令和3年度に全国の児童相談所が児童虐待相談として対応したのは20万7659件。児童相談所とは異なる立場で、虐待された子とその親をサポートしてきた認定NPO法人代表の宮口さんは「過酷な体験をした子が、不安や恐れがある時にくっついて安心感を得られる大人が必要だ」と訴える――。

※本稿は、宮口智恵『虐待したことを否定する親たち 孤立する親と子を再びつなげる』(PHP新書)の一部を再編集したものです。

保護された子には「3種類の親」ができる場合も

親には三種類あります。①生みの親、②養育する親、③法的責任を持つ親です。

どの親もそれぞれ子どもの人生に直結しています。これを「三つの親」と呼びますが、これは「ライフス卜ーリーワーク(LSW)」というワークの中で使われている言葉です。

ライフストーリーワークとは、社会的養護のもとで暮らす子どもたちに、「私って誰?」「なぜここにいるの?」「これからどうなるの?」という三つの疑問に、信頼できる大人が共に応答する場を用意する(才村 2021)というものです。一人で過去を見つめることが難しい時に、信頼できる大人のサポートのもとで、一緒に見つめる作業でもあります。

「自分が悪い子だったから、親から分離されここに来たのだ」と思い込んでいる場合も多くあります。そんな時にライフストーリーワークがあると、どのような経緯で親から離れてここに来たのかを一緒に確認していくこともできます。その中で、子どもたちは自分の過去を取り戻し、今の状況を理解し、未来を生きていくことが可能になると才村眞理氏は語ります。子どもの疑問について、大人が答えるのではなく一緒に考えること、その問いや心を大切にすることは、子ども自身が「自分は価値がある存在」だと気づくことにつながります。

暗い部屋で泣いている子供
写真=iStock.com/PORNCHAI SODA
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「実親VS養育者」の構図では解決できない

これは子どもの権利の擁護活動ともいえます。このワークの中には、知る権利、最善の利益、未来の意見表明権が含まれています。

このライフストーリーワークの中で、三つの親がいるという視点が、子どもが大人との関係を整理するために役立ちます。実親VS養育者という構図にならず、それぞれが子ども自身にとっての大切な役割を果たしていることを伝えられます。

養育者が変わっていくことは過酷な体験

ライフストーリーワークは、子どもの生い立ちの整理を大人と一緒にするワークです。私たちは親子への支援の中で、同じように「人生の軌跡」であるバイオグラフィーの視点も大事にしています。「これまでの子どもや親の人生に思いを馳せる」というイメージです。

どのようなバイオグラフィーにも、影の部分とともに、光の瞬間があります。さまざまな理由で実親と離れて暮らす子どもたちは、養育者が変わっていくという現実にさらされています。

乳児院から児童養護施設、里親さんへ。こんなふうに養育者が変わっていくことは、子どもにとっては過酷なことでしょう。しかし、過酷さの中にあっても自分にまなざしを向けてくれていた大切な代替養育者の存在があったことは、子どもたちにもっと伝えていく必要があると思います。

子どもに寄り添う里親などの存在が宝に

子どもたちの代替養育者である施設職員さんや里親さんから、初めて出会った時の子どもたちの様子を伺う機会がよくあります。暴れてそっぽを向いて手を払いのけたAちゃん、表情がなくお人形のようだったBちゃん。その子どもたちとつながるために、子どもを観て、葛藤し、あきらめないで寄り添い続けてくれた大人の存在があります。

乳児院でBちゃんの担当だった先生は、面会に来なくなった実母に対して、「あの母親は子どものことなんてどうでもいいと思っているのではないか」とあきらめかけていました。しかし、「○○な子になってほしいと思ってこの名前をつけた」「母子手帳にたくさん書き込みがあった」と過去に会った時の実母の言葉や行動を思い出し、「母親が会いに来れないのは、どんな事情があるのだろう」と実母にも心を寄せていくようになりました。

そして、実母の「○○な子になってほしい」という言葉が、子どもの人生にとって大切なリソース(宝)であることに気づき、Bちゃんの人生のためにそれを記録として残そうとされていました。

社会的養護下にある子どもにとって、自分の存在に心から関心を向けてくれる大人の存在は、大切なリソース(宝)なのです。

子どもの安心をもたらす「アタッチメント」

ある研修を行っていた時、参加されていた施設の先生がこう語っていました。

「一年に一度、支援の目標を書いて提出する際、毎年ワンパターンで“子どもとの愛着関係を築く”と書いていました。でも、愛着関係って実はよくわかっていなかった。でも『アタッチメント』という言葉を理解してからは、まず『この子にとって安心することはなんだろう』と考えるようになった。子どもをきちんと観ることがこんなに大事だったなんて」。

アタッチメントは「子どもから見える世界」を理解する時に役立ちます。

アタッチメントという言葉は、子育て支援の現場で日常的に使われるようになってきていますが、実はこれだけ広まっても、まだ人によってとらえ方は違います。日本語で「愛着」と訳されていることから、親子の親密な関係、愛情というイメージで理解されている場合も多いようです。

私は15年前に親子支援を始めると同時に、アタッチメントの研究者の先生方から、アタッチメントの原義は「くっつくこと」だと学びました。このアタッチメントの本当の意味を、子どもを養育する親、代替養育者、保育士、教員、支援者の皆が知ることが、子どもの幸せにつながると確信しています。

不安や恐れがある時に特定の人にくっつく

アタッチメントとは、一言で言うと次のような意味になります。

「不安や恐れがある時に特定の人にくっついて安心感を得る」

危機的な状況の時、くっついて安心感を得られる大切な人がいるかどうかは、子どものその後の人生に大きく影響します。この、特定のくっつくことができる人のことを「主要なアタッチメント対象」といいます。血縁があるかどうかは関係ありません。「くっつく」ことは物理的だけではなく、心理的に「くっつく」ことも意味します

子どもの手に優しく触れる母親
写真=iStock.com/fizkes
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アタッチメント対象は、以下の二つの役割を持っています。

・安全な避難所:危険なサインに遭遇した時に逃げ帰るところ
・安心の基地:感情が落ち着くところ、そこから探索に出かけるところ

すなわちこれが、養育者の役割になります。何かあった時に「確実につながることができる」ということが、子どもの存在そのものを肯定していくことになります。そしてそれは、その後の長い人生を生きていく中で、大人との関係を結ぶための土台になるのです。

身体的虐待で保護された4歳の女の子の場合

身体的虐待で保護された4歳の女の子、マミちゃんの場合は、お母さんとの面会の時、児童養護施設の百合先生が安全な避難所になってくれたので、百合先生を基地にしてお母さんである咲希さんに会うことができました。お母さんと会って、また何か不安なことがあると、先生にくっつくことで安心を得ていました。

宮口智恵『虐待したことを否定する親たち 孤立する親と子を再びつなげる』(PHP新書)
宮口智恵『虐待したことを否定する親たち 孤立する親と子を再びつなげる』(PHP新書)

子どもたちは、どうすれば親や身近な養育者との間で安心感を得られるのかを、これまでの人生の中で体験的に学んでいます。そして自分の生存をかけて、主要な養育者との相互作用の中で、さまざまなことを試しています。「泣くと、親が不機嫌になって怒り出す。だから、不安で泣きそうになった時は親に近づかないようにする」といったことも、体験的に学んだ結果です。

マミちゃんもそうでした。自分が何か言うと母が混乱するので、一時保護された当初、最初は大人に泣いて訴えるということがなかなかできませんでした。家庭では自分より先に母が泣いてしまうことが多いので、マミちゃんが母親を慰めることが多かったのです。

まず、大人がすべきことは、マミちゃんが不安や恐れを表出するサインに気づいて、それに応えることでした。

恐怖を感じる子はこんなサインを送っている

安心感のない子どもたちは、さまざまな行動で、自身の不安や恐れのサインを示します。以下は子どもが養育者との関係に、恐怖を覚えているものと考えられる子どもの行動をアタッチメントの研究者の工藤晋平氏がまとめたものです。

子どもの恐怖のシグナルかもしれないこと
・いつも養育者の顔色を窺っている
・養育者のそばにいても安心した様子を見せない
・怖いことがあっても養育者のそばに行かない
・養育者に怯える
・親のように養育者の世話をする
・ぼうっとして意識がどこかに行っている時がある
・よくわからない刺激に強い不安を示す
・養育者との間で起きたことを覚えていない
・養育者や大人に日常的に敵意を示す行動をとる
・自分を危険にさらす行動をとる
・養育者の言いつけは自分に危険が及んでも守ろうとする
・養育者の明らかに不適切な行動をかばう
・極端に情緒的に不安定

工藤氏は「これらの行動が全て、養育者に恐れがある、不適切な関わりをしていることを示すものではありません。しかし、このような行動に注目してみると、子どもと養育者の関係の一端が見えてきます」と仰っています。まず、私たちが子どものシグナルに気づき、その意味を理解しようとすることから始まるのです。

親が子を愛していても安全とは言えない

家庭復帰を考える時や、どのように養育者を見ているのかを考える時、工藤氏が言う「安心感のものさし」は役に立ちます。さまざまな条件がある中で、家庭復帰が行われます。その際に、子どもにとっての「安心感」という共通のゴールを、親と支援者が持つことは、なかなか難しいのです。

「子どもにとって、くっつける相手がいるか?」

これはすなわち、安全な避難所と、安心の基地の役割の大人がいるか否か、ということです。

子どもが安心か否かを判断する基準は、親が子どもを好き、子どもが親を好きという情緒的なものではありません。よく「この親は子どもへの思いがあるのです」と支援者が言われることがありますが、それだけでは安全ではありません。子どもが親に対して恐怖のシグナルを出していないかどうかを観察し、安心感のある関係(基地や避難所として親にくっつけるか)になっているかどうか、という視点で見ていく必要があります。

泣く赤ちゃん
写真=iStock.com/yamasan
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子どもにとって利用可能な大人になれているか

それは、「養育者は子どものシグナルに気づけるか。行動の意味を理解できるか。適切に応答できるか」というものさしでもあります。子どもの行動や欲求(ニーズ)について、「安心感」という共通のものさしで親と支援者が率直に話せること、それ自体に大きな意味があります。

大切なのは、子どもから見て親や養育者が「利用可能」か否かなのです。