テレビ番組のコメンテーターとしてしばしば登場する“脳科学者”たち。しかし、昭和大学医学部精神医学講座主任教授で同大学附属烏山病院長の岩波明さんは「堂々と脳科学者を名乗る人たちの大部分は科学者とも言えないし、『脳』の研究を自らしたこともない人たちが多い」という――。

※本稿は、岩波明『精神医療の現実』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。

脳のイメージ
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医学部に「脳科学科」はない

脳科学という言葉が世の中に浸透するようになったのは、1990年代ころのことだと思われる。そう遠い昔のことではない。現在では、「脳科学者」を名乗っている人が、テレビ番組のコメンテーターなどに登場することはまれなことではなくなっている。それでは脳科学とは何かというと、そもそも日本の医学部に「脳科学科」という名称の部門は存在していない。

大学において、脳に関する研究をしているのは、基礎医学の部門に加えて、神経内科、脳外科、精神科が相当している。けれども、いずれの部門も、世の中に浸透している「脳科学」のイメージとはピッタリ一致していない。

実際の脳科学は一般のイメージからはほど遠い

例外的な存在は、日本の代表的な研究機関である理化学研究所である。ここには、「脳神経科学研究センター」という部門がもうけられている。研究所のホームページによれば、このセンターの理念は以下のように述べられている。

脳は人間らしく生きるための「心」の基盤であり、その機能障害によって心の病気が引き起こされます。脳神経科学研究センターは日本の脳科学の中核拠点として、医科学・生物学・化学・工学・情報数理科学・心理学などの学際的かつ融合的学問分野を背景に、遺伝子から細胞、個体、社会システムを含む多階層にわたる脳と心のはたらきの基礎研究と革新的技術開発を進めています。これらの研究・開発を通じて脳機能ネットワークの全容解明や精神神経疾患の克服を目指し、社会に貢献します。

実際の研究チームをみてみると、「学習・記憶神経回路研究チーム」「意思決定回路動態研究チーム」「時空間認知神経生理学研究チーム」「シナプス可塑性・回路制御研究チーム」「神経細胞動態研究チーム」などといった、基礎医学的な研究の羅列になっていて、一般に浸透している脳科学のイメージからはほど遠い(※組織名称は執筆当時のもの)。

脳ブームの火付け役は1冊のベストセラー

実は「脳」という言葉が魅力的なイメージを持つものと認識され、脳に関するブームを引き起こしたのは、1995年の『脳内革命』(春山茂雄、サンマーク出版)の出版がきっかけだった。著者の春山氏は東京大学医学部を卒業後、消化器外科医として研鑽けんさんを積み、本の出版当時においては、自らが設立した田園都市厚生病院の院長を務めていた。この本の内容は、アマゾンのサイトには次のように説明されている。

どんなに嫌なことがあっても、事態を前向きに肯定的にとらえると脳内には体に良いホルモンができる。プラス発想こそが心身にとって最高の薬となることを、医学的・科学的に明らかにした画期的な書。

しかしながら、専門家からはこの本の内容について批判が相次いだ。『医者からみた「脳内革命」の嘘』(永野正史、データハウス)という本も出版されている。批判者によれば、春山氏が述べている「楽しいことを考えれば、気持ちを前向きに持っていれば、脳内モルヒネが出てさまざまな病気が治る」という説は、医学的に実証されていないことが指摘されている。

脳の解剖図
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『脳内革命』の著者は脳科学の素人

けれども、不思議に感じられるのは、一般の人たちやマスコミのこの本に対する態度である。上記のような批判があるにもかかわらず、『脳内革命』への支持は熱狂的なものがあり、今でもこれに傾倒している人は少なくない。アマゾンの読者レビューを見ると、比較的好意的な反応が多い。春山氏が食事、運動、瞑想めいそうの重要性を述べている点などについて肯定している意見もみられ、医学的な観点と一般の人の感覚は大きく異なっていることを実感した。

筆者の春山氏は東大医学部卒の高学歴の人ではあり、東大病院、東京逓信病院などの有名病院で診療を行っているものの、専門は消化器外科の臨床医で、「脳科学」やそれに関する研究とは無縁の存在である。日本の医学関係のデータベースである医学中央雑誌を検索してみても、春山氏の研究論文は外科時代のものが数本あるのみで、脳機能などに関連しているものは皆無である。

つまり春山氏は、能力の高い高学歴の医師ではあるが、この本のテーマである「脳科学」に関する点では、素人といっても差支えがない。この本の中に実証的な検証データがほとんど含まれていないことはたびたび指摘されてきたが、春山氏自身そういった知識はあまり持っていなかったので、書きようがなかったのかもしれない。

「疑似科学」に無防備なテレビ業界

それにもかかわらず、脳という未知の領域が容易に理解できそうだと思うと、多くの人が安易に飛びついてしまった。慎重であるべきマスコミ、特にテレビ業界はこういった「疑似科学」に無防備である。

一方、多くの「真っ当」であると考えられる脳の研究者たちは、普通の人々に語る言葉を持っていない。彼らは、自分が専門とするごく狭い研究領域の知識しか知らないので、「脳と心」や「脳と人生」について述べることはできないのである。一般の研究者が日々励んでいることは、実験動物を使った基礎研究を行い、いかに多くの英語論文を書くかということである。それが彼らの業績となり、自らの昇進や研究費の獲得につながる。一般向けの書籍を書いても、「アカデミック」な世界では業績とはみなされない。バラエティ番組に出演してしたり顔で発言したりすると、逆にせせら笑われる。

MRIの画像診断
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似非科学で儲ける健康食品業界

堂々と脳科学者を名乗る人たちの大部分は科学者とも言えないし、「脳」の研究を自らしたこともない人たちが多い。彼らの語る脳や心の話は裏付けのない「ファンタジー」であり、時には宗教じみたオカルト話になる。つまり、「脳科学」はマスコミの作り出した幻であり、似非科学なのである。

けれどもテレビ番組などのジャーナリズムは、内容を検討することもなく、似非学者たちの「学説」を何年にもわたり垂れ流してきた。番組の制作者たちは、世の中に受けの良さそうなストーリーを「脳科学」というレッテルを貼って送り続けたのが実態であり、彼らもそれをわかっているのである。

似非科学である脳科学を、マスコミが利用するのは、話題づくりや視聴率のためであったことは明らかだ。しかしさらに悪質であるのは、似非科学を利用して必要もなければ効能もない食品やサプリメントを売りさばいている健康食品業界である。

特に似非科学が大きな威力を持っているのは、代替医療の世界である。効果が不明なサプリメントや食品を、がんや慢性疾患に対する治療法として勧める代替医療は後を絶たない。ナチュラル志向のマスコミや著名人が、これに拍車をかけている。

「うつ病にセロトニンのサプリ」は根拠なし

脳科学を根拠にした食事療法も数多くマスコミで取り扱われている。だがその多くが、根拠のない妄説である。クスリを批判するマスコミもサプリに対しては不思議と無批判である。たとえば、うつ病からの回復がみられると、神経伝達物質セロトニン関連のサプリの摂取を勧める業者は数多い。これにも根拠はない。それにもかかわらず、少しでも病気が改善するならばと、ワラにもすがろうとする患者や家族は、高額のサプリを買い求める。

今や「健康」は、巨大なビジネス市場となっている。健康食品はクスリと異なり科学的な根拠が不要なため、新規参入は容易だ。キノコでもこんにゃくでもビタミンでも、ほとんど有効成分のないサプリメントでも、科学者風の人物かタレントを連れてきて宣伝すればいい。

サプリメントやハーブ
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似非科学が引き起こす悲劇

欧米においてもわが国においても、人々の健康志向は高まるばかりである。このため医療費に加えて、代替医療にかける費用は高騰している。テレビではほとんどのチャンネルで、栄養セラピストたちが脳や身体に「良い」食品を自信たっぷりに推奨し、健康食品やサプリの購入をあおっている。

岩波明『精神医療の現実』(KADOKAWA)
岩波明『精神医療の現実』(KADOKAWA)

こうした似非科学の裏側では、救いようのない悲劇も起きている。1998年にイギリスで予防接種が自閉症を引き起こすという論文が発表された。これはまったく根拠のない説だったが、その結果予防接種の接種率が著しく低下し、かえって小児の感染症がまん延した。最近でも抗うつ薬の副作用が過大に宣伝された結果、逆にうつ病の薬物治療が十分に行われず、自殺率が高まったという報告がある。健康を人質に商売に励む企業はもちろん、それをあおるマスコミや似非科学者たちを注視する必要がある。

ただ難しい点は、こういった話題においては、エビデンスに基づいて議論をする科学者、医学者よりも、印象や思いつきで論じ、感情に訴えるナチュラリストやジャーナリストの方が、一般の人の共感を得やすい点にある。日常臨床においても、通常の向精神薬には過剰に反応する一方で、漢方薬はウェルカムという人を時々みかける。漢方薬といっても、いくつかの化学的な成分を集めたものであり、副作用も一般的な薬物と同様にみられ、死亡例もあることを説明しても、製薬会社の回し者に見えるようである。