2009年、倒産寸前の能登の会社を引き継いだ平美都江さんは、11年の東日本大震災をきっかけに東北へ10年間で1億2000万円の寄付をしています。今や自社株を100億円で売却するまでに成長させた彼女ですが、経営がしんどかった時期でもなぜ高額寄附をし続けたのでしょうか――。

※本稿は、平美都江『なぜ、おばちゃん社長は価値ゼロの会社を100億円で売却できたのか 父が廃業した会社を引き継ぎ、受注ゼロからの奇跡の大逆転』(ダイヤモンド社)の一部を再編集したものです。

私が「寄附」をする理由

私が寄付をする理由は、もちろん人のためということもありますが、自分自身のモチベーションを上げるためです。

平鍛造の平美都江社長
平鍛造の平美都江前社長(撮影=奥川純一)

寄付がなぜモチベーションを上げるのか。こんな流れで考えているからです。

寄付をしたいという純粋な気持ちは、常に私の中にあります。自分の力でできる精一杯のことをさせてほしい、しなくてはダメだと思うんです。なぜなら、私は何不自由なく仕事ができている幸せな状態なのに、世界にはそうではない、困っている人がたくさんいるから。

そもそも、私が一生懸命仕事ができる環境にいるのは、単なる幸運でしかありません。運がよかっただけ。もしも私が頑張りたくても頑張ることのできない状況にいたら、現状は絶対に今と同じではありません。

そんなことをいつも考えていると、つい、どうしても、「精一杯」の限度を超えて寄付をしてしまうんです。

傍から見れば、「寄付は大切だけど、額が多すぎるのでは?」

ということ。

そこで私は、寄付した分を埋めようと、もっと仕事を頑張るモチベーションが上がるんです。そして、さらに稼いだ分をどんどん寄付していけば、モチベーションは全開になるというわけです。

自分の成功が誰かの幸せになる

私自身、極貧の暮らしをしていた時期もある。だから特に、自分の努力以前に、生まれた環境、あるいは自分の力がとうてい及ばない苦境にいる人に対して、どうしても同情心(同感)というか、放っておけない感情を抱いてしまう。

私が今、こうして日本でそれなりに成功し、さまざまなお客さまを相手に充実したビジネスを展開できている一方で、世界には、戦乱による難民や、食糧不足に苦しむ人がいる。特に、子どもがそうした状況に置かれているのは、非常に辛い。これは正直な気持ちです。

誰かの今日の一食をつないでいると考えるとやる気が出る

何一つ不自由なく暮らしている中から、少しでも彼らの役に立てないかと考え、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)には、毎年200万円以上の寄付を続けています。そんなの一方通行の寄付で、自己満足だと冷笑する方もいるでしょう。あるいは、そんなに気の毒だと思うなら、直接自分で動くべきだと批判する方もいるかもしれません。

私は、自分が一生懸命仕事をすることが、誰かの役に立っている、助けの少ない人の今日の一食をつないでいると考えると、とてもやる気が湧いてきます。そのおかげでもっと頑張り、もっと寄付できるようになれば、お互いにプラスではないでしょうか?

私=仕事を頑張ってお金を稼ぐ
寄付される人=頑張れる環境になる

という循環になって、頑張ることができます。本当は、故中村哲氏の行動を最も尊敬しています。行動できる人が、やはり一番です。

仕事がないくらい大したことはない

寄付が私にとって決定的なモチベーションに変わったのは、2011年の東日本大震災でした。

私自身、そしてうちの会社の設備には大きな被害はなかった。しかし、津波が襲った各地の様子、そして震災で傷ついた方たち、特に親を失った遺児の方が800人近くもいるという現実に、それまでの人生では経験のない感情を刺激されてしまったのです。

お金の瓶を保持する子供と親の手
写真=iStock.com/ThitareeSarmkasat
※写真はイメージです

結果、私は、東北大学に電話し、遺児たちの心理ケアの研究室を設立してもらいました。

ポケットマネーとはいえ、いくらなんでも肩入れしすぎではないか、寄付はいいとしても額が大きすぎるのではないか、と心配してくださる方も実際にはいました。

もっと現実的な話として、そんな余裕が会社にあるの? と従業員は心中思っていたかもしれません。私の家族には「私たちがいることも忘れないでね」と言われました。

確かに一理はあるでしょう。

震災当時は、会社にとっては業績面で厳しい局面にありました。父から経営を引き継いだものの、リーマン・ショック後の世界的な景気後退を経て取り引きは戻っておらず、さらに急激な円高になってしまい、客先は海外への価格競争力もそがれて、ますます追い込まれていきました。

それでも、あまりに大きな額の寄付を続けようと考えたことに、私自身に迷いは一切ありませんでした。被災者から見れば、住む家も家族も無事なのだから、仕事がないくらい大したことはありません。

ただお金を儲けたい、だけでは続かない

その後の業績回復、そして100億円で会社を売却したことの原動力を、この寄付から得たのは間違いありません。

平美都江『なぜ、おばちゃん社長は価値ゼロの会社を100億円で売却できたのか 父が廃業した会社を引き継ぎ、受注ゼロからの奇跡の大逆転』(ダイヤモンド社)
平美都江『なぜ、おばちゃん社長は価値ゼロの会社を100億円で売却できたのか 父が廃業した会社を引き継ぎ、受注ゼロからの奇跡の大逆転』(ダイヤモンド社)

いくら会社が危機だと嘆いても、電気が来ないわけでもなく、肉親を失ったわけでもない。被災者の方々の苦痛に比べれば、経営の不振など大したものではないし、克服できると必死になれました。

被害を受けなかった私が頑張ることで、少しでも悲しみを和らげ、立ち直る機会にしていただけるかもしれないと考えれば、頑張ろうという気力が湧いてくるものです。

そして、東北から離れた地で縁もない一個人も応援していると感じて生きる勇気を持ってもらいたい。

より現実的にいうと、私自身を単体で考えれば、不振の会社を建て直すのはそれなりの苦難です。しかし震災のことを思えば、なんてこともないではないか、と思えたのが現実です。

ここ一番での踏ん張りが効くようになった

おかげで会社は再建できましたし、当時は持続できるか不安だった寄付も、無事完納できた。

そして東北大学のシンポジウムにも足を運び、具体的にどのような方々が、どんな活動をしているのかをこの目で確かめることもできました。心理ケアの難しさ、里親になった方々の悩み、そして一生懸命に学んでいる学生の方たち。私の普段の行動範囲では決して目にすることのない光景を見ると同時に、そこに私の寄付を役立てていただいていると実感もできました。

少し客観的に考えれば、目標実現のモチベーションを高めるために、特異な事例だったかもしれません。ビジネスはそれ自体大変で、愚痴を言い出せばきりがない。しかし、東北で私よりも頑張っている人たちがいることをいつも思い起こし、ここ一番の踏ん張りも利きました。