今はドムドムフードサービスの社長を務める藤﨑忍さん。20代の頃に政治家の妻となり、二人三脚で選挙を戦ってきたため、自分が外で働くことは微塵も考えていなかったといいます。それが一変する出来事が起きました――。

※本稿は、藤﨑忍『ドムドムの逆襲』(ダイヤモンド社)の一部を再編集したものです。

選挙落選、心筋梗塞、次々と襲いかかる不運

2005年夏、墨田区議会議員を5期務めた夫が東京都議会議員選挙に立候補しました。

満を持して新しいステージへとチャレンジしたのですが、力及ばずに落選。様々なデータを分析したうえで出馬した夫には、当選する自信がありましたし、周囲も私もそれを信じていました。

ドムドムフードサービス 藤﨑忍社長
ドムドムフードサービス 藤﨑忍社長(撮影=ホンゴユウジ)

ところが選挙とは本当にわからないものです。新しい政党の新人さんが1、2カ月前にパッと名乗り出て、予想外に票を獲得し当選してしまったのです。選挙の結果を受け、夫婦共々、精神的に落ち込み、本当にきつい思いをしました。それでも夫は、次の選挙に向けて改めて前を向き、政治を諦めない姿勢を見せてくれたのです。

しかし、不運は重なるものですね。ある日、夫は心筋梗塞で倒れてしまったのです。2週間ICUへ入院となりました。選挙の疲れや多大なストレスが重なってしまったのも、影響していると思います。真っ青な顔で、胸の痛みと吐き気に堪えきれず、夫自ら「救急車を呼んでくれ……」と訴えました。初めての出来事に、おろおろして手が震え、うまく電話のボタンが押せませんでした。

一命は取り留めましたが、一時は危篤状態に陥り、ICUに2週間。その後一般病棟に移りましたが、しばらくは安静にして治療に専念することになりました。

「私が働かないと」39歳の決意

不動産業などを営んでいた実家とは違い、当時、我が家の収入は夫の稼ぎに頼りきり。

夫が選挙に落ちた=我が家の収入が途絶えるということです。副業を持たれている方もいますが、一般的に政治家が選挙に落ちて次の選挙を目指して活動を続ける場合は、その間の収入が大幅にダウンあるいはストップしてしまいます。

幸い夫には物心両面の応援をしてくださる方もいたので、リハビリをしながら、政治活動を継続して頑張るつもりでした。とはいえ、大幅な収入ダウンであることは事実です。問題は私たち家族の生活費など、足りないお金をどう工面するかです。

ましてや選挙費用が借金として残っていました。そして生活費は待ったなしの状態。息子は私学に通っていましたし、夫の治療費もかかります。我が家には貯蓄が潤沢にあるわけではありません。そうなると私が外に働きに出てお金を稼ぐしか手段がなかったのです。

悩んでいる暇はありません。すぐに仕事を探し始めました。

私は39年間就職したことがなかった人間です。でもその時は、ごく自然に「夫には夢を追い続けてほしい。私はそれを支えたい。私が働かないと」という思いが湧き起こりました。だれかに頼ろうとは思いませんでした。私が働くという選択肢しか考えられなかったのです。

私はそれまで就職活動もしたことがなかったので、まずは伝手を頼ってみようと、友人など周りの人たちに「どこか良い就職先があったら紹介してください」と話しました。

すると、青山学院初等部からの友人にこんな誘いを受けました。

「母が経営しているSHIBUYA109のアパレルショップで働かない?」

39歳でギャルの聖地、SHIBUYA109へ

109が若い世代に人気のファッションビルだということはもちろん知っていました。

しかし実際どんなものなのか雑誌を買って読んでみると、よく知っている昔の109とは全く様変わりしていることがわかりました。

私は率直に「面白そう!」と思ったのです。

渋谷の109(マルキュー)といえば、ある世代以上の方にとってはガングロ・ルーズソックスの象徴的存在ではないでしょうか。その頃は一世を風靡した、いわゆる“ギャルファッション”ブームは落ち着いていました。しかし相変わらず流行を発信していて、若い世代のファッションを牽引する存在だったと思います。

渋谷
写真=iStock.com/SmokedSalmon
※写真はイメージです

05年に始まったファッションショーのイベント『東京ガールズコレクション』では、109からも多くの人気ショップが参加していたようです。ファッションの傾向としてはモノトーンベースで比較的シックなものやガーリーなスタイルが人気を集めていました。相変わらず人気ショップで働くカリスマ店員さんは、テレビや雑誌など、メディアでも注目の存在でした。

「そんな華やかな場所にアラフォーのおばさんが仲間に入れてもらえるのかな? できるのかな?」と思うと同時に、ワクワクする気持ちもありました。渋谷は学生時代毎日通った、いわば私にとってホームのような街です。109もアウェイではなく、違和感なく通えそうだなと思ったのです。

全く足を踏み入れたことがないファッションの世界でしたが、頭よりも身体を使って働く方が絶対楽しそうだと思いました。決めたら迷いなんてありません。同級生のお誘いに「ぜひ働かせて!」と応えることにしたのです。

働く決め手は自由なファッションへの憧れ

政治家の妻だったので、ファッションではそれほど冒険ができませんでした。後援者の皆様が不快に思わないトラッドなスタイルを夫も好んでいました。基本はスカート。私の好みは二の次でした。思い返せば高校時代、同級生たちは髪を外巻きにしてサーファースタイルで装うなか、私は1人で髪をツーブロックにしてモノクロファッションという感じ。周囲とはちょっと違った自分の好きな傾向が確実にあったのに……。

雑誌で見た109ファッションの若いお嬢さん方は、髪の色も形も、ネイルまでが色とりどりに彩られ、とても自由できれいでした。ファッションの聖地109にワクワクしたのです。

もしガングロのヤマンバファッションが全盛の頃だったら、私の感覚では理解できず、109にしり込みしたかもしれません。

私が働くことになったアパレルショップは109の6階に位置する10坪ほどの『MANA』という店舗です。友人のお母様であるオーナーからは「あなたが後継者になるのだから頑張ってください。まずは店長ということで、お店のことはお任せするわ」と言われていました。身内の方に跡を継がせようと任せてみたけれど上手くいかなかったので、代わりに私にやらせてみよう、ということのようでした。

そんな経緯でしたので、結果を出せば自分がこのままこの店を運営していけるのだと思い、良い店を目指して頑張って働きました。ありがたいことに売上のノルマや成長目標といったものはなく、自由にやらせてもらえました。

入社後から書き始めたノート

入社初日の年8月1日にいざ店内に入ってみると、店舗運営にも若い子のファッションにも素人の私ですら、品揃えや店舗の雰囲気が「パッとしないな」と感じる有様でした。

藤﨑忍『ドムドムの逆襲』(ダイヤモンド社)
藤﨑忍『ドムドムの逆襲』(ダイヤモンド社)

109内という立地の良さで売上はそこそこありましたが、まだまだ改良の余地があると感じたのです。

そこで入店初日から、即、気になるところに手を入れていきました。

入社にあたって、まず、メモがわりになんでも書き込んでおこうとノートを一冊用意しました。ページを開いて記入したのは、自分がやるべきこと。このノートは今も私の手元にあります。見返してみると、初めての仕事に対する決意の強さを感じますね。

日付は8月2日。1日に入社して、自分なりにその日に感じたことや問題点を洗い出して、まとめたのだと思います。

ページを開くと以下のように書いてあります。

・店舗の整理
・清掃ルール
・在庫の整理
・商品センターとの連携
・棚等の有効活用

日本人女性はノートにメモを取る
写真=iStock.com/kazuma seki
※写真はイメージです

まずは、店舗の掃除から

これが一番目に手を付けようと思って洗い出した問題点です。このうち、まずは店内やバックヤードを清掃・整理するところから始めました。整理されていない店で在庫管理なんてできませんよね。

私が入った当初、店内は納品時の段ボールがそのまま売り場の床に置かれていたりして、汚くて整理されていない、居心地の悪い空間でした。109に入っているショップのなかでも、指折りの汚さだと思いました。売り物や棚に埃がかぶっている店では、どんなに頑張って素敵な商品を置いたとしても、誰でも買う気が失せてしまうでしょう。

そこでまずは店内を徹底的にきれいに掃除して、ダンボールなどは処分しました。どうしても移せないものについては生地をかけてお客様の目に触れないようにしました。

試着室のカーテンが、薄汚れた感じで暗い色味だったのが気になり、自分で華やかな色合いの布を買ってきてミシンで縫って掛け替えました。カーテン一枚替えただけなのに、店内が明るくなって雰囲気がガラリと変わり、商品の見栄えも良くなりました。店内の印象を手軽に変えたいのであれば、費用対効果が大きいカーテンの掛け替えをおすすめします。

そのほか、ノートには「POPは全て手書きにする」とあります。入社当時のPOPや値札はパソコンで打ち出した活字でした。いろいろ試行錯誤はしていましたが、まだまだ店内が暗めでイマイチな雰囲気だったので、スマートな印象を与える活字のPOPと全然合っていなかったのです。

さらに、活字だと内容が伝わりにくいという問題もありました。そこで思い切って、店内のPOP類はすべて私が手書きしてパウチしたものに付け替えました。手書きだと活字に比べて視線が素通りしない、よりお客様に内容が伝わりやすいものにもなったと思います。

スタッフを礼儀正しい人に絞る

呼ばれて行って挨拶した際に感じたのは、アルバイトの子がいっぱいいるということ。半数程度が外国出身のスタッフで、日本人、韓国人、中国人で計10人という感じでした。

そこで店の規模にスタッフ数を合わせるため、挨拶ができる、勤怠が良好など、人としてきちんとした子を残してスタッフ数を絞りました。新しい店長である私に「なんでこんなおばさんがくるんだろう。こんな人どうでもいいや」という態度を隠さない子もいたのです。特に理由もなく上司に対して失礼な態度をとる時点で、ショップ店員としては失格だろうと思いました。

選ぶ際、国籍は全く判断材料にせず、礼儀正しい人を選びました。結果的に残ったのは日本人1人、韓国人3人、中国人1人です。

まずはこのスタッフをベースに新しい店づくりを始めていきました。

前述のノートには次にこう書いてあります。

・バイトの運用方法
・店長(チーフスタッフ)とよく相談をする
・人数について。曜日ごとの必要人数の把握
・販売ルールを作る

入社翌日につくったお手製シフト表

正式には私が店長だったのですが、ここでいう店長とは1人だけいた日本人の子のことです。

必要なスタッフ数を管理するためにはシフト表が必要ですよね。でも私は働いたことがなかったので、この時シフト表というものの存在を知らなかったのです。そこで自分なりに日ごとにこれだけいれば良いかなと思う人数を書き出しました。このお手製シフト表も入社の翌日に作っています。販売ルールは「声の出し方、接客の方法、在庫出しの方法、掃除」と内容が書いてあります。改めて見直しても、どれもお客様が快適に買い物できる空間づくりのために必要なことです。今振り返って、五里霧中なりに着目点は間違っていなかったのだなと思います。

時間帯での売上を把握する

次の日のノートには「シフト、売上」と書いてあります。

実は、入社当日から、自己流で売上をつけ始めていました。

初めて働く私には、ショップ運営に必要な帳簿の付け方もわからないし、レジもエクセルも使えません。レジで時間帯別の売上など様々なデータが出せると思うのですが、もちろんそれも当時はわからなかったのです。

まさに暗中模索のアナログで、一つひとつ計算しながら、売上や純売上、客数、客単価、スタッフ数、売上累計、前年比などを記入してまとめ始めたのです。比較したかったので、私が勤め始める前のデータもまとめました。お恥ずかしいことに、当時は純売上という言葉すら知らなかったと思います。

商売のことがわからないなりに、この時間帯にこの価格帯のものが何個売れたとか、この型番の商品が何着売れたなどを目に見える形で残すようにしたのです。

素人なのになぜこのような記録をつけようと思ったかというと、おそらく在庫を管理するための材料が欲しかったのだと思います。商品の仕入れも私が行っていましたので「このレンジ、価格帯の商品は今の時期◯着は売れるから、売り場に◯着置いておくと十分だろうな」などと活用していました。

ノートに記録して工夫できることは何でも試した

ノートを見返してみると、日々細かいところまでいろいろと工夫していたことがわかります。「ベルトの場所は必要ないのでは」と書いてあったりして。売り場にベルトを置いている一角があったのですが、売上に対してそんなにスペースは必要ないのではないかと思っていたんですよね。10坪の店なので、小さいスペースのやりくりも大変です。

そのほか、時間帯売上を見てお昼休憩のやりくりをしたり、イベントや納品などのスケジュールまで考慮してスタッフを増減させたり、いろいろ工夫しています。

今思うとPOSレジのリアルタイム売上管理のようなものを手書きのアナログでやっていたんですよね。見返すと原始的すぎて笑ってしまうのですが、我ながらすごいと思います。

小さな店とはいえ、やがては経営者になるのだからと、できることはなんでも試して書き出していました。