これからはどのような人が社会で生き残れるのか。元伊藤忠商事会長の丹羽宇一郎さんは「日本企業が長らく育成してきたジェネラリストは生き残れない。この分野だけは誰にも負けない、というプロフェッショナルであることが求められる」という――。

※本稿は、丹羽宇一郎『生き方の哲学』(朝日新聞出版)の一部を再編集したものです。

今後も在宅勤務は拡大する

コロナ禍によって私たちの生活は大きく変わりました。

デリバリー・サービスやネットショッピングの普及、テレビ会議の一般化、住まいの脱都心傾向――。

働き方で言えば、最大の変化はテレワークに伴う在宅勤務の普及でしょう。

東京商工リサーチの調査では、企業のテレワーク実施率は、1回目の緊急事態宣言時には18%から56%へと上昇し、宣言解除後には低下して、2回目の緊急事態宣言時には38%に再上昇しました。とくに大企業では、1回目の宣言時には8割以上がテレワークを実施しています。

オンライン会議
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総務省の調査によると、今後もテレワークを継続したいか尋ねた結果、「継続したい」「どちらかといえば継続したい」との回答が66%に上っています。NTTグループが主要会社の約3万人の社員を対象に原則テレワークにするとの発表もありました。

今後もこの制度を拡大するとのことです。

テレワークによって「仕事の中身」が明確化する

では、テレワークによって、いったい何が変わるのでしょうか。

まず、従業員それぞれの仕事の中身が明確になります。

これまでは、出社して、たとえば課長の指示に従って10人なら10人のグループで仕事をこなし、それぞれがどこで、どれだけ、どんな力を発揮して、この仕事をしたかはあいまいなままでした。

ところが、在宅勤務となると、そうはいきません。

何日の何時から何時まで何をどれくらいしたか。それはどんな成果をもたらしたか。

それらが社員一人ひとりについて明確になり、人事や報酬に反映していきます。要するに、徹底した「成果主義」が導入されるということです。

欧米流の成果主義は、社員を評価する際に「人物」よりも「仕事」を重視します。すなわち、人間関係やキャリア、経験よりも、目標をどれだけ達成して会社に貢献したかを測る評価方法です。

ニューヨーク駐在時代、私はアメリカの実績・成果主義を目の当たりにしました。

アメリカでは「ジョブ・ディスクリプション」と呼ばれる「職務記述書」をもとに採用や評価を進めます。

それぞれの職務内容とその範囲、目的、権限・責任の範囲、成果のほか、スキルや技能、資格、経験、学歴などが記され、それによって採用や給料が決まっていきます。人事評価や求人時は、この書類をもとに、雇う側と雇われる側双方が報酬の交渉を進めるのです。

日本おなじみの「チーム経営」から成果主義へ

成果主義は、日本でも1990年代から次第に導入され、私も社長時代に積極的に推し進めました。ところが、日本の企業文化にはなじまず、なかなか定着していきません。

日本の仕事のスタイルは、部単位、課単位のグループ主義であり、リーダーの下、チームプレーで力を発揮する「チーム経営」が主体だからです。

しかし、テレワークはそうした企業文化を突き崩していくでしょう。

テレワークがもたらす「個人の能力」と「仕事の目標」重視の新しい働き方

「あなたは仕事をするうえで何を得意としていますか」
「どういうことを目標としているのですか」

これからは就職や転職の際に、そういうところが問われるようになっていきます。

そうすると、どうなるか。

たとえば現在の大企業や官庁の部長、課長の多くは、転職の際に雇用側に相手にされなくなるかもしれません。

というのも、彼らの多くは自分が何を得意としているのかわからない、というか、特別に得意なものがないからです。

「私は全体を見ながら統轄、監督してきました」
「2年ごとに部署を異動して、それぞれの仕事の内容の大枠を把握しています」

そんな漠然とした能力は、テレワークやリモートワークが日常化したポストコロナ下では通用しません。

それぞれが得意な仕事の分野と、仕事の目標をはっきり持つ。みんな同じ初任給でいっせいに入社する採用方式に代わって、特殊な能力やスキルを持っていると、初任給に能力給が加算される――。

これが新しい仕事の考え方になるでしょう。

黒板の文字
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そこで初めて本当の成果主義が実現します。

それぞれの仕事内容が明確になると、同じ職務内容には同じ賃金が支払われるという、「働き方改革」の柱となる「同一労働同一賃金」というルールも現実味を帯びてきます。

これまでは、同じ部署にいても、働き方や時間、成果は人によって異なり、実態をはっきり把握することはできませんでした。たとえば、同じ営業職でも、1日中パソコンに向かっている人もいれば、ずっと外出している人もいます。「同一の労働」など現実には、日本の雇用形態ではほとんど机上の概念でした。

ところが、テレワークはそれを変える可能性を秘めています。

それが、コロナ禍がはからずも私たちにもたらした恩恵であり、その意味では新しい働き方の時代が到来する、と言えます。

「権限もなければ責任もとらない」職場の責任者

テレワークによる在宅勤務、あるいはサテライトオフィス勤務、モバイル勤務が定着すると、成果主義や同一労働同一賃金が実現し、新しい働き方の時代が来る、と述べました。

それは、同じように入社して、同じように給料を得るという今の仕事のスタイルはなくなってくる、ということでした。

そうすると、まず浮上してくるのは「権限と責任の明確化」です。

日本の企業では、各部署の部長、部長代理、課長などの役職の権限と責任の範囲が実に曖昧模糊もことしています。

年功序列のイメージ
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組織運営の要は権限と責任です。

それらがはっきりしていないと、一つの事業について責任を負う範囲が見えず、無責任体制が常態化します。

事業が失敗したり、問題が生じたりしても、「いや、自分にはその権限がないので」と責任逃れができます。

責任の範囲がはっきりしていないため、互いに責任を追及することもありません。

かくて誰も責任を取らないまま問題はうやむやになり、そのまま放置されることになります。そして、失敗を未来に生かす貴重な機会を自ら失ってしまいます。

権限と責任がはっきり決まっていなければ、職場の責任者の判断にブレが生じ、職責を果たすことができません。

権限もなければ責任もとらない、かたちだけの上司に部下は「これほど楽な職責はない」と従っていくことを喜びます。そうして組織の運営も、お役所同様の年功序列となるでしょう。

財政赤字や年金問題…日本社会全般にはびこる無責任体制

こうした無責任体制は、会社経営に限ったことではありません。

戦争責任から始まって、巨額の財政赤字や年金問題、核のゴミ問題などに象徴されるように、日本社会の全般にわたって、年功序列制の無責任体制がはびこっていくことになります。

その一方で、事業を決定した者、責任者が決まっていないため、問題が起きると、「誰がやった」「誰が決めた」と「悪者探し」が始まることになります。

失敗した人間にはペナルティー、成功した人間には報酬を

日本の社会は、そろそろ自らの「いい加減さ」を自覚して、それぞれの権限と責任の所在と範囲を明確にする必要があります。

そうしないと、責任を取らなくていい上司の役職を、責任を取る制度に変革することには、過去と同じくこれからも誰一人として手をつけることはないでしょう。

どんな組織においても、成員それぞれの権限と責任を明確にして、失敗をした人間にはペナルティーを科す一方で、成功した人間には報酬を与えることです。

コロナはここにくさびを打ち込みました。

成果主義が定着すれば、各メンバーの職務内容と、その目的、権限と責任の範囲が明確にならざるを得ません。

権限と責任の範囲が明確になれば、それが役職や報酬に反映することになります。

新入社員にはほとんど権限も責任もありませんが、課長、部長になれば、そういうわけにはいきません。各プロジェクトについて、プラスかマイナスの報酬と人事が伴います。

たとえば、社長が経営に大失敗した場合は、その責任をとって辞任することは当然のルールとなるでしょう。

権限と責任の明確化とは、そうした覚悟をそれぞれに迫ることを意味します。

これからのすべての日本の会社には、この権限と責任をベースにした「憲法」が必要になるということです。

スペシャリストでなければ生き残れない

「これから仕事をするうえで何を得意とするかが問われる」と述べました。

それぞれが、その道のスペシャリストになる、ということです。

この分野だけは誰にも負けない、と言えるほどのプロフェッショナルになる、と言ってもいいでしょう。

床に座っているストレスの多いビジネスマン
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ところが、日本型のトップの人事制度は長らくジェネラリストの育成をもっぱらとしてきました。

とくに国家機関、地方自治体、諸組織の幹部候補は、数年ごとに「営業部から経理部」「経理部から企画部」などと部署や担当業務を替えて、営業力や企画力といったスキルを習得させるほか、社内事情を理解したり社内外の人脈を築いたりさせるのです。

ジェネラリストと言えば聞こえはいいけれど、言い方を換えれば「何もまともにできない」ということです。

さまざまなスキルの習得や業務の経験は少しはできるかもしれませんが、専門的なキャリアは形成しにくいシステムなのです。

ジェネラリストに「得意なこと」が一つだけあるとすれば、「社内のどこに行けば、求める仕事をできる人がいるか」「どのボタンを押せば、どの専門家が現れるか」を知っているということでしょうか。それはそれで会社には必要な能力ですが、他社では通用しません。

自ら現場を見て自力で動ける分野が必要

日本独自の終身雇用を前提に進化してきた人事制度ですから、終身雇用制度の衰退に伴って、この「ジョブ・ローテーション」(人材育成計画に基づく戦略的異動)の維持は難しくなりつつあります。実際、こうした制度を廃止する企業も出てきています。

現代では業務に求められるスキルも高度化しています。専門性を身につけることは、その業務のためにも必要になるでしょう。

少なくともトップになる人材はスペシャリストである必要がある、と私は思っています。

確かに全体を見渡す視点やマネジメント能力、組織をまとめる力など、トップには一定のジェネラリストの能力が求められますが、同時に時代に即したイノベーションを起こしていくためには、これまでとは異なる発想力を持つスペシャリストの能力も欠かせなくなります。

社内の人材配置を知っているだけではなく、自ら現場を見て自らの力で動ける分野を一つは持つことが必要です。

丹羽宇一郎『生き方の哲学』(朝日新聞出版)
丹羽宇一郎『生き方の哲学』(朝日新聞出版)

私の場合、会社におけるキャリアでは、10年も穀物・大豆を中心とした食糧畑を歩んできたので、世界の穀物庫と言われる地域の中心地ともなるニューヨーク時代は、専門家に負けないくらいその分野の新しい情報を集め、取材しました。

そのうち食糧をテーマに新聞・雑誌に寄稿をしたり、講演をしたりして、帰国後は業界からさまざまな呼びかけを受けるようになりました。

これからは、専門性の高い技術や資格を持っているかいないかによって、従業員も二極分化するようになるでしょう。それは正規、非正規にかかわらず、です。

自分の得意とするものは何ですか。

何を目的に働いていますか。

そのことはコロナウイルスが私たちに与えた教訓として、各業界の人々も忘れないようにしたいものです。