※本稿は、ボーク重子『しなさいと言わない子育て』(サンマーク出版)の一部を再編集したものです。
ヘリコプターペアレントの子は失速する
アメリカには「ヘリコプターペアレント」という言葉があります。この用語がアメリカで初めて使われたのは1960年代のこと。今では「過保護・過干渉な親」「プログラムしすぎる親」「お膳立てをしすぎる親」「わが子に自分の人生を捧げているような親」の総称として広く知られています。
ヘリコプターペアレントは子どもを“失敗”や“失望”“挫折”“効率や要領の悪さ”などから遠ざけるために、転びそうになる前に障害となりそうなものをとりのぞき、効率良く進められるようお膳立てします。
「やりすぎ」って本当にいいことないな、と思うけれど、どうして親は「やりすぎてしまう」のでしょうか? 理由は2つあると思っています。
ひとつは親が、「子どもはできない」と思っていること。そして、親が「待てない」ということです。
私たちは何度も繰り返しやることでいろんなことができるようになっていきます。ですが「できない」「できるようになるまで待てない」から親がやってしまう。確かに親がやったほうが早いし確実で上手でしょう。その行為が何であれ、長く生きているぶん、知識も経験も子どもよりもずっと多いのですから。
できるようになるのを見守るのは、ときにつらいことです。親がやってしまえばすぐに済んでしまうことをわが子が試行錯誤したり、悩んだりする姿に胸が痛みます。そしてできた結果が未熟だったり最適ではなかったりすると、「やっぱりあのとき、やってあげればよかった」と思ったりします。
でも、親が子どものそばをいっときも離れずに一生守ることはできません。一生代わりにやってあげることもできません。大切なのは「自分で自分のことができるようにすること」ですよね。そのためにはつらくても、世間体が悪くてもできると信じて見守ることが必要です。
私も最初は「やりすぎる」親だった
私も最初から「まかせる」親でいられたわけではありません。とくに「世間体」や「競争」の要素が入ってくると、ますますまかせることができませんでした。
私が最も「やりすぎる親」になったのは、娘のバレエのサマーキャンプのとき。
娘はずっとバレエをやってきたのですが、サマーキャンプはそれぞれオーディションを受けて合格しないと参加できません。そして「誰もが行きたいけれど合格できない」という最難関から「誰でも行ける」レベルまでさまざまです。
私は「1番のところ」「自慢できるところ」を中心にオーディションの日程や内容、審査員、芸術監督の好みなど調べてエクセルの表にして、娘に渡しました。
「はい、これ全部調べておいたから。合格がむずかしい順に並べてあるよ。組み合わせで午前と午後の2回オーディション受けられるシミュレーションも何パターンかつくっておいたからね。ママはこのパターン2が一番いいと思うよ。だってここに受かったらすごいもの。もしうまくいかなくても2週間後に別の街でまた受けられるし」
そのときの娘の答えを、私は今でも忘れることができません。
「ありがとう、ママ。でも自分で調べて決めるから大丈夫だよ」
私はいったい何をしていたのでしょうか? 「私のほうが確実で上手で早くできる」からやってしまったのですが、娘にはちゃんと自分でできる力がありました。これは娘が12歳のときのことですが、以後、私は娘ができること、ちょっと頑張ればきっとできそうなことに関しては「見守る」ことを徹底しました。
見守るって勇気がいります。でもこの勇気を持つのも、親の仕事なのですよね。子どもは必ずつまずきます。つまずいて立ち上がるからこそ学びを得るのです。でもやりすぎの親の環境で育った場合、つまずく前に親が助けます。だから親がそばにいないときにつまずいて転んだら、その子はきっと転がったままでしょう。なにしろ「つまずく」という経験がないから「立ち上がる」ということを知らないのですもの。
子どもは「できない」のではありません。親がやりすぎるから「できるようにならない」。まずはこのマインドセットを変えていきましょう。子どもには「自分でできる力」があります。だからこそ自分のことは自分でできる子どもを育てていきましょう。
「できない」を簡単に使わない
私たちは「できない」という言葉を簡単に使いがちですが、年齢や能力の面であきらかに「できない」こと以外は、「できない」のではなく次の4つのどれかです。
●やり方を知らない
●教えてもらっていない
●慣れていない
要するに「やればできるようになる」ということ。そしてやっているうちにどんどん上達していきます。
親が何でも先回りして完璧な対応をすることは、子どもから学びと成長を奪うことにほかなりません。生まれた瞬間に歩ける子どもはいませんよね。寝返り、ハイハイ、つかまり立ち、そして転びながら歩くことを覚えていきます。私たちは「きっと歩けるようになる」と励ましながら見守ります。そうして子どもはたっぷりと学びの機会を得ることでどんどんひとりで歩けるようになっていきます。それと同じことをすればいいのです。
「自分でできない子」にしてしまわないためには、子どもの学びの機会を奪わないこと。そう、やりすぎることは、「奪う」ことなのです。
奨学金の大会を見つけて応募したのは、娘本人
お伝えしたとおり、私は娘のバレエのサマーキャンプでは大はりきりで「やりすぎ」ましたが、それ以後はできる限り「信じて見守る」という「まかせる」育児を心がけてきました。
娘が2017年に優勝をいただいた「全米最優秀女子高生」ですが、この奨学金のコンクールを探して、応募したのは娘本人でした。
後で知ったのですが、じつはこのコンクールへの応募には必要な書類がたくさんあり、大変なプロセスだったようです。学校の先生からの推薦状2通や成績表、全国大会前の地方大会への出場の申し込み、そこで披露する特技の内容と音楽テープの準備、地方大会で参加者全員が踊るプログラムの練習や当日着用するコスチュームなど。
それらは全国大会の8カ月ほど前に始まります。娘はそのすべてをひとりでやっていました。私は「できることがあったら言ってね」と伝えただけだったのです。そして娘が「お願い」と言ってきたのは地方大会当日、会場までの送り迎えだけでした。
地方大会で優勝した後は全国大会へ向けての準備が始まりました。ワシントンDC代表には3人のアドバイザーがいました。そうして娘の質疑応答や立ち居振る舞いなどあらゆることを訓練してくれたのですが、そのスケジュール管理など、娘がすべて自分でやっていました。「できることがあったら言ってね」と伝えたところ、今度は「全国大会を見にきてね」とお願いされただけでした。
受験する大学を決めたのも娘です。受験に必要なSAT(大学進学適性試験)という共通テストのために何回くらい家庭教師が必要か、どこの誰に頼むかを決めたのも娘。私がやったことは受験の料金と家庭教師代を払うこと、そして送り迎えだけ。
親としては「もっと頼ってほしいな」とちょっと寂しく思うこともありますが、「まかせる子育て」の実践で娘は「自分でできる子」に育っていました。
子どもが自分で自分のことをできるようにすることは自立に必須。だからこそ、親は寂しさや物足りなさを感じても、子どもを信じてまかせて、子どもを解き放つことが大切なのだと思います。
「私はできる」という自己効力感を見える化しよう
自己効力感という言葉をご存じですか? これは非認知能力のひとつで、「自分はできる」「できると思う」「きっとできる」と思える力です。
「私はできる」そう思える子は、行動できます。この自己効力感を効果的に高めるには、本人の「実行機能」を高めることが有効です。
実行機能とは、「やり方を知っている」ということ。平たく言うと「目標達成のために、何を、いつ、どれだけ、どこでやればいいか」について必要な情報を集め、達成のための計画を立てて、実践して目標達成する力です。
これは、計画性と実行力と言い換えることもできるかと思います。この能力は、特別なことをしなくても、日々の暮らしのなかで効果的に高めていくことができます。たとえば、学校の準備などはその好例でしょう。
●いつ、どこで、どのくらいの時間やるかを決める
●学校に必要なものをリストアップする
●必要なものを用意し、やることを実行し、時間内に達成する
この一連の流れが実行機能というわけです。
「実行機能」は「やり方を知る」「慣れる」で身につけよう
覚えていますか? 子どもはできないのではありません。「これまでやったことがない」「やり方を知らない」「教えてもらっていない」「慣れていない」だけです。だからやり方を学び、やることに慣れればいいだけ。
「やり方を知っている」「慣れる」の2つの鍵を念頭に、『しなさいと言わない子育て』では6つのスキルをご紹介しています。
●やり方を知っているタスクを親から子に移動する
●実行機能は「好き」「得意」を使って高める
●成功を重ねて自己効力感を高める
●失敗から自己効力感を高める
●待って見守るスキル
実行機能を伸ばすために最も有効なのは、大人がまず“枠組み”をつくることです。知らないのだから教える必要がありますが、非認知能力をはぐくむためにはトップダウンで教えるのではなく、「やって見せる」のが効果的です。
「一緒にやってみる」という姿勢で取り組んでみてくださいね。