オンライン観光の市場が伸びている。リアル旅が戻っても残るオンライン観光の価値とは何か。マーケティングライターの牛窪恵さんが「オンライン体験ツアー」参加者が25万人を突破したHISに取材した――。

オンライン観光の市場規模は約100億円

コロナ禍で大きな打撃を受けた、旅行業界。新型コロナが襲い掛かった2020年、国内の延べ宿泊者数(全体)は前年比で4割以上(44.3%)も落ち込み、インバウンドに限ると同8割以上(82.4%)もの大幅減となりました。

そんななか、JTBや近畿日本ツーリストをはじめ、旅行代理店各社が挑戦を始めたのが、「オンラインツアー」。

22年発表のリポートによれば、同年、すでにオンライン観光の市場規模は約100億円に達したとのこと。また今後の潜在市場は、520億円にのぼるのではないか、ともみられます(三菱UFJリサーチ&コンサルティング調べ)。

この市場に、20年4月から参入したのが、エイチ・アイ・エス(以下、HIS)。

同社の「オンライン体験ツアー」の体験者は、22年10月現在で累計25万人を突破。いまや世界74カ国で、総累計1万5000件以上のツアーを販売するほど、急成長を遂げました。

エイチ・アイ・エス オンライン・エクスペリエンス本部 勇川千絵さん
HIS オンライン・エクスペリエンス本部 勇川千絵さん(写真提供=HIS)

きっかけは「移動しにくい状況下でも、せめて海外や観光地に“行った気分”になって、明るい気持ちになってほしい」と考えたことだったと、同オンライン・エクスペリエンス本部の勇川ゆうかわ千絵さん。

「当時、窓口にパッタリとお客さまが来なくなり、申し込みや問い合わせも激減しました。途方に暮れていると、北米支店のスタッフが『いまアメリカで、Zoom(オンライン会議ツール)が人気を呼んでいる』と教えてくれたんです」(勇川さん)。

北米に住む著名人に飛び込みでアプローチ

勇川さんらは「日本でもZoomを使えば、オンライン越しに、北米生活の魅力を知ってもらえるのでは?」と考えました。

もっとも業界以外の現地在住者に、知り合いが多いわけではない。そこで同僚たち数人と、著名人のSNSに“飛び込み”で直接アプローチをかけてみた。

すると当時、北米に住んでいた有名フィギュアスケーターやプロボクシング選手、あるいはブロードウェイのショーに出演するパフォーマーなどが「自分で役に立てるなら」と快諾してくれたとのこと。

「ブロードウェイのパフォーマーは、オンライン上でみんなが明るくなれるよう『一緒に歌いましょう』と、プロの喉を披露してくださった。コロナ禍で落ち込みがちな世の中だったので、『元気が出ました』など、本当に好評でした」(勇川さん)。

社内で起きた懐疑的な意見

もっとも、旅行業界には強い逆風が吹き荒れていました。

HISも、苦しいなかで新規事業の可能性を模索。当時、海外事業戦略本部にいた勇川さんは、「北米支店の試みを他にも広げられれば、新たな事業になる」「ぜひやりたい」と考えたそうです。

半面、社内には「オンラインで本当に事足りるの?」と懐疑的な見方をする人もいて、勇川さんは「自分の思いだけでは足りない」「体験者のリアルな声を一つでも多く拾って、各国の支店に伝えなければ」と強く感じた、とのこと。

24時間ライブツアーの様子
写真提供=HIS
24時間ライブツアーの様子

支店は国によって時差が大きく、オンライン回線の事前チェックや打合せのタイミングなど、難しい点も多々あった。またツアー当日、電波や回線の不具合が発生する可能性があり、東京本社でも「いざ」というときに備える必要があったといいます。

「当時は、私も含めて関わった数人全員が、他業務との兼務。最初は『なにかが起きたらどうしよう』と、皆が緊張の連続でした」と勇川さん。

そんななか、ツアー体験者の声を拾うと、「旅するようで楽しかった」や「今度(現地の)ガイドの○○さんに会いに行きたい」など、次々と喜びの声が積み上がっていった。

これを聞いた各国の支店が、「うちでもやりたい」と手を挙げ始めたそうです。

「リアル旅行の代替」を超える存在になるには

その結果、21年6月末までには、中南米や欧州、中東、あるいはインド、ベトナムなど、世界14カ国の支店がオンライン体験ツアーを導入。各国の文化や食、ショッピングなどをテーマにした多彩なラインナップが生まれ、体験者は延べ10万人を超えました。

一方で、ここで留まれば、オンラインはリアルの代替でしかなくなる。やがて移動制限が解除されれば「やっぱり旅はリアルだよね」となり、価値が薄れてしまう可能性も否めません。

この段階が、マーケティングでいう「機能的ベネフィット」、すなわち商品やサービスの特徴がもたらす、利用者にとってのプラス効果。一般には便利、早い、安い、簡単など「機能」がもたらす効果(ベネフィット)のことです。

24時間ライブツアーで得られる“旅以上の体験”

ところが、勇川さんたちは“その先”を考えた。オンラインをリアルの代替としてではなく、「オンラインならではの魅力を探り、価値を極めよう」と決意したのです。

これが「情緒的ベネフィット」、すなわち商品やサービスを所持、体験することで利用者が得られる、プラスの“感情”に繋がる価値。楽しさや安心感、充実感、高級感などが、よく例に挙げられます。

たとえば、21年7月にスタートした「24時間ライブツアー」。ここで勇川さんたちは、参加者たちの意外な「情緒的ベネフィット」を発見しました。

24時間ライブツアーの様子
写真提供=HIS
24時間ライブツアーの様子

24時間ライブが、もし「24時間、世界各地を繋ぎ、あちこち旅した気分になれる」というだけなら、「オンラインは、距離を越えられて便利」「お得」という機能的ベネフィットに留まってしまう。

ですが、いざツアーを実施してみると、24時間というあまりの長さに、ツアー途中で眠ってしまう参加者がいた。

そのとき、参加者同士が「あ、○○さん、寝ちゃったね」「起きてるみんなで頑張ろうよ」など励まし合い、連帯感を共有しながら、繋がりや楽しさ、すなわち「情緒的ベネフィット」を体感していたのです。

自己肯定感が高まる旅

筆者が22年12月に参加した、同社のオンライン体験ツアー(「香港 セントラル 街歩き」)でも、似た現象が見られました。

動画用のカメラを携えて「セントラル(中環)」の街中を案内する、現地ガイドのシュウヘイさん。彼が人気の現地みやげについて語っている最中、チャットに参加者から「これって○○ですか?」との質問が入った。

そのとき、シュウヘイさんが答えるより前に、別の参加者が「あ、私知ってます」と書き込みで回答。すると、回答者と質問者は「ありがとうございます!」「いいえ、私の知識がお役に立ってよかった」と温かい会話を交わし、満足感を得たようでした。

同時に、「私の知識が役に立って~」と答えた回答者は、おそらく「自分の知識は無駄じゃなかった」「人の役に立てた」と自己肯定感を高めたはず。

これこそが、マーケティングでいう「自己表現ベネフィット」。商品やサービスを所持、体験することで可能になる、自己表現や自己実現の価値をいいます。

自己表現ベネフィットが得られるコミュニティー

HISが21年1月に始めたオンラインサロン「TABIFLEEEEEK(タビフリーク)」も、まさに「自己表現ベネフィット」の好例でしょう。「旅好きな人が安心して集まれる場を作ろう」との思いから結成されたコミュニティーで、実はこの中でも、メンバーの自己肯定感に繋がる現象が見え始めているのです。

もともとこれは、フェイスブック上の機能を活用して「いま○○を旅しています」とライブ中継するなどして、メンバー同士が繋がれるコミュニティー。

オンラインサロン「TABIFLEEEEEK(タビフリーク)」の活動
オンラインサロン「TABIFLEEEEEK(タビフリーク)」の活動(写真提供=HIS)

あるとき、このメンバーの一人が「子どもたちの体験格差をなくしたい」と、ケーキ店や航空業界など複数の協力を得て、職業見学ができるツアーを考案しました。

オンラインなら、親が忙しく外に出にくい子どもも、自宅から参加できるだろうとの発想です。おそらく企画したメンバーは、「社会のために何かがしたい」「誰かの役に立ちたい」との思いを、ツアーの実現によって叶えたいと願ったのでしょう。

企業は3つの価値を満たしてこそ顧客から選ばれる

こうした「自己実現ベネフィット」や、先の「機能的ベネフィット」「情緒的ベネフィット」は、いずれも経営学者でカリフォルニア大学名誉教授のデビッド・アーカーが分類した考え方です。

一般に「機能的ベネフィット」は、「安い、早い」を売りにするファストフードや「近い、便利」を強調するビジネスホテルのように、突き詰めると価格競争に陥りがち。だからこそ、以前ご紹介した通り、現代は「情緒的ベネフィット」を強調すべきだと言われます。

【図表1】デビッド・アーカーによるベネフィット3分類
図表=筆者作成

ところがアーカーは、さらにその上の段階があると考えます。それが「自己表現ベネフィット」。とくに近年、SDGsが叫ばれるなかで、企業は「機能×情緒×自己実現(社会貢献)」という3つの価値を満たしてこそ、顧客に長く愛される、といわれるようになりました。

たとえば「このパソコンは機能的、カッコいい、しかも自分らしい」と感じさせるアップルのPCや、「このコーヒーは美味しい、ホッとする、しかも誰かの役に立てる気がする(フェアトレード/途上国の人々の公正な取引を後押しする)」と感じさせるスターバックス コーヒーなどは、まさにその代表です。

HISは、ほかにも現地の講師や占い師らとオンラインで繋ぐ「スキルシェア」や、日本で入手しにくい商品などを現地と繋いで紹介・販売する「ライブコマース」など、オンラインによる様々な試みにトライしています。

その多くは、まだ「機能的ベネフィット」や「情緒的ベネフィット」に留まっているように見える。でもこの先、参加者の自己実現を叶えるプランを次々と具現化できれば、他社との差異化に繋がり、オンラインの分野で長く愛されるブランドへと進化できるのではないでしょうか。