※本稿は、奥田祥子『男が心配』(PHP新書)の一部を再編集したものです。
「料理の腕を磨けば“モテる男”になれる」
収入の低さを家事などの生活力でカバーしてモテながらも、「男らしさ」の呪縛から抜けられずに苦しむ男性もいる。
2018年、当時29歳の商社勤務、加藤哲也さん(仮名)は、かすんでいた視界がパッと開けたかのように、いつになく清々しい表情で話した。
「こんな僕でも、料理の腕だったら今からでも磨くことができます。もともと掃除はそれほど苦にならないし、洗濯だって問題ない。これら家事力なら女性にアピールできるし、モテる男になれると思います。女性から選ばれやすいということです。経済力以外で女性にモテる要素はないかと必死に考えて、ネットで検索したり、関連した本を読んだりして、やっとたどり着いた答えなんです。あの頃の悔しさ、情けなさを思えば、どんなに険しくたって乗り越えてみせます。頑張りますから、見ていてくださいね」
「女性はみんな、収入を探ってくる」
「あの頃の悔しさ、情けなさ」とは、この取材の2年前にさかのぼる。
16年、関西の有名私立大学を卒業後に入社した中小の専門商社が、業界再編の波で同業他社に吸収合併され、雇用は確保されたものの、5年近く経験を積んだ営業部ではなく総務部への配属となり、給与も約1割減少した。そのことにより、大学時代の友人や仕事仲間が企画してくれる合コンに参加しても、自分をアピールできなくなったのだという。
16年のインタビューでは肩を落とし、こう語っていた。
「趣味や休日の過ごし方とか無難なテーマで会話しながら、女性は必ず早い段階でどんな仕事をしているのか、どこに勤めているのか、巧みに聞いてきます。相手の収入を探って、この男性と付き合って、結婚すれば、どれほどゆとりある生活ができるのかを確かめたいんでしょうね。それでいくと……僕は全くダメです。職場環境が変わってから、合コンで隣に座る女性がひっきりなしに入れ替わるのでどうしてかと考えたら、仕事のことを確認した直後の座席移動だとわかった。何と言ったらいいのか……そんな対応の女性に対して悔しいのと同時に、女性をそうさせてしまう自分が男として情けなくて……。『ありのままの自分』はマイナス要素でしかないんです」
家事力なら女性にアピールできる
初めて話を聞いたのは、さらに1年前の15年。当時入社4年目の26歳だった。「どんな女性が理想ですか」と尋ねると、沈黙を挟んではにかみながら「まあ、ありのままの自分を受け入れてくれる女性ですかね」と答えた。また、「給与は高くないし、優雅な暮らしをさせてあげることはできない」一方で、「真面目さだけが取り柄です」と控えめにアピールした。
だが、この翌年、職場環境が激変したことで、彼自身、女性との関係において大きな挫折を経験することになる。そうして、18年の語りにある「家事力なら女性にアピールできる」という考えにたどり着くのだ。
加藤さんはさっそく、週末に料理教室に通い始めた。料理教室というと、結婚を控えた女性が料理の基礎を学んだり、既婚女性がさらに腕を磨いたりするイメージが強いかもしれないが、実際には男性の受講者も少なくない。男性の場合は定年退職後の趣味として料理を習うケースが多いものの、中には加藤さんのように、「女性から選ばれる」ために料理教室に通う男性もいる。
「女性の経済力をあてにできる」
家事力を身につけるために一念発起した加藤さんだったが、さすがに通い始めの頃は、女性の中に入っていくのに戸惑いを見せていた。だが、次第に馴染み、楽しむようになっていく様子がありありとわかった。料理そのものへの興味の深まりとともに、同じクラスで受講する同年代の既婚女性の存在もあったようだ。
「大学卒業後、初めてできた女友達なんです。職場が変わって合コンでも自分をアピールできなくなって、相手探しに挫折してからというもの、女性とのコミュニケーションは極力避けてきたのですが、彼女のほうから気さくに話しかけてきてくれて。いろいろと話しているうちに、同年代でメーカーに総合職で入社して、結婚を機に退職したけれど、料理が下手で困って、教室に通うようになったと。特に男性並みに働く独身キャリアウーマンの中には料理をはじめ、家事が苦手な人が多いとか、働く女性の実態を教えてくれたんです。それで、一石二鳥だと、これまた、僕にとっては大きな発見でした」
料理教室に通い出して数カ月後の18年末のインタビューで、そう言い終えると、彼は目を見開いた。
「一石二鳥、というのはどういう意味ですか?」
「僕は経済力を料理を中心とした家事力でカバーして、女性からモテようとしていますけど、家事力を持つことで負い目を感じることなく、女性の経済力を堂々とあてにできるということですから。男性の家事力と女性の経済力の交換とでもいうか……」
「カネと家事力の等価交換」
心理学者の小倉千加子が、現代の結婚とは「(男性の)カネと(女性の)カオの等価交換」と説いたのは、今から約20年前のこと。それと比較すると、金=経済力が男性から女性に移り、女性の顔(=容姿)の代わりに男性の家事力、というのは今後、新たな結婚の条件になり得るかもしれない。
それまでも、非正規雇用で働く男性が増えるにつれ、積極的かどうかは別として、女性の経済力をあてにする男性が若い世代を中心に増え始めている現象をつかんではいたが、当事者の男性がここまではっきりと言い切るのを聞いたのは初めてだった。
みるみるうちに料理の腕を上げた加藤さんは、19年、3年ぶりに合コンや独身男女が多く集まる異業種交流会、婚活パーティーへの参加を再開する。「思っていた以上に、料理ができる男は女性の受けがいいですよ」と報告してくれ、少しずつ自信を取り戻していったようだった。
「理想の女性」に出会えた
毎週のように出会いの場に出かけるうちに、「また来週、次があると思うと、なかなか決めきれない」などと停滞ぎみの時期もあったが、そうした経験も糧に、婚活再開から1年近く経った20年、31歳の時、メーカー総合職の同い年の女性と付き合い始めるのだ。友人の紹介で少人数で食事をした際、「この人を逃したら後悔する」と思ったという。勇気を出して連絡先を聞き出し、LINE(ライン)や電話のやりとりをするようになってからも、どのようにデートに誘えばいいかわからずにためらう加藤さんを、彼女がうまくリードしてくれ、交際に発展していったのだという。
「彼女は何事にも真面目で、頑張り屋さん。仕事にも一生懸命に取り組んで、将来は管理職を目指していて、心から応援したいと思ったんです。初デートで、後ろめたさを見せることなく、『家事は苦手だから、料理が得意な男性はありがたい』などと言ってくれて。それに、僕がそれとなく、経済力が劣ることを明かしても、『お互いに強みを分け合えばいいじゃない』なんて、笑い飛ばしてくれて。とても、うれしかったです。彼女こそ、今の『ありのままの自分』を受け入れてくれる理想の女性だと確信したんです」
少し照れくさそうに明かしてくれた。
しかしながら、「理想の女性」であるというその確信も、付き合い始めてからわずか半年余りで揺らぎ始める。彼女の何気ない、ある一言がきっかけだった。
「僕を見下しているように思えてしまった」
「デキる男は、イクメンやる余裕なんてないよ」──。
「誰に言うともなく、彼女がつぶやいたんです。イクメンのタレントを紹介するテレビ番組を一緒に見ていた時でした。ちょうど互いに結婚を意識して、仕事が忙しい彼女に代わって僕がイクメンやるよ、なんて話し合っていたんで、余計に引っかかって……。何か僕のことを見下しているようにも思えてしまって……。彼女も、言ってはいけないことだったとすぐに気づいたようで、あくまでも芸能人の話、だとか釈明していましたが……。彼女からは今、結婚を匂わされていますが、とてもそんな気にはなれなくて……」
どこか落ち着きがなく、歯切れの悪いかつての加藤さんに戻っていた。その数カ月後、彼から別れを切り出すことになる。
「ありのままの自分」とは何なのか…
結婚を目前に彼女と別れてから1年半、33歳になった加藤さんは今、結婚相手探しは停止し、キャリアアップの転職を目指して転職エージェントに登録し、専門業務の知識、ノウハウの鍛錬だけでなく、英語、スペイン語など外国語のスキルも磨いている。
「女性との関係で挫折したから、転職に逃げようとしているのではありません。それだけはわかってくださいね」
22年春、この日は珍しく、インタビューの冒頭でこのように念を押してきた。その一方で、これまでは悩みを抱えているときには決まって表情に現れた焦燥感はなく、婚活を再開した際に「女性の目を意識して」いったんは外していたメガネを再びかけ始め、上半分のみ銀のフレームのあるレンズ越しに柔和な眼差しが見て取れた。
「彼女(結婚目前に別れた女性)との出会い、交際は貴重だったと思っています。別れを決定づけたのは、実は彼女が僕を見下したように感じたことよりも、僕自身が『こんな自分でいいのか』と自問自答してしまったからなんです。料理の腕を磨いて、経済力以外で女性からモテようと頑張って、そこそこうまくいっていた時はうれしかったんですが、交際を続けるうちに、心の底では、彼女に仕事で負けて、女性の経済力をあてにするような情けない自分を受け入れられなくなったというか……。とりあえず結婚相手探しは置いておき、まだ転職も間に合う今、仕事で自信をつけたいと思っています」
海外での活躍も視野に、総合商社への転職を目指しているという。彼なりの前向きな決断であったことを知り、安堵した。と同時に、つぶやくように語った彼の言葉が胸に刺さった。
「『ありのままの自分』って、いったい何なんでしょうね……」
結婚の意思がある未婚者が増加
男としてのプライドの高さや収入の低さなど、それぞれが抱える結婚「できない」理由は違えども、本章で紹介した事例に共通しているのは、「男はモテなければならない」という「モテ信奉」によって、精神的に追い詰められていたことである。男性の非婚化の進行に、このモテ信奉が及ぼす影響は計り知れない。
まず、非婚化の現状をデータから見ておこう。男女ともに晩婚・非婚化は進んでいるが、男性のほうがはるかに深刻だ。
国立社会保障・人口問題研究所によると、2020年の50歳時の未婚割合は、男性は28.3%と3人に1人に迫る勢いだ。女性(17.8%)の約1.6倍に上る。
未婚者が急増する一方で、15年の第15回「出生動向基本調査」(国立社会保障・人口問題研究所)で「いずれ結婚するつもり」と回答した18〜34歳の未婚男性はいまだ85.7%に上る。
20年近く前の第11回調査(1997年)の85.9%と比べても、ほとんど変化はない。例えば20年に50歳の人が35歳だった05年の第13回調査では未婚男性の87.0%が「いずれ結婚するつもり」と答えていることからも、結婚意思がありながらも現時点で結婚に至っていない可能性が高いといえるだろう。
ますます厳しくなる「女性が求める条件」
モテる男を実現できなくなった背景には、女性側の事情も大きい。女性が仕事で能力を発揮する機会はかつてに比べ、飛躍的に増えた。
一見、女性は変わったようである。だが、結婚相手に求める条件は緩くなるどころか、さらに厳しくなっているのだ。その変遷を整理してみたい。
バブル期の定番だった理想の男性は、「3高」(高学歴、高収入、高身長)。これはバブル期の1986年に男女雇用機会均等法が施行されて女性の仕事での活躍が期待され始めた潮流に反し、男性が外で働き、女性は家事・育児に専念するという家父長的な結婚の価値観を引きずっていたものだった。
バブル崩壊後の女性の理想の男性像について、先に紹介した小倉千加子は著書『結婚の条件』(2003)の中で、「3C」(Comfortable=快適な、Communicative=理解し合える、Cooperative=協調的)と指摘した。
「3高」から「4低」「3生」へ
十分な収入があって快適な暮らしを送ることができ、自分と同じか少し上の階層で価値観が合って理解し合え、家事や育児に進んで協力してくれる─というもの。
高身長に目をつぶった代わりに、家事などの協力という要素が新たに加わったのが特徴だ。
そうして2010年代に入ってからは、「4低」(低姿勢=威張らない、低依存=家事・育児を分担、低リスク=安定した職業、低燃費=節約志向)で、女性にとっての負担やリスクを軽減する「低さ」が求められ、また「3強」(体が強い、不景気に強い、家事などの生活力に強い)という女性を経済面でも体力面、生活面でも守れる「強さ」が求められるようになる。
近年では、「3生」(生存力=トラブルが起きても対処できる、生活力=家事力、精神的・経済的自立、生産力=困難な状況でも新たなものを生み出せる)が求められているという。
男性側にも、変化がないわけではない。収入が伸び悩む比較的若い世代の中には、それが本意かどうかは別として、女性に経済力を求め、男性自身は料理の腕を磨くなど生活力をアップしてモテようとするケースも増えている。
「出生動向基本調査」によると、結婚する意思のある18〜34歳未婚者に結婚相手に求める条件を尋ねたところ、「経済力」と回答した男性は2015年に41.9%と、1992年の26.7%から約1.6倍に増加しているのだ。