※本稿は、岡田憲治『政治学者、PTA会長になる』(毎日新聞出版)の一部を再編集したものです。
コロナがあぶり出した不要不急のあれこれ
一斉休校から3カ月ぐらいは、僕たちは「どうしたものか? 何をすればいいのか? このままどうなってしまうのか?」とひたすら「?」の日々を送っていたが、役員さんたちからのLINEに「○○とか○○も、やっぱり中止だし、ナシってことですよね?」という相談が増えてくる度に、当たり前のことに気がついたのだった。これは、PTAに限らず、日本中、世界中で起こった「○○って、つまりは必要なかったってことじゃん」というたくさんの「不要不急なものたちの発見」である。
「会えない時間が愛育てるのさ」と歌ったのは郷ひろみだが、「会えない」という事実と条件が、「会えなくても伝え合うやり方」を工夫させ、それは今までの非効率的な、みんなが気づいているのに誰一人として面倒臭がって「それ止めません?」と言えなかった改革に多くの人たちを導いたのだった。
PTAのアナログさにイライラ
PTA会長になった当初から、もう本当に僕をイライラさせてきたことの筆頭が、いわゆる「学校便」というシステムだった。教員室の前の廊下にあるPTAの棚やボックスに、ありとあらゆる種類の「学校便」と名付けられたチャック付きだったり、封筒だったりする書類入れがあり、そこに「○○小学校PTA会長↑↓△△小学校PTA会長」とか、「○○区PTA連合協議会宛」などと紙が貼ってあり、その中に各種会合のお知らせと、「出欠確認書」というものが入っている。このファイル便を事務所にある黒いバッグに入れておくと、宛先の学校や事務所に届けてくれるという仕組みだ。もちろん届けてくれた人には感謝する。でも、この作業は、メールとファイル添付とグーグル・フォームを使って、パソコンの前で全部終わるものだ。
どうして出欠確認をしなければならないのか
とりわけ僕のストレスをマックスにさせたのは、どんな些細な会合においても必ず尋ねられる「出欠確認」だ。ひどいものになると、「出席なさる役員さんのお名前とメールアドレスをお書きください」なんて書いてある。じゃあ、最初からその会合に出席する立場と思われる人のメーリングリストを作っておいて、一斉に流して個別に返事をメールでもらう、あるいは、グーグル・フォームでザーッと流して、1分で返事をリターンしてもらえば、それで終わりじゃないか?
メールもSNSも一般化していない二十世紀のやり方を一ミリも変えないで放置してきたから、「学校便のファイルを確認して書き込みをして、送り返す」というコミュニケーションを取るために、わざわざ学校まで「物理的に移動」しなければならないのだ。
そもそもどうしてそんなに出欠確認が必要なのかが僕にはさっぱりわからない。本業を別に持っているボランティア活動なんだから、行ける人は来る、行けない人は来ない、それだけであって、あの執拗なまでに出欠を知りたがる慣習は何なのか? 聞いてみると、「出席者の数がわからないとお茶の用意とか、書類のコピー数とかがわからなくて困るし、ネームプレートの用意もありますし」とのことだ。要らないよ。そんなもん。お茶なんて自分で持ってくるし、コピーなんてメールに添付すれば不要だ。ネームプレート? 首から各人がカードぶら下げればいいじゃん。
合理的なやり方に変えたくても、誰も言い出さない
そして、そういうトホホなもの「そのもの」よりも、僕がイライラしたのは、いつも通り「そういうことはもう止めて、合理的なやり方に変えたい」と、ほとんどの人たちが思っているのに、誰もそれを言い出さないことだった。
こらえ性のない僕が結局口を開く。区の連合体の役員さんなど、そういうこれまでのやり方を、僕の要求通りに勝手に変えたら、まわりから何言われるかわからないと忖度して、もう判断不能となって、それも面倒臭いから、「なんで文句つけるんですか?」と関係は険悪になる。どちらも「もう本当にアホくさい」と思っているのに!
だから学校便は、2年目の任期中に、わざとほとんど無視した。無視することで意志を示すということだ。
前会長が出席していた会合一覧表のほとんどすべてが、「別に行かなくてもとくに何の問題も生じなかった」ことが明らかになったのも、コロナ下の状況だった。3年も会長をやって、結局、いまだにどこが主催している、何のための、何を決めるための会合なのかもわからない、覚えていない会合が本当にたくさんあった。
そもそも、コミュニティ・スクールなどという看板を掲げているものだから、小学校のPTA会長の僕が、同じエリアにある「中学校」の学校運営委員会に出席することが設定されているのだ。もちろん地域にある中学校だから無関係ではない。しかし、うちの学校の6年生のうち男子は半分近く、女子は8割が中学受験で他の私立中学校に行ってしまうから、私学進学者がクラスに3人くらいだった僕たちの子供時代とは公立学校のつながりの事情が異なっている。
実は不要不急なものばかりだったPTA会長のルーティンワーク
そしてまたこの中学校運営委員会が、常に金曜日の早めの夕方に招集されるのだ。理由は、その中学校の副校長の手隙の時間をそこに充てがうからだ。そこ以外だと、中学の副校長の日常が回らない。
でも、どうして同じくフルタイム・ワーカーの僕が、自分の子供が通っていない隣の中学校の学校運営委員会に出席して、「今度の体育祭について」とか「健康診断の日程の変更について」なんていう話を聞いてメモを取らねばならないのか? その時間、こっちも仕事で授業中だよ。結局、隣接中学の学校運営委員会には3年間、ただの一度も出席しなかった。次期会長にも「仕事とかぶったら一切行かなくても何の問題もないよ」と引き継いだ。いや、引き継がなかった。
ここに書き切れないほどの「いったいこれまで何のためにあったのかもまったく検証されずに惰性でルーティーン化されていた会合」が、「ほとんど必要ないと言ってもいいぐらいのものだった」ことを教えてくれたのが、新型ウイルス感染症パンデミックだったのだ。
「何のためにこんなことやっているんですか?」と尋ねてもまったく埒が明かなかったいろいろなものが、「コロナですから」の七文字で、スーッと、全部、簡単に、あっけなく、「やらなくてもどうってことないのね」となった。拍子抜けとはこういうことを指すのだ。
任意団体であるPTAなんて止めてしまってもいいけれど……
日本中の街で、PTAは「うまくいかない」と嘆かれ、怨嗟の的となって、忌避されて、それでいて、今もなおものすごい数の人々の生活を巻き込んでいる。
これをどうしても何とかしたいと思うなら、単純だが、王道の解決法がある。それは、PTAなんて「止めてしまう」ことだ。嫌なら止めればいい。誰にも頼まれていないのだから。任意団体だからだ。でも、みんな止めない。いや、止めないのではない。「止められない」、もっと正確には「止めたいと言い出せない」のだ。
僕がPTA会長の3年間で、毎日友人たちを見ながら心に用意していた言葉はこのことだ。
「そんなに不幸な気持ちになるなら、やらなくていいんだよ」
そして、それは同時に「幸せな気持ちになるならやろうよ」という意味だった。自分の損得を超えて「やってあげたい」という気持ちは、思いがけずも多くの人たちが持っているものだからだ。