若さへの執着
人は、いつの時代でも驚くような方法を用いてまでも「若さ」に執着しています。古代エジプトでは、王侯や貴族が、病気治療のために若い捕虜から搾り取った血液の浴槽につかっていたとか、古代ローマ人が若返りの妙薬と称して捕虜の生血をしぼり飲んだ、という記録があります。残虐な方法で若者の血をつかったアンチエイジングをおこなった、エリザベート・バートリの話は有名です。戦争で不在がちだった夫を傍目に、彼女は性別を問わず多くの愛人を持ち、自らの美貌を保つことに執着していました。鉄の処女、という言葉を聞いたことがある人は多いと思いますが、これも、彼女に由来するものとされています。
現代社会では、これらの風習はさすがになくなっている……と思いたいところですが、残虐な行為こそないものの、血液や脳脊髄液などを利用した若返りをうたうビジネスはアメリカにも日本にも数多く存在しています。なぜでしょうか?
実は、血液や、若い個体の脳脊髄液が若返りにつながるという科学的根拠が発表されているためです。ただし、これらの研究はすべて“マウス”を利用した研究結果です。
高齢のマウスの記憶力が改善
スタンフォード大学のタル・イラム氏らが若いマウスの脳脊髄液を高齢マウスに投与すると認知機能の改善をふくんだ若返りが実現した、と2022年5月「Nature」に発表しました。この実験では、まず高齢(生後18~22カ月)のマウスに、音を鳴らして光を点滅させながら、足に軽いショックを与えました。これでマウスに、音と光に関連させたいやな経験をおぼえさせます。その後、マウスを2つのグループに分け、片方には若いマウス(生後10週)の脳脊髄液を投与し、もう片方のグループには人工脳脊髄液を投与しました。
マウスが、もう一度同じ音と光を見たときに、“足にショックがあるかもしれない”と身構えてじっと動かなくなれば過去のいやな記憶をおぼえていた、ということになります。脳脊髄液を投与した後3週間後に、このマウスたちに同じ音と光の刺激を与えてみると、若いマウスの脳脊髄液を投与したマウスでは、そうでないマウスよりも身構えることが多かったのです。つまり若いマウスの脳脊髄液を投与されていたマウスは、記憶力が改善していた(若がえった)、ということになります。
トンデモ美容に騙されないで
ところで、脳脊髄液とはなにかというと、脳の中にある脳室(大脳半球左右にある側脳室、第三脳室,第四脳室の4か所)の中を流れている液です。脳脊髄液は絶えず循環していて、1日に約3~4回入れ替わっているといわています。つまり、健常な人では、この循環が滞るということはありえません。
最近、友人から、この頭蓋骨の中の脳の中心のほうにある脳室の脳脊髄液をマッサージで流す美容をやってきた! という報告をうけました。確かに、脳脊髄液が、「若返り」と関連したという研究が最近でてきていますが、おそらく脳脊髄液を流してアンチエイジングというのは、多くの脳研究者においては、どんな仕組みなのか「???」な話でしょう。上述のように、脳はまず頭蓋骨に守られていますし、その中の脳の中心の方に流れているもので、何かしらの障害があって、脳脊髄液が循環しなくなると、脳に管を通して脳脊髄液を排出する手術などを行います。
若いマウスと老いたマウスをつなぐ実験
脳脊髄液だけではなく、若い血が若返りを可能にするという研究は、多くあります。
カリフォルニア大学バークレー校の研究者たちは2005年、若いマウスと高齢のマウスの血管を外科的処置によって結合し、血液循環を共有するという画期的な実験を行いました。老いたマウスと若いマウスをつないだ結果、高齢のマウスの筋肉や骨などが若返ったということが示されています。一方、若いマウスには、老化の兆候がみえました。
必要なのは、若い血液ではない
上述の実験では、若いマウスの血液の中に、若返り成分があるのか、あるいは、年老いた血液の中の老化に関連する物質が若い血液と混ざったことで薄まったから、若返りがおこったのかがわかりません。そこで、別のグループが行った実験では、若くも老いてもいないニュートラルなマウスの血液成分(血漿)を混ぜて年老いたマウスと、若いマウスの血液を希釈する、ということが行われました。これによって高齢マウスの健康が改善できれば、老いた血液を薄めるだけで、若返りが実現したことになります。
この実験の結果、驚くことに、高齢マウスの血液を薄めるだけで、若い血液をいれたときと同じくらい、脳の記憶にかかわる海馬の神経幹細胞が増加したり、筋肉に若返り効果があることがわかりました。一方で、若いマウスに同じ処置を施しても、健康に悪影響を及ぼすことはなかったのです。
つまり、若い血液に若返り物質が含まれているのではなく、老化によって増える老化にかんする物質が薄まることが、若返りにつながる可能性がしめされたことになります。これと似た現象は、病気の治療のために、血液中の血漿だけを交換する血漿交換法が実施された人間の血液でも確認されたことが報告されています。
人間の臍帯血の血漿でマウスが若返る
また、別のチームは、人間の若者(19~24歳)、高齢者(61~82歳)、新生児の臍帯血に含まれる血漿を、高齢マウスの血管に注入し、そのマウスに、マウスの記憶力や学習力を測るための迷路実験などを行いました。その結果、若い臍帯血の血漿を4日ごとに2週間与えたマウスの成績が最も優れていて、記憶や空間学習能力を司る海馬の遺伝子が活性化していたことがわかっています。
アメリカでは、これらの研究成果に着想を得たビジネスが数多く立ち上がっていますし、臍帯血を利用したアンチエイジングの他、整形外科や歯科領域で組織再生のために利用されていた多血小板血漿を利用したアンチエイジング(ヴァンパイアフェイシャル)などは日本でも広く利用されています。
アメリカでは、FDAなどが勧告を出した例もあり、人のアンチエイジングに利用するための科学的根拠や正しい方法と期待される効果については、まだまだ解明の余地があるものです。
根拠をしっかり確認しよう
ひと昔前、塗るだけで痩せる効果があるというクリームがはやったことがあります。海外のハイブランドからもそのような商品が販売され、入手困難になったのです。今同じ商品が売れるでしょうか?おそらく売れません。なぜなら、多くの人が「塗るだけで痩せるなんてありえない」と知っているからです。つまり、みんなが消費カロリーと摂取カロリーのバランスで体重が維持されることや、脂肪細胞が、皮膚から塗ったクリームで溶けないだろうことを知っているからです。
科学的には当たり前とされていることも、一般的な知識としてまで根付いていないことが多くあり、情報リテララシーの低さがとんでもないビジネスを生み出すのです。
一方で、人には、プラセボ効果という、実際に効能がなくてもそれをやることで効果があるような気分になることもあり、効果があると感じている人を否定するつもりはありません。ただ、まずは、宣伝文句や口コミに惑わされることなく、どうしてそんなことができるのか?という根拠をちゃんと確認し、正しい情報を手に入れることが必要です。
<参考文献>
・Iram T, Kern F, Kaur A, Myneni S, Morningstar AR, Shin H, Garcia MA, Yerra L, Palovics R, Yang AC, Hahn O, Lu N, Shuken SR, Haney MS, Lehallier B, Iyer M, Luo J, Zetterberg H, Keller A, Zuchero JB, Wyss-Coray T. Young CSF restores oligodendrogenesis and memory in aged mice via Fgf17. Nature. 2022 May;605(7910):509-515.
・ Katsimpardi L, Litterman NK, Schein PA, Miller CM, Loffredo FS, Wojtkiewicz GR, Chen JW, Lee RT, Wagers AJ, Rubin LL. Vascular and neurogenic rejuvenation of the aging mouse brain by young systemic factors. Science. 2014 May 9;344(6184):630-4.
・Castellano JM, Mosher KI, Abbey RJ, McBride AA, James ML, Berdnik D, Shen JC, Zou B, Xie XS, Tingle M, Hinkson IV, Angst MS, Wyss-Coray T. Human umbilical cord plasma proteins revitalize hippocampal function in aged mice. Nature. 2017 Apr 27;544(7651):