発達性トラウマで自分が失われた人はたくさんいる
前回の記事では、トラウマの中核はなにかといえば「“自己の喪失(主体が奪われること、失われること)”である」と書かせていただきました。
※「行動力はあるが"自分"がない…『ログイン前のスマホのような人生』を送る人が幼少期に味わったトラウマ体験」
トラウマではさまざまな症状が生じますが、実は自己の喪失のために心身を統御できず、症状が生じているとも考えられます。
「自己の喪失」などというと、特殊なように聞こえるかもしれませんが、実はかなり身近な問題です。
自己が失われると、自分の感情、感覚、考えがよく分からなくなります。
ケースによって異なりますが、その場面では当然起きるはずの感情や違和感がわかなくなったり、反対に感情的になってしまったり、ということが生じます。
今回は、そうしたケースをいくつかご紹介したいと思います。
子どものわがままに感情が抑えられず怒鳴りつけた例
Pさんは、感情が抑えられなくなることがある、とのご相談でした。
特に家で子どもがわがままを言ったり、自分の感情で行動していたりするのを見ると、怒りがわいてしまうといいます。
この前も、子どもが「文房具を買ってほしい」ということで、わがままを言った際に、自分はこれだけ我慢しているのに、自分勝手にわがままを言っているように思い、どうにもならない怒りを感じて、怒鳴りつけてしまったそうです。頭では子どもだからわがままを言って当たり前だとはわかりますが、気持ちがどうしても抑えられないとのことです。
Pさんは、機能不全な家庭に育ち、親は自分の希望を曖昧にしか言わず、ちゃんとしてこちらが忖度して関わらなければ、悪者にされるようなことが当たり前だったそうです。そんな中、自分は自分らしい感情を抑えてきました。
そうしたこともあって、子どもが子どもらしいわがままさを発揮することに対してうまく接することができません。
仕事でも、ちゃんとしていない部下には「自分勝手」と感じて厳しくしてしまいがちで、先日ついに、人事部から「パワハラではないか?」ということでヒアリングを受けてしまったと言います。そのことがきっかけでカウンセリングを受けようと思われたそうです。
幼少期に理不尽に怒られ、恋愛機能不全になった例
IT企業にお勤めのYさんですが、恋愛における「好き」という感情がよくわからない、というご相談でいらっしゃいました。
もちろん、お付き合いした経験は何度もありますが、相手に告白されて付き合うということがほとんどで、もちろん相手に対して好意があるからOKをしてきました。ただ、自分から「好き」と伝えたことはないそうです。
本当に「好き」とはなにか? 「好きかどうか?」と尋ねられても、好きという感情がぼやけるような、逃げていくような感覚に苛まれています。
お付き合いしているときも、しっかりと付き合っているというよりは、どこか心ここにあらずであったそうです。
コミットする、親密になる、ということに対して強い恐れがあり、付き合う、別れる、ということについても決定することについて無意識で回避したくなるようです。
仕事でもそうした傾向があり、責任を背負うことについて、どうしても強い恐れを感じてしまいます。逃げ腰になってしまうことについて上司から指摘されたこともありますが、変えたくても変えられません。
幼い頃に、親に急に怒られる、といった経験が多かったそうで、自分がその場に参加していると不意に理不尽な目に遭う恐れから、物事にコミットしないことが自分を守る方法になっていたそうです。
仕事を大量に振られてもNOと言えない理由は…
メーカーにお勤めのGさんは、多忙な日々を送っていました。
自分に降り掛かってくる業務は嫌とは言わずに受け、会社のためにということで、献身的に働いています。自分の成長のためにもなる、と休日出勤もいとわず働いていました。
ただ、次第に仕事量も増え、仕事が回らなくなってきました。一人ではさばききれない量であったのですが、NOと言わずに引き受けていたのです。
さすがに、仕事が増えすぎて、ついにある朝、会社に行こうとしてもベッドから起きられなくなってしまいました。連休で休んで回復してなんとか復帰できましたが、このままでは良くないと感じるようになりました。
同期の友人に相談すると、「自分が受けるべき仕事と、そうではない仕事とは感覚でわかるでしょう?」といわれます。
「主体的に考えて決める」ということができない
Gさんは、どんな仕事でもNOと言わず引き受けることが主体的なこと、と思っていました。年次が上がるに連れて、それが通用しなくなり、「あなたはどう思うか?」と問われることも増えてきましたが、しかし、Gさんは、まず「普通はどうなのか?」「他の人はどう感じるか?」ということを反射的に考えてしまいます。
本当の意味で自分の意見を言うこと、自分で何かを決めることもとても苦手で時間がかかります。
他者は、我慢するべきところと、主張するべきところ、NOと言うべきところを自身の価値観や感情(体感)で判断しているようなのですが、Gさんにはそれがわかりません。ついつい引き受けなくても良い仕事や責任を引き受けてしまいます。
ここまでご紹介したそれぞれのケースについてご覧になられていかがでしたでしょうか? ご自身にも似たところがある、と思われた方もいらっしゃれば、自分には当てはまらないけど、職場には、親族には同じような方がいる、と思ったかもしれません。
「感情がわからない」とは特異なことでは決してなく、実は今回ご紹介したケースのように、職場や家庭など日常で接している事象です。
安心安全感の欠如こそがトラウマの恐ろしさ
ここまで紹介したケースの多くに共通するのは、「ハラスメント」の影響です。ハラスメントは、ストレス障害と並び、トラウマの原因、特徴の一つです。
ハラスメントとは、矛盾するメッセージを受け続けて、心理的に支配、混乱されたりすることをいいます。不全感でしかないものをルールだとしてのみ込まされるために、歪な世界観やルールに沿って努力することや、自然な感情を抑圧したり、現実を回避したりすることが規範となってしまうのです。
感情とは、健全な他者との関わりと、特に自分を安全にさらけ出せる環境の中で育まれるものです。しかし、発達の過程で慢性的なストレスやハラスメントを被ると、まるで「解けない連立方程式」を解かされているかのように、他者の不全感への忖度、押し付けられた規範と自分の考え、感情を整合させることが必要になります。さらに、自己否定感や「世界が安心安全ではない」という不安感から、自分の考えや感情をタイムリーに感じられず、表現することができなくなるのです。
「ニセ成熟」した大人は自分の感情がコントロールできない
冒頭のPさんは、まさに機能不全家庭の中で、早くから大人の代わりをして、ちゃんとしていなければならず、自分の自我、わがままを表に出すことができませんでした。こうした状態を「ニセ成熟」といいます。その不全感が他者への怒りというかたちで現れています。そのため、他者の状態に合わせるようにしか感情を形にしてきていないため、自分の感情というものがよくわからなくなっています。
Yさんは、まさに、トラウマ体験を回避する方略でサバイバルしてきたために、自分の感情がわからなくなったケースです。他者と親密になることは、傷つくリスクも内包しますが、踏み込んでいくことが求められます。そのためには関係が安心安全だとの感覚が必須となります。
Yさんにとっては、物事にコミットすることで傷ついてきた経験が多いために、なんとか回避しながら「こなす」ことで対応してきたのです。回避できるか? 傷つかないか? を連立方程式として「好き」という感情を捉えようとしますから、好きを感じようとすればするほどぼやけてしまいます。
Gさんも「頑張らなければ愛されない(素直でなければ愛さない)」という家族の歪さの中で育ったために、NOといわずに無理を引き受けることが当たり前となっていました。自分の感情は抑圧することで、理不尽さをのみ込んできました。大学卒業までは単線的な進路のため、頑張りが通じてきましたが、社会に出て無数の選択肢があり、ほんとうの意味で主体性が問われてくるようになると通用しなくなってきました。頭だけではなく感覚・感情の土台がないと主体的な判断はできないことがわかります。
トラウマによる症状が別の病気と誤解されてしまう怖さ
従来は、こうしたケースについては、別の病気、概念で見立てられることがありました。
回避が強い場合、感情的なコントロールがうまく行かないケースでは「パーソナリティ障害」や「発達障害」など。体調が悪化して働けなくなると「うつ病」などといった診断がくだされていました。
そして、トラウマを負うと、社会適応や対人関係がうまくいかなくなり、仕事もできなくなります。そんなケースでは、「発達障害」と診断されるなんてこともあります。公式な診断名ではありませんが、HSP=ハイリー・センシティブ・パーソンという概念も流行しています。
背景にあるものが理解されず、職場で悪く評価される、間違って診断されることも当事者を追い詰めます。
それらは表面的な症状に基づく診断で、実際の原因とは異なるため、適切な解決策にもつながりにくくなります。
モラハラ、パワハラをする人もトラウマを抱えている⁉
トラウマによって土台が不安定な状態をなんとか隠したまま、必死に仕事をしている方、あるいは、隠せずに職場で問題となってしまう方は実は少なくありません。
例えば、本記事で見たような、モラハラ、パワハラを行ってしまう、責任を回避しがち、自分の意見を表明できない、という場合は、背後にはその方が成長過程で負った不全感、トラウマが隠れていることがあります。
職場において、感情のマネジメント、適切な意思表現が継続的になされるためには、過去の不全感の影響が少なく、現在の職場が心理的にも安心安全であることが必要です。
近年、「心理的安全性」といったことが注目されることの背景には、今回の記事でご紹介したようなことも関係していると考えられます。
「ほとんどの人に複雑なPTSDがある」という前提
医師の神田橋條治氏なども「出会いの当初はすべての受診者を『複雑なPTSD』だと想定」(原田誠一編『複雑性PTSDの臨床』金剛出版)とするなど、今後の臨床心理、精神医療は、まずはトラウマがある、という見立てからスタートすることが当たり前になるかもしれません。
そして、従来のように症状を別々に捉えずに、「トラウマによるものでは?」と見立てることで、正しい理解やよりよいケアにつながることが期待されています。