3年間悩んだ末に、外資系ベンチャーへ
外資系ソフトウエア企業のアドビで、新プロダクトや教育市場向けのマーケティング活動を統括する小池晴子さん。子どもや若者など次世代にデジタルツールを使って創造性を養ってもらいたいと、多様なプログラムの実現に取り組んでいる。
アドビは2回目の転職先で、入社は45歳のとき。同社主催の教育フォーラムに参加し、そのビジョンや活動に感激したのがきっかけだった。
「その夜、アドビの活動をもっと知りたくて企業サイトを見ていたら、たまたま教育市場部門で人材を募集していて、これは運命だと(笑)。即座に応募しました」
大学卒業後、教育業界一筋に歩んできた。最初に入社したのはベネッセコーポレーション。子ども向け通信教育講座「こどもちゃれんじ」の編集者や英語版の総編集長などを経て、30代後半には複数の事業で開発責任者も経験した。仕事は天職と思えるほど楽しく、この間に2人の子も出産。転職するまで実に22年間も勤め、「人にも環境にも恵まれて本当にハッピーでした」と振り返る。
仕事は順風満帆だった。だが、40歳になると「この先、もう想定外のことは何も起こらないかも」と思い始める。デジタル領域の仕事や、インターナショナルな環境への憧れもあった。社内ではそうした環境に巡り合えなかったことから、小池さんは転職を考えるようになる。
「今の年齢ならあと20年ぐらいは働ける。それなら、転職してまっさらの状態から新しいことを始めても、何かをやり遂げられるだけの時間はあるなと思いました」
とはいえ、転職先を決めるまでには時間がかかった。国際性のある企業と出合うためにビジネス特化型SNS「リンクトイン」に登録したものの、最初はただ眺めるだけ。そのうち外資系企業から声がかかり始めたが、ピンとくる話はなく、なかなか踏ん切りがつかなかった。
そのまま3年が過ぎたある日、デジタル技術を使った教育支援事業を展開する外資系ベンチャー企業から、日本オフィスのコンテンツ導入兼マーケティング担当者にと声がかかる。教育業界での経験値を評価してくれたうえでの誘いに、ここなら望んでいた仕事で活躍できると感じた小池さん。43歳で、長年勤めた大企業から違う世界へ飛び込んだ。
「ベンチャーへの転職にはリスクもあるとわかっていたので、決断には勇気がいりました。でも、憧れていた要素がそろう環境に3年越しで巡り合えたわけですから、リスクを取ろうと決めました」
求めるものがすべてそろう、新たな環境に出合って
夢見ていた環境での再スタート。充実した毎日だったが、不慣れなビジネス英語に不安になった時期もあったという。それでも「わからない単語はメモして調べて使う」を繰り返すうちに語彙が増え、新しい環境を心底楽しめるようになった。
ところが、1年半ほど経つと仕事のスケール感に物足りなさを感じ始める。ベネッセ時代に数百万人を対象にした事業をリードしていただけに、もう少し多くの人に届く仕事をしたくなったのだ。
「他の部分ではすべて満足していたので、転職は迷いました。そんなときにアドビに出合ったんです。デジタル領域、インターナショナルな環境、スケール感と私が求めるものが全部そろっていて、求人を見た瞬間『これだ!』と思いました」
勇気を出して飛び移って本当によかったと実感
入社時のポジションは一般社員。管理職経験が豊富な小池さんには不相応にも思えるが、本人は「もう1度まっさらな状態から挑戦できてむしろうれしかった」と笑う。挑戦を評価し後押しする企業文化もあり、翌年には部長に昇格。その後、社内のリーダー養成プログラムに選抜され、修了後には本部長に就任した。
「選抜されて以降ステップアップを目指す気持ちが強くなり、結果的にそれも実現しました。このプログラムでの学びはとても重要な経験だったと思います」
今後は自分のことよりも後輩や若者、子どもたちの支援に力を入れていくつもりだ。こうした現在地にたどり着けたのも、最初の転職で勇気をもって踏み出せたからこそ。
ベンチャー時代に上司から言われた「晴子はbrave(勇敢)だね」という言葉が、今も心に残っている。自分では無鉄砲だと思っていた部分をポジティブに捉えてもらったのは、それが初めてだった。
「仕事との出合いは海の向こうから船がやってくるようなもの。いいタイミングで求めていた船が来たら、きっと飛び移れというメッセージなんだと思います。今、勇気を出して飛び移って本当によかったと実感しています」
アドビ マーケティング本部 本部長(Adobe Express & エデュケーション)
1972年生まれ。上智大学外国語学部卒業後、福武書店(現・ベネッセコーポレーション)に入社。22年間勤務し、通信教育事業などに携わる。ニューヨーク発のベンチャー企業への転職を経て、2017年、アドビ入社。