コロナ禍で不登校の子どもが増えている。自身も2人の娘を育てる両足院の僧侶、伊藤東凌さんのもとにも、子どもの不登校に悩む親からの相談があるという。伊藤さんは親や子どもにどんな言葉をかけるのか――。

学校に行きたくない子どもに最初に伝えること

長引くコロナ禍で「学校に行きたくない」という子が増えているようですね。私も親御さんから相談を受けることがあります。子どもが学校に行きたがらない原因の多くは、子ども自身が、友だちや先生など学校でのコミュニケーションがうまくいっていないこと。味方がいないような、さみしい気持ちを抱えているようですね。

両足院副住職の伊藤東凌さん
撮影=水野真澄
両足院副住職の伊藤東凌さん

そこで親御さんから「うちの子にエールをおくってください」「学校に行くように一言励ましの言葉を」と言われるわけです。親御さんからすると「頑張って」と言ってほしい気持ちがあるようですが、私はあまり頑張ってとは言いません。ましてや学校に行ったほうがいいとも言いません。

私が伝えるのは「今、あなたがそうやって悩んでいることは、実は勇気のいること。悩みがあっても悩みに向き合わない人もいる中で、そうやって悩みに向き合っているのは、本当に立派なことだし、今いっぱい考えて、選択したことは、お父さんもお母さんも応援してくれるから、自分でじっくり考えて選んでね」ということです。

学校に行けなくて恥ずかしい、自分はダメなんだ……と悩んでいることは、実はとてもよいこと、そして何よりも大切なのは、学校に行くか行かないかは自分で選択することなのだというメッセージを送りたいのです。

自分の人生は自分で選択できる

もう20年も前のことですが、『選択の科学』という本の著者、コロンビア大学ビジネススクール教授のシーナ・アイエンガーさんが、あるテレビ番組で生徒に講義をするシーンがありました。講義の中で、アイエンガー先生は生徒に「今の自分の状態は、偶然だと思いますか、運命だと思いますか、選択だと思いますか」と問いかけるのです。

日本庭園の砂
撮影=水野真澄

日本人的には、この3つがすべてミックスされているととらえる人が多いでしょう。90%は運命と偶然で、10%は選択という人もいるかもしれません。

そのとらえ方について、アイエンガー先生の意見は、できるだけ選択ととらえていきましょうということでした。

私自身、「選択の力」は大きなものだととらえています。選択することは主体的に生きる第一歩だからです。確かに生まれる時代や家、場所は選べるわけではありません。ある種、シビアに産み落とされたという見方もできますし、学校も自分で選べなかったかもしれない。でも、ここからは選べるんだよと。だから、子どもにも「これからのあなたの人生については、あなたが選んでいいんだよ」と言いたい。親は子どもに「自分の人生は自分で選択できる」と伝えることが、とても大切だと思うのです。

親子で対話しながらメリット・デメリットを考える

ただ子どもはまだ成長段階ですから、人生にどんな選択肢があるかすらわからないでしょう。それらの情報を手に入れるテクニックも足りません。ですから、ぜひ親御さんはいっしょに考えてあげてほしいと思います。

伊藤さん
「学校に行き続けることが必ずしも正解ではない」と伊藤さん。(撮影=水野真澄)

このケースの場合、選択肢は「学校に行く」「学校に行かない」の2つがあります。そこで「学校に行く」場合のメリット、デメリット、「学校に行かない」場合のメリット、デメリットをそれぞれ書き出します。そして、それぞれ1カ月後はどうか、1年後はどうかと、短期と長期でも考えていきます。

たとえば学校にこのまま行きつづけると、友だちに会える、勉強を教われる、進路の相談ができるというメリットがあるけれど、やめるとこれらのメリットがなくなるかもしれない。でも、勉強ならオンラインでもできる……、いろいろな選択肢を検討することを親がいっしょにやると、子どもはそんな親の姿勢を見て、「迷っていたけれど、やっぱり学校に行ってみる」と言い出すかもしれません。いずれも親子の対話が重要なのです。

結局、どちらの選択肢にもデメリットはあり、どちらのデメリットなら受け入れることができるか、ということになります。その思考の過程からも多くのことを学べると思います。

それで学校に行くとなったら、以前とは覚悟が違うでしょうし、学校に行かないとなったら、自分の人生の中で、自分の選択の意味を知るチャンスになるでしょう。

学校に行き続けることが、決して正解ではない

ちなみに私には7歳と4歳の娘がいますが、わが家の場合、子どもが「学校に行きたくない」と言ったら、行かなくてもいいと思っています。

もちろん親子で話し合うでしょうが、本音のところでは行きたくないなら行かなくてもいい。というのも私の妻は、ほとんど学校に行っていないからです。

庭園の自然
撮影=水野真澄

妻は中学校のときに学校に行かなくなり、山村留学という選択肢をとります。そこからスノーボードが好きになって、カナダに留学し、帰国後、日本の大学の卒業資格を得ることができました。

自分の家で暮らした経験が少なく苦労したようですが、それによって自分の身だしなみや荷物を整えるスキルが磨かれた。ミニマムに手早く片づけて、どこでも暮らせるサバイバル能力は尊敬に値するほどです。

学校に行きつづけることが、決して正解ではないということは、彼女自身が体現しているので、子どもが学校に行きたくないと言ったら、そっちの選択肢もあるよ、とわが家ではふつうに思ってしまうわけです。

学校に行くメリットも大きい

一方、私は学校に行くメリットも大きいと思っています。というのは学校というのは、いろいろな人と出会える大きなチャンスの場だからです。行事やイベントでは、互いにもっと深く知ることができますし、それは自分自身を成長させてくれる機会となります。大人になってから、そういった仕組みに入ろうとすると、大金がかかりますから、それを自然なかたちで与えてもらえるのは、大きなメリットだと思います。

また学校という社会的ルールの中におかれることで、いろいろな発見があります。たとえば、みんなで掃除をしましょうというだけで、俺って雑巾の絞り方も知らなかったんだ、あいつはガラスをふくのがうまいな、といろいろな学びがある。

そういうルールがないと、意外性のある発見や学びには、なかなかつながりません。自分が、まともに掃除ができないことすら気づかず、20歳になってしまうこともあるのです。自分のできないことを知るという意味でも、学校というのは意味のある場所だと思います。

親が子に「本気で謝る」とき

最近、受けた相談の中には、ただ子どもが学校に行かないだけでなく、親を困らせるために子どもが行かないという話もありました。そのお子さんは小学校高学年で、親子の対話すら難しいと親御さんは苦しんでいらっしゃいました。

庭園の自然
撮影=水野真澄

おそらく、その子自身、尖っている自分に気づいていて、それを人に認めさせたいし、かといって理解もされたくないし、という複雑性の中にいるのでしょう。その中で、親は学校に行けと言っている。じゃあ行かないって言ったら、どうなるんだと親を試していますし、親の愛情の量も確認しようとしている。

そうなったときに、親にできることは子どもに「本気で謝る」ことです。「私はもしかしたら長い間、あなたの本当の気持ちに耳を傾けられていなかったかもしれない。ごめんなさい。今までそんなつもりはなかったけれど、そういうふうに伝わっていたことは、自分でも反省しているから許してほしい。これからは本当に耳を傾けていきたい」と伝えること。それが子どもに伝われば、子どもは変わっていくでしょう。

子どもが変化する可能性を信じる

親の切実な気持ちを子どもに伝えるときに大切なポイントは、親が子どもに対して「開く」ということです。

伊藤さん
撮影=水野真澄

ここで言う「開く」とは、親自身が「子どもが変化する可能性を信じる」ことです。その可能性を信じられると、親は子どものために変われるし、それによって子どもがついてきてくれるかもしれない。

実は座禅にも、そういった作用があります。足を組んで、上体の姿勢を整えて、大きく深呼吸をすると、呼吸を通じて、頭と体がつながることができる。今まで頭だけで考えていたことが、呼吸をすることで全身一つになれます。

その中で、なぜか心臓だけが動いている。それは小宇宙のような、どこか神秘性があります。そういった神秘性を実感できると、当たり前に見えているものに対して、自分の心を開いて別の可能性を信じることに意識が向く。座禅はそれを積み重ねていくことなのです。

子どもには本気で愛情を伝え続ける

自分を開くというのは、覚悟のいることです。まして自分の子どもという、本当に近い存在に対しては、並大抵の開き方では足りません。だからこそ「本気で謝る」「本気で感謝する」ことが必要になります。

庭園の自然
撮影=水野真澄

私自身、子どもに対しては常々「生まれてきてくれてありがとう」という言葉を口にするようにしています。今はまだ小さいので、ハグしながら「かわいいね」「ありがとう」と言っていますが、成長して距離感が変わっても、その気持ちは伝えつづけたいと思っています。

親から子に対する愛情というのは、当たり前に伝わっていると思うのは、甘い見積もりです。愛は、表現しつづけないと伝わりません。

たとえば1年前にたくさん表現しても、表現し続けなければ、子どもは冷めたんじゃないのと不安にもなるし、疑心暗鬼にもなります。やはり、そのつど愛情表現はしたほうがいい。これは親子関係だけでなく、夫婦や恋人同士でも同じだと思います。

自分は親から言われたことがないけれど

私が子どもの頃の親世代は、それほど愛情表現をしませんでした。特に関西人は、母親が子どもをいじったり、笑いにしたり、むしろ褒めたら、そっちのほうがくすぐったい。そういうカルチャーが前提なので、好きとか、愛しているとか、生まれてきてくれてありがとうなんて、とてもじゃないけれど言えない。私自身、親から言われたこともありません。

でも私は、やはりそれでちょっと寂しい思いをした覚えもありますし、子ども心に愛されているのかなと不安がつのって、親の愛情を試すために何か悪さをしたこともあります。

親になった今、私の子どもへの接し方は、一見甘やかしに見えるかもしれません。でも私は子どもには愛情に満たされたうえで、自分で選択できる子になってほしいので、愛情表現の質と量には、すごくこだわっています。

愛情を出し惜しんだり、表現を怠けたりして、あのときにもっと愛しているって伝えればよかったと、後悔するようなことはしたくないのです。

子どもの不登校で悩む親御さんは、子どもに「学校に行っても行かなくても、あなたのことは大好きだよ、愛しているよ」と伝えるだけでも、何か変わるのではないでしょうか。

「子どもが学校に行きたくない」と言い出したときは、もしかしたら親が子どもに愛情を伝えるチャンスなのかもしれません。