「忘れたいのに、忘れられない」「許したいのに、許せない」誰かを恨めしく思う苦しみから解放されるにはどうすればよいのだろうか。自衛隊メンタル教官である下園壮太さんは「恨みの感情は、謝罪で水に流せるものでない」という――。

※本稿は、下園壮太『自衛隊メンタル教官が教える イライラ・怒りをとる技術』(朝日新書)の一部を再編集したものです。

スマート フォン、自宅に叫び激怒の女性
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近くに住んでいるのに育児を手伝ってくれない母への怒りが止まらない

「親に対しての怒りが止められない」「親が毒親で……」と、クライアントが訴えるケースは、娘の立場から母親に対しての恨みであることが多いです。

先日いらっしゃった、クライアントのFさん(40代)も、その一人でした。ご自身は結婚し子育てをしながら、臨時教員としても働いています。お母さんは自宅の近くに住んでいるのですが、忙しい時期も思うように手伝ってくれない70代の母親に、最近怒りが止められないのだと言います。

「思えば、私が子どもの頃から母は働いていて、いつも忙しそうでした。定年した今は、自分の趣味で遊び回っています。自分の孫なのに、全然手伝ってくれないんです。他の働いている友達は、よく実家のお母さんが送り迎えとかやっているのに。私がこんなに忙しくしているのに、母はあまり助けてくれないんです。冷たい人なんです」

そう言って、Fさんは涙を流しました。

「最近よく思い出すんですけど、学校から帰っても母がいないことが当たり前だったんですよね。ケーキを焼いて待っている友達のお母さんがものすごくうらやましかった。私は冷蔵庫から好きなものを取って食べていいことになっていたのですが、私、それがすごく寂しかったなって。その割に初めて彼氏ができたときとか、今の夫と結婚するときはものすごく干渉してきて大変でした。母は、人との距離の取り方がおかしいんですよ。いわゆる毒親なんです」とFさん。

私は、「なるほど。Fさんが、お母さんのことで寂しい思いをしてきたのはわかりました。それで、Fさんは、お母さんにどうしてほしいの?」と聞いてみました。

すると、「母には謝ってほしいんです。私がこんなに今子育てでつらいのは、母のトラウマが原因だから」

母親が謝罪すれば本当に恨みは消えるのか?

このケースで、仮にFさんの希望通りに、お母さんが謝ったとしましょう。でも当のお母さんは、何を謝ったらいいのかわからないかもしれません。

40代となった娘から「ケーキを焼いてくれなかった」などと言われてもピンとこないでしょうし、仮に謝ったとしても、謝罪はどうしても口先だけになってしまいます。そうなればFさん自身にとっては、さらなる怒りの元になりかねません。

つまり、「謝罪を求めたい」は、怒りスイッチの思考(図表1)のせいで、現実にはFさんの問題解決にはなりにくいのです。Fさんの怒りは「防衛記憶(恨み)」から来るもの。もはや、目の前にいるお母さんではなく、記憶の中のお母さんを恨んでいるのですから。

中高年になると親への怒りが湧き出す理由

女性に限ったことではありませんが、40代くらいになって、「自分の親が毒親だった」などと昔のことをどんどん思い出して、「怒りが止められなくなってしまう」という相談は、決して珍しくありません。むしろよくあるケースです。単に親に対する怒りだけでなく、親に怒ってしまう、根に持ってしまう自分を責めてしまうところもあるので、一層つらいのです。

高齢の母親と成長した娘は別々にソファに座る
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その背景にはやはり「疲労」の影響があることが多いようです。

加齢とともに体力が低下しているのに、仕事における責任、社会における役割は大きくなり、中高年はどうしてもエネルギーが不足した状態になりがちです。Fさんのようにそこに出産・子育てなどという大変なライフイベントが重なると、漠然としたイライラが始まり、その原因をあれこれ考えるうちに、中には、心の棚にしまってあった親への記憶に行き着く人が出てきます。

下園壮太『自衛隊メンタル教官が教える イライラ・怒りをとる技術』(朝日新書)
下園壮太『自衛隊メンタル教官が教える イライラ・怒りをとる技術』(朝日新書)

心の棚のうち、「親」に関するコーナーには、誰でも、わりと多くの記憶が保管されています。探せば探すほど、どんな人でも、いろいろなエピソードが出てきます。親からのしつけは子どもにとって苦痛であることが多いので、「攻撃された」経験として記憶されます。また「つらいときにわかってくれなかった、守ってくれなかった」ことも強烈な防衛記憶として残りがちです。

これらの原始人モードでの「記憶」は、ネガティブな情報ほどイメージが拡大されています。文字がなかった時代、危険な情報、悪い情報ほどしっかりと覚えて伝えていく必要があったからです。だから人間はネガティブな思い出ほど、よく記憶され、また鮮やかに思い出してしまうものなのです。しかも、弱ったときは、過去のつらい記憶にアクセスしやすくもなります。過去の危険を思い出し、今の自分を守るためです。

さらに記憶は、思い返しの度に加工されていくことが知られています。たまたま思い出した嫌な記憶は、思い出した直後、つらい体感を伴っています。この状態では、危険な部分が強調されています。落ち着いて再検討すれば、違う見方が生まれてくるものです。それを狙うのがカウンセリングです。

ところが、一人で考えていると、危険な部分だけを「見て」、嫌な気持ちを消すために、「忘れてしまう」という対策をとってしまいます。冷静な分析まで届かないばかりか、嫌な部分を何度も反復してしまうので、嫌なところだけが拡大された記憶に加工されてしまうのです。先に紹介した防衛記憶、恨みの記憶が育つメカニズムです。

恨みを持つ自分を責めないで

親への怒りは、親への思いが薄いから生じるのではありません。記憶への対応が十分ではなかっただけのことです。「親への恨みを止められない」と自分を責める必要はないのです。

また、「記憶(恨み)」は薄らぐことはあっても、消去することはまず難しいと考えてください。上手に「上書き」するには、大変な時間と手間がかかり、よほど運に恵まれるか、腕の良いカウンセラーやセラピストのサポートがないと、なかなか達成されないでしょう。

恨めしい記憶を落ち着かせる唯一の対処法とは

ネガティブな記憶はあれこれいじるよりも、自分の関心を他にそらしてしまうほうが得策です。具体的には、親と距離を取る、親子以外の他の人間関係を充実させる、楽しい趣味に没頭する、などです。親関係の刺激が入ると、どうしても記憶にアクセスしてしまいます。その頻度を下げることで、記憶の棚に向かう回数も減らせるでしょう。と同時に、日々の生活の中で、ご自身の疲労ケアに努めることは大前提です。

Fさんはカウンセリングを進めるうちに、私が説明するメカニズムを理解し、体調管理、特に睡眠を第一に生活してみました。すると、次第に気持ちが落ちつき、お母さんにもあまり振り回されなくなったといいます。

さらにそのうえで、自分にとって大切なことは、お母さんのことよりも、子どもとの関係だと気づいたようです。今は子どもに安心してもらうためにも、自分ケアということを忘れないように生活しているそうです