人はいくらあれば幸せになれるのか。元伊藤忠商事会長の丹羽宇一郎さんは「貧しい者には貧しい者の幸福感、金持ちには金持ちの幸福感がある」という――。

※本稿は、丹羽宇一郎『生き方の哲学』(朝日新聞出版)の一部を再編集したものです。

積まれたコインとビジネスマン
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お金を稼がなければ会社は成り立たない

私が「お金に無頓着」と言っても、それは私生活上の話であって、反対に仕事上は現金は見ないけれども、帳面上の大金との戦いでした。それはそうでしょう。お金を稼がなければ会社は成り立たないし、借金をすれば返さなければいけません。お金がもうからないような商売が多くては、社員が路頭に迷うことは言うまでもないことです。

ニューヨーク駐在時代は、仕事として穀物相場を手掛けていましたし、副社長時代に手掛けた大きな仕事は、コンビニ大手ファミリーマートの買収(M&A)、すなわち現金を手にとって見ない、大金での戦いです。

バブルが崩壊して、不良資産を抱えて商社が儲からなくなってきたころから、私は商社の「利益の根源はどこにあるか」を考えていました。

商社が農産物や鉄、石炭といった生産資源を海外から買い付けて売る「原料の運び屋」として利益を得る時代は終わったんじゃないか。今までの商社は、まるで上級小間使いじゃないかとの悪意の声も聞こえてきたものでした。

これからの商社は、川上から川下まで、すなわち原料から小売りまで、すべての分野に一気通貫で投資していかなければ未来はないんじゃないか。

私には、これからは「消費の時代」が来るという確信がありました。

コンビニエンスストア
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そこで「利益の根源」として私が着目したのが、コンビニエンスストアでした。

そして1998年、副社長のとき、ファミリーマートの買収を決断したのです。

会社始まって以来の大きな投資でした。

結果的に買収は大きな成功を得て、自社の流通事業を一挙に拡大することになりました。

3950億円にも上る不良債権の一括処理

社長時代の最大の仕事は、バブル崩壊後、溜まりに溜まった不良資産をすべて洗い出して、一挙に処理したことです。

日本中の企業が巨額の不良資産を持ちながら、そうした現実に目を背けていた時期です。

すべてが現生げんなまでの勝負となれば、大部分の経営者の判断も家計簿の収入・支出の規模になっていくことでしょう。しかし現実はVR(仮想現実)のごとき世界です。

「このままでは会社の未来はない」切迫した思いに突き動かされた末の決断でした。

「会社が潰れたらどうするんだ!」という内外からの猛烈な反対に抗しての措置でした。

1999年、不良資産を一括処理し、3950億円の特別損失を計上しました。社長就任の1年半後でした。

日本の企業で、当時としては考えられないほど巨額の不良資産の一括処理を実行したのは伊藤忠が初めてです。「過去最高額の不良資産処理」として話題に上りました。

翌年は赤字を計上して初の無配となりましたが、その次の年には計算通り当時の過去最高益を達成しました。

私自身の社長時代は、相場、M&A、不良資産処理などなど、言ってみればお金との戦いに終始した感じがします。

よいビジネスマンは「カネの匂い」がする

私自身、ビジネスマンとしての能力、人材を見極めるためには、「カネの匂いがするかどうか」も商社の経営者の選任基準の一つにしていました。とくに商社の営業マンとしても大切な要素です。

山に登るビジネスマンのグループ
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「カネの匂い」って、どういうことか。何をするにも「儲かっているか」「ナンボの話や」とお金をベースに考えることでしょう。

たとえば、役職について以来、ずっと変わらず儲けているかどうか。

新しい仕事をつくり出して、積極的に儲けようとしているかどうか。

どこから入ってきた金で、どこに使われているか、金の出入り口をしっかり把握しているかどうか。

すなわち、お金の管理をきちんとしているかどうか。

私はことあるごとに言っていました。

「ビジネスマンとしては、カネの匂いのしないやつはダメだ」

とくにトップに立つ人間は、この「カネの匂いがするかどうか」が重要です。

「お金は二の次。適当にやってくれ」

そんな社長が来たら、会社は早晩つぶれてしまうでしょう。

部下に発破をかけたものです。

「慈善事業をやっているんじゃないんだ。しっかり儲けなきゃダメだぞ!」

会社では、上に立つほどお金に無頓着どころか、徹底的にこだわり続けました。

お金の価値は生活レベルとともに変わる

「お金と幸福の関係」については、やっぱり古今東西で大きな関心事なんですね。収入の多寡と幸福度の相関関係については各国で調査がなされてきました。

年収800万円までは、収入に比例して幸福度が増えるものの、800万円を超えると、さほど幸福度は上がらない、という有名なアメリカの調査があります。幸福度が頭打ちになる金額が500万円という調査結果もあれば、1000万円という結果もあります。

だいたい幸福度のピークは、日本円にすると、年収700万〜800万円といったところが「相場」でしょうか。

こうした調査が示しているのは、「お金の価値は生活レベルとともに変わっていく」ということです。

年収300万円だったのが、400万円に増えた。その価値は、500万円から600万円に増えたときのものとは、同じ100万円でも違います。1000万円から100万円増えたときとは、もっと違うでしょう。

年収300万円のときだと100万円でも増えたら、家族みんなが喜んで、「今日はお祝いで、みんなで肉を食べに行こう」となるかもしれませんが、それが年収500万円となると、それほどありがたみは感じません。

貧乏人の幸せと金持ちの幸せは違う

私自身、ニューヨークで家族3人して暮らしているときは、いっぱいいっぱいの生活だったので、わずかな昇給で絨毯を買うだけでもうれしかったものです。ところが、今まで欲しかった物がすべて手に入ってしまうと、「そんな絨毯、いつでも買えるじゃないか」となります。すでにお金の価値が違っているのです。

たとえば、年収200万円しかない低所得者が年収1億円の高所得者に向かって言い放ちます。

「1億円もあるのなら、そのうちの1000万円くらい貧乏人に寄付したらどうですか」

そうですね。そう思うのは当然でしょう。

でも違います。

1億円を得ている人は、自分の人生を豊かにするために「1億円の生活」をしているのであって、「200万円の生活」とは根本的に異なります。お金持ちにはお金持ちの生活があり、お金持ちの幸せがあります。お金の価値は生活レベルとともに変わっていくのです。

年収800万円を超えると、もはやそんなに幸福度は上がりません。

「だとすれば、年収800万円に達したら、もうお金は十分ですか」
「いや、十分とは言えません」
「では、1000万円に達しました。もういいですか」
「いや、まだだめです」

年収800万円なら800万円なりの生活があり、1000万円なら1000万円なりの生活があります。

お金持ちと貧乏の概念
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貧しい者には貧しい者の幸福感、金持ちには金持ちの幸福感があると思います。

高級車に乗って毎晩、三ツ星レストランで散財している家族と、軽自動車に乗って、たまにファミレスで家族団らんを楽しむ家族。幸福度に違いがあるでしょうか。

丹羽宇一郎『生き方の哲学』(朝日新聞出版)
丹羽宇一郎『生き方の哲学』(朝日新聞出版)

お金が入ってくれば入ってくるに従って、生活と同じように価値観も変わってくるのです。同じ金額だからといって、同列に論じることはできません。

お金の価値、お金の強さは、生活と連動して変わっていく、ということです。人間が年齢とともに成長するように、お金も成長しているのです。加齢に伴っても、お金の価値は変わるでしょうね。

若いころは、月に10万円かかっていた食費が、歳をとって5万円で済むようになった。そのぶん自由になるお金が増えた。

それだけでお金の価値がガラッと変わります。

そして、そうした変化は死ぬまで続きます。