アンケートで浮かび上がったスポンサー企業の姿勢
4月26日正午、週刊文春電子版が「電子版オリジナル記事」として公開した「〈回答全文公開〉ジャニーズ事務所スポンサー116社+テレビ局6社独自アンケート『説明文書の評価は?』『ジャニー氏の性加害への見解は?』」は、日本社会の体質が炙り出される、何よりもジャーナリスティックな鋭さのある記事だった。
そこには、戦後の日本社会に広く深く根を下ろした「芸能界」を代表する“ジャニーズ”というものを企業広告がどのように扱い、付き合ってきたのか、日本における広告スポンサーシップの現状と価値観がそのまま表れていたように思う。
まずは、高い経営透明性が問われる業界で、コンプライアンス遵守を優先事項に掲げるような企業。彼らは、自分たちの情報開示姿勢がクリアーで健全な経営方針であることを明言し、取引相手であるジャニーズ事務所にも同じ経営態度への理解や協力を求める。それは、スポンサーとしてタレント事務所や広告代理店よりも力学的に上位にいることの表明でもある。
一方で、「弊社はコメントする立場にございません」「他社様のことですので、コメントは差し控えさせていただきます」などのコメントを返す企業は、タレントを「使い」、広告発信で文化を創ることができる側のスポンサーでありながらも、芸能という自分たちとは畑違いの分野に対する事なかれの姿勢を感じさせる。それはそっちのギョーカイのお話ですよね、私たちは地道にものづくりして売って、広告にはお金を出しただけですので。タレントさんをキャスティングしてこられたのも広告代理店さんですし……。そんなボヤキも聞こえてくるようだ。
そして「守秘義務がありますのでコメントできません」を盾とする企業の存在も興味深い。では、同じ守秘義務を負っているはずだが「取引先であるジャニーズ事務所は弊社同様にコンプライアンスを遵守し、社会的責任を全うしてほしい」との意思表示をする他の企業とは、どこがどのように違うのだろう。それは企業活動を通した文化の担い手として、主体的に「もの言う企業であろうとするか否か」、のような気がする。
そして最も忘れてはならないのが、一覧の中にはいない、だけど日本の大スポンサーといえばすぐに思いつくような数社の存在である。彼らの多くは日本企業でありながら、大きな海外市場を持つグローバルグループだ。海外第一線の現場であちこちの異文化に揉まれてきた企業は、製品や企業イメージを発信するにあたって、日本のタレントの人気を利用するような広告を作らない。文化的多様性やジェンダーの繊細さも理解しているから、国内に向けてすらも固定イメージのあるジャニーズのようなタレントを起用していない、ということに気づかされるのである。
これは、企業のリスクマネジメントやガバナンス意識の表れであり、経験の差であり、スポンサーとしての力量の表れでもあるのだろう。BBCという「黒船」によって火のついたジャニーズ性加害疑惑は、期せずして、芸能やマスコミ以外にも日本社会のさまざまな場所に居座る「まずいことには沈黙することでやり過ごす」性質を炙り出している。
とうとう開いた史上最大の「パンドラの箱」
前回の記事で、故ジャニー喜多川氏の性加害疑惑報道に踏み切った英国BBCと日本外国特派員協会(FCCJ)の会見が示したのは、大きな社会的影響力を持った男性が長年行っていたとされる少年への性加害という深刻な疑惑に対する海外と日本の価値観の温度差であり、日本のメディアや日本社会の沈黙に向けた苛立ちや困惑であると書いた。
「なぜ、事務所もマスコミもそのことを話したがらないのか」
「何を恐れ、隠しているのか」
「なぜ、被害者たちも周囲も声を上げようとしないのか」
「おかしいとは思わないのか?」
「まとも」と自他共に認めるであろう大人たちが、ジャニー氏と(週刊文春の取材によれば延べ数百人を決して下ることがないであろう)元少年たちの間の加害被害に無知、または黙認するまま、ブラックボックスのようなタレント工房から次々と生まれてくるうら若い少年タレントたちを無邪気に褒めそやし、「推しカルチャー」に沸き、番組や広告に起用して大きな利益を上げ、平然と事務所に循環させる社会。これには、何か文化構造的な思考停止、硬直が起きているのではないか。
もしかすると日本のメディア史上最大の悪質なスキャンダルとなる「ジャニーズ性加害問題」というパンドラの箱、その蓋が開けられたのである。
ジュリー社長はどこまで認めていけるのか
幼い頃から優秀で、いずれ事務所の代表となることを期待されて芸能・マスコミ業界の中で育った、藤島ジュリー景子氏。インターナショナルスクールで学び、海外留学もするなど、掛け値なしの才女である。
海外センスを備えた女性社長はBBCの報道が明るみに出たとき、やってくる「外圧」が、イメージ最優先のタレントマネジメント業にもたらしたものの意味を、他の誰よりも痛いほど理解していたに違いない。これまでファミリービジネスとして重大なリスクを核の部分に抱えながらも、マスコミ産業で異例なほどの成功を見せ、各方面に暗黙の了解を強いてきた、日本最大の男性アイドル事務所。そのジャニーズ事務所を率いる彼女は、稀代のアイドルメーカーとしてアンタッチャブルなレジェンド扱いされた叔父の圧倒的にアウトな性犯罪行為疑惑を、経営のハンドルを握る社長として、肉親として、女性として、どこまで公に認めていくことができるだろう。
「問題がなかったなどと考えているわけではございません」
4月21日に、ジャニーズ事務所がジュリー氏の名義でスポンサーやテレビ局など、取引先企業へ事務所の対応を釈明する文書を送っていたことが明らかとなった。その中には印象的な一文がある。「私たちは本件につき、問題がなかったなどと考えているわけではございません」。心境を正直すぎるほど正直に言語化したフレーズだろう。当惑や後悔、怒りを滲ませ、絞り出したような言葉だとも感じられる。
ジャニー氏の行為は、業界だけではなく、おそらくファミリーにとってもアンタッチャブルだったのではないか。それほどに問題はあまりに罪深くおぞましく、気づいても目を背けて、懸命に見なかったことにしておきたいものだったのだろう。
ジャニーズは一つの「文化」であり、タレントたちの数、知名度、巻き込む業界や企業、ファンたちと、問題の公共性が高すぎる。もはや手をつけられないほどに深刻な問題を見つけたとき、人間は反射的にその蓋をそっと閉めてしまうものだろう。おそらく問題から最も近い外周で長年一緒にいた彼らが、“問題がなかったなどと考えているわけがない”のだ。
「聞き取り調査」どこまで覚悟を決めているのか
それゆえに、2019年のジャニー氏の他界は、ジャニーズ事務所が長年抱えてきた問題を「なかったこと」のままきれいに葬ることができたと目配せされていたのではないか。パンドラの箱ごと埋葬できたと思ったのではないか。よかった、きれいに終わらせることができた、とホッとしていたのは、事務所だけではない、事情をもちろん了解していた芸能界や音楽業界、マスコミの人々も、同様だったのだろう。
釈明文書にあるという「社員や所属タレントを対象に聞き取り調査を行った」との内容。それは一度埋めた「墓を掘り返す」行為である。先ほど述べたとおり、ジュリー氏は「社長として、肉親として、女性として」どこまで掘り返す覚悟を決めているのだろうか。あるいは死者の亡骸を晒すことなく穏当な調査結果の報告にとどめ、今となっては唯一の近親者でありビジネスの継承者であり、まさに「責任の所在」として自分が職を辞して終わり、とするのではないかとも囁かれている。
社長が首を差し出して「責任」を取るという形さえ整えば、日本社会はまたホッとして黙り、一度暴かれかけた墓はまた元通り埋められてしまうのか。それとも、文化論的にもジェンダー的にも商習慣的にも、まさに日本全体が抱える倫理的「コンプライアンス」問題の本質そのものとして、社会を大きく巻き込んだ患部の膿を出し切るのか。
日本社会がパンドラの箱をどう扱うのかを、国内のショービジネス界だけではない、海外も注視している。