未婚男性の増加や親の高齢化で、親を在宅で介護する男性が増えている。近畿大学教授の奥田祥子さんは「親に同居してお金も家事も依存していたある独身男性の生活は、父が他界して母が体調を崩した36歳の時に一転した。母親の介護を担うようになったが、古い『男らしさ』の固定観念にとらわれて一人で抱え込み、45歳の時に介護離職した」という――。(第3回/全3回)

※本稿は、奥田祥子『男が心配』(PHP新書)の一部を再編集したものです。

公園内をシニア男性が座る車いすを押して歩く女性
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パラサイトで独身生活を謳歌

50歳時点の男性の未婚率が3人に1人に迫る非婚化時代を迎え、父親の他界後、同居する母親を一人で介護する未婚男性も増加している。このケースでは問題が可視化されにくく、深刻化する傾向が強い。

野沢信一郎さん(仮名)には親と同居する未婚男性の心理を探るため、2002年、31歳の時から話を聞いてきた。一人っ子で、父親は2年前に定年退職し、母親は専業主婦だった。

「結婚はいい相手がいればしたいが、なかなか出会いがない」と話したが、大学時代の友人や仕事関係の知り合いを介した合コンなどの場数は踏んでいるものの、逆に出会いが多過ぎて相手の女性の粗探しに終始し、なかなか交際に結びつかない。

そんな結婚したいのにできない状況に拍車をかけていたのが、家事ばかりか、食費など経済面でも同居する親に依存し、自身の収入は趣味、レジャーなどに費やす「パラサイト」生活のようだった。

「結婚したら自由に使えるお金も時間も減るから、今のうちにこの快適な生活をエンジョイしたい」と明かし、相手の女性のわがままにも付き合い、傷つくこともある女性との交際に一歩踏み出すことよりも、母親からの無償の愛に包まれた、本人曰く「快適な生活」を謳歌していた。

年齢を重ねて仕事が忙しくなる一方で、合コンはもとより、ゴルフ、スキーなど以前は好んでいた外出もめっきり減り、独身女性と交流する機会はなくなった。女性と交際する自信のなさから、結婚そのものにも消極的になっていく。

母親への依存を思い知らされた

野沢さんの人生が少しずつ変化し始めたのは、父親が他界し、母親が病に伏してからだった。心臓病を患って手術、入院してから体を動かすことが減っていた母親が07年、自宅玄関の段差で転んで負傷し、杖なしでは歩けなくなってしまったのだ。

「母親に生活のすべてを依存していたことを初めて思い知らされて……少しずつ体が弱っていたのに気づかず、家事をさせてしまっていたことを反省しています」

介護認定は受けず、自分で面倒を見る

08年のインタビューで数年ぶりに対面で話した当時37歳の野沢さんは、かつて悠々自適の独身生活を送っていた男性と同一人物とは思えないほど、覇気がなく、戸惑いが表情にも現れていた。以前は母親が毎日、アイロンがけしてくれていると言っていた白ワイシャツはいつもまっさらの状態のようだったが、今では所々にシワや黄ばみが目立つ。自分で手入れをするのは不慣れだが、かといってクリーニング店に立ち寄る余裕もないようだった。

外出はままならず、家事や立ち上がるといった動作も手助けなしではうまくできないという母親の状態は、軽く見積もっても要支援1には該当するとみられた。これは適切な支援を受ければ、要介護状態になるのを防ぐことが可能な状態だ。しかし、介護保険法の要支援・要介護認定を受けず、自分で母親の面倒を見ているという。

しばしの沈黙の後、思いの丈をこう吐き出した。

「はぁー、うーん……本当は……不便、なんです。前は母親が炊事、洗濯、掃除など家のことすべてを行ってくれていて、それが当たり前で、特に意識もしていませんでしたから……。家事ぐらい、やる気になったら自分でできると思っていたんですが……。仕事で疲れて帰ってきて、何もする気が起こらないんです……もう、ホント、途方に暮れているというのが本音なんです……あっ、はは」

そう途切れ途切れに話し、短い苦笑で終えた。

自虐っぽく語った「不便」は全くの嘘ではないだろうが、表情や態度からは、後悔の念を隠すためのポーズであったようにも思えた。

部屋の隅に座り込んで手で顔を覆う男性
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なぜ介護認定を受けないのか

そうして12年に、心臓病は比較的良好な予後を維持しながらも、身体能力のほうが急速に悪化した母親が要介護状態に陥る。正確には認定を受けた、ということで、実際にはそれ以前から介護が必要な状態であったと推察される。野沢さんが41歳の時だった。

要介護認定を受けるまでの間、母親の状態を近隣居住者から聞きつけた地域包括支援センター職員や民生委員らが認定を申請するよう複数回にわたって勧めたが、拒み続け、ようやく受けた初回の認定が要介護2だった。食事や入浴などでも介助が必要で、理解力や思考力の低下もみられる状態を指す。

野沢さんのように同居する唯一の家族介護者がフルタイムで働いている場合、在宅介護の難しさから、介護付き有料老人ホームなど施設介護サービスを選択するケースは少なくない。介護老人保健施設に3〜6カ月入所してリハビリや介護ケアなどを受け、自宅復帰を目指す方法もある。

なぜ、要介護認定を受けるまでにこれほどの時間がかかってしまったのか、そして、介護施設への入所は考えていないのか、要介護認定から1年ほど経過した13年のインタビューで、率直に尋ねてみた。

「『姥捨山』に捨てたと思われたくない」

「独身男が母親と2人で暮らしているだけで、近所の人たちからは白い目で見られるんです。『あそこの家、息子が40過ぎても独身で、お母さんと同居しているのよ』と。介護を人任せにするのは世間体が悪いでしょ。まして施設に入れるなんて。『姥捨山』に捨てたと思われたくないんですよ!」

野沢さんが声を荒らげたのは、この時が初めてだったと記憶している。言い終えると、力尽きたようにうなだれた。疑心暗鬼のようだが、彼がこのように悪いほうへと考えを膨らませるきっかけとなる、世間の目があったことも否めないだろう。

平日の2日間、デイサービスを利用するほかは、訪問介護サービスを必要最低限に抑え、入浴介助をはじめとする身の回りの世話は自力で行っているが、特に料理には手こずっているという。

「残業ができないのはもちろん、早退しなければならないときもあって、職場のみんなと同じように仕事ができないのが悩みの種」と漏らした。情報サービス企業の営業部門の課長に昇進して半年余り。多忙な職務に管理職としての重責が加わった状況での慣れない母親の介護に、心身ともに疲弊している様子だった。

「男のプライドを傷つけてまで会社にいたくない」

そして16年、母親を在宅で介護するようになってから4年が過ぎた45歳の時、思い悩んだ末に辞職するのだ。この自ら決断した選択がその後の彼をなおいっそう苦境に立たせることになろうとは、介護離職した時点では想像していなかったのではないだろうか。

介護離職から2年後の18年のインタビューで、こう心境を語った。

「母の介護で、もうとことん疲れ果てて、単純なミスを繰り返すようになって……挙げ句には取引先との商談に遅刻したり、先方に誤って他社の事業計画の話をしてしまったりする始末で……。課長に昇進した頃は、プレーイングマネジャーとして記録に残るような営業成績をあげる心意気だったのに、管理職としても、営業マンとしても、何の役にも立っていない、そんな自分が情けなかった……そのー、何というのか、プライド、そう、自分の男としてのプライドを傷つけてまで、会社に居座ることができなかったんです」

母親を介護していれば、なおさら重視しなければならない経済面の心配や、働くという生活時間の大半を費やしてきた営みを失い、社会との接点がなくなることへの不安には全く触れず、「男のプライド」を強調した。

介護離職によって収入が途絶える心配はなかったのかを尋ねると、野沢さんは苦悶の表情を浮かべて言葉に窮した。

「さあ、どうだったかな……そこまで考える余裕がなかったんじゃないでしょうか」

数分の後、発した言葉はまるで他人事のようだった。

離職で社会から孤立

また会社を辞めずとも、介護休業を取得するなど、会社の制度を利用して就業を継続する方法はあったはずだ。野沢さんが勤めていた会社でも、介護休業制度が就業規則に定められていたという。

「対外的に(介護休業)制度があることをアピールしているだけで、実際に使える制度ではありません。男性が家族の介護で一定期間、仕事を休むなんて、職責を果たせずに職場に迷惑をかけるし、みんなから疎まれますよ。前例は一件もなかったですし、全く利用できる雰囲気ではなかったですから」

「で、でも……」(働く側の権利を行使してもよかったのではないのですか?)と、思わず問いかけようとして、言葉をグッと飲み込んだ。それがいかに難しいかは、数多くの取材事例から、また前職を介護離職した筆者自身の実体験からも身に染みていたからだ。

野沢さんは目線を合わせずうつむいたまま「もういいでしょうか」と言って立ち上がった。猫背ぎみの弱々しい後ろ姿が切なく感じられ、去っていく姿を目で追うことができなかった。この時点で彼はすでに社会から孤立し、精神的に追い詰められていたのだ。

再就職で「心の落ち着きを取り戻せた」

この取材から1年後の19年、野沢さんから、専門学校時代の友人の紹介で情報処理会社に契約社員として再就職したと連絡があった。無職期間3年近くを経ての再就職だった。それまで、対面インタビュー以外のやりとりは、こちらから先に、電話やメールをするかたちだったのだが、この時は初めて彼から電話がかかってきた。

そうして、思いもよらない告白をしてくれた。

「無職の時のことですが……愚痴をこぼす母にイライラして一度だけ、四つん這いで動こうとしている母のお尻を蹴ったことがあるんです。たまたま民生委員の方が自宅を訪ねてきて我に返ったんですが、あのままエスカレートしていたらどうなっていたことか……今考えても恐ろしくなります。母の要介護度が3に悪化し、車いす生活になって基礎的な動作も自力ではほとんどできなくなった頃で、母とずっと一緒に過ごしている私自身、かなりまいってしまっていました。母には悪かったですが、あのつらい出来事が家に閉じこもっていてはダメだと気づかせてくれたんです」

奥田祥子『男が心配』(PHP新書)
奥田祥子『男が心配』(PHP新書)

その後、母親の状態はさらに悪化し、22年の年明け、80歳の誕生日を自宅で祝った数日後に介護施設に入所した。今年51歳になる野沢さんは改めてこう明かした。

「まだ十分に整理できてはいませんが、(無職だった)あの頃は自分が価値のない人間に思え、生きているのさえ、とてもしんどかった。今、こうして落ち着きを取り戻せたのは、再び働き出して、少しでも誰かの役に立っているという気持ちになれたこと、そして何よりも、介護サービス業者や、地域の人たちを頼れるようになったからかもしれません。前向きな選択として、施設入所を決めたつもりです」

以前のような険しい表情は消え、和やかな面持ちで言い切った。

仕事との両立困難と介護離職

厚生労働省の2019年「国民生活基礎調査」によると、手助けや見守りを必要とする家族(※1)を同居して主に介護している男性は、124万5000人に上る。介護保険法による要支援・要介護と認定された家族を同居して主に介護している人の3人に1人(35.0%)が男性だ。さらに、このうち4人に1人(25.0%)が40歳代、50歳代の現役世代である。

また、介護時間が「ほとんど終日」の同居する主な介護者の男性も3割近く(27.3%)に上り、要介護者との続柄を見ると、夫が14.0%、息子が11.8%。息子が、息子の妻(7.3%)を上回っている。

ケアメンの前に立ちはだかる大きな壁が、仕事との両立だ。事例でも紹介した通り、責任感の強い人ほど、家族介護によって残業ができないだけでなく、通常業務も時間的制約を受けたり、心身ともに疲弊したりして、従来通りに職務を遂行できないことに負い目を感じて離職する場合が多い。

5年ごとに実施されている総務省の17年「就業構造基本調査」によると、過去1年間に家族の介護・看護のために前職を離職した男性は2万4000人で、40歳代、50歳代が41.7%を占める(女性は7万5100人)。

12年の調査と比べ、女性が6100人減少したのに対し、男性は4100人増加している。

過去5年間に離職した男性(12万5200人)のうち、17年10月の調査時点で職に就いている男性は4万2200人に対し、無職の人は8万3000人。66.3%が無職のままで、介護離職後の再就職の難しさを物語っている。

明治安田生活福祉研究所(現・明治安田総合研究所)とダイヤ高齢社会研究財団が14年に実施した調査「仕事と介護の両立と介護離職」(親の介護経験者で、介護開始時の働き方が正社員の男女40歳以上対象。回収数2268人)からは、再び職に就けても低待遇を余儀なくされる厳しい現実が浮き彫りとなっている。

介護離職後に再就職した男性(介護離職男性の約半数)のうち、正社員に転職できたのは3人に1人(34.5%)に過ぎず、転職後の平均年収は約4割ダウンしていた。

(※1)「手助けや見守りを要する者」(調査の用語)には、介護保険法による要介護・要支援の認定を受けている人のほか、障害や身体機能の低下などで歩行・移動、着替え、洗面、排せつ、入浴等に際して何らかの手助けや見守りを必要とする人や、意思疎通が困難な人も含む。推計値ながら実数でデータ化されているため、最も実態に近い数値として使用した。

職場環境・風土と男性の意識の問題

男たちを介護離職に向かわせる背景には、職場の問題と、彼ら自身の意識、考え方の問題がある。

まず、介護休業を取得しにくい職場環境・風土の問題だ。多くの企業が介護休業を就業規則に記載して導入し、制度面では整備が進んでいるものの、実態としては、家族を介護している男性労働者のうち、介護休業を利用したことのある人は7.4%、女性労働者の場合は、同7.6%で、ともに低い割合にとどまっている(17年「就業構造基本調査」の数値から算出)。

もうひとつの問題が、事例でも紹介したように、男性自身が介護サービス事業者など他人を頼ることができず、自分で介護を担うべきと考えている点である。「他人を頼る弱々しい男と思われたくない」「家内の面倒も自分で見られない、頼りない惨めな男と思われたくない」などの語りからも、男たちが古い「男らしさ」の固定観念に囚われていることがわかる。

また、これまで自身が母親や妻に身の回りの世話をしてもらうなど、日常生活において周囲から助けられてきたことを当然のこととして軽んじた結果、自らのケア能力を身につけ、他者の支援を好意的に受け入れようとする意識を阻んできたともいえる。

この結果、家族介護の疲労で仕事に集中できず、職責を果たせないことなどを苦に、介護離職に至ってしまうケースが後を絶たないのだ。

介護離職は貧困はもとより、地域・社会からの孤立によって精神的に追い詰められ、介護放棄や高齢者虐待に陥りかねない危険因子ともなっている。このような負のスパイラルを職場、地域、そして社会全体として、何としても食い止めなければならない。