管理職になりたくない人が6割超
管理職に昇進することによって、幸せになれるのでしょうか。
この本題に入る前に、管理職への昇進意向のデータを見ておきましょう。
厚生労働省の『平成30年版 労働経済の分析』によれば、非管理職の61.1%が「管理職に昇進したいと思わない」と回答しています(*1)。昇進を望まない理由として「責任が重くなる」「業務量が増え、長時間労働になる」等が挙げられています。
この結果は「管理職に昇進しても苦労するだけ」「管理職へ昇進しても幸せになれない」と考えている人が多いことを示唆しています。
はたして実態はどうなのでしょうか。今回は管理職への昇進が幸福度に及ぼす影響を検証した研究について紹介していきたいと思います。
結論を先取りすれば、「管理職へ昇進しても幸福度は上昇しないし、昇進直後の数年間で健康状態が悪化する」という結果が示されています。
この結果は日本だけではなく、イギリス、オーストラリア、スイスでも確認されました。
この結論に至る経緯について、以下で詳しく説明していきます。
(*1)厚生労働省『平成30年版 労働経済の分析』
低い職階ほど健康度が低いことを示したイギリスの研究
管理職で働くことの影響を分析した代表的な研究にBritish Whitehall Studiesがあります。
British Whitehall Studiesとはイギリスのロンドンの公務員を対象に、健康に影響を及ぼす要因を幅広く検証した一連の研究です。この研究は1万人以上を継続して追跡調査しており、その豊富なサンプルを活用した分析結果はその後の研究に大きな影響を及ぼしました。
British Whitehall Studiesによる分析の結果、低い職階で働く人ほど心疾患のリスクが高く、死亡率の上昇やメンタルヘルスの悪化につながることが明らかにされました(*2)。
「高い職階=高い健康度」という構図を示したBritish Whitehall Studiesの研究結果は、多くの人を納得させるものでした。
しかし、British Whitehall Studiesの研究には1つの懸念がありました。
それは調査対象の範囲です。
ロンドンの公務員が調査対象者であったわけですが、民間企業の労働者が抜け落ちていますし、地域もロンドンという都会のみで、その他地域の状況がわかりません。
この課題を認識した研究者が一国全体の民間企業も調査対象に含めたデータを用いて管理職で働くことの影響を検証しようと考え、実際にいくつかの研究が発表されました。
そして、それらの研究の結果は、British Whitehall Studiesとは異なったものだったのです。
(*2)①Marmot, Michael, Hans Bosma, Harry Hemingway, Eric Brunner, and Stephen Stansfeld. 1997. Contribution of job control and other risk factors to social variations in coronary heart disease incidence. Lancet 350(9073): 235–39.
②Stansfeld, Stephen, Rebecca Fuhrer, Martin Shipley, and Michael Marmot. 1999. Work characteristics predict psychiatric disorder: Prospective results from the Whitehall II study. Occupational and Environmental Medicine 56(5): 302–7.
③Ferrie, Jane, Martin Shipley, Stephen Stansfeld, and Michael Marmot. 2002. Effects of chronic job insecurity and change in job security on self reported health, minor psychiatric morbidity, physiological measures, and health related behaviours in British civil servants: the Whitehall II study. Journal of Epidemiology and Community Health 56(6): 450–54.
健康状態が良い人ほど管理職に昇進していた
スターリング大学のクリストファー・ボイス博士らのイギリス全土の民間企業の就業者も含んだデータを用いた分析の結果、次の2点が明らかになりました(*3)。
1点目は、「もともと健康状態が良い人ほど管理職に昇進していた」というものです。管理職への昇進が健康を改善する傾向については十分に確認できませんでした。
また、オーストラリアのデータを用いたモナッシュ大学のデビッド・ジョンストン教授らの研究では昇進前後の生活全般の満足度の変化についても検証しており、「昇進によって生活全般の満足度が影響を受けていないこと」を明らかにしています(*4)。
管理職昇進後にメンタルヘルスが悪化
2点目は、「管理職に昇進した3年後にメンタルヘルスが悪化していた」というものです。
管理職への昇進には賃金や職権の拡大といったプラスの側面と、業務負担や責任の増大といったマイナスの側面があります。マイナスの影響が強ければ健康状態が悪化する恐れがあり、実際にその傾向が確認されたのです。
上述のジョンストン教授らの研究でも同じく「管理職に昇進した24~30カ月後にメンタルヘルスが悪化した」という結果を得ています。
これ以外にも、スイスのデータを用いた研究で昇進によって自己診断による健康度と抑うつ症状が悪化したことを示す結果もあります(*5)。
以上の分析結果から明らかなとおり、民間企業の就業者も含めたデータを使って分析すると、管理職での就業は健康、特にメンタルヘルスの悪化を引き起こすと考えられます。
これらの結果は管理職で働くことの負の側面の影響が強いことを示しており、ショッキングです。
それでは日本の研究ではどのような結果が得られたのでしょうか。
(*3) Boyce, Christopher, Andrew Oswald. 2012. Do people become healthier after being promoted? Health Economics 21(5): 580–96.
(*4) Johnson, David, Wang-Sheng Lee. (2013). Extra status and extra stress: are promotions good for us? Industrial and Labor Relations Review, 66(1): 32-54.
(*5) Nyberg, Anna, Paraskevi Peristera, Hugo Westerlund, Gunn Johansson, Linda L Magnusson Hanson. 2017. Does job promotion affect men's and women's health differently? Dynamic panel models with fixed effects. International Journal of Epidemiology, 46(4):1137-1146.
日本では昇進しても幸福度は上昇しないし、健康度は悪化する
日本の研究を見ると、次の3つの結果が得られています(*6)。
1つ目は、「管理職に昇進しても幸福度は上昇しない」というものです。この結果は男女両方に共通しており、昇進1年前から昇進3年後時点まで幸福度の増加傾向は確認できませんでした。
「管理職に昇進することが幸せにつながる」という明確なエビデンスはなかったのです。
2つ目は、男女とも管理職で働くことで年収が増加したのですが、所得に対する満足度は上昇していませんでした。年収は増えたけど、満足していない。これは、管理職で働くことの金銭的な報酬が十分ではない可能性を示しています。
また、管理職で働く女性のみの場合で、余暇時間満足度と仕事満足度が低下していました。この結果は、管理職で働く負担が女性で特に大きい可能性を示唆しています。
3つ目は、女性では管理職に昇進した2年後、男性では管理職に昇進した1~3年後に自己評価による健康度が悪化していました(図表1)。
以上の結果をまとめると、「日本では管理職に昇進しても幸福度は上昇しないし、健康状態は悪化する」と言えるでしょう。
(*6)佐藤一磨(2022)「管理職での就業は主観的厚生と健康にどのような影響を及ぼしたのか」PDRC Discussion Paper Series, DP2022-002,
昇進しても幸福度が上昇しない理由
管理職に昇進しても幸福度が上昇しない理由として、仕事から得られる報酬と負担が相殺しあっている可能性が考えられます。
管理職へ昇進すれば確かに年収が上がりますし、対外的な地位も向上します。地位が高くなることによって達成感を得ることができるでしょう。また、家族がいれば昇進の喜びを分かち合うこともできます。
しかし、同時に業務量や労働時間、責任が増え、苦しくなっているのではないでしょうか。
自分の仕事に加え、部下のマネジメント業務も加わり、やることは増えていきます。また、近年ではセクハラ・パワハラにならないよう注意も必要となるため、神経をすり減らすことも増えているでしょう。
さらに、働き方改革関連法の施行によって時間外労働の上限規制が強化され、残業がしにくくなっている中、終わらなかった仕事を管理職が引き受けている可能性があります。これも管理職の負担を増大させる一因となっていると考えられます。
このように、管理職になることのプラスの効果とマイナスの効果が相殺しあい、幸福度が上昇していないと考えられます。
管理職の待遇改善が必要
このような状況が続けば、男女問わず管理職になりたいと考える人が減ってしまう恐れがあります。特に女性の管理職への昇進は、政策的な視点から重要な論点です。
この課題に対処するためにも、管理職の労働環境の改善が重要になってきます。
まず、業務量や労働時間の軽減を検討する必要があります。これに加えて、金銭的な報酬も増加させる必要があるでしょう。
「なんとか管理職に昇進したのに、大変なだけで割に合わない」このような実感をもたれないためにも、管理職の待遇改善が求められます。