他人を支配し、操ろうとする人を「マニピュレーター」と呼ぶ。精神科医として多くの被害相談に乗ってきた片田珠美さんは「彼らは、自分を守るためなら何でもします。根も葉もない噂を流されたことで心を病み、休職することになったのに、さらに追い打ちをかけてくるケースがありました」という――。

※本稿は片田珠美『他人をコントロールせずにはいられない人』(朝日新書)の一部を再編集したものです。

スマートフォンを持ちソファに座っている女性
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休みの連絡をしたのに無断欠勤と言われ

※実際のケースをもとに個人が特定されないような再構成をしています。

マニピュレーターは自分にとって得になると思えば、何でもする。もちろん、誹謗ひぼう中傷することも厭わない。これは、ターゲットを一段劣った立場にとどめておき、自分の思い通りにコントロールするためである。たとえ事実からかけ離れていても、場合によっては事実無根であっても、マニピュレーター自身の目的を遂げるためなら、ターゲットのネガティブ情報を平気で流す。

たとえば、20代の女性会社員Lさんは、朝起きたときにフラフラして頭が痛かったので、体温を測ったら38度を超える熱があった。そのため、出勤はとても無理だと思い、その日は休むことを上司に電話して伝えようとした。だが、実際に電話に出たのは女性秘書のMさんで、「伝えておきます」と言ったため、それを信じて電話を切った。自宅にあった解熱剤を服用し、氷枕で冷やしながら一日中寝ていたら、翌日には熱が下がったので、出勤した。

しかし、出勤すると、周囲から白い目で見られているように感じた。一日休んだくらいで一体どうしたんだろう、気のせいかしらと思っていたら、上司に呼ばれ「昨日はどうしたんだ。無断欠勤して」と強い口調で叱責しっせきされた。Lさんは「電話して秘書の方に『熱が出たので、休みます』と伝えたはずですが」と答え、傍らにいたMさんのほうを見たが、「そんな電話、受けていません」という冷たい言葉が返ってきた。

Lさんは「そんなはず、ありません。電話したはずです」と食い下がった。だが、上司は「無断欠勤しておいて、電話したと嘘をつくのはやめたほうがいいよ」と厳しく言い放ち、Mさんは勝ち誇ったように笑っていた。

その後、Lさんが無断欠勤したという噂は会社中に広まったようで、同期の女性社員から「無断欠勤したんだってね」と笑われたこともある。Lさんはむっとして「そんなことしてないわ。ちゃんと電話したわよ」と言い返したが、この同期は「悪いことをした人ほど、やってないと嘘をつくんだよね」と言い放ち、去っていった。

Lさんは、自分はちゃんと電話して休んだのだと大声で叫びたかったが、証拠がない。電話に出た秘書のMさんが電話を受けてないと言っている以上、Lさんの“無実”を証明してくれるものは少なくとも社内にはなかった。

事実無根の噂が広まる

事実無根の噂が広まったことで、Lさんは会社にいる間中まるで針のむしろに座っているように感じるようになった。それでも、大学時代から交際していて、同じ会社の同期でもあるNさんだけはわかってくれるはずと信じていた。ところが、無断欠勤の噂が広まってから、携帯に電話しても出てくれなくなり、社内でたまたま顔を合わせたときも、目を合わせないようにして通り過ぎていった。焦ったLさんはNさんにLINEで「私、無断欠勤なんかしてない。ちゃんと電話して秘書に休むと言ったよ」と伝えたが、Nさんからは「言い訳がましいのは、みっともないよ」という返信が返ってきた。

その頃からLさんは夜眠れなくなり、頭痛、めまい、腹痛、吐き気などの身体症状に悩まされるようになったので、内科を受診して検査を受けた。だが、とくに異常はなく、紹介されて私の外来を受診した。不安や抑うつ気分などの精神症状も認められたので、「適応障害」の診断書を出して休職することになった。

自己保身のための嘘八百

休職中のLさんに、さらにショックな出来事が追い打ちをかけた。Nさんから宅配便が送られてきて、その中にはLさんが大学時代からNさんの誕生日やクリスマスなどにプレゼントした品々が詰め込まれていた。おまけに、「出会い系サイトで知り合った男と不倫して、その妻に会社に怒鳴り込まれるような女とはつき合えない」という手紙も同封されていたのだ。

Lさんはびっくり仰天した。出会い系サイトを利用したことも、不倫したこともなかったからだ。しかし、Nさんの手紙から察すると、そういう噂が社内で流れているようだったので、同期の一人にメールで事情を尋ねた。すると、驚愕きょうがくの事実が判明した。Lさんと出会い系サイトで知り合って不倫していた男性の妻が、男性の携帯を盗み見て不倫の事実を知り、会社に怒鳴り込んできたが、秘書のMさんが「Lさんはもう退職しましたから、当社とは一切関係ありません」と上手に説明して追い返したと、Mさん自身が吹聴しているというのだ。しかも、「これは秘密だけどね」という前置きをつけて。

耳を覆う女性
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信用は地に落とされた

またしてもMさんの嘘で窮地に立たされたLさんは、頭にカーッと血が上った。すぐにMさんに電話して「なぜ嘘八百の話を言いふらすんですか」と問い詰めてやろうかと思ったほどだ。だが、そんなことをすれば、逆に何を言いふらされるか、わかったものではない。第一、無断欠勤の噂を社内に広められたせいで、Lさんの信用は地に落ちており、たとえMさんの嘘を告発しても、信じてもらえるとは到底思えなかった。

そこで、なぜMさんがLさんを追い詰めるような嘘を繰り返すのか、じっくり考えてみた。Mさんとは、上司からの指示を伝えられたり、上司に提出する書類を渡したりするときに二言三言話すくらいで、それほど深い関わりがあるわけではなかった。もちろん、もめたことも一度もなかった。だが、思い当たるふしが一つだけあった。

Lさんが無断欠勤したという事実無根の噂が流される少し前、Lさんは夏休みを取り、家族と一緒に避暑地のペンションに泊まってのんびり過ごしていた。そのとき、地元のレストランでMさんが取引先の社長と一緒に食事をしているのを目撃したのだ。

Mさんとはほとんど毎日顔を合わせていたし、取引先の社長もときどき会社に来ていて、顔だけは知っていたので、挨拶に行こうかと思った。だが、軽く会釈したLさんと目が合ったのに、Mさんは顔をそむけるようにして、その後そそくさとレストランから出ていった。

夏休みが終わって会社に出勤した際、LさんはMさんに「避暑地の○○でお会いしましたよね」と言うようなことはしなかった。同僚にそれとなく「あの取引先の社長は結婚していたっけ」と尋ねたら、「結婚しているわよ。あの人入り婿でしょ」という答えが返ってきたからだ。

Mさんは独身だが、取引先の社長が妻帯者であれば、不倫ということになる。避暑地は遠方にあり、泊まりがけでないと行けないので、仕事上の打ち合わせで一緒に食事をしていたという言い訳は通用しないだろう。だから、Lさんと目が合っても、Mさんは会釈せず、それどころか顔をそむけるようにしたのだと腑に落ちたので、一切触れないようにした。もちろん、Mさんと取引先の社長が避暑地で一緒にいるところを目撃したと言いふらすようなこともしなかった。

マニピュレーターが不安を感じたのかも

もっとも、Mさんからすれば不安だったのかもしれない。避暑地で取引先の社長と一緒に過ごしているところを、同じ会社のLさんに目撃されたのだから、そのことを言いふらされるかもしれない。取引先の社長が既婚者だということは社内では知られていて、不倫の噂が社内で広まる恐れもあった。だから、その信憑性が低くなるように、先手を打ってLさんが無断欠勤したという噂を流したとも考えられる。

それだけMさんの不安が強かったことは容易に想像がつく。だが、Lさんは、Mさんが不倫していることを言いふらしたわけではない。しかも、Lさんが休職すると、今度は出会い系サイトで知り合った男性と不倫という根も葉もない噂までMさんは広めたのだから、やりすぎのようにも見える。

わが身のためなら何でもする

とはいえ、わが身を守るためなら何でもするのがマニピュレーターである。Lさんには、Mさんの不倫を言いふらすつもりが全然なくても、Mさんは自分を基準にして考える。おそらくMさんは他人の不倫現場を目撃したら誰かに話さずにはいられない、いやそれどころか、できるだけ多くの人々に言いふらさずにはいられないタイプなのだろう。そういう人は、他人も自分と同じことをするはずだと考えやすい。だから、LさんもMさんの不倫を社内で言いふらすのではないかと危惧し、Lさんの話は信用できないという印象を与えるために、無断欠勤、さらには出会い系サイトで知り合った男性と不倫という事実無根の噂を流した可能性が高い。そうすれば、たとえLさんがMさんの不倫を社内で言いふらしても、誰も信用してくれないだろうから、結果的にMさんにとって得になる。

ちなみに、Mさんが、Lさんの不倫相手の妻が会社に怒鳴り込んできたとき、「Lさんはもう退職しましたから……」と上手に説明して追い返したという作り話を吹聴したのは、Mさんの願望の投影のように私の目には映る。Mさんにとって、自分の不倫の噂を広めるかもしれないLさんは排除すべき邪魔者であり、会社からいなくなればいいと思っていたからこそ、こういう作り話を言いふらしたのではないか。

邪魔者を蹴落とすための怪文書

このように自分にとって邪魔な相手を蹴落としたら得になると思えば、その相手を一段劣った立場にとどめておくために事実無根のネガティブ情報を流すことは、決して珍しくない。たとえば、大学の医学部の教授選が行われる前には必ずといっていいほど候補者の悪行を暴露した怪文書が飛び交う。だいたい金か女にまつわる悪い噂で、どこまで本当なのか、わからない。それでも、その怪文書のせいで大本命と目されていた医師が落選して、別の医師が教授に就任することもあるので、やはり効果があるのだろう。

怪文書が、知事や市長、議員などの選挙の前に出回ることもある。あるいは、ある候補者の悪行が週刊誌で報じられることもある。どこまで本当なのかと思うことも少なくないが、そういうネガティブ情報のせいで立候補を断念したり、落選したりすることが実際にあるようだ。だからこそ、選挙の前になると対立候補のスキャンダルを血眼になって探し、なければでっち上げてでも悪い噂を流すのかもしれない。

不倫の疑いをかけられ

似たような話はどこでも耳にする。たとえば、30代の男性会社員Oさんは、プロジェクトリーダーに抜擢されかけたが、上司から突然「残念だが、その話はなくなった」と告げられた。信じられなくて、理由を執拗しつように問いただしたところ、「君が取引先の社長の妻と不倫していて、それに気づいた社長が君に慰謝料を請求し、当社との取引を中止しようとしているというファックスが届いたんだ。大切なお得意様だから、君を抜擢するわけにはいかない」という答えが返ってきた。

まったく身に覚えのないことだったので、Oさんは「不倫なんかしていません」と釈明しようとした。だが、上司は「火のないところに煙は立たないからね。お得意様との間になるべく波風を立てたくないという当社の方針は、君もわかっているはずだ」と取り合ってくれなかった。しばらくして、Oさんの同期の男性がプロジェクトリーダーに抜擢されたので、この男性がファックスを会社に送ったのではないかとOさんは疑っている。しかし、その証拠はない。第一、ファックスの発信元を特定できない以上、Oさんとしては何もできない。

怪文書でチャンスを逃すケースはほかにも

ファックスで送りつけられた文書のせいでチャンスを逃したという話は、元女子アナのPさんからも聞いた。以前勤めていたテレビ局で情報番組の司会の話がきて喜んでいたのだが、その話がつぶれたので、上司に理由を尋ねた。すると、Pさんの不倫を告発するファックスがテレビ局に送られてきたことが判明した。身に覚えがないPさんは、Oさんと同様に釈明しようとした。

しかし、上司からは「たとえ真偽不明でも不倫の噂が流れた女子アナを使うことをスポンサーは嫌がる。上層部はスポンサーが離れることを何よりも恐れているので、仕方ない」という答えが返ってきた。

その後、先輩の女子アナが司会の座を射止めたので、ファックスを送ったのはこの先輩ではないかと、Pさんはテレビ局を退職した今でも疑っている。しかし、証拠がない以上、どうすることもできない。

ファックスは格好のツール

OさんもPさんも、事実無根のネガティブ情報によって大きなチャンスを逃している。それだけ、マニピュレーターが邪魔者を排除するために送りつける文書に破壊力があるからだろう。

片田珠美『他人をコントロールせずにはいられない人』(朝日新書)
片田珠美『他人をコントロールせずにはいられない人』(朝日新書)

だが、それだけではない。いずれの場合も、事実関係を少し調べれば嘘だということは容易にわかりそうなのに、上司がそれをやっていない。いや、それどころか、文書に記載された作り話を真に受けている。それだけ、誹謗中傷に惑わされやすい人が多いということであり、そこにマニピュレーターは巧妙につけ込む。

なお、デジタル化が進んだ現在でも、邪魔者を蹴落とすための怪文書がファックスで送信されることは少なくないようだ。おそらく足がつきにくいからだろう。マニピュレーターは、自分がやったことを知られるのを何よりも嫌がる。だからこそ、コンビニから送信すれば、誰が送ったのかを特定するのが難しいファックスは、マニピュレーターにとって格好のツールなのである。