辞めようと思ったことはない
ポーラの店舗で接客を担う女性たちには「定年」がない。全国に約3200店のポーラショップがあり、ビューティーディレクター(販売員)は約3万3000人いる。そのうち70代は約14.1%、80代が約7.1%、さらに約1.1%が90代の女性だという(2021年12月末現在)。
なかでもトップクラスの販売実績を収め、生涯売り上げ10億円という記録を達成したのが桧山八重さん(92)だ。現役のショップオーナーとして活躍する桧山さんを訪ねて、千葉県船橋市にあるポーラショップヘ。すると店内には、長年一緒に働いてきたメンバーも集い、和気あいあいと笑い声があふれている。彼女たちの平均年齢はなんと78歳、その若々しさに圧倒された。
「良い仲間がいっぱいいるから、私もお店へ来るのはおっくうじゃないの。この仕事が好きだから、辞めようと思ったことはないわね」
仲間を率いる最年長の桧山さんもお肌は艶やかで、はつらつとした笑みをたたえた人。凄腕のオーナーというだけに、さぞや……と緊張していたが、すっと包み込んでくれるような温かさがある。
一人で子どもを育てる決意をした
もともとポーラへ入る前は、東京・霞が関の農林省に長く勤めていたという桧山さん。茨城で農家の娘として育ち、水戸の女学校を卒業後、農林省にいる従兄の勧めで入省。
庶務をこなすOL生活を送っていた。その後、ポーラのビューティーディレクターになったのは41歳のとき。40代で転職したのは、どんなきっかけがあったのか。桧山さんは言葉少なにこう答える。
「子どもを預かってくれる託児所があるというので、ポーラに入ったの」
桧山さんは37歳で男児を出産し、シングルマザーとして一人で子どもを育てる決意をしたのだ。
新人の頃は飛び込み訪問が怖かった
美容は好きだったので、農林省時代から手に職をつけたくて美容学校へ通っていた。着付けや日本髪を結う結髪師の免許を取得し、美顔術も習った。シングルマザーになったことで、一人で子育てしながら働くためには自分で美容教室を開こうと思い立つ。そんなとき、たまたま友達に誘われて参加したのがポーラの講習会だった。
かつてポーラの販売員は「ポーラレディ」と呼ばれていた。化粧品を業務委託して販売する個人事業主になるという働き方で、家庭を持つ女性たちに人気があった。子育てとの両立にも手厚く、夕方5時まで預かってくれる託児所が完備されていた。
桧山さんは美容の仕事にも引かれて登録し、船橋市にあるポーラ高砂というショップで働くことになった。当時、このショップでは毎日勉強会が開かれ、訪問販売での挨拶やアプローチの仕方など、10カ条ほどある接客術を指導される。ポーラレディは専用バスで目的地の街を訪れ、各自がそれぞれ一軒ずつ個人宅を訪問するのだ。
新人の頃は飛び込みで知らないお宅を訪ねるのが怖かった。門の前に立っても「どうやって入ろうかしら」とためらい、チャイムを押しても「誰も出てこなかったらいいのに……」と弱気になることもあった。
一生懸命やっても販売につながらず、涙することも
「私は美容の技術を身に付けていたので、お客さまにまず奉仕することを心がけました。お肌のお手入れをして差し上げて。お手入れの代金はいただくことなく、それは奉仕の気持ちですね。お客さまと親しくなると『またやってね』と頼まれ、通っているうちに商品の販売にもつながっていくんです」
桧山さんが心がける「奉仕」とは、ポーラ創業者の理念である。創業者の鈴木忍氏は化学者でもあり、妻の手荒れのために独学で作ったハンドクリームがポーラの原点になった。鈴木氏は「最上のものを一人ひとりにあったお手入れとともに直接お手渡ししたい」と考え、「美容を販売し、商品を奉仕せよ」と提唱。お客さまにはまず美容のお手入れをすることで奉仕せよと勧めた。ポーラレディになった桧山さんもその教えを忠実に実践してきたのである。
上司の指導は厳しく、お客さまにどう向き合うべきか、奉仕の精神についても徹底的に考えさせられた。一生懸命やっていても販売につながらず、怒られることも多かった。悔しくて涙が出ることもあったが、指導された通りにやって商品が売れると、その大切さが身に染みていく。毎日繰り返していくうちに、お客さまもどんどん増えていった。
ご飯だけはいっぱい炊いておいた
仕事に追われながら、桧山さんは一人で子育てもしなければならない。幼い頃は保育園に預け、帰りが遅くなっても子どもを見てもらえたが、小学生になると放課後に一人で留守番させるのが心配だった。
「私は息子に『お友達がうちへ遊びに来てもいいよ』と言って、わが家を開放していました。お友達と一緒に遊んでいれば寂しくないでしょう。子どもは空腹でいると何をするかわからないので、おなかはいつでも満たせるように、ご飯だけはいっぱい炊いておくの。おかずも何かしら用意しておくと、みんなで食べられるもの。私が家に帰ると、お釜に何も残っていないこともあったけれどね(笑)。とにかくご飯だけは欠かさないようにと、絶対に守りましたよ」
桧山さんはポーラで働き始めてから、車の運転免許を取った。当時はまだ自家用車でセールスに行く女性も珍しかったが、一人で自由に動けるのでフットワークはより軽くなった。子どもが学校帰りに塾がある日は仕事の合間に迎えに行く。夜、お客さまの家に商品を届けなければいけないときは、子どもを一緒に乗せていくこともあった。
着付けや日本髪を結う技術がすべて生かされた
当時の仕事ぶりを聞いていると、子育ての両立はやはり体力的にも辛かったのではないかと思う。だが、桧山さんは淡々と振り返る。
「私、田舎育ちだから健康なのね。現場が楽しかったから、辛さも忘れちゃうのかな」
お客さまから「商品が無くなったんだけど、いつ来てくれる?」と連絡があれば、土日や休日でもすぐに訪問する。お子さんの七五三や成人式に支度を頼まれると、朝5時起きをして車で駆けつけ、無償で着付けをするのもいとわなかった。
「私は着付けや日本髪を結うこともできるから、それが全部生かされたの。お客さまに喜んでいただけることは嬉しいじゃないですか。やっぱり大事なのは信頼を築くこと。お客さまとの人間関係が楽しければ、仕事も辛くないのね」
54歳にしてショップオーナーに
毎月の売り上げ目標を設定し、お互いに切磋琢磨して達成を目指す。桧山さんはトップクラスの成績を守り、月商500万円を達成したこともあった。支店では功績を高く評価され、50代にして自分のお店をもつ「ショップオーナー」に推薦され、1983年8月、桧山さんは54歳でショップオーナーになった。支店長は「少年よ、大志を抱け」という期待を込めて、新しいショップに「大志」と名づけてくれた。
「毎日休まずコツコツと真面目にやっていれば、お客さまはついてきてくださるから」
オーナーになっても変わらず、黙々と日々努力を重ねる桧山さん。
ショップでは、かつて顧客だった人がビューティーディレクターになるケースも多かったという。長年、桧山さんと同じ支店でともに働いてきた土谷弘子さん(84)はこう語る。
「桧山さんの姿を見て、こういうふうになりたいと憧れるのでしょう。お客さまの立場になって、いかにきれいにして差し上げるかということに心を尽くされる方。お手入れをしたり、いろいろ美容のアドバイスをしたり、気持ちが伝わるから、お客さまからとても慕われているんですね」
人生相談に乗ることも
当時は、新規開拓に絞って一時的に成績を上げる販売員もいたが、最終的に長く成績を維持できるのは顧客を大事にする後者のほうだった。桧山さんは目の前にいる顧客を大切に思い、きめ細かいフォローをしてきたからこそ長いお付き合いが続いている。そして、信頼のおける仲間と時には議論を重ねながらも、支えあえる環境があったからこそ長く仕事を続けられたという。
「桧山さんはお客さまのフォローがすごく細やかで、コツコツと通うことを大事にしています。だから、お客さまの方から『会いたい』と電話がかかってきますし、いろんな人生相談にもよく乗っていましたね」と土谷さん。
80代半ばからフィットネスジムに通い、体力づくり
桧山さんが生涯売上累計10億円を達成したのは2018年。89歳のときだった。東京・お台場のホテルでポーラの表彰式が開かれ、全国でも歴代2位の実績をたたえられた。
その翌年、桧山さんは90歳の誕生日を迎えた。実はポーラの創業と同じ年の生まれで、ポーラも90周年を迎えたのだ。さぞや感慨も大きかったのではと思うが、桧山さんは「あら、いつのまにか90歳になっていたのよね」と朗らかに笑う。
現在も、商品の資料や売り上げ数字のデータは抜かりなくチェックし、ショップ経営に求められる高い基準を守り続けている。
今、92歳にして、自身の身体も健康そのものという。健康のために気をつけているのは食生活、毎日3度の食事は栄養のバランスを考えてちゃんと作ることを欠かさない。「快食、快便、快眠が大事」という桧山さん。80代半ばからフィットネスジムにも通い、マシンのトレーニングで筋力を鍛えている。仕事のペースは一日おきにショップヘ通い、通勤では30分ほど歩く。息子が独立して家庭を持ってからはずっと一人暮らしなので、休日はこまごまとした家事や庭の手入れも自分でやっている。広い庭いっぱいに花を育てるのが楽しみという。
老いへの不安がないのは、そんな暇がないから
90代で現役ショップオーナー、仕事も日々の暮らしもフル稼働。きっと「老後」という感覚などないのかもしれない。年齢を重ねることの怖さ、老後の人生への不安を抱える人たちも多いけれど、桧山さんはどう思っているのだろうか。
「私は仕事をして、ご飯を食べて、お花を育てて……やることがいっぱいあるからマイナスのことは考えない。それは仕事じゃなくても、自分がこよなく愛するものがあればいい。お花もちゃんと手入れすれば、きれいにどんどん咲いていくでしょう。そう思ったら、余計なことを考えている暇なんてないもの」
もともと一人で子どもを育てるために飛び込んだ美容の世界。その道をトップで走り続けるには並大抵ではない苦労や辛さもあったことだろう。だが、それを乗り越えられたのはやはりお客さまを大事にしたいという思いがあったから。今でも桧山さんを慕う顧客は70人を超え、母から娘その子へと3世代にわたる家族もいる。
「今も大切なお客さまがいるから、自然にお店へ足が向いてしまうのね」
だから、桧山さんには「引退」もない。