米国公認会計士の午堂登紀雄さんは、コンビニ店長から外資系コンサルに転じ、不動産投資の分野で起業した。「キャリアの分岐点でいろいろ迷ったり悩むこともあるだろけれど、結局どれを選んでも同じ。50代になってそう思うようになりました」という――。

※本稿は、午堂登紀雄『「やりたいこと」が見つかる思考のヒント』(学研プラス)の一部を再編集したものです。

アスファルトに描かれた矢印の先は二手に分かれている
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やりたいことが見つからないことは「不幸」なのか

最近、多くの人が「好きなことをやったほうがいい」「やりたいことやろう」というメッセージを発信しています。大人たちは、子どもに向かって当たり前のように「将来は何になりたいの?」「夢はなに?」などと聞いています。

そのため、こんなふうに考えている人がいるかもしれません。

「やりたいことを見つけないといけない」
「やりたいことがないのは、人としてみじめだ」
「やりがいを感じられない人はかわいそう」
「夢がない人はみすぼらしい」

ここで認識していただきたいのは「やりたいことがないからといって、それは別に悪いことではない」ということです。

そもそも「やりたいことが見つからない人は不幸だ」などと言っているのは誰でしょうか? 実際には、誰もそんなことは言っていないはずです。

ただ、世の中の成功者が「やりたいことをやれ」「天職を探せ」「夢はでっかく持て」などと言うものだから、なんとなく「やりたいことがない自分はみじめだ」とか「やりたいことを探さなきゃいけない」などと勝手に自分を追い詰めているだけなのです。

「やりたいこと」よりも大事なこと

むろん「やりたいことがある」という状態が理想なのは間違いないと思います。やるべきことが明確だから迷うことも悩むことも少ないし、毎日が楽しく充実します。私もそういう時期はありました。

ただし、好きなことで突っ走れる生活は、それが永遠に続くわけではありません。恋愛のドキドキがずっと続くことはないように、仕事や趣味でも最初のようなワクワクは長期間は続かない。同じことを繰り返していれば飽きるように、人間はいつかは慣れるからです。

それに、大人にとって「やりたいことがない」のは不幸ではなく、むしろ平穏である証拠だと思います。

会社では多くの人たちが「自分に与えられた仕事をしっかりやる」という責任感を動機にして働いています。

特にやりたい仕事でなかったとしても、周囲から信頼され、それなりにお給料をいただければ、そこに自分の居場所があると感じられ、充足感も得られます。

「生活のために働く」「家族のために働く」という人も、やはり「生活を成り立たせるのは自分の責任」「家族を養うのは自分の責任」という責任感で働いているでしょう。

仕事がそれほど面白くなくても、人間関係が平穏で、そこに自分の居場所を確保できれば安心できますし、周囲から期待されればその仕事に誇りや使命感を持てるようになる。それが充実感となる。

どんな仕事であっても、当事者意識を持って取り組み、周囲に認められ「あなたのおかげです」「あなたがいてくれて良かった」と言われるようになれば、そこにやりがいを見い出せるのです。

50代になって気づいたこと

私自身、これまで「やりたいことをやろう」「好きなことをやろう」と主張していた人間の一人ですが、言葉の使い方を間違っていたような気がします。

より正確に言えば、「興味を持ったらとりあえずやってみよう」「それでもし夢中になれたら、それに没頭しよう」「飽きたり疲れてきたら、やめてしまおう」ということではないかと思います。

やりたいことをやっている瞬間瞬間は確かにとても楽しく充実するのですが、前述の通りそれがいつまでも持続するとは限りませんし、最終的な幸福につながるとも限りません。

私自身もいま、特にやりたいことはないのですが、毎日に充足感を感じながら生活しています。

自分が20代の頃には理解できなかったと思いますが、50代のいまならわかります。人は、やりたいことがなくてもやりがいを感じられなくても、幸福に生きることができるということに。だから「やりたいことに出会えれば理想、出会えなくても問題ない」のです。

川の流れに逆らうか、流れに身を任せてみるか

私が最近感じていることは、人生とは大きな川の流れのようなものであり、どの川を選んでも、あるいは別の川に乗り換えたとしても、最終的に行き着くところは同じということです。どんな紆余うよ曲折や挫折があっても、結局は誰もが「老後」「余生」という海に辿り着きます。

なかには生涯現役の人もいるでしょうし、晩年はずっと病床で過ごす人もいるかもしれません。ただ、ほとんどの人は最終的には働けなくなり、あとは死を迎えるだけの、ゆったりとした静かな生活を送ることになります。

人は何の肩書も立場も持たない一人の人間として生まれ、途中では様々な肩書や立場を得るものの、最後は再び何の肩書も立場もない人間に戻り、この世を去る。

隅田川や江戸川、多摩川を流れてきた水も、最後は東京湾という同じ海に行き着きます。鶴見川や荒川を流れてきても、やはり同じく東京湾に出ます。

「時は還らざる川のごとし」という言葉があるように、この世に生まれ落ちてしまえば自動的に時間は流れ、どんなに立派な偉業を成し遂げたとしても、平凡な生活だったとしても、誰も皆同じように歳をとっていき、最終的には大海に流れ着き、そこにプカプカ浮いているだけ。

どの川を選んでも、自分なりに一生懸命やっていれば、海に出たあと(老後)に自分の人生を振り返ったとき、それなりに納得できるはず。

そうであるなら、無理して川の流れに逆らわず、流れに身を任せて行くのも悪くない。そう思うようになったのです。

どれを選んでも最終的には同じ

その意味において、たとえば大企業に就職するか、ベンチャーに就職するか、あるいは海外赴任するかなどと悩むかもしれませんが、どれを選んでも最終的に同じだろうな、というのが私の結論で、真剣に取り組んでいればおのずと納得できる生き方になると思うからです。

午堂登紀雄『「やりたいこと」が見つかる思考のヒント』(学研プラス)
午堂登紀雄『「やりたいこと」が見つかる思考のヒント』(学研プラス)

たとえば「プランド・ハップンスタンス・セオリー」(計画された偶然によるキャリア形成)というアメリカで提唱されたキャリア理論で言われているように、人のキャリアのほとんどは偶然で決まります。

私自身、自分が不動産分野で起業するなどと考えたこともなかったですし、著者として本を執筆するとは予想すらできませんでした。インターネットがビジネスの主戦場になるとも思っていませんでした。

時代環境が変わり、技術やプレイヤーが変わり、出会う人も関わる人も変わるし、離れていく人もいて、それは自分ではどうにもならない。

要するに、将来どうするかを計画しても、計画通りにはならないということです。ただ、大きな川の流れの中で、偶然の出会いや別れがあったに過ぎません。

適職診断はあてにならない

そういった流れを無視しピンポイントでしか計測出来ない「やりたいことチェックリスト」や「適職診断」などはあてにならないのです。

もちろん、人生の中では「このままじゃいけない」と危機感を持つこともあるでしょう。そんな場面では、目の前の状況に抗うこともある。

また、何かにつかまらないと大きな波に飲み込まれることもあるし、違う川に乗り換えた方がいい人もいるかもしれない。

私も就職先が決まらず大学を卒業したのち、「フリーターのままじゃないけない」と就職活動をしましたし、「この会社ではもうやっていけない」と挫折して逃げ出したり、「このままでは成長しない」という危機感で転職をしたりしてきました。

しかし、そういったあれこれも、結局は大きな川の流れに乗っていたということなのかもしれません。転職や起業も、自分の心の声に従い、自然の流れに身を任せた結果だったのではないかと思うのです。

自分探しをしてもやりたいことは見つからない

川の流れに乗るためには「自分の心に素直になって行動すること」「自分が興味を持てる分野、人から求められる分野で突っ走ってみること」です。

でも自分の心に素直になることは、なかなか勇気が出ないかもしれません。どうしても周囲の目を意識してしまうからです。でもそういうしがらみから抜け出すのが第一歩です。

「自分は何をしたいのかよくわからない」という人が、インドへ旅に出たという話を聞くことがあります。あるいは新卒で入社したばかりだけど違和感を覚え、現状を打破するために会社を辞めて海外留学をする人もいます。

しかし、こうしたいわゆる「自分探し」をしたとしても、自分の適性ややりたいことが見つかることはほとんどありません。なぜなら、自分というものは探すものではなく、日々の生活や経験を経て、作り上げていくものだからです。

モダンな街を見下ろす女性
写真=iStock.com/AerialPerspective Works
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確かに、人には持って生まれた特性や資質といったものがあるとは思いますが、それは自分の性格や能力を構成する一要素に過ぎません。物の見方や考え方などは、あとからいくらでも上書きできますし、上書きするのが成長でもあります。

そうやって自分は自分の手で形成していくものですから、いまそこにあるものではない。だから探しても見つからないのです。

何をやりたいかが自分の外に転がっているわけではないので、ボランティアやバックパッカーをしても見つかることはありません。

そういう自分探しをしている人は、他人にアピールできる「ウリ」になるものがどこかにあり、そこに行けば見つかるかもしれないという根拠のない期待感を持っているのでしょう。

しかしそれは結局のところ、見栄や世間体を気にしているということです。他人にどう映るかという他人の価値観の中で、見栄えがしそうなものがないか、自己アピールになりそうなものがないか、探そうともがいているだけなのです。

やる人はどんな環境でもやる

あるいは、「環境を変えれば、その環境が自分に何かを与えてくれる」という下心があるのかもしれません。

インドに行けば、大企業に入れば、スタートアップベンチャーに行けば、その環境が自分に何か気づきを与えてくれるのではないか、メリットをもたらしてくれるのではないか、チャンスを与えてくれるのではないか……。

これも幻想で、やる人はどんな環境でもやるし、それなりに幸福を感じられる。しかし環境に依存している人は、環境によってモチベーションが左右されやすく、環境のせいにして不満を言うようになります。

「何を選ぶか」ではなく「どう向き合うか」を考える

やりたいことがわからない人に必要なのは、「何を選ぶか」よりも「どう向き合っていくか」ではないでしょうか。

たとえば「上司の期待に応えたい」でもいいし、「自分が納得するクオリティにしたい」でもいいし、「とにかく何かの領域で一番になる」でもいい。やりたいかどうかという問題はいったん脇に置いて、対象への自分の向き合い方にフォーカスするのです。

私がコンビニの店長をしていたときは、「会社のお金でいろいろ試せるなんて最高だ。どうすれば売上が上がるのか、とにかく日々試行錯誤して引き出しを増やそう」という発想で仕事をしていました。

SV(スーパーバイザー)というフランチャイズ加盟店を指導する仕事に移ってからは、「どうすれば加盟店からの信頼を得て、自分のアイデアを採用してもらえるか」という発想で仕事をしていました。加盟店の売上・利益を上げるのがSVの重要な役割だからです。

本部のマーケティング部門に移ってからは、「どうすれば売れる企画を立てられるか」「どうすれば現場のSVが納得する販促プランを提案できるか」「どうすれば商品部と営業部が連携してマーケティング施策を実現できるか」という発想で仕事をしていました。

自分が何をやりたいかよりも、「自分に何が求められているか」「自分は何をして組織に貢献できるか」「何をすることが店舗のため、加盟店のため、社員のためになるか」にフォーカスし、それに打ち込んでいました。

コンビニから外資系コンサルへ

そうやって取り組んだ結果、実際に成果が出ると加盟店から感謝された。上司や同僚に認められ信頼され「君に任せるから好きにやってみな」と裁量権が与えられるようになった。そして、ますます仕事が面白くなるという好循環になっていったのです。

それがひとつの自信となり、もっと自分を鍛えたいと思うようになった。それでより高度に知的な仕事をしてみたいと、外資戦略コンサルを目指すことになった。

こうした経験を通じてわかったことは、やりたいことを探すことよりも、自分が没頭できれば、それはやりがいにつながるということです。没頭するには「物事を楽しめる(集中できる)よう自分が関わる」ことが鍵となります。

その関わり方とは、与えられた環境の中で自分の役割と責任を全うする姿勢です。全うしようとすれば、必然的に全力で取り組むようになります。全力で取り組んでいる人には、次の役割と責任が与えられます。

新たな役割と責任に全力で取り組むうちに、自分にとっての課題や次の道筋も見えてくるようになります。その過程で、徐々に自分というものが見えてくるようになるのです。

そう言えば、人気漫画『鬼滅の刃』に登場するキャラクター、煉獄杏寿郎の「俺は俺の責務を全うする!」という印象的なセリフがあります。

これこそが、まさに自分が何者かをわかっている人の言葉だと思います。