短納期、ハンコと書類だらけの業務の“震源地”
「過去1000社の企業コンサルティングを行ってわかったのですが、長時間労働の問題を抱える企業の共通点は、『行政と直接やりとりがある』ことだったんです。発注元である行政の仕事、やり方が、多くの企業の残業の震源地になっている。ここを変えないと根本的な解決はできないと気づいた」。企業や自治体に対し、働き方や女性活用のコンサルティングを行うワーク・ライフバランス代表の小室淑恵さんは調査の理由を語る。
小室さんは、中央省庁との仕事では、「民間では当たり前になっている電子的な発注ではなく、難解な日本語の発注書に短期の納期を指定され、膨大なハンコと書類だらけの業務を強いられる。そして、短い納期を示された企業が、更なる短納期を下請けに要求するといった構図がまかり通っている」と話す。
過酷なサービス残業、進む若手の官僚離れ
2021年3月から4月にかけて実施されたアンケート「コロナ禍における中央省庁の残業代支払い実態調査」には20代から50代の現役国家公務員316人が回答した。
河野太郎国家公務員制度担当大臣が2021年1月に行った会見で、「残業時間はテレワークを含めて厳密に全部つけ、残業手当を全額支払う」と表明しているにも関わらず、この調査の回答者の3割にあたる89人が、「残業代が全て正しく支払われたか」との問いに「支払われていない」と答えている。
フリーコメントでは、「超過勤務した分を申し出たが支払うことはできないと言われた。(農林水産省 40代)」「テレワーク(在宅勤務)では残業として認められないという空気がある。(農林水産省 20代)」「3割支給されている程度で前と全く変わっていません。噂では、予算がないからとのことですが、予算がないなら残業させないでほしい。(厚生労働省 40代)」などの声が寄せられた。
人事院が4月に発表した2021年度の国家公務員採用試験の申込状況では、省庁の幹部候補となる総合職の申込者数は、前年度比14.5%減の1万4310万人。これは、現在の総合職試験が導入された2012年度以降最大の減り幅で、また5年連続の減少となり、官僚離れが進む状況を露呈しているといえる。
少子化が解決できない理由、霞が関にも
ワーク・ライフバランス社は2020年8月に、「コロナ禍における政府・省庁の働き方に関する実態調査」も行っており、回答者の約4割が「単月100時間」を超える残業をしていたことが判明した。メンタル疾患の罹患率は民間企業の3倍、若手の離職率は6年前の4倍となっているという。ちなみに内閣人事局が2020年10月から11月に行った、中央省庁勤務の国家公務員の残業時間の調査でも、20代の総合職の3割以上が過労死ラインと呼ばれる月80時間を超えていたことが明らかになった。
小室さんは、こうした過酷な労働環境に限界を感じ、優秀な人材が集まらなくなれば、政策の質が低下し、国益が大きく損なわれると警笛をならす。
さらに、官僚の作る政策と、実社会の現場の感覚との間に、ずれが生じてきていると指摘する。
「私は今まで、多くの政府の委員会の委員をやってきました。そこで『少子化の要因は長時間労働にある』という、働く女性であれば、子育てとの両立を難しくする要因として当たり前に感じていることを政府の委員会で話すと、官僚の人たちからは、『それエビデンス(証拠)あるんですか』と言われるんです。彼らには、生活の実感がない。霞が関では、育児との両立に苦労したことのない人だけが真ん中を歩いて、子育てなどで時間的制約がある人は、暇な部署に異動させられるのが現実だからです」という。
「この国がずっと少子化を解決できずにいる大きな理由は、霞が関サイドに、子育てとの両立に苦労を抱えながら仕事をしている人がいないから。実社会の現場の課題が、政策としっかりつながっていないからだと思います」
「テレワークなし」が4割も
とはいえ、昨年8月の調査と今回の調査とで進展があった点も見られた。テレワークの実施と、「議員レク」と呼ばれる官僚の国会議員への説明の方法だ。
「議員レクに関しては、前回17%だったのが、67%オンラインでできるようになった。昨年調査を行って、現状が“見える化”されなければ絶対に起きなかった変化だと思います。また、前回は議員とのやり取りの9割がファクスだったのですが、メールの割合が13.9%から69.2%(「そう思う」「強くそう思う」の合計)に急増していました」
ただ、今回の官僚のアンケートでは、『テレワークを全くしていない』と答えた人が4割にも上り、『テレワークを禁止等されている』と答えた人も35%に上った。特に大臣へのレクチャー(説明)は、対面を求められる場合が多く、電話、オンライン化、ペーパーレス化が進んでいない。コロナ禍で、政府は民間企業に7割テレワークを進めるようにと呼びかけているにも関わらずだ。
幹部や議員への説明は対面、大量の資料も
省庁別の比較では、『対面での大臣レクを要求された』という回答者の割合が多かったのは上から外務省、内閣官房、内閣府だった。
「議員さんや官僚の幹部を見ると、『部下のテレワークは許すが、幹部は出社しないといけない』という形になっている。『幹部にレクをする立場の人は来て当たり前』という認識から抜けられていない」と小室さんは言う。
環境省は『対面レクの要求なし』との回答だった。小泉進次郎大臣が2020年1月に育児休業をとり、大臣自らがテレワークをするようになった影響があるようだ。
また、テレワークだけでなく、ペーパーレス化も進んでいない現状が、アンケート回答からも読み取れる。
「審議会を開催する度に、毎回複数の議員事務所に審議会資料を紙媒体で届けることが慣例化しています。審議会の資料は役所のホームページに公開されているので、紙媒体で確認したい場合は各議員事務所で印刷するようにしていただきたいです。膨大な量の資料を印刷し、資料を順番通りに組んで封筒に入れ、霞が関から永田町の議員会館まで電車と徒歩で運ぶ作業をしています。見えないところで相当の時間とマンパワーがさかれており、このような作業は全て若手職員がやっています。(厚生労働省職員)」
国会開会時の残業代、約102億円
しかし、最も深刻なのは、国会開会中の官僚の残業だ。ワーク・ライフバランス社は、経済産業省、内閣府を含む6つの省庁で働き方改革のコンサルティングを請け負い、残業をかなり減らすことができたが、国会開会時期の残業を抑えることはできなかったという。
慶応義塾大学の岩本隆特任教授の2018年度の試算によると、国会開会中に発生する国家公務員の残業代は約102億円、深夜帰宅などに使うタクシー代は約22億円とされる。もちろん、これらの財源は国民の税金だ。
アンケートでは、残業の主な要因として「国会議員の事前の質問通告が遅いために、官僚が長時間待機を強いられている」ことが挙げられている。質問通告というのは、国会の審議などで質問する議員が、質問内容を事前に政府に通告し、準備をさせるためのものだ。官僚は通告内容に応じて大臣らの答弁を準備する。
「質問通告は2日前までに行う」という与野党合意があるものの、それが徹底されておらず、実際は通告が前日になることも多い。すると、それまで官僚は待機し、直前に出た場合はそこから夜通しで対応を強いられることになる。
「2日前ルールが守られていると感じるか」との質問には、85%がそう思わないと回答している。
待機、印刷、納品で午前4時、1時間半後にまた出勤
小室さんも、省庁にコンサルティングを行ったことで、議員の遅い時間の理不尽な要求が長時間労働を強いるという現実を目の当たりにしたという。
「国家公務員総合職(旧・国家公務員一種)試験に受かった東大法学部出身の優秀な人たちが、夜中の3時ごろに大量の資料を一生懸命印刷し、大臣が読みやすいようにマーカーを引いて、耳付け(付箋張り)し、納品するのが午前4時。そして、シャワーを浴びるために一度家に帰り、午前5時半からの大臣レクに備える。そんな様子を拝見できた」
小室さんは、そんな官僚の働き方の実態を、国民はもっと知るべきだという。
「コロナ禍で私たちは、『どうして政府は適切にお金を使ってくれないんだ』という憤りを強く感じたと思います。一方で、たった4~5人の議員の質問通告が遅いがために、全省庁の待機がかかって102億円という残業代がかかっている。この状況を国民は知るべきです。さらに、官僚全員が、残った仕事はテレワークにして22時までに一度家に帰ることにしたら、タクシー代の22億円は明日にでも浮く」
「2日前ルール」が守られない
調査によると、「2日前ルール」を守っていない議員が多かった政党は、立憲民主党(回答数70)と共産党(同61)だった。両党によると、国会の委員会などの開催日程がギリギリまで決まらず、前日になってしまうことがあるためだという。
しかし今回、ルールを守っている議員として名前が挙がったうちの1人であり、元財務官僚でもある国民民主党の玉木雄一郎代表はこう指摘する。
「いつも問題意識を持っていれば、質問はすぐに書けるはず。それに、2日前に質問を出せば、質問する日まで余裕があるので頭の整理ができ、よりよい形で質疑に臨める。官僚からも、『早めに質問を出してもらえると、よく考えて答弁を作れるので、よいやり取りになる』と言われた」。もし、突然スキャンダルが出てきても、そういった質問は追加で質問通告すればよいので、そのためだけに全てを遅らせる必要はないと言う。
また、経済産業省の元キャリア官僚で民間シンクタンク「青山社中」筆頭代表の朝比奈一郎さんも、早く質問がわかれば、もっと国会で意味のある議論ができるようになるだろうという。
「官僚をやっていた実感で言うと、野党の質問にも鋭い、よい質問があるんです。でも、前日に言われたら、これはもう守るしかないですよ。『今自分がやっている政策は正しいです』と大臣に話してもらうしかない。もっと時間があればしっかり検討して、大臣に『おっしゃる通りです、そういう方向で検討します』と言ってもらうこともできる」
しかし今の国会の体制では、与党が出した法案について議論しても、修正する場が事実上なく、建設的な議論ができないと小室さんは指摘する。与党は、法案を修正させずに会期内に成立させることばかりに注力。野党は、反対する法案の審議日程をできるだけ遅らせ、廃案に持ち込むしかないというのが現状だ。こうした、ギリギリの日程調整の中で官僚の残業が膨らんでいるのだ。
では、何から始めればよいのだろうか。
忖度しすぎ、丁寧すぎる答弁書
朝比奈さんは、官僚を早く帰らせ、形式的に残業時間だけを減らそうとすると、仕事の丁寧さが失われ、ミスが増える要因にもつながると懸念する。まずは、仕事を減らさなければならないという。
「国会の答弁書など、官僚が丁寧に作りすぎるんです。もちろん、適当に答えてというわけにはいかないですが、国会は大臣と国会議員が議論する場なんですから、『こういう形で答弁してください』と参考にメモを渡す程度でいいはず。でも実際は、大臣が読み上げるための文章一言一句を官僚が作っている。さらに、『この大臣は細かい字が読めないから14以上の巨大なフォントで作りなさい』などといった指示まである。官僚側の問題でもありますが、『念のため』と忖度しすぎて、ほとんど使われないような資料までも入れている」
労働時間を減らすには、役所の幹部や大臣の世話、調整プロセスにかける時間を減らして簡素化することが必要だと、朝比奈さんは指摘する。そうすれば、もっと政策の中身の議論に時間をかけられ、若手官僚もやりがいを持って仕事ができるはずだというのだ。
前述の玉木議員も、今起きている霞が関からの人材流出は、現場からの反乱を意味しているのではないかという。
「官僚に勤務環境、時間、家庭を犠牲にすることを強いて、わが国の政策立案は成り立っていた。それがもう耐えられなくなってきたんですよ。『変えられないなら去るしかない』と、多くの人が役所を去り始めている。この動きに対して、政治家はもっと敏感にならないといけない」