※本稿は、下園壮太『自衛隊メンタル教官が教える イライラ・怒りをとる技術』(朝日新書)の一部を再編集したものです。
「会社が悪い」「あの上司が悪い」職場でのバトルが勃発する理由
「職場」もまた、怒りの多発地帯です。
職場とは「上下関係」で構成されていて、また仕事の負担に対して、自分の取り分、「報酬」をもらうシステムで動いています。エネルギーを大事にする原始人的感覚で、自分は負担に見合った報酬を受け取っているか(=期待)、他と比べて損をしていないか(=比較)、という警戒心が常に立ち上がっている状態です。ですから、多かれ少なかれ、職場とはそもそもイライラが誘発されやすい場なのです。
「残業をしていると、隣のチームは早く帰っていて、ラクをしているように見えてしまう。うちのチームは不遇なのでは」
「私はキリキリやっているのに、いつも、のん気にしているあいつのほうが昇進するとはどういうことか」
などと、職場では他のメンバーへの疑心暗鬼の目も生まれやすいものです。
特に、担当が明快でない「中間の仕事」は、誰も手を出したくないので、もんもんとした冷戦状態になりやすい。もし自分がやることになれば、ものすごく損をした気にもなります。これを私は「役割の戦場」と呼んでいますが、組織が大きくなるほど、誰が何をやっているのか見えづらくなって、中間の仕事の担当(役割)をめぐるバトルも多発するでしょう。
負担に対して、受け取る報酬が潤沢だったり、自分自身のエネルギーに余裕があるときは、会社でイヤなことが起こっても、家に帰ったら案外忘れられたり、同僚と愚痴を言い合ったりして、スルーしていけます。
しかし逆に、報酬が少なく、疲労が強くなっている状態では、ささいなことでも「自分がソンをさせられているのでは」とイライラして、原因究明をしたくなります。
「うちのチームばかり残業しているのは、会社の組織編成に問題があるのでは」
「あいつがラクをしているのは、上司の指導に問題があるのでは」
などという発想になっていきます。しかも、ひとたび原因らしいことに思い当たれば、「会社が悪い」「あの上司が悪い」と考え続けて、どんどん思考も狭まっていくでしょう。
職場へのイライラが止まらない時のたった一つの対処法
怒りの感情に乗っ取られて、倒すべき相手に視点と思考が集中していくからです。
もし今あなたが、会社や職場の人間関係に対する怒りが溜まり、苦しんでいるのならば、いったん原因究明は停止して、代わりに「自分自身のエネルギーをケアする」という発想を持ってみてください。具体的には現在の疲労の段階はどこに位置するのかを感ケア5の、「体調・蓄積疲労」の切り口で、自分自身のエネルギー状態を見つめ直すと良いでしょう。
しっかり休んで疲労が回復したら、他のチームの残業状況も、働かない後輩の存在もあまり気にならなくなることは、よくあることです。
バトルが絶えない「2段階職場」とは
個人レベルばかりでなく、組織レベルでも「余裕がない」状態に入ると、メンバー間のイライラ、怒りが多発し、バトルが起きやすくなります。
私は、様々な要因によってメンバーの3分の1が疲労の2段階にあると、組織の力は急激に低下すると思っています。疲労の2段階とは、同じ作業でも2倍の疲労を感じ、回復にも2倍の時間がかかる、感情も敏感になり、いつもより2倍傷つきやすくなる状態です。その状態にある職場を「2段階職場」と呼んでいます。
その特徴的な雰囲気は次のようなものです。
・残業が多くなる、ところどころで仕事が溜まる、遅くなる
・言った、言わないなどのトラブルが増える
・仕事上のミスが増える、ミスへの当たりが強くなる
・仕事を押し付けあう、手伝わない、いちいち意義を求める
・不公平感に過敏
・少しの変更に対応できない、予定を知りたがる・小まめな「ホウレンソウ」ができなくなる、嘘が多くなる
・人間関係のトラブルが多くなる、他人の悪口が増える
・部内派閥ができる、他部署との対立が多くなる
・パワハラ、セクハラ、いじめ等のトラブルが増える
・リーダーへの期待(不満)が高まる
疲労が生み出す「あの人が悪い」…スケープゴートが生まれる理由
2段階職場で最も特徴的なのが、「人間関係の悪化」です。
組織内の人間関係トラブルは、組織が普通の状態でも起こります。先に触れた通り、職場は、「怒りの多発地帯」。また人は「他人に勝ちたい」のが本能。出世をかけた競争が激しくなれば、他者に対する妬みなども生じやすいでしょう。さらに、個人だけでなく、出世をかけて派閥が対立するのも、ありがちな人間の姿ではあります。
しかし、経営の悪化、多忙、人材不足、不祥事、将来性がないなどで、2段階職場となった現場では、必要以上に人間関係がギスギスして、トラブルが顕在化します。
こうなると、「調子が悪いと原因究明をしたがる」ことの1つで、「あの人が悪い」と組織内における「スケープゴート」も生まれやすくなってしまいます。
疲労の2段階により、多くの人が理由もなくイライラしている状態の中で、共通の攻撃対象が一人いれば、少なくともその間は、怒りの矛先が自分には向かってこないことを意味します。生き残るために、人はスケープゴートを仕立てあげることで、自分自身を防御しようとするのです。「いじめ」が起きたとき、見て見ぬふりをしてしまう構造と同じです。逆に言えば、組織が健全で強いときは、スケープゴートは生じません。
怒れる組織を抑えるポイント①「休息」と「相互コミュニケーション」を仕事に
それでは、組織はどのようにしたら健全になれるでしょうか。
いつも元気で絶対に疲れない人だけ集めれば、まずスケープゴートは生まれないでしょう。しかし、そんな人は世の中にはいません。いるならばそれはすでに人間ではなく、ロボットに違いありません。
組織とは生身の人間の集まり。上司であっても部下であっても、日々、疲労の大波小波をやり過ごしながら生きています。
まずは生身の人間とは「疲れるものなのだ」と認識すること。他のメンバーも、そしてあなた自身もエネルギーには限界があるのです。
また、組織内の疑心暗鬼ムードは、少なからずお互いの情報不足からくることが多いのです。ネガティブな雰囲気は、ちょっとしたコミュニケーションの積み重ねで、驚くほど解消されます。
もし上司の顔色が悪かったら、「売り上げが悪いのか」「私のミスのせいで機嫌が悪いのか」などと考えてしまいますが、風邪気味だと知っていれば「大丈夫かな」といたわりの気持ちが生まれるでしょう。部下が提出してきたレポートを見て、あまりよくない出来だったとしても、作成に四苦八苦している姿を見ているか見ていないかで、心証が大きく変わることもあります。
2段階職場では、仕事を回すことだけで精一杯、とても休養をとったり、相互のコミュニケーションに時間を割く余裕はない、と感じるのが普通です。ところが、そこであえて、仕事として「休憩」と「相互のコミュニケーション」を入れこまなければならないのです。
これは、戦場という厳しい環境でも、全滅する部隊とそうでない部隊を分けることになる重要なポイントの1つなのです。
怒れる組織を抑えるポイント②小手先より「上司の腹決め」
危機に瀕した部隊の長がやらなければならないもう1つの決断が、「やらない業務」を決めることです。「休養してくれ、自分で仕事量を減らしてくれ」と言うだけでは何も進みません。トップが、これはやらなくていい、と明言しないと、業務量は減らないのです。
もちろん業務量が減れば、成績も下がります。その責任を負うからこそ上司としての給料と尊敬をもらっているのです。
組織が普通の状態のときは、人間関係も疲労のコントロールもメンバーに任せておけば大きな問題になりません。しかし、2段階職場になったら、その長が覚悟を決めないといけないのです。メンバーはそれを知っているので、何も手を打たない上司には、怒りが向きます。
ちなみに、2段階職場になると、通常のメンタルヘルスケアも崩壊します。通常、不調者をいち早く見つけ、休養などの対応をするのですが、これを2段階職場でやると、一人の不調者を休ませると、その分の仕事を余裕のないメンバーでフォローせざるを得ず、結局三名の不調者が出るということになるのです。通常のメンタルヘルスケアで何とかできるものではありません。
2段階職場の場合、組織全体の怒りを抑えるには、小手先の対処より、上司の腹決めが重要になります。
いじめやトラブルに遭っているなら「退職」したっていい!
もしあなたが勤めている職場で「スケープゴート」やいじめなど、怒りによるトラブルが起きていて、上司も何もせず、とても健全とは言い難い状態ならば、自分自身の進退をどのように考えたらいいでしょうか。そういう現場にいると、被害者や傍観者であっても、自分の中に「怒り」が発動します。そして怒りは、自分自身をむしばみ始めます。
怒りへの対処プロセス①は、「刺激から離れる」です。もし、社会情勢や業界の構造上、会社の状況が改善しないのが自明であれば、退社を検討したほうがいいでしょう。
しかし職場を辞める決断をするか、しないか、見極めは大変難しいものがありますし、人それぞれの人生により、様々な要素が関わり合います。
仕事の負担に対して、自分の報酬がどうなっているか、というバランスが、職場においてはとても大切です。しかし、人にとって「報酬」とは、単に給料や収入面などお金のことだけではありません。社会的なステータスや、大切な人間関係、やりがい、充実感、あるいは将来性なども含みます。待遇面がどんなに良くても、多くの人はそれだけでは働き続けられません。精神的な充足感が得られない仕事は、やがて負担感だけになります。
これを機に、自分の大切にしているものをきちんと洗い出してみましょう。
また、知っておいてほしいのは、もし本人がすでに疲労の3段階、つまり「うつ状態」になっていると、そう簡単には辞められなくなる、というメカニズムです。
疲れ切った状態では、「今の継続を捨てる」という行動も、大変なエネルギーを要するからです。現在勤めている会社がブラック企業で、本人はそのせいで疲れているのに、当の本人が辞めたがらないというケースはとても多いのです。
「退却する」という選択は、元気な状態でないと決断できないこと。今の時点で、職場が自分自身を消耗させていると思うならば、自分自身のエネルギーが本当に枯渇してしまう前に、早め早めに「離れる」選択肢を考えたほうがいいでしょう。
もうすでに、自分では決められない状態に陥ってしまっている場合は、ぜひまだ健全な方に相談してみてください。