関係者と心を通わせるため、賢く言葉を選びたい
建築家という職業を想像すると、どんな姿が思い浮かぶでしょうか。スケッチブックにデザイン画を起こしたり、PCを前に図面を引いたり……そんな像が浮かぶかもしれません。でもそれらは実務のごく一部。実際は、クライアントから発注された案件に対し、構造、エネルギー、照明、ランドスケープなど、さまざまな専門家と手を携え、何度も議論を重ね、建築物へと昇華させていく。そんな総合プロデューサーのような役割を果たしています。
そこでいつも心を砕いているのが「伝える」ことです。それぞれ専門分野をもつプロ中のプロたちと、ゴールに向かってどうコラボレートしていくのか。お互いの心の関係が形になっていく仕事ならではです。
まず心がけているのが、「クリシェ(常套句)を使わないこと」。仕事はもちろん結婚式のスピーチや乾杯の挨拶も同様で、限られた時間のなかで使う言葉は、自分が本当に感じたものだけを使います。これは、ニューヨークや台北などずっと長く海外にいて、ディスコミュニケーションの不自由さと苦労が身に染みているからかもしれません。心からの言葉を紡ぐことで、人と人との距離はグッと近づく。そのことを身をもって経験してきたからなのです。
さらに意識しているのは「伝える相手によって使う言語を変える」ということ。プロジェクトが立ち上がった際、コンセプトから完成イメージまで、各者に等しく伝え、共有することは最重要事項です。
ただクライアントに説明するのと、塗装の職人と打ち合わせるのとでは、使う言語はまったく違います。クライアントには、数字や別プロジェクトとの比較資料が役立つでしょうし、塗装の職人には材料や技術のディテールの話が必要になるでしょう。どんなテンションでどんな言語を選ぶと相手が納得するのか、やる気を出してもらえるのか。お互いにクオリティーの高い仕事をするために「相手に響く共通言語を選び抜く」ことも建築家の重要な仕事なのです。
知りたいという欲求が相手の心の扉を開く
相手に響く共通言語を磨くために、「教えてもらう姿勢」をとても大切にしています。私は建築のみならず、土木の仕事にも携わっていますが、最初はずっと「建築の人間にはわからないでしょう」と異物扱いされてきました。
専門用語も図面の描き方も勝手が違い、だからこそ心から教えてほしいと思いました。ていねいに相手の世界に入り込み、その視点で見渡すことを、何度も何度も繰り返す。するとようやく会話が始まり、相手の言語で話せるようになります。
私はコミュニケーションが決して得意な人間ではありません。でも「知る」ことに関しては誰よりも貪欲。本当に学びたい人間には、人は胸を開いてくれるものです。
建築という分野には、ある意味ゴールがありません。時代をそのまま写し取りつつ未来へつなぐのが建築で、脱炭素や資材の限界、職人不足など、現在の社会問題がそのまま課題になり、どんどん新しい命題が生まれているのです。
過去の知識のままでは通用しないこと、そして自分はまだまだ学べることをもっと自覚したい。そうして得た知識を、また専門分野のプロたちと「伝え合う」。その循環を大切にしたいと思っています。
伝え方賢者の愛用品
左/感謝の気持ちは手書きの文字でしたためて、お礼状を出すのが松岡さん流。ペリカンの万年筆を愛用。右/建築事務所と不動産会社、ふたつの会社を経営しているため、それぞれのロゴが入ったカードを用意。