自分が正しいと思えば、相手の心情も考えずに徹底的にやり込める。身近にそんなパワハラ上司やクレーマー社員はいないだろうか。メンタルヘルスの専門家・見波利幸さんは「理不尽な行動の裏側には、幸福度の低さとアンコンシャスバイアスがある」という――。
指を指して激しく叱責する女性と困惑する女性
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理不尽なクレームの本当の目的はストレス発散

事実に基づく苦情や要求=クレームは非難されるべきものではなく、商品やサービスの質向上にも役立つものです。しかし、クレームをつける人、クレーマーという言葉になると、その印象は随分と変わります。「自分の感情を優先させて理不尽な要求を通そうとする人」というニュアンスが強くなり、できることなら関わりたくない厄介な人の代名詞に。

クレーマーにはさまざまなタイプ、立場の人がいますが、一つ、共通していることがあります。それは現状に大きな不満を感じていることです。家庭、仕事、人間関係、お金……、どこかに「こんな状況に置かれている自分は不幸だ」という強い不満があって、常にその吐口を求めている。叩けそうなもの、糾弾できそうなものを見つけては、「あなたは間違っている!」「この会社は、商品は、サービスはおかしい!」と難癖をつけることでストレスを発散しているのです。

ストレス状態にある人の中でクレーマー化するのは1割程度

現代はストレス社会であるとはよく言われますが、その現代においても特にここ数年はその状況に拍車がかかっている、と考えられます。コロナ禍や不安定な世界情勢などに大きな不安、鬱憤、ストレスを抱えている人が増えていることは間違いないでしょう。そうしたなか、クレーマーの被害も増加傾向にあるように感じています。

もちろん、ストレスにさらされているすべての人がクレーマー化するわけではありません。これまで多くの相談にあたってきた肌感覚からは、悪質なクレーマーとなってしまうのは、強いストレスにさらされている人の中でも1割ほど。匿名性を盾にしてネットで誹謗中傷を繰り返したり、客という立場を笠に着て店員を執拗しつように叱責したり、コロナ禍においては医療従事者を攻撃したり、飲食店に嫌がらせをするような事例も頻発しました。

偏った思い込みがストレスを増幅させる

幸福感が低い人は、なぜクレーマー化しやすいのか。それは、困難を乗り越える力=レジリエンスが低下してしまうからです。

例えば、あなたが企画提案したプロジェクトなのに、別の同僚がリーダーを任されることになったとしましょう。マーケティング調査や資料制作など、誰よりも精魂傾けて準備してきたあなたは、もちろん悔しさも感じるはずです。それでも、多くの人は「プロジェクト成功のために与えられた役割で頑張ろう」と気持ちを切り替えたり、「自分はまだリーダーとなるには力不足ということかもしれない、もっと実力をつけよう」と奮起したりと、この決定だけで自暴自棄になることはないでしょう。

ミーティング中に文句をつける男性と対応する人
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「企画を横取りされた」「私を陥れた」とモンスター気質発動

ところが、もしあなたの根底に「自分は不幸だ」という思いが巣食っていたとすると、捉え方はまったく異なってしまいます。「私は不幸な人間だから、同僚に手柄を取られることになってしまった」「あの同僚が根回しをして、自分を陥れたに違いない」「チームのみんなも私のことをバカにして笑っている」。こうした思考のループにハマってしまうと、抜け出すのは容易ではありません。同僚に「あなた、どんな手を使って取り入ったの?」と言いがかりをつけたり、「どうせ私が企画を立てても横取りされるだけですから!」と投げやりな態度をとるようになったりと、“厄介なクレーマー気質”へと一直線。自ら孤立していってしまうのです。

不幸だと感じている人は、自ら不幸を招いてしまう。これを心理学では、シナリオ効果と言います。自分の人生に対してどんなシナリオを描いているかによって、現実の生活までもが左右されていく。自分は不幸だというシナリオを描いていれば、そのまま不幸へと突き進んでいく。「今は困難に見舞われているが、私ならきっと解決できる。友人や家族も私を信じてくれている」、こんなふうに捉えられれば、逆境を力に変えて乗り越えていくことだってできるはずなのに、思い込みの力とは恐ろしいものです。

職場に潜むクレーマー気質のクセモノたち

私のところに寄せられる相談の中には、自分の意見ばかりを声高に主張するクレーマーに関するものも少なくありません。

社内クレーマーにメンタル不調寸前まで追い込まれたAさんの例をご紹介しましょう。

Aさんが人事部長を務めるメーカーは、株式譲渡によって他業種の企業に買収されました。グループ会社はすべて同じ人事制度にするという方針だったため、Aさんの会社は裁量労働制から固定時間制へと勤務形態を変更。勤怠システムの改定、社員への周知や説明などでAさんは忙殺されることになりますが、膨大な業務より何より最もAさんを悩ませたのが営業部の一般社員Bさんです。

Bさんは「俺たちの会社の業務は、親会社とはまったく違う。勤怠システムを変えるなんて絶対に間違っているし、うまくいくはずがない。社員は全員不満に思っている。なんでも親会社の言いなりなら、お前ら人事部がいる意味はない!」とまくしたてたそう。メール攻撃や就業時間中の呼び出しなどが重なり、Aさんは心身ともにヘトヘトに。私のところにやってきたときには「彼はインテリヤクザです……」ともらしたほどです。

こうした事例は、実は枚挙にいとまがありません。人事異動や評価、残業時間削減への不満、現状を変えることに異を唱える人は多く、一般社員が上長を攻撃する逆パワハラのような事例も散見されます。

誰もが持つ「アンコンシャスバイアス」に注意

自分の意見をしっかり持ち、きちんと伝えることは重要です。しかし、他人の意見に耳を貸さず、一方的に主張するだけではクレーマーと変わりありませんね。

「自分の意見と違う人を徹底的に攻撃する」という行動の根底には、アンコンシャスバイアスが潜んでいると考えられます。アンコンシャスバイアスとは、無意識の偏見のこと。たとえば、「上司はえらい」というアンコンシャスバイアスが強すぎると、必要以上にへりくだったり、反対意見を言えなくなったりします。また、「お客様は絶対だ」というアンコンシャスバイアスがかかっていれば、お店のスタッフに対して高圧的な態度をとることになんの抵抗も感じなくなってしまいます。

アンコンシャスバイアスは、誰もが無意識のうちに持っているものです。しかし、その程度は人それぞれ。多様性を認められない非常に偏った考えを持つ人もいれば、自分のなかにも偏見の芽があることに気づいていてバランスをとれる人もいます。

小手先の研修でパワハラがなくならいワケ

アンコンシャスバイアスは、その人のコミュニケーションパターンに影響を与えます。バイアスが強いと、攻撃的になったり、あるいは消極的になったりと、表現や行動が極端に振れがちになります。バランスがとれている人は、「自分を大切にするから言いたいことはきちんと発言する。けれど、相手も同じように大切な人だから配慮して伝える」ということができます。

自分自身の対人コミュニケーションを振り返り、非主張的、あるいは攻撃的、どちらかに振れやすい傾向があると自覚をしたなら、アンコンシャスバイアスに気づくチャンスです。偏った思い込みに振り回されていたことに思い当たり、ハッとすることがあるかもしれません。

また、自分のコミュニケーションパターンを理解できれば、行動に気をつけることができます。人間関係は、どんな気持ちを持っているかよりも、どんな対応をしたかに左右されるものです。「自分の意見と違うことを言われると爆発してしまうことがあるから、そんなときはひと呼吸置こう」、このような意識を持ち続けていれば、その冷静な対応がその人の人格として周囲から認識されていきます。そして、バランスのとれた行動の積み重ねは、自分自身の偏見をも軽減させていきます。

こうしたアンコンシャスバイアスへの理解なしに、「これを言うとパワハラになる」「こうした行動はNG」という知識だけを研修で教えても、根本的な解決にはなりません。一人ひとりが自分のなかの偏見に気づき、それを意識できるようにすることが、多様性のある職場環境に成長するための条件です。最近では、日本でもアンコンシャスバイアスの研修が取り入れられるようになってきました。アンコンシャスバイアスは、「常識」「当たり前」として普段は意識していないようなものです。自力で気づくのは難しいものだからこそ、正しいアプローチで行動変容につなげていくことが大事です。

クレーマーに左右されない知識を持とう

自分を変えることはできても、人を変えるのは容易ではありません。

もし身近にアンコンシャスバイアスの強いクレーマー、パワハラタイプの人がいる場合は、その偏見に引っ張られないようにすることが肝心です。

「なんでこんな言い方するの?」「どうして自分の意見ばかり押し付けるの?」と、クレーマーやパワハラタイプの言動を理解しようするほど、大きなストレスを引き受けることになります。それよりも「あの人は自分と意見が違うと、途端に攻撃的なコミュニケーションパターンになる人なんだ」と理解して、受け流すほうが得策。

他人のアンコンシャスバイアスを、専門知識がない周囲の人が変えるのは至難の業です。また、職場の人間関係にそこまでの責任を負って労力をかける必要もないはずです。変えることは難しい、でも左右されない。このスタンスを持つことで、自分自身の心を守り、知らずしらずのうちに偏見に染まるリスクを遠ざけましょう。