現在は、外資系ホテルの日本法人社長を務める薄井シンシアさん(62)。専業主婦から給食のおばちゃん、アルバイトを経て、外資系ホテルなどの華々しいキャリアを築いた薄井さんだが、コロナ禍の影響で失業してしまう。彼女は、どん底からどうやって這い上がったのか――。

ホテルから、オリパラ担当にヘッドハンティング

東京オリンピック・パラリンピックを控えた2018年。薄井さんは、それまで勤めていた高級ホテル、シャングリ・ラ東京から、日本コカ・コーラ社のオリンピック・パラリンピックホスピタリティー担当シニアマネジャーに転じる。

薄井シンシアさん 写真=本人提供
薄井シンシアさん 写真=本人提供

メイン業務は、会社が購入する観戦チケットの選定と発注。ここでも「基本を徹底的に」の精神が力を発揮する。元々スポーツにはあまり関心がなかったものの、すべての競技を勉強し、活躍しそうな日本人選手、試合進行の仕組みを一から学んで分析。熱中症の恐れがある時間帯の競技を外しつつバランスよくチケットを選んだ。

「『業界のなかで新米のおばちゃんが一番いいチケットを頼んだね』って言われて。私の誇り」と薄井さんは嬉しそうに話す。

準備万端でオリンピックを迎えるはず、だった。

新型コロナウイルスの世界的流行で状況は一変。2020年3月、オリンピックの延期が決まる。コカ・コーラ本社も2021年には海外から観客を送らないことを決定した。

コロナ禍で失業、スーパーのレジ打ちに

業務は縮小し、自宅待機の日々が続く。何も決まらない。人と会うこともほとんどなくなり、孤立感が募った。夏頃、急に心身に不調を来し始めた。

日本コカ・コーラ社の東京オリンピック・パラリンピック担当を務めていたころの薄井シンシアさん 写真=本人提供
日本コカ・コーラ社の東京オリンピック・パラリンピック担当を務めていたころの薄井シンシアさん 写真=本人提供

「『オリンピックには観客を呼ばないので、多分私の仕事はなくなる。戻ろうと思っている観光業界も、コロナで壊滅的。ほかに仕事がなければこのまま定年の年齢になってしまう、年金暮らしの65歳になるまで何もない』と頭の中では堂々巡り。暗い穴に落ちた感覚で、完全にうつ状態でした」

転職エージェントに相談しても、年齢を理由にやんわりと断られる。4年前には生き方の相違から夫と離婚していた。

1人でいるのはよくない。そこで始めたのが、休日を使ってのスーパーでのレジ打ちパートだった。「自分が行かないと誰かが困る」というルーティンを入れ、自らを正す。自身を救うための対策だった。

61歳、できるのは4業種

なぜレジ打ちだったのか。

「やりたい仕事は観光業。けれどもどの統計を見ても、観光業が2019年のレベルに戻るのは2024年。3年くらいは戻らない。それなら、世の中に、ほかにどんな仕事があるのか見なくては、と。61歳という年齢の壁もある。ITが強いわけでもない。アルバイトサイトを見て分かったのが、今の年齢でできる仕事は警備、介護、保育、小売りの4つ。このうち私ができるのは小売りだと」

至って論理的。しかし、華々しいキャリアを持ちながら、抵抗はなかったのか。

「そう思う時点で経験はもう“荷物”。全く抵抗ない。この4つをやるか、何もやらないか。ないものねだりしても意味ないのね、時間の無駄」。一刀両断だ。

初めてのレジ打ちは覚えることが多くて大変だった。それでも3週間後には一通りできるようになった。「こんな難しいプロセスをまだ覚えられる」と、新たな自信にもつながった。

月60時間働けば大丈夫

この経験は「老後2000万円問題」への気づきにもつながった。

この問題は、金融庁が報告書で示した、「老後30年間には約2000万円の生活資金が不足する」との試算のこと。薄井さんの計算では、住居費を除くと自身のゆとりある生活に必要な経費は月15万円。年金は月8万円程。パートは時給1200円なので、月60時間弱働けば貯金を取り崩さないで生活できる。

とにかく元気でレジ打ちができれば大丈夫。老後への不安も消えていった。

こだわった「肩書」と「採用権限」

今年2月にコカ・コーラ社の仕事を失った。スーパーでの仕事を続けるなか、今度は外資系企業から、日本に新規オープンするホテルの経営を任せたいとの打診を受ける。

迷った末、薄井さんは「肩書は日本法人社長。スタッフの採用は薄井さんに一任する」という2つの条件で引き受けることを決めた。

採用にこだわったのは、雇用の多様性を確保したかったからだ。専業主婦の女性などの再就職への道を、自らの手で切り開きたかった。

今回は肩書にもこだわった。ホテル自体はブランドとして知られていない。けれど「薄井シンシア」というブランドはある程度知られている。「給食のおばちゃんから14年で日本法人社長」となれば、メディアにも注目されるだろう。ビジネスが発展すれば、雇える枠も増えていくはずだ。

「私はこれまで、たくさんのチャンスをいただいてきた。運が良かった。でもね、運がいいだけじゃ不公平で、それは嫌。本気で頑張る人にチャンスをつくりたい」。採用で重視するのは学べる能力と仕事への意欲。経歴は関係ない。面接も応募者全員に実施する。

7月にオープンしたばかりのホテル「LOF HOTEL Shimbashi」のロビーに立つ薄井シンシアさん
撮影=藤岡敦子
7月にオープンしたばかりのホテル「LOF HOTEL Shimbashi」のロビーに立つ薄井シンシアさん

経験は“荷物”になる

現在スタッフの募集は、知人やSNSなどを通して行う。「生き方に刺激を受けた」という女性や中高年男性などからの応募が相次ぐ。だが、首をかしげるような応募も少なくない。

「昔外資系の広報をやっていたから広報ができる」というものの、SNSを使ったことがない主婦。「土日は無理、8月は1カ月間休みたい」と訴えるパート勤めの女性。早期退職した男性は、ホテルで使用する基本ソフトも英語もできず、学ぶ気もないが「管理監督をやりたい」。「再スタートしたい」と連絡してきた50代男性は、必要な経験がないのに「給料が安い」と不満を口にする。本人の希望で週2回勤務と決めたのに、研修後、身体がついていかないと2日で辞めた人もいた。

「とにかく甘い。ステップアップしたい割には覚悟がない。自分の市場価値が全く分かっていない」。薄井さんは苦言を呈する。

まずは原点に戻れるかどうか。ゼロからスタートし、学ぶ姿勢があるのかどうか。多くの人が「経験」という荷物を抱え過ぎていると思う。

「再就職というのはある意味“旅”です。バッグパックに自分のものを全部入れて動こうとするからつぶれる。余計なプライドは捨て、荷物をいったん空っぽにして、新しい旅を始める覚悟が必要です」

「チーム訳アリ人材」

そんな薄井さんが採用したのは、パートに就いていた元専業主婦やシングルマザー、英語はできるものの日本語に不自由しているハーフの女性たち。

金銭的な問題から大学に行けず、お弁当工場で働いていた21歳の女性はITに強い。「毎日新しいことを学べるのが面白い。チェックインでお客さんと顔を合わせるのが楽しい」と笑顔を見せる。元専業主婦歴約10年の40代女性は、フロントのオペレーションや人事、労務を受け持つ管理職。「チャレンジだと受け止めています。管理職は初めてなので、こなすことがまずは目標」と冷静だ。

「チーム訳アリ人材」と命名したスタッフのほとんどは、観光業未経験者。教育が必要だが、かえって新しいことに挑戦できるとみている。ホテルでは多様性とサスティナビリティーに力を入れ、東京タワーが見える最上階のラウンジには、人が集まり、自由に意見交換できる場も作っていく。インターン制度なども使いながら、本気で頑張りたい人々を今後も積極的に採用していく計画だ。

LOF HOTEL Shimbashiで働くスタッフ
写真=薄井シンシアさん提供
LOF HOTEL Shimbashiで働くスタッフ

両立なんてできるわけがない

これまでの経験や子育てをつづった著書や講演会は幅広い層から反響を呼び、最近は「決断力」に関する相談が目立つ。グローバル化や雇用環境の変化を受け、転職など一歩踏み出すヒントを求める人が多いという。

20代、30代女性からの仕事と育児の両立に関する悩みも引き続き相次いでいる。

「子育てとキャリアアップはそもそも両立なんてできるわけがない。できてもほんの一部。スティーブ・ジョブズやビル・ゲイツは両立していたと思います? 私社長やっていてね、こんなの子育て中にはできないですよ」。

30代、40代の女性が管理職になることを断るのは、両立できないと思っているから。一方、男性が引き受けられるのは、子育てを放棄しているから。本気で女性の管理職を増やしたいのであれば、年齢制限やタイムリミットをつけるべきではない。

「結婚して子どもを産んで、仕事して。3つともやらないと自分が落ちこぼれると今の女性は思っているんですよね。私が言いたいのは、育児に専念したいんだったら育児に専念して、それが終わってから復職しても十分間に合うということ。人生100年時代の今、『子育て後に仕事に打ち込む』という、もう一つのワークライフバランスがあってもいいはずです」。

「キャリア」という時、それは必ずしも元いた場所に戻ることではない。何をキャリアと考えるかは自分次第。自分で人生のかじ取りをし、新しいことを学び、好きな仕事と巡り合えること——。それが薄井さんにとってのキャリアだ。

強みは「いつでもまっさらになれること」

薄井さんの強みは、いつでもまっさらになれること。電話受付のアルバイトで、時給1300円で働いていたのはわずか10年前。自分が頑張れることはまだまだ覚えていて、勝負もできる。

「元々何もなかったから、ある意味怖さを知らないわけです。最近はレジ打ちをしていましたし、新しい技術も学べる。それが全部自信につながっているんです」。

バッグパックの中身を空にして、薄井さんはまた新たなキャリアの旅に出る。