「執行役員・佐藤恭子」から「社長・神山恭子」へ
「株式会社船橋屋は(中略)神山恭子(旧姓:佐藤恭子)が代表取締役に就任いたしましたので、お知らせします」
同社が新社長の就任を発表したのは9月30日。渡辺前社長の交通事故動画がSNS上で拡散され始めてから4日後のこと。極めてスピーディーな対応だった。
「2004年の入社以来、ずっと『佐藤恭子』として働いてきたので、本当はそのまま行きたい気持ちはありました。でもとにかく一刻も早く新体制に移行して信頼回復に取り組まなくてはならない。旧姓で社長に就任することも不可能ではなかったんですが、事務手続きに時間がかかることがわかり、『じゃあ戸籍名にしよう』と即決しました。船橋屋ののれんの方が大事ですから」
神山さんは、「まだ呼ばれ慣れない」という「神山」の名字が書かれた名刺を指し出しながら、こう説明する。「社内では、やっぱり『佐藤さん』と呼ばれることが圧倒的に多いです。社外の方からは今でも『どっちで呼べばいいの?』と尋ねられます。『どちらでもいいですよ』と伝えています」
9月26日深夜、前社長の事故動画が拡散し炎上
発端は8月24日。渡辺前社長が東京都千代田区内で乗用車を運転中、赤信号に気づかず直進して右折してきた車に衝突した。警察に届け出を行い相手との和解・示談は成立していたが、9月26日深夜になって、事故後に渡辺前社長が相手に怒鳴り散らしたりしている様子がツイッターなどで拡散された。
動画を見た社員から連絡を受けた神山さんは、広報担当者らとすぐに情報収集を開始。前社長にも電話で確認したところ「動画に関しては事実。本当に申し訳ない」という回答を得た。前社長個人のことではあるが、船橋屋というブランドの代表であり「顔」である人物のやったこと。「会社としても、とても容認できる行為ではありません。被害者の方はもちろん、お客さまや取引先さま、世の中の皆さまに、速やかにお詫びをしなくてはと考えました」
「スピード」と「情報公開」、「冷静な判断」が必要
情報収集を進めながら、どのように情報発信を行うか。神山さんは、外部と社内、両方の対応を同時並行で行った。同社のネット通販事業や新卒採用活動でSNSを活用してきた神山さんは、「スピード」と「情報をオープンにすること」の重要さをよく認識していたが、一方で「こんな時こそ冷静な判断が必要。慌てて動くことは避けたいと考えました」という。細心の注意を払いながら、プレスリリースと社内への説明の準備を進めていった。
「弊社代表取締役社長の交通事故に関するインターネット上の書き込みについて」
公式ホームページでプレスリリースが公開されたのは9月27日夕方。反響は想像以上に大きく、サーバーがダウンするほどのアクセス集中が起きた。メディアの取材や、店舗が入っている百貨店からの問い合わせなどが多数あったほか、本店だけでなく各店舗にも、SNSの投稿やプレスリリースを見た人から批判の電話がかかってきて対応に追われた。
神山さんは、できるだけ現場を回って社員に声をかけ、厳しい電話に対応していた社員には個人面談をするなどしてサポートした。「難しい対応だったと思います。でも、全員が『いただいたご意見には誠心誠意対応しよう。一緒に船橋屋を守りましょう』と言ってくれたので、信頼して現場を任せることができました」と振り返る。
「佐藤恭子」の名前で出したプレスリリース
そして9月28日朝には、「執行役員 佐藤恭子」名義で「無関係な企業と弊社従業員へのインターネット上の書き込みについて」という2本目のプレスリリースを公開した。
その意図を本人はこう語る。
「従業員個人や、無関係な企業への誹謗中傷が多く、『何とかできないか』という相談が私のところに寄せられていました。渡辺前社長の行動は許されるものではありませんが、従業員は守らなくてはいけませんし、無関係の企業の皆様にご迷惑をお掛けすることは避けなければなりません。現場の指揮を執っている人間として、自分の考えをしっかりお伝えしたいと考え、佐藤恭子の名前で文書を出しました」
前日に出した第一報のプレスリリースは、会社の名前で、船橋屋の総意としてのお詫びを表したもの。この日のリリースは、それとは意味合いが違うことを伝えたかったのだという。
実際、27日から28日にかけてはSNSに「営業をやめろ」「2度と買わない」といった厳しい書き込みが殺到。従業員らも不安を募らせていた。前社長の行為に対する声は受け止めるが、従業員に危害が及ぶようなことは止めなくてはならない。自分の名前で「お願い」の文書を出すことで、そうした強い意思を表したかったのだという。
最初は厳しい声ばかり、徐々に応援も
神山さんは、多くの電話やメールの内容に目を通し、ネガティブな声にも耳を傾けた。
「最初は厳しいお声が圧倒的に多かったんですが、徐々に『潰れたら困るので、応援の意味で買います』『商品は間違っていないんだから大丈夫』といったメッセージも増えていきました。店頭に足を運んでくださるお客さまも、従業員に応援の言葉をかけてくださっていたと聞きます。本当にうれしかったですし、励まされました。船橋屋は歴史の長い企業ですが、それはファンのお客さまが支えてくださったから続いているんです。私たちとしては、そうしたお客さまに応えたい」
前社長の辞任、神山新社長の就任へ
一方で、新体制への移行もスピーディーに進んだ。9月28日には渡辺前社長から辞任の申し出があり、翌日29日午後には臨時株主総会と取締役会を開催。前社長の辞任が承認され、神山新社長の就任が決定した。
この時の経緯を、神山さんは改めてこう語る。
「『任せていただけるのであればやります』と、それだけでした。これまでは、自分が社長になるなんて考えたこともありませんでしたが、一刻も早い信頼回復のためにも『矢面に立てるのは私しかいないかもしれない』と思いました。それに、社長になっても1人ではない。社内に信頼できる仲間がいますから、一緒に乗り越えられるだろう、と」
神山さんは、2015年に社内で行われた、従業員全員を対象とした総選挙「リーダーズ総選挙」で圧倒的多数を獲得。会社のナンバー2となる執行役員に選ばれ、その後も会社の業績を順調に伸ばしてきた。「執行役員になった時から、『船橋屋を引っ張る覚悟』は持っていました」という。
船橋屋の200年以上の歴史の中で、神山さんは、初めての創業家以外出身の社長となる。しかし、「趣味は船橋屋の歴史を調べること」と公言してはばからない神山さん。創業家の役員らにも、何度も船橋屋の歴史について話を聞きに行ったことがあり、ビジネスの能力やリーダーシップだけでなく「船橋屋“愛”」の強さや社内からの信頼の厚さも知れ渡っていた。
前社長への複雑な思い
一方で、育ててくれた渡辺前社長に対しては、今でも複雑な感情があるようだ。
渡辺前社長本人に、直接怒りをぶつけたという神山さんは、こう語る。
「あのような不誠実な対応は、本当に許されません。これまで二人三脚でやってきましたし、私自身もこれまでのことに感謝がある。しかし、船橋屋をしっかりと引き継いで、成長させることが使命だと思い、まずは今、目の前でやらなくてはならないことに集中しなくてはと、すぐに頭を切り替えました」
渡辺前社長は既に船橋屋を退社。現在は会社の経営に関与しておらず、権限もないという。
神山さんは、自分に対して「お飾りの社長なのではないか」という見方があるのも承知しているというが、「(渡辺前社長に対しては)執行役員の時から自分の意見をはっきり述べて、是々非々で議論してきました。もちろんいろいろなご意見があるかと思いますが、それは私が今後の努力で変えていくしかない」と言い切る。
“オタク気質”発揮して伝統を科学したい
「今は、信頼回復が第一。とにかくそこが最優先です。これまで船橋屋を支えてきてくださったお客さまの期待に応えることをまず考えたい」
そしてその先にあるのは、「伝統文化と科学技術の融合」だ。
神山さんはもともと、いずれはくず餅の研究に専念し、「伝統を科学する」という試みを本格的に進めるつもりだったという。
船橋屋のくず餅は、グルテンを取り除いておよそ450日間乳酸発酵させた小麦でんぷんを蒸しあげて作る無添加自然発酵食品だ。江戸時代から同じ製法を守るが、その発酵プロセスは、まだ科学的に解明されていない部分も大きい。
「船橋屋だけでなく、日本の発酵文化というのはすごいんです。こうした日本の伝統を次世代に伝えるためにも、今、発酵を科学で可視化していく必要があると思うんです。私のこの“オタク気質”を発揮するなら今かな、と」
そして今後は、くず餅のすばらしさや、日本の発酵文化を伝えていくためにも、さらに人材育成や教育に力を入れていきたいという。今年6月には人財開発室と広報室を設置したが、教育や人材育成強化を目的とした組織改革を進めていくという。
「私は販売目標を立てて『売り上げを上げよう!』というよりも、船橋屋が大好きで、くず餅が大好きで、『自分が大好きなものを、もっと多くの人に食べてみてほしい』というだけなんです。売り上げのことは、現場に任せられる社員もいますので、大好きなくず餅をもっとたくさんの人に楽しんでいただくための付加価値をつけられるように考えていきたいんです。そうすれば、現場では自然とお客さまに新しい提案が生まれていくように思います」