※本稿は、平井孝志『人生は図で考える 後半生の時間を最大化する思考法』(朝日新聞出版)の一部を再編集したものです。
目指すべきはナンバー・ワンでなく「オンリー・ワン」
SMAPの大ヒット曲「世界に一つだけの花」(2003年)の最後は、こんなふうに締めくくられていましたよね。
〈No.1にならなくてもいい、もともと特別なOnly one〉
本当に「オンリー・ワン(Only one)」でいい。しみじみとそう思います。
もしほとんどの人が、仕事や勉強といった同じ土俵でナンバー・ワンを目指して競争し、多くの人がそれなりに成果を出して、大勢の人が参列する盛大な葬式でその功績を讃えられる状況になったらどうなるでしょうか。
そうです。矛盾が生じてしまいます。
他の人より優秀になって、周りに認めてもらいたくてナンバー・ワンを目指したのに、ドングリの背比べになってしまうと、他の人とさほど差がなくなってしまいます。結局、多くの人が葬儀に来てくれるわけでもなく、賞賛されることもなくなります。そうなると、それを避けるためにさらなる競争が始まってしまいます。無限ループです(図表1)。
結局皆が、偉くなりたい、有名になりたい、お金持ちになりたい、社会的に大きなインパクトを与えたい、といった同じような尺度で同質的な競争をする限り、この構造は変わりません。
はたして人生はそんな無限競争のためのものでしょうか。もちろん、そうではありません。
とはいえ、オンリー・ワンでも同じことではないか? という声も聞こえてきそうです。オンリー・ワンになることで、世の中に認められれば、おそらく立派な葬式が行われ、功績が讃えられる。皆がナンバー・ワンを目指すのと同じことにならないか、と。一見、その通りかもしれません。でも、そこには本質的な違いがあります。
それは、何を原因と捉え、何を結果と捉えるかの違いです。
ナンバー・ワンになることを原因(もしくは動機)にして、他人より優れることを目指すのか。
それともオンリー・ワンを目指して他人を気にせずに頑張った結果、ナンバー・ワンに至るのか。
両者の間には、その過程に雲泥の差があります。いわばそれが生きる道のりであり、人生そのものです。その充実度の違いがその人の個性であり、キャラクターになるのです。
必要なのは自分自身の「判断軸」
競争に追われる人生ではなく、人生を追求した結果、見た目、競争に勝ったように見えてしまう人生、そうありたいものです。結果ではなく、大切なのはそのプロセスです。
要するに、自分自身の「判断軸」が必要なのです。
オンリー・ワンを目指すとは、他人と共通の尺度や外部の評価に拠るのではなく、独自の基準と判断軸で物事を決めるということです。
ナンバー・ワンは1つですが、オンリー・ワンは無限に存在します。
その軸は人それぞれでいい。
自分なりの軸を持つことで、無意味な無限競争から解放され、人生を充実させることそのものにようやく目を向けることができます。そうなればしめたもの。自ずからあなただけの道が、目の前に開けてきます。
自分を知るための2つの戦略
このように、人生とはオンリー・ワンのユニークさを求め、「本当の自分」に出会うための旅路です。
以前読んだ般若心経の本に、こんなことが書いてありました。
「本当の自分に出会うということは、利己的な偽りの自分を脱ぎ捨て、物事に縛られず万物に生かされていることを理解し、周りに振り回されない自由で柔軟な心と体、つまり、『自在』を得ることだ」
このような深淵な命題を理解するのはかなり難しそうですが、ビジネスに携わってきた私たちには、2つの糸口があります。
経営戦略論で出てくる「ポジショニング論」と「資源ベース論」です。
ポジショニング論は、企業が利益を上げるためには、「どのような業界で闘うのか」が大事だと主張します。マイケル・ポーター(1947~)というアメリカの経営学者の研究が有名です。
一方、資源ベース論は、企業が利益を上げるためには「どのような資源・能力を有するのか」が重要だと主張します。ジェイ・B・バーニー(1954~)という米経営学者の説が有名です。
2つを合わせて言い換えると、「何処で闘うか」「何を武器に戦うか」が、競争優位を生み出す出発点になると言えます。これは、自分自身の人生を考える上でも役立ちます。
「自分は今、何処にいて」、「どんな特徴を持っているか」の双方を理解するのが肝要だということです。
自分自身を捉えるためには「周り」との関係性を考えることが必要
この2つが不可分であることも忘れてはいけません。
まず、何処にいるかが明確でなければ、どんな特徴を大事にすべきかわかりません。たとえば、原始時代にいるのと現代にいるのでは、求められる大事な要素はまったく異なります。逆に、どんな特徴を持っているかがハッキリしなければ、自分の今いるところが良いかどうかの判断もつきません。
つまり、自分自身を捉えるためには、自分のことだけではなく、「周り」との関係性を考えなければならないということです。
「周り」も含めて自分である
「周り」とは、世の中全体ということでしょうか?
いいえ、違います。人生の前半ならそれでもいいかもしれませんが、後半生においては、自分自身を映す鏡としては輪郭が定まらない気がします。あまりに漠としていて、結局、捉えどころがないからです。
では、「周り」とは実際どのようなものでしょうか。
ヒントとして、アメリカの哲学者マイケル・サンデル(1953~)が説いている次のような考え方があります。私なりにまとめてみましたので、まずは読んでみてください。
自分が今所属するB国のためにと、戸惑いなく爆撃する人はおそらくいないでしょう。その街は自分の「オリジン」であり、自分の物語の一部。いわば自分自身を形づくってきた人生と不可分な要素だからです。
「周り」も含めて自分。なんとなく実感を持てる気がしませんか。
自分自身と身近なコミュニティーは、切っても切れない関係にある。身近なコミュニティーの中で自分のストーリーは創られ、そのコミュニティーとの関わりによって、自分とは何かがハッキリしてくる。さらに言えば、身近なコミュニティーとの関係性こそが自分自身を形づくる要素なのです。図にすると、図表2のようになります。先述の、「ポジショニング論」と「資源ベース論」の不可分性に似ています。