旧姓併記のパスポート、海外でトラブルに
高市早苗・自民党政調会長が2022年1月12日、共同通信の講演会で、選択的夫婦別姓ではなく旧姓の通称使用拡大を進めるべきだと改めて主張したことが報道されました。
政府は2019年11月、マイナンバーカードや住民票への旧姓併記を可能にしており、当時総務大臣だった高市議員は、閣議後の記者会見で「女性活躍のために実現させた」と述べています。その後も高市議員は「旧姓使用で実生活上、社会生活上、不便を感じることはほぼない」と語ってきました。
しかし2021年12月20日、マイナンバーカードに旧姓を併記している人は、デジタル庁が公開した「新型コロナワクチン接種証明書アプリ」が使えないことがわかりました。バズフィードの報道などによれば、「旧姓併記の場合は『苗字(旧姓)名前』というフォーマットになっていることから、技術的な理由でファーストリリースでは間に合わなかった」といいます。
この不具合は、リリースから1カ月後の今年1月21日になってようやく解消され、旧姓が併記されたマイナンバーカードでもアプリの発行が可能になりました。
ただ、日本語で表記された証明書アプリでは、マイナンバーカードに記載された通り旧姓が併記されますが、英語で表記された海外用では、パスポートに旧姓が併記してあっても、証明書アプリには表示されません。デジタル庁によると「パスポートのICチップに入っている名前(戸籍氏名)しか反映できない。システム改修は今のところ約束できない」とのことでした。パスポート表面に旧姓を記載することはできても、国際規格に合わないため、ICチップに記録することはできないのです。
旧姓併記のパスポートも海外でトラブルになることがあり、外務省も、日本人渡航者が説明に苦慮したり、旅券が本人確認書類と認められなかったりした事例を報告しています。
外務省が、パスポートに旧姓を併記した人に配っているリーフレットには、旧姓の併記は「国際規格に準拠しない例外的な措置である」とはっきり書かれています。そして、パスポートに旧姓が併記してあっても、旧姓で査証(ビザ)や航空券を取得するのは困難と考えられること、旧姓併記について現地の入国管理当局に説明を求められた場合には、渡航者本人が説明しなければならないことなどが明記されています。
高市議員らは、「旧姓併記で不便はない」として、旧姓併記を推進しようとしていますが、既にマイナンバーカードやパスポートで、明らかな不便が生じているわけです。
窓口の職員も「わかりづらくて……」
旧姓の併記は本人に不便を生むだけでなく、行政にも複雑な運用を強いています。
私が、マイナンバーカードに旧姓を併記する手続きをした際、区役所の窓口で担当してくれた職員が「今の制度は、われわれも思うところがありまして……」とつぶやいたことは、とても印象に残っています。
旧姓併記をした後で、やはり併記をやめることにしたり、離婚して旧姓が旧姓でなくなったり、併記する旧姓を別の旧姓に変えようとした時はどうなるのか。資料を基に説明をしてくれた時の一言ですが、担当者本人も「わかりづらくて」と嘆いていました。
2001年に内閣府の男女共同参画会議基本問題専門調査会がまとめた報告によると、住民票、パスポート、国際航空券、運転免許証、健康保険証の運用について、それぞれの所管省庁が「旧姓併記を認めるのは困難」と回答しています。さらに、「旧姓使用を広く浸透させるためには、相当のコスト、労力等を伴う」「行政関係の文書に限っても所管省が多岐にわたっており、足並みをそろえた対応が困難。(旧姓使用を部分的に認めることは、却って他の手続との関係で混乱を生じさせるおそれ)」という指摘も上っていました。
20年後の現在、マイナンバーカードやパスポートの運用で、当時予想された通りの混乱が広がっているわけです。
政府も「マネーロンダリング」のリスクを指摘
2021年12月17日の参議院予算委員会で、林伴子内閣府男女共同参画局長は以下の内容の答弁を行いました。
・本人だけでなく企業や行政にとってもコストや事務負担が大きく経済的にマイナス
・パスポートは旧姓併記が可能となっているが、航空券やビザは戸籍名なので現地で混乱するなど海外の仕事や生活に支障がある
・戸籍名と通称を使い分けることにより、マネーロンダリングなど悪用の懸念がある
・離婚・再婚により複数旧姓のある人も多くなっている
・名前は個人の尊厳やアイデンティティ、人権に関わるものであり、旧姓の通称使用では根本的な解決にならない
などの限界や課題が、本年9月の男女共同参画会議の計画実行・監視専門調査会をはじめ、さまざまな場で指摘されている。
ここで政府から明確に「マネーロンダリング」まで踏み込んだ指摘があった点は重要です。
外務省も悪用の可能性を指摘
そもそも、婚姻も離婚も紙一枚でできてしまう日本の制度では、結婚による改姓が悪用されることはこれまでにもありました。少し古いケースでは、国際テロなどを起こした「日本赤軍」の重信房子受刑者(殺人未遂罪などで服役中)が1971年に、結婚し改姓して新たにパスポートを取得し、海外に逃げ延びたことがあります。また、日経新聞などの報道によると、2011年にも偽装結婚による改姓を悪用した保険金殺人事件がありました。2022年1月には、同一人物が旧姓・現姓で2種類の運転免許証を取得して道路交通法違反で逮捕された事件を、千葉日報が報じています。千葉県警千葉西署によると、この容疑者は結婚や養子縁組で複数回改姓を繰り返しており、異なる名義を不正な目的で利用しようとしていたとみられています。
外務省は2019年、内閣府による「女性活躍加速のための重点方針」に盛り込むべき事項に関係する各省ヒアリングに対し、「複数の姓を公証しているように見えるため、旅券の旧姓を国内外で悪用(詐欺行為等の犯罪に利用)する者が現れる可能性」があると述べ、パスポートへの旧姓併記が悪用される可能性を指摘しています。
異なる名義の銀行口座、複数持てる
私は過去の議員勉強会で、親の離婚や再婚、自分の離婚や再婚により「現在7つ目の姓」という方からお話を伺ったことがあります。
結婚や離婚などによる改姓を経験された方はわかると思いますが、銀行口座は、住所変更やキャッシュカードの紛失届けなどをしない限りは、名義変更を行わなくても、旧姓のままで問題なく使えてしまいます。もしも「現在7つ目の姓」という方が、改姓するたびに銀行口座を作り、名義変更せずにそのまま持っていたとしたら……。同一人物が、異なる名義の銀行口座を複数持ち続けることが可能です。
現状に輪をかけて悪用を容易にするのが、旧姓の通称使用です。2017年、金融庁から銀行協会や証券業協会に対し、「実情に応じて可能な限り円滑に旧姓による口座開設等が行えるようにお願いしたい」という要請が出されました。対応は金融機関により異なり、今も戸籍名でないと口座が開設できないところは多いですが、銀行によっては、旧姓の実績証明さえできればマイナンバー提示なしで旧姓名義の口座を取得することもできます。
実際私は、2種類の旧姓名義の口座2つと、戸籍姓名義の口座の計3種類の銀行口座を持っています。旧姓併記のマイナンバーを提出して開設した生来の姓名義の口座、長く仕事などで使用した旧姓である初婚時の姓名義の口座、戸籍姓である再婚後の姓名義の口座の3つです。
金融機関からもリスクの指摘
2019年にマイナンバーカードへの旧姓併記が始まり、さらに旧姓で印鑑登録を行い旧姓が併記された印鑑証明を取得することもできるようになりました。現在は、パスポートに旧姓A、マイナンバーカードや住民票、印鑑登録には旧姓Bと、別々の旧姓を併記することすら可能です。つまり、「不動産購入は戸籍氏名」「登記の印鑑証明は旧姓A」「振り込みは旧姓B」といった運用も可能です。
昨年9月30日の内閣府の第5次男女共同参画基本計画実行・監視専門調査会(第3回)でも旧姓の通称使用について議論があり、委員から以下のような言及がありました。
「内閣府男女共同参画局から金融機関の業界団体に対して、通称での口座の開設を認めてほしいと依頼をしてきた。しかし、2つの名前、通称と戸籍名を使い分けることによるリスクもあるのではないか。2つの名前を悪用してマネーロンダリングなどのリスクがあるのではないかといったような声もあった」
「名前を変えることが、クレジットカードのブラックリストから外れるために使われることも(ある)。実際に養子縁組が悪用されるケースがあるが、通称もそのような可能性が出てくるだろう」
旧姓併記は真の「女性活躍」にならない
旧姓併記は一見、多くの女性にとって選択的夫婦別姓制度の代替になる、女性活躍の視点に沿ったもののように見えます。
しかし、パスポートへの旧姓併記について外務省が指摘している通り、あくまでも「国際規格に準拠しない、例外的措置」。野田聖子内閣府特命担当大臣も、2021年12月17日参院予算委員会で「世界的にこれまでも名前を2つ持つという国はどこにもなく、通称使用を法律にしたところで国際社会には通用しない法律ができてしまう」と答弁しています。
国際的に通用しないうえに、行政においては「本人性を確認する」という重要な業務の壁となって煩雑さを生む。しかも、マネーロンダリングや詐欺などに悪用されるリスクも伴います。不自然で矛盾をはらんでおり、あくまでも選択的夫婦別姓が実現するまでの暫定的措置にしかならないのではないのでしょうか。