テンパりまくった娘の小学校入学
新1年生の保護者になる人へ、この時期になると呼びかけていることがあります。
「『小学生の保護者になる』という初体験によって、キャパオーバーをちょっとでも感じたら、すぐにメンタルクリニック(精神科)や心療内科、カウンセリング、セラピー、占い、など『話を聞いてくれるところ』を予約しとこう!」ってことです。
私は第1子の娘が小学校に入学した5年前の4月、入学式の数日後には「これはマズい、自分がぶっ壊れてしまう……」と感じ、メンタルクリニックに行こうと思いました。
20代の頃、心療内科を舞台にしたドラマの影響などもあって、私の周りでは「ストレスを感じ日常生活にも影響が出てきたら、心療内科に行って薬をもらう」という人が結構いました。私も気疲れしてしまったり睡眠がうまくとれなくなってしまった時は、内科や歯科に行くのと同じようにメンタルクリニックを受診していました。
個人的に、心療内科よりも「精神科」と表記されてるクリニックを選んでいます。家から遠くても、受診してみたいと感じるメンタルクリニックに行っていました。
5年前の娘の入学時は、わざわざ遠くに行く時間もなかったので、なるべく近くで選ぶことにして、経験上、個人のクリニックだと医師との相性の当たり外れの差が結構あったりするので、医師が複数在籍している大きな病院の精神科を予約することにしました。
今思えば、保育園卒園に関する保護者の仕事もたくさんあっし、当時1歳になっていた第2子の保育園入園も重なっていたため、3月の時点でキャパオーバーの警報音は鳴り始めていました。
「小学生の保護者」になるにあたって当時の私が最大のプレッシャーを感じていたのは、「保育園と違って欠席が気楽にできない」ということでした。今となったらどうしてそこまで心配だったのか分からないですが、保育園は親の仕事が休みになったら子どもも休みにできるし、「風が吹いたら遅刻して雨が降ったらお休みで」でおなじみのハメハメハ大王並みの気楽さがあります。
だけど小学校はそんな「今日はママ、お仕事休みになったから東京タワー行くかあ!」みたいなことをしたら、子どもが次の日算数が分からなくなって困ってしまう。
これからはそんな「気楽さ」は許されない生活が始まるのだと思うと、心がピーンと緊張する毎日でした。
「学校は楽しいです!」の宣言
そんなふうに迎えた入学式も、私にとっては強烈なインパクトがありました。
別に特別にすごい入学式というわけではなく、公立小学校の入学式として至ってオーソドックスな、新入生が入場して国歌斉唱して、校長の挨拶があって……という、私自身も慣れ親しんだプログラムです。児童による「1年生歓迎」の出し物で高学年の1人が壇上に登場し、極上の笑顔と大きな声で呼びかけました。
「1年生のみなさん! 学校は、楽しいです‼」
唐突な宣言に圧倒されました。
今なら、新入生に向けての「楽しいですよ!(安心してください!)」というメッセージだと分かります。でも異常なほどナーバス最前線だった私は「楽しいんだから楽しい以外ない、以上!」みたいな強さを感じ、「『楽しいと思おう!』の圧がスゲエ……!!」と勝手に慄いてしまいました。
さらに始まった、児童による合奏。今の私なら「すご~い すてき~ がんばったねえ」と思うけど、その時は「保育園のお遊戯はグッダグダでも許されたけど、もう許されないんだ……」というプレッシャーが自分の周りに集まってくるみたいなホラーな感覚になりました。
先生よりも調理員さんよりも「来賓」
極め付きは来賓のあいさつでした。
普段は学校に現れない議員など10人くらいの来賓の名前と肩書は、丁寧にゆっくり読み上げられました。
しかし、子どもたちと日常的にふれ合うであろう、教員たちの名前は超高速で発表され、用務員さんや非常勤の職員さんの名前はまさかの省略。給食を作ってくれる方とか、個別にあいさつタイムがあってもいいくらいなんだけど?! どんな人たちか知りたいんですけどー?!
今の私は、小学校生活が安全に保たれるためには、自治体や地域の方々の存在もめっちゃくちゃ大事だから、来賓というシステムが成り立ったことが理解できます。さらに裏事情として「来賓として出席する方々はその日の仕事を休んで来ているらしい」とか、時代の変化に対応しつつ伝統や風習を守りながら学校を運営していく立場の人たちの大変さも想像できるようになりました。
ただ、5年前は分からなかったので、30年ぶりくらいに「来賓」という言葉が耳から入ってきて、「なんか来賓が一番大事に扱われてないか? 子どもたちではなく?! 小学校ってそういうところなの?!」という感情がスパークしてしまいました。
「お知らせ“謎解き”」の攻略法
入学後も、小学校からの「お知らせ謎解き」に面食らうことになります。
例えば「保護者会のお知らせ」のプリントに「日程と持ち物」が書いてあるけど「開始時間」は書いてない、ということが普通にあるので、保護者は「開始時間」を自力で探さなければなりません。
お知らせ謎解きの正解は複数あります。多いのは「何時なのかは後日お知らせ」パターンと、「一緒に配った別のプリントの隅っこに書いてある」パターンの2つですね。私だけではなく、これは「小学生保護者あるある」のようです。
初心者はトラップにかかり、学校に確認の電話をいれてしまいます。私も正解パターンを知らなかったので、電話して聞いてしまったことがありました。職員や教員は保護者を相手に、謎解きをしようとも、わなにかけようとも思ってないはずなのに……。
そんなてんやわんやの中、息子が突発性発疹にかかったりして、テンパリすぎた私は注意散漫モードになってしまいました。このモードに入ると、けがをしたりして不毛な時間が逆に増えます。駐輪場で柱に頭をぶつけて、「あ、私の目から星とヒヨコが出てる……」って思うくらいフラついたりしました。危ない!
どこかに相談しないとヤバい!
完全に自分のキャパオーバー、これはもうどこかに相談しないとヤバい! と思い、先述の精神科を予約しました。
予約できるのは、早くて1カ月後の5月頭とのこと。ほかのクリニックを選んでいるあいだに1カ月経ってしまいそうと思ったので、その場で予約を入れました。
結局、5月の予約日当日になると、かなり落ち着きを取り戻していて、問題がない状態になっていました。予約をキャンセルしたほうがいいかな、と思ったけど、一応診察を受けることにしたのです。
今日来て、やっぱり良かった
精神科医は私より10歳くらい年上とおぼしき男性でした。
普通の内科のような診察室で、カルテを見ながら医師は私に「どうされました?」と優しくたずねてくれました。
私はせきを切ったように喋り出しました
「4月に子どもが小学生になって、とにかく本当に大変でした。入学はおめでたいことだから喜びに浸りたいのに、ずっと緊張してピリピリしてしまって。子どもが一番大変なんだからそれをサポートしたいのに、家族の中で私が一番テンパってしまって、家族も私に対して『落ち着きなよ』みたいな感じだから、1人で孤独を感じてました。親がやらなきゃいけない新しいこともたくさんあって、こんなに大変だと思ってなくて……。とにかく大変で、大変すぎて、気が狂うかもしれないって思うほどでした。だから予約したんですが、今はスッカリ大丈夫になっちゃって、すみません」
そんなとりとめのない話を、医師は「ああ、うんうん」「それは大変だ」「そうなんですね」と静かに相づちを打って聞いてくれて、「ああ、予約して今日来て、やっぱり良かったなあ」とホッとしました。
「私めちゃくちゃ大変だったけど乗り越えられました」という話を、こんなふうに初めて会った人に聞いてもらえると、大変だった時の思いがちゃんと消化されていく感じがありました。
「大丈夫そうだったら飲まなくていいけど、一応、よく眠れるように、睡眠の薬とか出しておきますか?」と聞かれ「うーん」と落ち着いて最近の自分の生活を振り返ってみて、いらないなと分かり、「いらなそうです」と答えました。「分かりました。じゃあ今日は処方はありません。またつらくなったら話しにきてくださいね」と言われて診察は終わりました。
こうやって「家族や友人ではない関係の安心できる人と一緒に自分のことを振り返ってみる」という、普段はできないことのための時間をとる、というのも、自分自身への大きなねぎらいになります。自分で自分をねぎらって、やっと、子どもや家族、周囲の人に優しくできる余裕が生まれます。
みんなスマートにこなしているように見えるけど…
周りの保護者を見ると、みんな普通のこととして、サッパリとスマートに、なんともなしにこなしているように見えます。だから自分もそうふるまわなきゃ! ということに必死になってしまって、案外同じ立場の人に相談するっていう機会がなかったりする。
でも落ち着いてから「新1年生の保護者大変すぎるんだけど」って話してみると、みんな「ほんと毎日ギリギリだよ!」って話してくれるからみんな一緒じゃん‼ って思いました。
なので、新1年生の保護者になる人には、「『ヤバい!』と思ったら、話を聞いてもらえるところを予約したほうがいいよ」と言っています。
今年の春は、第2子の息子が小学生になります。小学生の保護者はすっかりやり慣れてはいるけど、5月ごろ行けるように精神科かカウンセリングを予約するつもりです!