※本稿は、勝間和代『健康もマネーも人生100年シフト! 勝間式ロジカル不老長寿』(宝島社)の一部を再編集したものです。
友人の選び方で老後が決まる
100歳までを見据えると、仕事仲間だけではなく、友人選びもずいぶんと違う視点に立つことになると思います。
お互いに配慮し合い、お互いの人生を充実させるために切磋琢磨し協力し合うことができる人たちは、付き合っていてとても気持ちがよいものです。しかし、なかには、あまりに自分中心で、自分が相手のために何かするのではなく、相手が自分のために何をしてくれるのかということだけを求める人間も、決して少なくありません。
そうした人たちは、若いうちにはやる気がある、好奇心旺盛の楽しい人だったのかもしれません。しかし、50~60代を過ぎる頃になってくると、ただ単にわがままで付き合うと疲れる迷惑な人たちに成り果ててしまうことがしばしばです。そうした人たちからお誘いがあるときは、私はなんだかんだと細かい理由をつけて、ほとんど断ることにしています。
人生100年時代において、社会的つながりの観点から見れば、どんな人たちと人間関係を構築し、あるいは関係するのを避けるか、といったような人間関係のデザインが、私たちの老後を決めてしまう、ということになります。
また、逆に自分がそういう迷惑な人間になってしまわないとも限りません。具体的な危険サインを挙げると、過去の自分語りが多くなったり、自分の経験や才能ではなく、自分と付き合っている人の自慢話が多くなると、要注意だと思います。また、特に求められてもいないのに、相手の見かけや話し方、付き合っている人間に対して、わざわざ介入してきて意見を言ったりするのも、危険サインでしょう。
ある程度、歳を取ってくると、それまでのキャリアの蓄積とフローのバランスが重要になりますが、これは金銭面でもまったく同じです。フローのなかでバランスを取った付き合い方をしないと、結局、これまでの信用の蓄積を使いつぶすだけなのです。
ギブの五乗で運気を上げる
いろいろな人を観察してみて、本当に面白いと思うのは、運の良さというのは、短期的にはばらつきがあったとしても、中長期的にはその人が運が良くなる行動をしていると、やはりだんだんと良くなるものですし、運が悪くなる行動をしていると、やはりだんだんと運気が下がってくるのです。
運が良くなるにはどうしたらよいかというと、私は「ギブの五乗」と呼んでいます。
世のなかには、「ギブ・アンド・テイク」という言葉があります。他人に対していいことをすると、自分に返ってくるということですが、これをもっと突き詰めて、自分の得意技を見返りを求めずに、「ギブ」しまくるのです。すなわち、「ギブ・ギブ・ギブ・ギブ・ギブ」です。
それくらいの気持ちで、徹底的に利他を追求したほうがもっとうまくいくというのが、「ギブの五乗」なのです。
ですから、自分のことばかりでなく、いろいろな人に対していろいろな場面で、貢献をし続けるのがいちばんよいのです。それは、仕事での貢献でもよいですし、私生活における友人関係などの貢献でもよいのです。
フェイスブックやインスタグラムなどのSNSに顕著なのですが、とにかく自分語りが多くて自慢話が多いタイプと、自分の体験した情報のなかで面白いものを他者と共有してくれるタイプでは、後者のほうが中長期的には明らかに運気がよくなるのです。
自分が構築した社会的つながりを自分のためだけに使うか、自分のネットワークのなかでつながれる多くの人が得をするために使うのか。どちらの視点に立つかで、運気の上がり下がりが左右されるのだと、私は考えています。
一緒に暮らしても生き方を押し付けない
また、歳を取ったときの家族やパートナーとの関係や役割がどうなるかについても、考えてみたいと思います。
仲のよい家族や気の合うパートナーがいることは、それに越したことはないと思います。しかし、実際の生活のなかでは、家族やパートナーだけではなく、友人の存在が非常に大きな役割を果たしているのではないでしょうか。会話をするのも、一緒に暮らしている家族よりも、実はたまに会う友人のほうが、はるかに時間が長かったりするのではないでしょうか。
人によって性格の違いもあると思いますが、どちらかというと私は自由への欲求が強いほうなのです。
どうも人とペースを合わせて暮らすというのが苦手です。1人でふらふらと出かけたり、車でどこかに行ったり、カフェで仕事をしたりと、気の向くままにふらふらするのが大好きなのです。
誰かと一緒に暮らす際のポイントは、自分の生き方を押し付けないことでしょう。他人に自分の生き方を合わせるように強要するのは、わがままです。しかし、1人で周りに迷惑をかけない範囲で、どこかふらふらと出かけたいときは、行き先や連絡先をちゃんと告げてから、自由に過ごすのです。
孤独死を恐れない
1人で暮らしていると孤独死を心配する人も多いのではないかと思います。
孤独死対策としては、やはり基本は健康に気を使うことです。そして、いざとなったときにちゃんと連絡がつく家族や友人がいれば、死ぬ寸前まで1人で暮らすことも難しくないと思います。
私が1人でふらふらと自由気ままにするのが好きなのは、どうやら遺伝のようで、亡くなった私の母も、そういう人でした。
母は89歳で亡くなりましたが、その3カ月前まで、父が亡くなってからずっと1人暮らしを楽しんでいました。認知症もなくずっと元気だったのですが、眠れなくなってしまい、気力もなくなり具合が悪いので病院で診てもらったところ、大腸がんのステージ4でした。
しかし、入院した後もサバサバしたものでして、
「もう随分と人生を楽しんだので、本当は早くさっさと向こうに行きたいから、注射の1、2本打つので済ませてくれればいいんだけど、病院の仕組みがそういうわけにはいかないんだから、面倒臭いわよね」
などと言いながら、各種の検査を嫌々受けていたのが印象的でした。
そして、入院から3カ月弱、最後の1カ月は緩和ケア病棟に移り、兄に見守られながら、眠るようにして亡くなりました。
1人暮らしが孤独で寂しいと言うのは、1人暮らしが好きでない人の言い分なのかもしれません。逆に私と同じように、1人暮らしが大好きなタイプの人のなかには、1人で最後まで暮らしたいと思っている人も少なくないでしょう。これは、もう各人の性格と選択によるのだろうと思います。
介護施設に入るだけの蓄えをする
母を看取ったのは兄でしたし、最後は病院でしたから、私は介護の経験がありませんが、やはり、自分が介護を必要とするような状態となって、娘たちに迷惑をかけるのは嫌です。なので、毎日長い距離を歩いて、せっせとゴルフクラブやスポーツクラブに通い、食生活に気を使うのは、そのためでもあります。
もし、本当に介護が必要になったら、施設に入ろうと思います。
介護施設に入るには、なんと言ってもお金が必要になります。持ち家は必要ないと思っていますが、いざとなったときに十分なサービスを受けられる施設、しかも子どもたちの家からさほど遠くないところに入るには、数千万円以上のお金が必要になります。
そのぶんを子どもに頼るのは論外です。しっかりとドルコスト平均法で貯めておきたいと思います。
自分のことは自分で面倒を見る
男性よりも女性のほうが寿命が長いというのは、もともと女性のほうが病気になりにくいということもありますが、もうひとつ大きな要因として、女性のほうが家事能力に長けているということもあるでしょう。
家事をすることで、こまごまと動きますし、清潔で健康的な生活を、自分で保つことができます。もちろん、そうしたことを男性も心がければ、寿命だって女性に近づくのではないかと思います。
男女問わず、自分のことは自分で面倒を見ることができて、死ぬまで1人暮らしをするというのはひとつの理想だと思います。
幸い、現代ではさまざま調理家電や自動のロボット掃除機など、各種家電が揃っています。こうしたテクノロジーを活用すれば、たとえ高齢になったとしても1人暮らしで快適な生活をすることは、まったく問題なくできることでしょう。