四半世紀にわたって議論されながら、いまだ結論が出ない選択的夫婦別姓の議論。長く政治部記者として活躍してきた佐藤千矢子さんは「この問題に賛成するか反対するかは、私にとって『オッサン』(オッサン予備軍を含む)かどうかを判断するリトマス試験紙のような役割を果たしている」という――。

※本稿は、佐藤 千矢子『オッサンの壁』(講談社現代新書)の一部を再編集したものです。

婚姻届と一対の結婚指輪
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進まない選択的夫婦別姓の議論

選択的夫婦別姓について、ご存じの方も多いと思うが、ここで少し説明しておきたい。

法律を改正して、夫婦が同じ名字でも、結婚前の別々の名字でも、自由に選べるようにする制度のことだ。

現在、民法と戸籍法では、夫婦は婚姻時にいずれかが姓を改めなければならないという夫婦同姓制度が採用されている。夫婦のどちらが改姓してもいいのだが、実際には圧倒的に女性が改姓することが多い。これが男女の差別につながり、憲法が定める「法の下の平等」(14条)や「婚姻の自由」(24条)に違反するのではないか、という議論が続いてきた。

選択的夫婦別姓の記事を書くと、読者から「自分は専業主婦で入籍して夫の姓になったが、なぜ同姓ではいけないのか」というお手紙をいただくことがある。大事なのは、あくまでも「選択的」であるということだ。同姓にしたい人は、もちろん同姓にすればいい。

だが、夫の姓になることで社会的に「生きづらさ」を感じるような人にまで、同姓を強制するのは問題があるのではないか、別姓を選べるようにするべきではないのか、という議論だ。

議論が始まってから25年以上が経過

法相の諮問機関の法制審議会は、すでに1996年に選択的夫婦別姓の導入を求めている。それから四半世紀がたつが、棚ざらし状態にある。2021年6月の最高裁判決は、2015年の最高裁判決を踏襲して、夫婦同姓を定める民法と戸籍法について合憲との判断をくだす一方で、夫婦の氏の制度のあり方について、国会で議論して判断するように求めた。野党のほか与党の公明党も導入に賛成しているが、自民党内に「伝統的な家族の形が崩壊する」などと反対論が根強いため、国会での議論が進まない。

2021年度から5年間の政府の第5次男女共同参画基本計画では、第4次計画まで盛り込まれていた「選択的夫婦別姓」の文言が自民党保守派の反対で消えてしまった。政府は、第5次計画策定にあたって、選択的夫婦別姓の文言を削除したうえで、具体的な制度について「政府においても必要な対応を進める」という案を自民党に示したが、党内の議論の末に「夫婦の氏に関する具体的な制度のあり方に関し、(中略)さらなる検討を進める」という形に表現は大幅に後退・修正させられた。

野田聖子氏の掲げた目標

総裁選ではこの問題を含め「ジェンダー・多様性」について、議論が行われた。総裁選告示の前日になって、野田聖子氏が立候補した効果が大きかった。

野田氏は、障害がある子どもがいて、女性、子育て、障害者などの問題に取り組んできたことで知られる政治家だ。選択的夫婦別姓の導入に賛成で、積極的に推進している。「政治分野における男女共同参画の推進に関する法律」(通称・候補者男女均等法)は、政党が国政選挙や地方選挙で候補者の数をできる限り男女均等にするよう努力義務を定めた法律で、2018年に施行されたが、その制定にも尽力した。

野田氏は、総裁選立候補の理由について「人口減少や高齢化の中で、次の日本をつくるためにこれまで主役になれなかった女性、子ども、高齢者、障害者がしっかりとこの社会の中で生きていける、生きる価値があるんだという保守の政治を自民党の中でつくり上げていきたい」と語った。

政府の目標を軽々と飛び越えた

そして「日本初の女性の総理になったら、社会のパラダイムシフトを一気に加速させる。まず政治から変えていくということで、野田内閣の女性閣僚は全体の半分になるように目指していく。実はもうすでに意中の人たちのリストは私の心の中にある」と述べて、多くの人たちを驚かせた。

政府は「2020年代の可能な限り早期に(指導的地位に占める女性の割合が)30%程度となるよう目指して取組を進める」という目標を掲げている。これでさえ、かつての「社会のあらゆる分野において、2020年までに、指導的地位に占める女性の割合が、少なくとも30%程度になるよう期待する」という「202030目標」をさらに先送りしたものなのだが、野田氏の主張は政府目標を軽々と飛び越えて見せた。

「30%」目標は、「黄金の3割」や「クリティカル・マス」の考え方がベースになっているが、野田氏の「閣僚の半分を女性に」との主張は、男女同数を目指す「パリテ」という考え方がもとになっているのだろう。パリテは、同質・同量を意味する仏語で、フランスでは2000年に「パリテ法」が制定され、国政と地方のほぼすべての選挙で、政党の候補者を男女同数にすることが義務づけられた。

高市早苗と野田聖子のスタンスの違い

野田氏と高市氏は、ともに1993年衆院選で初当選した同期で、年齢も高市氏が早生まれで数カ月だけ若いが学年は同じだ。けれども、政治姿勢や政策は対照的に見える。

佐藤 千矢子『オッサンの壁』(講談社現代新書)
佐藤 千矢子『オッサンの壁』(講談社現代新書)

野田氏は「多様性という視点を武器に総裁選をしっかり戦う」と宣言したように、女性の視点を前面に打ち出し、立ち位置はリベラルだ。

高市氏は、自民党の中でもかなり保守派の政治家だ。総裁選では、防衛費の大幅増額を主張し、経済政策では「アベノミクス」を継承した「サナエノミクス」を掲げ、積極的な財政出動をさらに進めると打ち出した。目標とする政治家は、英国初の女性首相であり「鉄の女」と呼ばれたマーガレット・サッチャー氏である。女性であることを武器にせず、防衛問題にも比較的詳しい、強い女性政治家が高市氏のイメージだ。

しかし、一方で両氏が似ていると思うこともある。有力な男性政治家に引き立てられて、ここまでたどり着いたという点だ。最近では野田氏は、古賀誠元幹事長や二階俊博元幹事長、高市氏は安倍晋三元首相らの支援を受けてきた。特に2021年総裁選への両氏の立候補は、野田氏にとっては二階氏、高市氏にとっては安倍氏の支援なしには、実現しなかっただろう。

もちろん男性の政治家の場合でもそういうことはある。両氏とも無派閥ということも影響しているだろう。ただ、両氏には、同世代の女性政治家として共通の苦労があるように見える。まだ「政治は男のもの」という意識が根強く、女性の政治家が一人前に扱われない時代にあって、自民党内で女性政治家が階段を上っていくには、これまでは有力な男性政治家の支援を受けるやり方しかなかったのかもしれない。

「鉄の女」か「母」か

複数の女性候補が出馬してよかったと思う反面、対照的なようで、どこか似ている2人しか出られなかったことには、違和感を覚えたのも正直なところだ。

女性であることを前面に押し出し、女性や子ども政策に詳しい母親の野田氏と、男性優位社会に同調しつつ出世を重ねてきた強い女のイメージが売りの高市氏。

この2人以外にも、政策全般をよく勉強し、立ち位置が極端な保守やリベラルに偏らない女性の政治家が、もう1人出てほしかったと思う。

もやもやした気持ちを抱いていたところ、作家の北原みのり氏がそのことを見事に解説していた。

2021年10月22日朝日新聞のオピニオン面で、「『鉄の女』か『母』かの苦しさ」との見出しで、「女性はどちらかにならないといけないのかと苦しくなる」「でも、女性の数が増えることで変わっていく」「数が少ないから、まず『女性であること』があり、そして、その『女性らしさ』を本人の態度や政策などでジャッジし、女性同士を分断してしまう」と述べている。

総裁選出馬の4名は選択的夫婦別姓をどう考えたか

選択的夫婦別姓の話に戻ろう。自民党総裁選は、退陣を表明した菅義偉首相の次の首相を事実上、決める選挙とあって、「メディア・ジャック」と評されるほど、連日大きく報道された。選択的夫婦別姓問題も大きなテーマになったが、時間的な制約や紙面上の制約もあり、他の政策との比較でこの問題を丁寧に扱ったものは、残念ながらそんなに多くはない。その中で、総裁選告示日の2021年9月17日、日本テレビの報道番組『news zero』は、選択的夫婦別姓を比較的時間を割いて扱っていたので、それを見てみよう。

この番組に野田聖子氏、高市早苗氏、河野太郎氏、岸田文雄氏が出演。4人の候補者に「賛成」と「反対」の札を持たせて、政策ごとに賛否をまず尋ね、その後に詳しい説明を聞いていった。選択的夫婦別姓について、「賛成」と答えたのは、野田氏と河野太郎氏、「反対」と答えたのは高市氏で、岸田氏は「賛成」「反対」のどちらとも答えなかった。

高市氏は「反対」の説明の中で、総務相時代に住民基本台帳を見直して旧姓も併記できるようにするなど旧姓の「通称使用の拡大」のために全力を尽くし、その結果、住民票や運転免許証、パスポートなどで併記が認められるようになってきたという実績を強調し、これを広げていきたいとの考えを示した。

野田氏は「賛成」で、四半世紀前の法務省の法制審議会で選択的夫婦別姓が求められたことに触れ、「希望すれば同姓も名乗れる、別姓も名乗れる、そういう権利を国民に差し出そうということに何ら問題はない」と述べた。

同じく「賛成」の河野氏は、「社会的な要請があるが、議論がまとまらないものは、国会議員は決めるために選ばれているから、党議拘束を外して国会で議論し、本会議で採決すればいい」と提案した。

トーンダウンした岸田文雄氏

わかりにくかったのが岸田氏だった。「多様な生き方を尊重する、あるいは困っている方がおられるわけだから議論をすることは大事だ。ただ、夫婦の間はいいが、子どもの姓を一緒にするのかバラバラにするのか、いつ決めるのか、誰が決めるのか、十分理解できていない」と語った。

参院内閣委員会で答弁する岸田文雄首相=2022年4月28日午後、国会内
写真=時事通信フォト
参院内閣委員会で答弁する岸田文雄首相=2022年4月28日午後、国会内

岸田氏は、2021年3月に自民党の有志議員が設立した「選択的夫婦別氏制度を早期に実現する議員連盟」の呼びかけ人の一人だ。だが、安倍晋三元首相ら自民党保守派に配慮する必要からか、総裁選では前述のような主張を繰り返し、明らかにトーンダウンした。

選択的夫婦別姓の問題に私がこだわる理由

なぜ選択的夫婦別姓の問題に私がこだわるのか。それは、女性の「生きづらさ」を解決するために、これが「一丁目一番地」のように感じるからだ。

選択的夫婦別姓の問題は、主に女性が結婚とともに夫の姓への改姓を事実上、強制されることによって、社会的に不利益を被る問題として語られることが多い。もちろんその問題は大きい。しかし、それだけではない。氏はその人の人格を構成する重要なアイデンティティの一部だ。改姓に抵抗のない人もいるが、改姓によって、それまでの自分の人生が否定されたように感じる人もいる。この感覚は私には経験はないが、よくわかる気がする。もちろん男性が改姓してもいいわけだが、実際には女性が改姓するケースが96%と圧倒的だ。女性だけが、結婚とともに、改姓を強いられ、自己喪失感を持つという問題を、放置していいはずがない。なぜ女性だけが、生まれながらの姓で生きることが許されないのか、説明がつかない。

改姓した女性が感じた感覚

私の学生時代からの友人で医師の女性は、結婚後しばらくは事実婚だったが、結婚から10年たったころ事情があって入籍した。医師免許も改姓し、旧姓を通称として使って仕事をしている。後になって医師免許証は旧姓使用ができることを知ったが、当時、不勉強でそのことを知らない県庁の役人に言われるままに改姓手続きをしてしまったという。

「結婚に伴う改姓について女性のコメントが、ある日、新聞に掲載されていた。銀行や運転免許証、一つ一つ改姓の手続きをするたびに自分が消えていく感じがする、と書かれていた。

『ああ、まさにその感覚』と思った。何とも言えない喪失感。旧姓時代に築いてきたキャリアやそれに至るまでの受験勉強も含めた努力が消えちゃうんだよ。この名前で頑張ってきた自分を、自分で抹消しなくちゃいけないなんて悲しいよね」と友人は言う。

反対派の意見

選択的夫婦別姓の導入に反対する人たちは、「家族の絆」や「日本の伝統」が崩れると主張する。しかし、法務省は「結婚後に夫婦のいずれかの氏を選択しなければならない制度を採用している国は日本だけ」と認めている。

では、夫婦別姓を認めている諸外国で、そのことが理由で「家族の絆」が壊れているのだろうか。

「日本の伝統」にしても、夫婦が同じ氏を名乗ることが定着したのは、たかだか明治時代以降のことだ。明治31年(1898年)に施行された戦前の民法で、家制度のもと、戸主と家族は家の氏を名乗るとされ、その結果、夫婦が同じ氏を称する制度が採用された。戦後の民法改正で家制度は廃止されたが、夫婦同氏制度が残ってしまったのだ。

政府の審議会が導入を求め、国民側の意識も進んで選択的夫婦別姓への賛成の声が増えているのに、国会がそれに追いついていないのではないか。

オッサンのリトマス試験紙

私は男性優位に設計された社会でその居心地の良さに安住し、意識的にも無意識のうちにも現状維持を望むあまり、変化に適応できない人を「オッサン」と称しているが、これだけ選択的夫婦別姓容認派が多数を占めてもなお、「家族の絆」や「日本の伝統」を理由に「選択的に」夫婦別姓を認めることにさえ反対するのは、年長の男性が家庭で権力を持つ「家父長制」や性別役割分担の意識に縛られた「オッサンの壁」の象徴のように思える。

立法府で重い責任を負う国会議員たちが、この問題に賛成するか反対するかは、私にとって「オッサン」(オッサン予備軍を含む)かどうかを判断するリトマス試験紙のような役割を果たしている。だから、こだわらざるを得ない。男性の既得権、もっとやわらかく言えば、男性が生まれながらにはいている「下駄」に気づかず、男性優位社会を当たり前のこととして守ろうとする「オッサンの壁」が、多くの人たちの幸せを奪っているのではないだろうか。選択的夫婦別姓問題はそのわかりやすい例のように思う。