日本で生活するロシア人の小原ブラスさんは、ロシアによるウクライナ侵攻への反対をいち早く表明した。しかし、ネットでは「侵攻を金もうけに利用している」などとバッシングを受けた。「侵攻に反対するならロシアに帰ってやれ」とまで言われた彼は、葛藤しながらも、ロシアには帰らないことを決意した――。

※本稿は、小原ブラス『めんどくさいロシア人から日本人へ』(扶桑社)の一部を再編集したものです。

YouTubeで侵攻反対を表明してから起きたこと

ロシアのウクライナ侵攻が始まった2月24日、同じロシア出身の中庭アレクサンドラと一緒にやっているYouTubeチャンネル『ピロシキーズ』で、僕は「侵略に絶対反対」の意思を表明した。

タレントの小原ブラスさん
タレントの小原ブラスさん

日本に住んでいるロシア人が「やっぱりロシア人だから、ロシア政府の味方なんだろう」と日本の人たちに思われるのも嫌だった。もちろんウクライナの惨状も見ていられない。ロシア人としてウクライナの人たちに申し訳ないという気持ちもあった。

でも、何をどう言えば正解なのかは今でもわからない。正直な自分の気持ちは「苦しい」。でも、ウクライナの人たちはもっと苦しんでいるのだと思うと、苦しいけれど、「苦しい」と口に出すこともはばかられると思っている。

『ピロシキーズ』に対するコメントは、大多数が好意的なものだった。僕自身を心配してくれるコメントもあった。しかし、「ウクライナが大変なことになっているのに、のうのうとYouTubeをアップするなんてどういうことだ」というような批判もあった。僕自身も葛藤があり、動画をアップしないで少し時間が空いてしまうと、今度は「チャンネルを更新しないのは、ロシア支持だからじゃないか」という批判も出てきた。

何をしても批判のコメントが寄せられパニックに

その後、チャンネルを更新すると、「ウクライナの話題を出したら、再生回数が上がって、儲けている」などと、批判が止まることはなかった。僕は広告で得た利益はウクライナ赤十字社に寄付しているのだが、「寄付したらいいと思っているのか」「寄付先は合っているのか」「そもそも寄付することが正解なのか」「もっと他にできることはないのか」「ウクライナに謝罪しろ」という批判とともに、「戦争の話題ばかり見たくないから、前のような動画が見たい」などというコメントも増えてきた。

結局、何をしても何を言っても非難され、八方ふさがりになった僕はパニックに陥った。誰のどの要求に応えることがベストな選択なのか、まったくわからない。謝罪するにも、誰への何のお詫びなのかもわからない。とにかく、何をやってもダメだった。

ロシアのウクライナ侵攻以降、メディアに出演すると、どうしても最終的にこの話題についてのコメントを求められた。他にも取材を受けたりすると、「侵略をネタにした売名行為だ」「侵略で得をしている」「戦争特需だ」と言われることもあった。

メディアから何度も聞かれたこと

特にメディアからは「ネットで悪口を書かれたり、誹謗ひぼう中傷を受けたりすることもありますか?」という質問をたくさん受けた。「大多数は応援メッセージです。確かになかには批判もあるけど、そんなことよりウクライナの人のほうが心配です」と伝えると、「ちなみに、批判はどんなことを言われるのですか?」と聞かれ、ついには記事の見出しに「在日ロシア人への差別、誹謗中傷相次ぐ!」などと大きく載ってしまうのだ。

スマートフォンでネットニュースを閲覧中の手元
写真=iStock.com/Tero Vesalainen
※写真はイメージです

それを読んだ人に「ロシアのせいでウクライナはこんなに大変な状況になっているのに、ロシア人は自分たちが差別されることばかりを心配している」と捉えられても仕方ない。聞かれたことに答えただけで「ロシア人を擁護している」と言われてしまうと、何も言えなくなる。

もし、日本のメディアの人が「この軍事侵略によって、在日ロシア人へのヘイトがあるかもしれない」と気がついたのなら、記者が自分たちで調べたことだけを記事にしてほしい。お願いだから、ロシア人の口から「こんな差別を受けました」と言わせたような記事を載せないでほしい。私たちロシア人以上にウクライナの人たちは苦しんでいるのだから、反感を助長させるような余計なことはしてほしくないのだ。

果たして個人に軍事侵攻の責任はあるのか?

ロシア国籍を持っているので、ロシアのウクライナ侵攻に関して「ロシア人には責任がある」「ロシア人として罪の意識を持て」と言われることもよくある。当然、ロシアには国家としての責任はあると思う。だが、正直な気持ちを言うと、個人としてどこまで責任を感じればいいのかわからず、戸惑っている。

個人が罪を犯した場合、その個人に裁きが下るのであって、所属している団体に裁きが下るわけではない。会社が何か不正を行った場合、会社の代表や取締役などが裁かれ、会社としての賠償をすることはあるが、社員一人ひとりに対して裁きが下るわけではない。もちろんその結果として社員一人ひとりの給料が減るということはあるだろう。そう考えると、国が罪を犯したら、国が裁かれることはあっても、いち個人に対して裁きを下すのは違う気がしている。だから、「ロシア全体のロシア国民としての罪はあるが、個人としての罪はない」というのが、僕の本音だ。事実として、僕はプーチンに投票もしていないし、ウクライナの人に攻撃はしていない。

だが、それは“責任逃れ”だとも捉えられるだろう。ロシア人には嫌われるかもしれないが、僕は「ロシア人はひどいことをした」「申し訳ない」と発言したこともあった。すると、「あなたがそうやって謝ったり、『ロシア人としての責任を感じる』と言うと、私たちまで申し訳ないと個人として言わなければならなくなる」というメッセージが来た。これはロシアにルーツを持つ、日本育ちで日本国籍の高校生からのメッセージだった。僕はもうどうしたらいいのかわからない……。

「そんなに反対するならロシアに行け!」という声

ロシアのウクライナ侵攻に関して、僕は反対しているし、YouTubeの収益をウクライナ赤十字社に寄付もしているが、かなり多い意見として「そんなに軍事侵攻に反対するなら、ロシアに行け!」というものがある。要は「ロシアに行かずに日本という安全な場所で偽善者ぶっているなら、ロシアに行って活動しろ」ということだ。

中庭アレクサンドラさんとのYouTubeチャンネル『<a href="https://www.youtube.com/c/pirozhkis" target="_blank">ピロシキーズ</a>』
中庭アレクサンドラさんとのYouTubeチャンネル『ピロシキーズ

多くの人が知っていると思うが、ロシアでは政権批判をすること自体が犯罪で、捕まる可能性がある。今はまだ逮捕くらいかもしれないが、さらに新しい法律ができて死刑になったりするかもしれない。今はプーチンに権力が一極集中しているから、何がどうなるかわからないのだ。それでも僕に「ロシアに行け」と言うなら構わないけれど、「逆にあなたが私だったら、本当にロシアに行ってそれをやっているのか」という疑問を抱いている。

僕は小さいころから日本にいて、生活基盤は日本で、母語は日本語だ。ロシア語はなんとか聞いて理解することはできても、読んだり書いたりするのは苦手だ。そんな状態でロシアに行き、家を借りる手続きや銀行口座の開設をするのにどうしたらいいのかわからない。そして、自分の生活すべてを捨てて、ロシアに行って、反戦運動をする覚悟はもちろんない。

反戦運動のために自分の命は捨てられない

ウクライナの人たちはプーチンの独断で軍事侵攻をされて、否応なく巻き込まれ、生活も文化も壊されているのだから、ウクライナに対しては申し訳ない気持ちしかない。とはいえ、彼らを助けるために自分の命や人生、家族の命や人生を懸けられるかというと、僕は弱い人間だから、無理だと言うほかない。自分の命を投げ出しても、人を助けられるかどうか――。目の前で他人の子どもが殺されそうな場面に遭遇したとき、自分や自分の家族の命を犠牲にして助けることができるだろうか――。

僕は自分の命を優先して、助けられない人間だと思う。人を助けずに見捨てるなんてひどいかもしれないけれど、それが僕という人間なのだと思うことにしている。自分を正当化しようと思ったからか、ものすごく考えた。考えても考えても僕は弱い人間だし、偽善者だ。そのことを受け入れ、認めることにした。私の命が一番大事で何が悪い。だから、僕は安全な日本でできる限りの偽善をしようと思っている。

僕はロシア国籍を捨て、日本国籍への帰化を考えている。軍事侵攻があってより一層、生まれた国はもう頼れないと思っている。今はロシアの大使館に行くことすら抵抗がある。まるで無国籍の人みたいだ。こんなタイミングだから、いくら侵攻前に決意したと言っても、都合が悪いから国籍を変えるのかと思われるだろうがこの際、別にそれでもいい。

日本人は戦争のときに日本のために戦うことを考えているのか?

日本国籍に帰化するために、7項目の条件がある。その一つに「日本国・日本政府・日本国憲法に反する思想を持っていた過去がないこと」という項目があるのだが、この点において「日本への愛国心の確認をもっとするべきだ」という意見もある。その意見の先には「日本が戦争になったとき、日本に忠誠を誓って、日本のために戦えるのか」という話があるのだが、ここで改めて、日本国民の皆さんには考えてほしい。日本が戦争になったとき、皆さんは日本のために戦うのだろうか、そんなことを考えて日本人をやっているのかということを――。

ロシアのウクライナ侵攻にまつわる僕の言動で多くの批判を受け、いろいろと悩んだ結果、「自分の命が第一だ」と考えるようになった。だから、自分の命をなげうってまで、日本のために戦おうとは思わない。でも、僕は日本を愛している。忠誠心を持っているかどうかはわからないが、自分の愛着のある土地が他国に攻められるのは、悔しいし許せない気持ちになるだろう。そこで、戦って死なない見込みが高ければ戦うかもしれないが、自分が死ぬ可能性が高いと判断すれば、僕の場合は自分の命のほうが優先度は高い。というかこの地球上で僕自身の命を投げ出してまで戦って守ろうと思える場所はない。

死にたくないという気持ちは、今の素直な気持ちだ。これを批判する人は胸に手を当てて、本当に自分は逃げ道を模索せずに命を投げ出して戦うのか、自分に問いかけてみてほしい。僕は、このことは神様の前で胸を張って言える。というか、そんな選択をしなければならないような状況に日本が向かわないように、全力を尽くしたいと思っている。

日本だって戦争から遠い国ではない

僕は日本が戦争から遠い国だとは思っていない。日本と韓国は極東にある西側諸国だ。中国やロシア、北朝鮮など東側の国からしたら、きっと邪魔な存在だろう。ウクライナとは事情が違うが、もし日本が戦争になったら、アメリカがどこまで守ってくれるのかわからない。

日米同盟はあるとはいえ、大統領が代わり、時代とともにアメリカの国としての体制や考え方が変われば、それだってわからない。そもそも国民の直接選挙で選ばれる大統領は、大衆の人気や世論にその進退が左右される側面がある。日本を援助することに対してアメリカ国民の支持を得られなかったら、手のひらを返されることも可能性としてはあると思う。

第二次世界大戦、太平洋戦争を経た日本は、宗教と戦争を一気に遠ざけられた国だ。日本国憲法第9条は、1項で「戦争の放棄」、2項で「戦力の不保持」「交戦権の否認」を定めており、憲法の基本原則の一つである「平和主義」を規定している。だから戦争は遠い国の出来事だと思いがちだが、実はそんなことはない。

コロナ禍になって以降、日本の報道はコロナ一色になった。メディアが結託して危機感を煽って報道すれば、一つの方向にいつでも突っ走る可能性がある。きっと日本だけではなく、世界でも同様に報道されていたとは思うが、日本人は罰則があるわけでもないのに真面目にステイホーム、自粛を守って過ごし、外出する際には当然のようにマスクを着用している。2019年にはまさか新型コロナウイルスによってこんな世の中になるとは誰も思っていなかったし、2021年にもロシアがウクライナに侵攻するなんて、誰も想像もしていなかっただろう。現実でも、映画みたいな突拍子もないことが突如平気で起こるものなのだ。

政治に興味を持たないでいたら、利用されるだけになってしまう

日本は政治に興味を持っていない人が多いとよく言われる。今のところ国が暴走していないだけで、もし日本がロシアのように暴走したら、国民はみんな混乱するだろう。日本は意図的に、国民にあまり政治に興味を抱かせないようにしているんじゃないかと思う。権力者たちは国民が政治に興味を持ちすぎていたら政治がやりにくいだろうし、日本の教育においても政治や税金に関してあまり詳しく教えてくれない。

小原ブラス『めんどくさいロシア人から日本人へ』(扶桑社)
小原ブラス『めんどくさいロシア人から日本人へ』(扶桑社)

日本の官公庁、民間の大企業はエリートと呼ばれる高学歴な人を採用しがちだが、それってなんの疑問も抱かずに、大人が言ってきたことにコツコツと従ってきた都合のいい人間を利用しているだけなのでは? とも思う。「なんでこれを勉強するの?」「何の役にたつの?」といちいちうるさく言うようなヤツは、きっと勉強以外でもうるさいし、黙って従ってほしい人にとっては不都合が生じるだろう!

政治に興味を持たない“その他大勢”の人間でいたら、利用されるだけになってしまう。政治に興味を持ち、知識を得て、自分なりの考え方を持たないといけないという何度も大人に言われたことはやっぱり正しいのだ。僕が視野を広げるために心がけていることは、自分が反対している立場に立ってみて、議論するという手法だ。

北方領土問題について考えてみて、実感したこと

僕は以前、日本とロシアの間にある北方領土問題について、自分が何も知らないと思い、いろいろな文献を読んで調べてみた。しかし、よくわからないことばかりだった。あるとき、インターネットの掲示板でロシア側の意見を持つ人と議論をしたのだが、圧倒的に知識が足りないから、何も言い返せなかった。

ただ、そこではたくさんのロシア側の意見を知ることができたのが収穫だった。ここで満足して終わってしまったら、ロシア側の意見を鵜呑みにしたことになる。だから、今度は僕が知ることのできたそのロシア側の意見を、日本側の意見を持つ人にぶつけてみた。すると、日本側の意見もたくさん知ることができた。

さらに、その日本側の意見を、ロシア側に立っている人にぶつけて、どんな意見が出るかを聞いてみる。そういうことを繰り返していくと、どんどん知識を得られるだけではなく、どちらの立場の意見も知ることができる。そこで、自分はどう考えるかを突き詰めていくのだ。このやり方をしなければ、自分の考えはわからない。本を読むことは大切だが、北方領土問題に関して言えば、著者はある志向を持って本を書いているし、1、2冊の本を読んで学んだ気になるのは間違いだ。誰かの意見を信じ切ってしまうこと自体、危険なことだ。

双方の立場の意見を聞くことで、かなり勉強になり、自分の考えも深まったと思っているが、それでもまだまだ未熟なので今後も議論を続けたい。議論しなければわからないことがたくさんある。自分の主義・主張がある事柄でも、相手の立場に一度立ってみることで見えてくることだってある。一般的に日本人は議論が苦手だと言われているが、それは平和主義とも受け取れるが、放棄主義とも受け取れる。

“論破”されることを怖がらず、自分の意見を言おう

自分の知識がないものだから、自分の考えがない状態で議論したら、きっと反論されて恥ずかしいめにあう。反論できなくなることは悪いことという考え方になっているのだろう。でも、知識がないなら議論してどんどんいろいろな意見を聞いて、知識を吸収していけばいい。議論に勝ちも負けもないし、論破しただのされただの意味がないことだ。どんどん間違ったことを言って、自分の学びを深めていけばいい。自分の考えが間違っていたと後から気がついたとしても、それは成長ということだ。後から自分の考えを変えることは、恥ずかしいことではない。だからこそ、未熟なうちは、どんどん間違えればいいし、間違いを恐れてはいけない! その過程で誰かを傷つけたら謝ろう。