化学分野の研究開発者としてキャリアをスタートし、いくつもの異動先をはじめ国連の関連機関や内閣府などさまざまな環境で活躍してきた華房実保さん。だが、そうしたスーパーウーマンぶりとは裏腹に、素顔はとてもおちゃめで超のつく忘れん坊。これまで犯した数々の失敗を、ユーモアたっぷりに語ってくれた──。

社長を辞めて別の職業をやれと言われても嫌だとは思わない

三菱ケミカルリサーチは化学分野を中心とする総合シンクタンク。社長を務める華房さんは、およそ30年前に三菱グループの総合化学会社に入社して以来、数々の異動や出向を経験しながらキャリアを築いてきた。

三菱ケミカルリサーチ 社長 華房実保さん(写真提供=三菱ケミカルリサーチ)
三菱ケミカルリサーチ 社長 華房実保さん(写真提供=三菱ケミカルリサーチ)

「もともといろいろなことに興味があって、どんな仕事を振られても『やってみれば面白いかもね』って思っちゃうタイプなんです。だからか、異動や出向に驚いたことはあっても、嫌だと思ったことは一度もありませんでした。今も、急に別の職業をやれと言われても『いいかも』と感じると思います(笑)」

その言葉通り、社会人になって以降は周囲の要請に応じてさまざまな役割を引き受けてきた。自分から特定の仕事やポジションを希望したことはなく、将来像も特に描いたことはないという。

音楽を極めるか、別の道を行くか

だが、それは入社前に大きな人生のドラマを経験していたから。自ら決断して選び取った2つの転機が、今の自分をつくったと振り返る。

1つめの転機は高校2年生のとき。子ども時代からずっとピアノに打ち込んできたため、進路を決める際にはこの先音楽で食べていくのか、それとも違う道へ進むべきかと真剣に悩んだ。しかし、音大の学費の高さに驚き、演奏家として音楽で生計を立てることの難しさを認識し、ピアノには趣味として向き合っていこうと決断する。

華房さんにとってはとてもつらい決断で、ずっと師事してきた先生にレッスンを辞めると告げたときは涙が止まらなかったそう。そして、高校3年生春での発表会に向けて最後の課題として出されたのはリストの難曲。ピアノ人生の集大成として懸命に練習し、ついに弾きこなせたときは「これで成仏できた」と達成感を覚えたという。

音楽と研究の共通点

その後は自分で決めた通り受験勉強に励み、東京大学に進学。教養課程でさまざまな学問に触れた結果、専門過程では「人に興味があるから」とバイオサイエンスの分野を選んだ。人を人類学や心理学の面からではなく「細胞から攻めてみよう」と考えたのだ。この選択が2つめの転機となり、のちにキャリアの出発点にもなった。

ピアノは3歳から習い、その後バイオリンやフルートにも挑戦。
写真=本人提供
ピアノは3歳から習い、その後バイオリンやフルートにも挑戦。

「思えば、ピアノをやめてバイオサイエンスの道へ進んだことが、その後の人生を大きく変えました。でも私の中では、音楽も研究もゼロからつくるという意味では同じようにクリエーティブ。研究開発職に就いてからも、その共通点がやりがいにつながっていました」

卒業後は、モノづくりに研究の面から役立ちたいと三菱化成(現・三菱ケミカル)に入社。専門を生かして農業分野の研究開発に携わり、農家や製造現場へ足を運んでは意見交換する日々が続いた。

この時期、一番うれしかったのは農家や農協の人々が信頼してくれたこと。失敗も多かったそうだが、交流を重ねるうちに「華房さんの話を聞いておけば大丈夫」という評判が広がった。一生懸命やっていれば見てくれている人は必ずいる、信頼関係は日々の積み重ねからできる――。このときに得た気づきや喜びは、今でも仕事の支えになっているという。

「付箋」が手放せないほどの忘れん坊

もちろん、新人時代には大失敗をしたことも。時間をかけてやっと完成させたサンプルを出張先に持って行き忘れたこともあれば、海外出張なのにパスポートを忘れて空港で大慌てしたこともある。

華房さんのPCに貼られた大量の付箋と仲間たち。
華房さんのPCに貼られた大量の付箋と仲間たち。(写真=本人提供)

サンプル事件のときは、出張先でそれを使った試験が始まる直前に忘れたと気づき「目の前が真っ暗になって一瞬思考停止した」と笑う。またパスポート事件では、翌日のプレゼンに備えて最終便で現地入りする予定だったのができなくなり、翌朝の早朝便に飛び乗ってギリギリの時刻に駆けつけた。

もともとおっちょこちょいなタイプで、子どもの頃から忘れ物や落とし物が絶えなかったという華房さん。自覚はしていたものの、これらの失敗以降はさらに気をつけるようになり、忘れてはいけない物事は全部付箋に書いて目につきやすい場所に貼っておく習慣がついた。

「だからPCの周りは付箋だらけですよ。海外出張が近いときは、ドアにも『パスポート』と大きく書いた付箋を貼っています。忘れん坊なのは仕方がないのでそうやって対策をします。加えて、他の何を忘れてもお金で買えないものだけは忘れちゃいけないって自分に言い聞かせています」

自分から希望した異動は一度もなかった

入社から10年後、華房さんは大好きな農業研究から離れ、社の研究全体をマネジメントする「研究計画室」という部署に異動する。会社が農業分野からの撤退を決めたためで、仕事は研究主体のものから企画調整業務へガラリと変わった。

望んでいなかった変化に最初は驚きと寂しさを感じたものの、華房さんはすぐに気持ちを切り替えた。持ち前の好奇心が頭をもたげ、「やってみたら面白いかも」と前向きに考えるようになったのだ。

華房実保さんのLIFE CHART

実際、研究計画室での仕事はとても面白かったという。未経験ゆえに勉強しなければならないことも増えたが、同時にマネジメント経験や他部署とのつきあいなども増え、守備範囲や人脈がどんどん広がっていく実感があった。

以降、研究技術開発に関わる企画部門や事業化推進部門などさまざまな部署を経験し、着実に成長していった華房さん。いずれの異動も自らの希望ではなかったが、どの部署でも指示を待つだけでなく、自分から「これをやりたい」と発案して、面白いと思える仕事をつくり出していった。

「だから結果的に仕事が増えちゃって。忙しい思いもしましたが、やっぱり仕事でも何でも面白いほうがいいじゃないですか。振り返れば、異動が多かったのもよかったかなと思っています。今の私があるのは、自分では思いつきもしなかった組織や業務を経験させてもらえたからかもしれないですね」

仰天した国連の関連機関への出向

それでも、国連の関連機関への出向を打診されたときはさすがにひっくり返ったそう。40代に入ったとき、各企業が共同で持続可能な社会づくりに取り組む組織の日本機関「GCNJ」(グローバル・コンパクト・ネットワーク・ジャパン)に、会社の代表として参加することになったのだ。

2010年ごろのことで、日本ではまだCSRという概念も一般的ではなかった。先進的な取り組みだったため試行錯誤の連続だったそうだが、さまざまな企業やNPOから集まった人々と本音での議論を重ねたおかげで、幅広い視点を知ることができたという。

これが、キャリアの中での第一の転機になった。いったん社外に出て幅広い人と交流したことで、自社と他社、企業体とNPOなどの違いを身をもって知ることができたのだ。これによって、出向から戻った後も自社を外部の視点で見る癖がついた。これは、現在の社長という職に欠かせない視点でもあるだろう。

正しいと思ったことは、わかってもらえるまで話し続ける

その後、三菱ケミカルホールディングスの経営戦略室の一員として復職。ここでは大きな壁を経験したという。まだサステナビリティーもMDGs(当時のSDGs)もほとんど知られていなかった時期に、華房さんはGCNJでの経験を踏まえて「これからのアニュアルレポートはESGなどの非財務情報も入れた統合レポートにするべき」と提案。

周囲からは「ESGなんて聞いたことがない」「財務情報と非財務情報を混ぜるなんて気持ち悪い」などと反発されたが、正しいと信じて粘りに粘った。

「今はそうした統合レポートは当たり前になっていますが、周りから見れば当時の私は“おかしなことを言う変な人”だったんでしょうね。それでも最終的にはわかってもらえたので、正しいと思ったことはひるまずあきらめず、わかってもらえるまで話し続けることが大事かなと思います」

人生で初めて「職場に行きたくない」と思った日

2014年には第二の転機が訪れる。ある日突然、人事部から内閣府の仕事を打診されたのだ。まさに青天のへきれきで、言葉の意味通り空が割れる絵が頭に浮かんだそう。

内閣府時代にもらったアルバム
内閣府時代にもらったアルバム(写真=本人提供)

自分は官僚なんて向いていない、そんな場違いな所で働きたくない──。入社以降初めて「行きたくない」という思いを経験し、登庁初日には腹痛を理由にズル休みしようかと悩んだほどだったという。

とはいえ、実際に行ってみると面白い経験もたくさんできた。民間企業では学べないような知識も得られ、かけがえのない仲間たちにも恵まれた。2年間の任期を終えた後は「モノづくりで社会に具体的・経済的な価値をもたらせるのはやっぱり企業体だから」と会社に戻った。

「御意」では新しい価値は生まれない

三菱化学(現・三菱ケミカル)に復職して5年後、三菱ケミカルリサーチの社長に就任。社長になりたいと思ったことはなかったが、部署単体ではなく会社全体を見渡せるという役割に興味が湧いて引き受けた。やりたいことを実践するには、上司と部下の間に挟まれる中間管理職よりも、トップのほうがスピード感をもってできるだろうという思いもあった。

実際、社長に就任してからは、自分が課題と感じたことに対して直接的に策を打っていけることの強みを実感しているという。環境負荷の削減や有用な情報の提供、社員がチャレンジできる風土づくりなどに、率先して取り組みを続けている。

ただ、社長という立場上、周りをびっくりさせるような意見を出すことがあるが、「御意」のような反応が返ってくる場合には危機意識を抱いており、「遠慮なく反論してくれる人を増やしていかねば、よりよく変えていくことができない」と力を込める。

「そもそも、皆が『いいね』と言うものなんて新しくないでしょう。『はぁ?』って言われるような案こそが、新しい価値を生み出すと思うんです。だから社長としても、社の全員がそう行動できるように、失敗でなく挑戦を評価していきたいですね」

ピアノは今も特別な存在

プライベートでは一児の母。30歳で出産し、両親や夫、上司、同僚など「さまざまな人のサポートの下で生きてきた」と語る。その娘は今25歳。化学を勧めたことはないのにもかかわらず、母親と同じ道を歩み、現在は競合にあたる化学会社で研究者として働いている。

30歳のときに授かった娘は華房さんと同じ道を選び競合他社で活躍している。
30歳のときに授かった娘は華房さんと同じ道を選び競合他社で活躍している。(写真=本人提供)

そして高校まで打ち込んでいたピアノは、今も人生の大きな支えだ。華房さんにとってはなくてはならない存在で、どんなことがあっても演奏すれば無になれるという。

「ピアノは特別な存在で、これだけはずっと離れたくないですね。仕事は、それが社会の中で必要な役割だと認識できさえすればどんな役割でも大丈夫。私の軸は何かの役に立ちたいという思いなので、それが実現できるなら今後もどこへでも行くつもりです」

■役員の素顔に迫るQ&A

Q 好きな言葉
無為自然

Q 愛読書
楽譜『ピアノ協奏曲 イ短調』グリーグ(現在練習している曲)
「ピアノの楽譜を読むのが好き。特にバッハやショパンの楽譜はとても美しく、そこから物語を受け取って想像をふくらませています」

Q 趣味
ピアノ、バイオリン、華道、ジャニーズ(嵐の大野くんファン)

Q Favorite item
付箋
「大事なことはこれに書いて貼っておかないとすぐ忘れてしまいます。付箋がないと生きていけません(笑)」