日本のシングルマザーが貧困から抜け出す道は極めて険しい。3歳の子どもを連れて離婚した真希さん。仕事を探しても断られ続け、やむなくたどり着いたのはセックスワーカーの仕事。昼間に働けて高収入。子どもを超難関の私立高校に入れることができたという。真希さんにとって、性風俗の仕事は唯一の救いの道だった――。

※本稿は、黒川祥子『シングルマザー、その後』(集英社新書)の一部を再編集したものです。

光の中を歩く母と息子
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転落の始まりは、憧れのJリーガーとの結婚

ほっそりとした、美しい女性だった。大野真希さん(仮名、40歳)。

今回の取材を始めるにあたり、私自身のサイト(今は閉鎖している)で、シングルマザーの方へ話を聞かせてと呼びかけたところ、連絡をくれた唯一の女性だった。その意味で真希さんは、自ら志願して、私に自分の「これまで」を伝えようと決めた女性でもあった。

取材時の真希さんは、高校2年生の息子と2人で暮らしていた。シングルマザー歴が「大体、17年ぐらい」と言うのだから、結婚期間が非常に短かったことがわかる。

真希さんは両親と姉との4人家族で育ち、実家は工務店を営んでいた。短大の英文科を卒業後、就職することもなく、キャバクラなどでのアルバイト生活を選んだ。

「就職氷河期だったから、面接で結構、落とされて……。もともとガッツもないし、必死に就活することもなく、アルバイトでいいかなって。バカだったんです。お金が入れば遊びに行ったり、洋服買ったり……。結婚して、専業主婦をやればいいって、軽く思ってました」

真希さんは何度も、「バカだった」と繰り返す。社会がこれほど不況になるとは、思いもしなかったと。世はまさに、就職氷河期、真希さんはロスジェネ世代だ。男性であっても、正規職に就くのは難しい時代だった。

そもそも正規雇用の男女比は、男性が女性の倍以上の数で推移している。女性は男性から扶養されることを前提に、低賃金の非正規労働でいいとされてきており、正規職に就くのは男性より難度が高い。

たまたま誘われた合コンで、真希さんは憧れの人と出会い、つきあうこととなった。高校時代、サッカーで全国大会出場を果たした選手で、短期間だが、Jリーグにも所属していた。高校時代からファンだったという。

合コン後、すぐに交際がスタートした。3カ月後には妊娠、そしてでき婚というスピード婚だ。真希さんは22歳、夫は23歳。夫は当時、子どものサッカーチームでコーチをしていた。

「これじゃ、全然、稼げない。なのに、深く考えず、結婚しちゃった。憧れの人だから、舞い上がったんでしょうね。本当に、バカって感じ」

真希さんはサラリと、当時の自分を突き放す。

連夜の飲酒とDV

一緒に暮らしてわかったのは、夫は毎日、浴びるように酒を飲み、酔っぱらうとネチネチと絡んでくる酒癖の悪さがあることだった。やがて、真希さんへ暴力を振るうようになった。

「頰っぺたをパーでパシーンと殴られて、もうショックでした。私は、これは耐えられないと思って……」

真希さんが「私は」というのは、夫の母、つまり義母が義父の暴力に耐え続けてきた人だったからだ。義父もまた毎日、大量に酒を飲み、妻へ殴る蹴るの暴力を振るう人物で、義母は長年、それに耐えてきた。

「夫はすぐ酒に飲まれて、ネチネチ因縁をつけて、パーやグーで顔を殴る。翌日、謝ってくることもあれば、覚えてないとかとぼけたり」

耐えかねて、友人の家に避難したこともあった。そうなると、夫は知っている限りの真希さんの友人に電話をかけまくり、連れ戻す。束縛も強く、真希さんが友人と出かけることを嫌がるなど社会的DVもあった。

2人は息子の誕生を機に、夫の実家に身を寄せた。夫の収入だけでは、子どもを育てていけないからだ。気が進まない同居だった。

「狭い家なのに、義父は夫の兄弟や自分の友人を呼んで毎日、宴会をやるんです。お金は全部、自分持ちで。トイレだって毎夜、行列ですよ。商店とか自営業なら、まだわかるんです。お客さまですから。でも義父は会社員、意味がわかりませんでした」

嫁なので、準備を手伝わないといけないのも負担だった。真希さんは「こんなところで、育児なんかできない!」と痛切に思った。義父の義母への暴言や暴力も否応なく目に入る。

「お義父さんのお義母さんへの暴力を見せられるのも耐え難く、1日も早く、この家を出たいって、それしかありませんでした。子どもが3歳とか、もう少し、大きくなるまで我慢して……というのは、私には無理でした」

子どもの首が据わった頃、真希さんは子どもを連れて実家に戻った。二度と帰るつもりはなかった。

半年後に、何とか協議離婚が成立。養育費は月5万円と決めたが、払われたことはこれまでない。養育費の取り立てに強制力はないことに加え、元夫はすぐに再婚し、子どもができたと友人から聞いた真希さんは、しょうがないと諦めた。

ちなみに今は、2019年5月に民事執行法が改正され、「第三者からの情報取得手続」という新しい制度ができたことで、給与の差し押さえなどによる、養育費の取り立てが可能となっている。

キャバクラで綱渡りの生活

実家では、母親が寝たきりの状態だった。父と姉の3人暮らしに急遽、乳児と真希さんが加わったことで、不協和音が生じた。姉は美容師という激務ゆえ、夜はゆっくり休みたい。なのに、夜泣きで眠れないと訴え、父もイライラを隠さない。

「私は実家が天国ではなかったし、夫の実家よりはマシというだけ。早く出て行かないと、という思いはありましたが、3カ月の子どもを抱えていては身動きが取れなくて、結局、1年ぐらい実家にいて、近くのアパートに引っ越しました」

引っ越し費用は、1カ月約4万円の児童扶養手当を貯めて捻出した。しかし、働こうにも保育園には入れない。今から16年ほど前からすでに、保育園の待機児童問題が起きていたのだ。

「母子家庭だと言っても、ダメでした。保育園って働いていないと申し込めなくて、でも働き始めるには保育園に子どもを預けていないと働けない。これって、本当に矛盾しています」

最近でもよく聞かれる、母親たちの悲鳴だ。

「どうしようもないので、民間の24時間営業の託児所に入れて、働き始めました。短時間でお金を稼げるので、夜の仕事にしました。キャバクラです。時給は、2000円か2500円ぐらい。週4から週5はやっていました」

子どもを18時に保育園に預けて仕事に行き、お店の車で迎えに行くのは夜中の3時。自宅に戻り、3時半に就寝。朝7時には子どもが起きるので、朝食を作ったり、洗濯をしたり、子どもと遊んだりして過ごし、夕方に保育園という繰り返し。真希さんは睡眠時間3〜4時間という日々を過ごす。

「託児所で夜ご飯を食べるので、保育料は月10万円にもなって、家賃と光熱費が合わせて10万円。これだけで20万円が飛びます。食費に子どものオムツ代とかおもちゃ代とかもかかるので、大体、月に20万円から30万円ぐらいを稼いでいたと思います。ここに月に換算すると、4万円ほどの児童扶養手当が加わります」

夜の仕事とはいえ、ギリギリの暮らしだ。経済面だけでなく身体的にも、これでもつはずがない。3カ月後に、家庭保育室という認可保育所が使えるようになった。保育者の自宅で、複数の子どもを預かるもので、日中、ここに子どもを預けて、真希さんは睡眠時間を確保した。

「もう、子どもとほとんど接する時間がなくなって、やっぱり、3カ月ぐらい経ったら、子どもが保育所に行きたがらなくなりました。それで、夜の仕事を辞めて、昼間の仕事を探したんですが……」

資格もなければ、職歴もない。1歳の子どもを抱えたシングルマザーに、社会はあまりにも冷たかった。

「小さな子どもがいるっていうだけで、断られました。たとえば、スーパーのパートでさえ、断られるんです」

1人で幼子を抱え、頑張って生きている女性を、この社会は突き放すことしかできないのか。程度の差はあれ、“女性活躍社会”を謳う今でも、変わっていない現実だ。

昼間働けて生活が安定した「本番行為」

「昼間の仕事、探してんだけど、全然なくて、もう超やばいんだけど」

真希さんは、小学校以来の友人に愚痴を吐いた。ただ、それだけだったが、ここが人生の大きな転機となった。友人の口から、予想もしないことが語られた。

「実は私、吉原で働いていたことがあるんだ。別に勧めるわけじゃないけど、短時間でガッツリ稼げるし、保育園に出す証明書も会社名で作ってくれるし、子どもの病気で保育園からしょっちゅう電話がかかってきても、全然、大丈夫。普通の会社だと、それで、クビになったりするじゃん? もし、やるんだったら、紹介するよ」

真希さんは、この話に乗った。大きかったのは、昼間に働けることだ。この仕事に変えたことで朝9時から18時まで子どもを保育所に預け、自身は10時から16時まで働き、夜は子どもと一緒に過ごすという日々が始まった。おかげで、子どもには20時就寝という規則正しい生活サイクルを作ることができた。

実際、それはどんな仕事なのか。

「お店は“高級サウナ”と看板を出していますが、本番行為を行うところです。1人50分のコースが多かったと思います。昼間でもお客さんは来るので、週4日やって、トータルで月50万ぐらいになったと思います。お客さんが1人つけば1万円、1日に5人つけば5万円です。そこから雑費を3000円ぐらい引かれて、4万7000円をその日に手渡しでもらえます」

夜の仕事をしている女性
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真希さんは「本番行為」と、何の躊躇もなく真っ直ぐに語った。予想もしない展開に、度肝を抜かれた。正直、動揺を隠しきれたか定かではない。そうだ、真希さんは自ら志願して、「ありのままの自分」を伝えにやってきたのだ。それは、自分は決して恥ずかしいことなどしていないという、自負があるからだ。

1人1万円、という具体的な数字も初めて聞くことだった。さらに驚きなのが、その「お店」では、性産業で働いていることをカモフラージュするための、さまざまな手段も用意されていたことだ。

真希さんは化粧品とアクセサリーの販売を行う会社員ということで、社員証が発行され、役所への提出書類として必要なら勤務証明書だけでなく、販売員としての給与明細も出してもらえるという、ダミー会社もあった。

目に見えて子どもの状態が安定した

「息子は今も、私がアクセサリー販売の仕事をしていると思っています」

しかし、仕事とはいえ、本番行為をすることに抵抗がなかったとは言えないだろう。

「最初の頃は苦痛でしたし、嫌だなと思っていました。でも結局、嫌だなと思ったところで、他にはやれることもないので。じゃあ、どうやって生活していくのか。なので、嫌だなと思うことが、もう無意味だなと思うようになりました。嫌なお客はいますが、そこまで変なことをされたことはないし、お店が女性を守ってくれますから」

真希さんが夜、家にいるようになって、子どもの様子に変化が生じた。

「何よりよかったのは、目に見えて、子どもの状態が安定したことです。夜、ぐずって寝ないこともなくなったし、保育所に行くことを嫌がらないようになりました」

母子世帯の貧困率は5割を超え、シングルマザーは昼だけでなく、夜も働くなど、二重働きを余儀なくされることが多い。そうなると子どもは夜、1人で家にいることになる。それが子どもの成長にいかに不安定な影を落とすのかは、想像に難くない。

真希さんが優先したのは、子どもの心の安定だった。

窓の外を見ている母と息子
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このときから真希さんは、本番行為を行う“セックスワーカー”として生きている。

ここで、「売春」の是非を問いたくなる人も出てくると思う。性的行為と引き換えに金銭を得る行為を廃止したい人たちは、真希さんが行っているのは女性への暴力、ジェンダー差別を認める行為だと考えているようだ。セックスワークは貧困に晒された女性がしょうがなく行うものであり、主体的にセックスワークに従事する女性はいないと。

でも真希さんは「嫌だな」と思っても、生活のために自分でこの仕事を選んだわけだ。その考えでいくと、自らの意思で選んだ人たちのことも、“被害者”だと一括りにしてしまう。それは、その人の自由意志を無視した、むしろ差別なのではないだろうか。

真希さん自身も、こう語っている。

「よくホストクラブへの借金で無理やり落とされるとか、世の中がそういうイメージになっているけど、私はそういうことをされたことがないですし、自分の意思でやっている子が多かった。ダンナがヒモという人も多かったけど、強要されて働いているわけじゃなく、自分で選んで働いているわけだから」

売春と言われる行為すべてに虐待や強制があるわけでもなく、店側が金で支配・服従させているわけでもないということだ。逆に店は、問題のある客から女性を守っている側面もあるということが、真希さんの実体験から浮上する。

子どもを超難関の私立高校に進学させる

真希さんの息子は、首都圏の超難関有名私大の付属高校に通っている。

高校卒業後は、確実に日本で1、2を争う有名私大に進学できるという、まさにエリートの道を歩んでいるわけだ。これは本人の優秀さだけでは、叶えることが難しい道でもある。学力・学歴と経済力に相関があることは、教育格差が叫ばれた当時から指摘されている。

真希さんは子育てに関しては、元夫を反面教師とした。息子を元夫のような「サッカーしか知らない」人間には、育てたくなかった。

父への憧れからか、息子は小学生の頃からサッカーを始め、中高でもサッカー部に所属した。しかし、真希さんは年中、サッカー漬けにすることを避けるため、夏休みなどの長期休暇には、子どもをワークキャンプに参加させた。

さまざまな場所で、多様な経験をして欲しいという思いと、子どもがいなければ自分が仕事をできるという事情もあった。

こうして息子は、幼い頃からさまざまな「文化資本」を体験することになった。このことが難関高校入学への道を開いた、一つの要因となったとも言えるだろう。

「冬休みと春休みはスキーに行かせて、夏休みはサマーキャンプに3回ぐらい行かせました。4泊5日ぐらいで、5万円ぐらいかかるものが多かったですね。その間、私はずっとお店に行って働けるので、問題はなかったです」

中学では、自治体が主催する海外留学に、学校推薦で選ばれた。

「留学のための研修が10回ほどあって、部活を休まないといけないので、息子は文句を言うのですが、私は『部活に全部の時間を使うのはもったいない、よくないよ』と、息子に言い続けました」

結局、この海外での体験が受験時の面接で活きることにもなった。

受験にあたってはもちろん、学習塾に通わせた。

「小学生のときはサッカーばっかりやっていたのですが、中学1年の終わり頃から塾に行くようになりました。中3で受験のために選んだ塾は高かったですね、費用が。中3の1年間だけで、テキスト代、交通費、模試代など全部含めて、100万円以上、かかっています」

子どもが高校入学時に貯金1000万円

公立の進学校にも合格したが、受験なしで確実に大学に進みたいという息子の希望で、私立大学の付属高校を選んだ。学費が高いことで有名な学校だったが、真希さんは教育ローンを組むことなく、すべて現金で支払った。

学費以外に制服代、部活のユニフォーム代など20万円ほどかかる高校だ。両親が揃っていたとしても、なかなか厳しいのではないか。

「貯金は一応、子どもが高校に入学するときは1000万ぐらいありました。なので、学費の100万は払うことができたんです。この仕事をしてなかったら、どうなったのかなと思います」

貯金が1000万円と、サラリと真希さんは話す。度肝を抜かれること、二度目だ。インタビューのはじめ頃、真希さんが早口で「私は、貧困とはちょっと違って」と言ったのは、このことだったのだ。正規職でも、シングルマザーでこれだけの蓄えはなかなか持てないだろう。

「この仕事をしていなかったら、有名私大の付属高校なんか、到底、行かせられません。息子ものんきにサッカーなんか、やってる場合じゃないです。あのとき、この仕事をたまたま紹介されたから、今がある。そうでなければ、息子は施設に行っていたかも。私の手で育てることができたかすら、わからなかった」

息子のこれまで、現在、そして未来を考えれば雲泥の差だ。父親こそいないが、のびのびと成長を遂げ、好きなサッカーに打ち込み、成績優秀でエリートとしての道を歩んでいる。

当時、スーパーのレジ打ちすら断られた真希さんに、どんな選択肢があったのか。最終的には、生活保護か。いや、実父がいるということで、申請が通らない可能性もある。親子共倒れギリギリの苦しい日々しかなかっただろう。大学進学など、夢のまた夢だ。

取材時の真希さんは、「人妻系のデリヘル」で月に30万円ほど稼いでいた。週3から週4で、時間は10時から16時まで。

「今は不景気で、5人もあたることはないですね。店舗型ではないので、好きなところで過ごし、メールが入れば指定された場所に行きます。気前よく、金払いのいい人が、一番の理想のお客さまです。見た目とか、どうでもいいです」

この状態を、息子が大学を卒業するまではキープしたいというのが切実なところだ。

「息子には、『留年したら、その分の学費はないよ』って言っています。とにかく大学へ進んで卒業すれば、ほぼ、自分の好きな職業に就けるわけですから。息子は理系志望で、私立大の理系って学費が高いじゃないですか。お金の問題は、常にあります。なくなるのは、あっという間ですから。大学卒業まではとりあえず、お金が必要なので」

シングルマザーを支える場所は性風俗産業しかない

真希さんは今の仕事を続けるのはあと10年、50歳頃までだと考えている。

「子どもが大きくなれば、別に夜に働きに行ってもいいわけですから、熟女系のキャバクラとか、スナックでもいいかなと」

子育てが終わった後も、1人で生きていくつもりだ。再婚は考えていない。

「男の人はあてにならないということがわかったので、いい人がいたら、お客さんになってくれたらうれしいって感じです。結婚とかいいからって。1回、失敗しましたから、希望は持てないですね」

夜のビジネスに不安を感じる女性のイメージ
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これまで取材してきたシングルマザーと違い、子育て後の真希さんに「貧困」はあてはまらない。国民年金をきちんと払っているから、年金は入るものの、国民年金だけでの暮らしは難しい。だからこその老後のための蓄えが、最終的にはどれだけの額になるかはわからないが、とりあえずはある。

結局、皮肉にも性風俗産業しか、シングルマザーを支える場所はないということなのか。

私のようなフリーライターなど、吹けば飛ぶような存在だ。それでも何とか、息子2人は、自分の将来を選択できる道に進ませることはできた。もちろん、老後、2人の世話になるつもりはない。いや、子どもが母親まで食べさせるなんて、この不況下では不可能なのだ。

こういう世界があったのか─―。自分の力だけで息子に最高の教育環境を用意し、安定した未来を保障している、1人のセックスワーカーの姿に正直、圧倒された。私など、足元にも及ばないと。淡々とした語り口、どこか頼りなげな印象も併せ持つ真希さんの生きざまは、見事であると同時に、大きな衝撃を余韻として私に残した。

子どもを育て上げたシングルマザーを待つのは、さらなる困難

しかし、コロナ禍で状況は一変した。性風俗産業はもちろん、濃厚接触の極みだ。真希さんがどうしているのか、メールを送ったところ、すぐに返信があった。2020年5月、1回目の緊急事態宣言下でのことだ。

メールにはこうあった。

「仕事はお察しの通り、全くありません。お店は営業していますが、お客さんは全然、来ていないみたいですね。私ももう2カ月ぐらい出勤していないので、直近のことはわかりませんが……。

でも逆に、今の時期に稼げたとしても、そこで感染したら説明ができないので、やっぱり、私は休んでいたと思います。他の女の子たちは稼げないから、出勤の日にちを増やしているみたいです。でも、お客さんが来ないから、待機室でクラスターが発生する可能性が高いですね」

黒川祥子『シングルマザー、その後』(集英社新書)
黒川祥子『シングルマザー、その後』(集英社新書)

授業料の支払いがあるため、真希さんは自治体の緊急小口資金を借りようと、1週間続けて窓口に電話をしているが、繫がらないということだった。

その状況を踏まえ、真希さんはメールをこう結んでいた。

「結局、電話が繫がっても、面談までが1カ月後とかで、実際に借りられるのは、さらに1カ月後とかでしょうね。本当に、やっぱり誰もあてにならないし、自分しか頼りにならないって、再認識しました」

新型コロナの感染収束後であっても、厳しい自粛が要求されるのが性風俗の世界だ。今までと変わってしまった世界で、真希さんはどう生きていくのだろう。

これまでは自身の意思の強さで、息子との生活を築いてきた真希さんだが、コロナ禍のように、自分の意思ではどうしようもない障壁も訪れるわけだ。

感染の第2波、第3波、第4波を迎え、しわ寄せが最も顕著に現れる場で日銭を稼ぐ真希さんの未来を考えれば、今は蓄えがあるとしても、決して、安定したものだとは言い難い。身体あっての仕事であり、感染や暴力とも隣りあわせで生きなければならないリスクを、常に抱えている。

老後に2000万円が必要だという、この国だ。今は40歳という若さだが、20年後、30年後を考えたとき、真希さんにとっても安心できる老後などないと言えるだろう。

懸命に働き、子どもを育て上げた後のシングルマザーに待っているのは、さらなる困難とはあんまりではないか。なぜ、このような社会に、この国はなってしまったのだろう。