下のようにお答えになっていた事実から拝察できる。

「愛子の養育方針ですが、愛子にはどのような立場に将来なるにせよ、1人の人間として立派に育ってほしいと願っております」

今の皇室典範のルールのままなら、ご結婚とともに国民の仲間入りをされることが決まっている。だから、もし天皇陛下がそれを不動の前提とお考えなら「どのような立場に将来なるにせよ」という言い方はなさらなかったはずだ。

将来が根本的に分岐したまま、という想像を絶した困難を抱えられながら、両陛下がこまやかな愛情と確かなご見識のもとに、素晴らしいご養育をなさってきたことは、現在の敬宮殿下のお姿が証明している。

天皇陛下の「言葉にならない心の声」

先のご感想には次のような一節もあった。

「これからも各地に足を運び、高齢者や若者たち、社会を支える人や苦労を抱える人など、多くの人々と出会って話を聞き、時には言葉にならない心の声に耳を傾けながら、困難な状況に置かれた人々を始め、様々な状況にある人たちに心を寄せていきたいと思います。そして、そのような取組のうちに、この国の人々の新たな可能性に心を開き続けていくことができればと考えています」

ご自身のご献身と人々とのご交流との先に、「新たな可能性」が開かれる未来への希望を託しておられる。とりわけ、「時には言葉にならない心の声に耳を傾けながら」とまでおっしゃって下さっていることに、胸を打たれる。

しかし、天皇陛下をはじめ、皇室の方々こそお立場の制約上、「言葉にならない心の声」を最も多く抱えておられるのではあるまいか。畏れ多いが、皇室の将来に向けた「新たな可能性」が閉ざされかねない現状に、誰よりもお心を悩ませておられるのは、天皇陛下ご自身にほかなるまい。

両陛下のご結婚30年にあたり、皇室の弥栄いやさかのために国民にしかできない役目があることを自覚したい。