世界経済フォーラムが3月31日に発表した「ジェンダーギャップ指数」で、日本は156カ国中120位と、またしても下から数えた方が早いという状態。特に足を引っ張っているのが政治分野です。ジャーナリストの大門小百合さんが、日米の「わきまえない女」のパイオニアの発言を振り返りながら、ジェンダー平等が進まない国会の状況について解説します――。
アメリカのジョー・バイデン大統領(中央)、カマラ・ハリス副大統領(左)、ジャネット・イエレン財務長官(右)
写真=CNP/時事通信フォト
アメリカのジョー・バイデン大統領(中央)、カマラ・ハリス副大統領(左)、ジャネット・イエレン財務長官(右)=2021年1月29日、ワシントンD.C.のホワイトハウス大統領執務室

カマラ・ハリスのスピーチの原点

バイデン大統領は、昨年2020年12月のCNNとのインタビューで、“I’m going to keep my commitment that the administration, both in the White House and outside in the Cabinet, is going to look like the country.”と言って、ホワイトハウスの閣僚もそれ以外の人事も、アメリカという国の姿を反映させるものにすると約束した。

その結果、アメリカの政治におけるダイバーシティは、今、その歴史上例をみないぐらいに進み始めている。15人の閣僚のうち半分が女性であり、黒人、ヒスパニック、ネイティブインディアンのルーツを持つ人など、さまざまな顔ぶれが政権の中枢にいる。財務長官のジャネット・イエレンをはじめ、内務長官には、ラグナ・プエブロ族の一員で、ネイティブ・アメリカンの女性として初めて米国の国会議員になったデブラ・ハーランド、商務長官にはジーナ・レモンドなどがいる。ホワイトハウスの幹部スタッフもその6割が女性だ。

また、アメリカの調査機関、ピュー・リーサーチ・センターによると、1月から始まった連邦議会は、アメリカ史上始まって以来の多様性がある議会だという。黒人、ヒスパニック系、アジア系、アメリカ原住民のルーツを持つ議員が124人。議会全体の23%を占める。女性議員の数も、アメリカ史上初の女性議員のジャネット・ランキンが下院に当選した1917年以降、順調に増え、今年一月の時点で両院で144人、全体の27%を占めるようになった。

ところでこの女性初の下院議員のランキン氏が最初に当選した時、“I may be the first woman member of Congress. But I won’t be the last.(私は初めて議会に当選した女性かもしれません。でも私は最後ではありません)”と言ったそうだ。この言葉、どこかで聞いたことはないだろうか。

そう、アメリカ初の女性副大統領になったカマラ・ハリス氏が11月の選挙後初めておこなったあの有名なスピーチとそっくりなのである。“I may be the first woman to hold this office. But I won’t be the last.(私は最初の女性の副大統領になるかもしれませんが、最後ではありません。)”ハリス氏は、ランキン議員によって女性たちが勝ち取ってきた参政権運動の歴史に、自分自身を重ね合わせたのではないだろうか。

日本との戦争に、たった一人で反対した議員

実はランキン氏は、女性初の議員というだけでなく、戦争に反対し平和主義を貫いた姿勢でも有名な女性である。第一次世界大戦へのアメリカの参戦を決議する際、当時のウッドロウ・ウィルソン大統領は、ドイツとの戦争に参戦することは、世界を安全なものにし、民主主義を守るためだと述べた。その決議に50人の議員が反対票を投じたが、そのうちの1人がランキン議員だった。また、1941年の真珠湾攻撃の後、日本と戦争をするという決議に、議会でたった一人、反対したのも彼女だった。

“As a woman I can’t go to war, and I refuse to send anyone else.”(私は女性として戦争には行けないし、誰かほかの人を戦争に送ることも拒否します。)”そう言って彼女は反対したが、下院は、388対1で戦争決議を可決した。日本に真珠湾を攻撃され、戦争ムードに火がついたアメリカで、1人反対票を投じたランキン氏は、今でいうと「わきまえない女」ということになるのだろうか。そんなわきまえない女になるのにはかなり勇気がいる。彼女のような考えを持つ女性議員がもっと議会にいたら、ひょっとしたら歴史は変わっていたのかもしれない。

1人目は保守、2人目は革新、3人目は女性

さて、日本女性の政治参画はどうだったのだろうか? 日本の女性が初めて国政選挙に参加したのは1946年4月10日の衆議院選挙。この時当選した女性は39人で、衆議院の女性比率は8.4%になった。現在の衆議院の女性比率は9.9%。80年近くたってもほとんど増えていない現実に愕然とする。

私は、1946年にこの国で初の女性の衆議院議員になった故園田天光光氏に、何度かインタビューしたことがある。2007年に取材した当時、彼女は、戦後初の選挙で39人もの女性が当選した理由について、大選挙区連記制という選挙方法のおかげでもあったと言っていた。旧東京2区から出馬したのだが、人口が多く、1人の有権者が3人の名前を投票用紙に書くことができたという。

「その時の選挙は、まず保守の候補者を1人書く。2人目に革新を書く。3人目に女性を書くという人が一番多かった。理屈から考えればおかしなものよ。保守と革新と女性を書くなんてね」と、当時すでに88歳だった園田氏は、お茶目に笑いながら話してくれた。

この話、いかにもバランスをとるのが好きな日本人的な発想ではないだろうか。もし、今、衆議院選挙が大選挙区制で名前を3人まで書くことができるなら、女性にももっとチャンスが巡ってくるのではないかとさえ思う。特に大選挙区制を推進するつもりはないが、選挙制度というのが議席の構成に大きく影響を与えるものであることは間違いない。

日本の投票用紙
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焼け野原の上野を見て、新宿で街頭演説

園田氏が選挙にでたのは、戦争直後。ある日、上野駅に父親と一緒に行ったそうだ。街は焼け野原で、上野駅は孤児、浮浪者、そして餓死者の死体でいっぱいだったという。その帰り道、新宿で途中下車し、「今見てきたことをここで話してみろ」と父親に促され、駅前に立って初めて人々の前で話をしたのだという。

「とにかく私の結論は、せっかく生き残されたものが餓死したんじゃ申し訳ない。緑をはやす仕事をしなければいけない、街を作る仕事に携わらなければならない。そうかといって、餓死しないという保証はないのよ。だから、どうやったら生き延びられるか、生きることを考えなければならないと思ったのね。それで自分ひとりじゃ弱いから、みんなでグループを組んでみんなで生きていこう、知恵をだしあいながら」と当時のことを振り返った。そんな街頭演説から始まり、毎日集まって相談しているうちに誕生したのが、「餓死防衛同盟」。そこから出馬し見事当選した。

のちに彼女は、妻子ある民主党の園田直代議士と「白亜の恋」と言われる恋愛関係に落ち、出産し、世間の批判と注目を浴びることとなる。

橋本聖子氏の出産を擁護した元祖「わきまえない女」

ベビーシッターなどない時代だ。「どうやって国会議員をやりながら子育てしたのですか」との私の問いに、自分の議員会館の事務所に赤ちゃんを連れて行って寝かせていたと言っていた。そして、国会の合間に靖国神社に散歩に連れていった時、息子を戦争で亡くし、靖国神社で祈る女性と話したことがきっかけで、その女性にベビーシッターになってもらったという話もしてくれた。戦後、子育てしながら国会議員をやるということがいかに大変だったかを想像することは難しくない。彼女もまた、これまでの男性議員の常識からは程遠い、「わきまえない女」だったのかもしれない。

ただ、その経験があったからこそ、2000年、園田氏は、橋本聖子参議院議員の妊娠を機に国会議員の産休制度創設が議論された時、現職議員としてただ一人出産を経験した人として自民党から懇談会に招かれた。

当時は、国会を欠席するのに「出産」という理由で休むことが参議院規則に明記されていなかった。園田氏は、産休制度創設の必要性を説き、一時は、「議員を辞職すべき」などの声も上がっていた橋本氏を擁護し、規則の改正に貢献したのである。2001年には衆議院でも同様の規則改正が行われた。

しかし、2021年現在、国会議員も地方議員も、労働基準法が定める労働者には該当しないと整理されていて、労働者に認められている産前6週間、産後8週間の休業取得、育児休業の取得対象にはなっていない。また、国会やほとんどの地方議会でも休業期間の定めがなく、出産で公務を欠席することへの理解がなかなか得られないで苦労している議員も多い。

今年2月、やっと都道府県・市・町村の3議長会が、各地方議会が議会運営の規則を定める際に参考にする「標準会議規則」に、産休期間を「産前6週、産後8週」の計14週と明記する改正を行った。規則に拘束力はないが、各地方議会は改正を踏まえた対応を早急に行うべきである。

女性の政治参画への環境整備を進めなければ、女性議員は簡単には増えない。また、子育て中の人の声が政治に反映しづらかったり、女性特有の問題に関しての政策対応も遅れてしまうだろう。

政治分野では世界147位

毎年、世界経済フォーラムが発表しているジェンダーギャップ指数では、日本の男女平等が特に政治の分野で遅れている現状を物語っている。3月31日に発表された最新のレポートでは、世界156カ国中、日本は前回の121位から1つ上がって120位。しかし、政治分野においては147位という、先進国とは思えない低い順位だ。女性の議員と閣僚の人数がほとんど増えず、女性首相も今だに誕生していないことが影響している。

女性に対する差別的発言で、東京オリンピック・パラリンピック大会組織委員会のトップが森喜朗会長から橋本聖子会長に変わったのも記憶に新しい。また、東京オリンピックの開閉会式の企画、演出の統括役でクリエーティブディレクターの佐々木宏氏が、豚に扮するタレントの渡辺直美さんが「オリンピッグ」というキャラクターになる案を仲間うちのラインで提案していたという話も最近話題になった。

これは、多様性の欠ける同質性の高いグループにどっぷり浸かっていたため、以前は問題視されないような発言やお笑いネタが、時代の変化とともに許されなくなっていることに気づけなかったからではないだろうか。そういうグループでは、異なる視点や革新的な考え方も出てきづらい。世界経済フォーラムのマネージングディレクターであり、ジェンダーギャップ指数調査責任者のサディア・ザヒディ氏も「ベストな考え方(アイデア)は、同質的なチームからは生まれないというのは、すでに周知の事実だ」と指摘する。

そして、これが政治の世界であれば、人口の半分の女性たちの声が政策に反映されず、本当に必要な政策の優先順位が後回しにされるといったようなことも起こりうる。

選挙運動
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自民党は、3月に行われた党大会で、「党におけるあらゆる意思決定に女性の参画を確保し見える化する」と明記した2021年運動方針案を採択した。女性政策が運動方針で項目化されたのは初めてだそうだ。菅義偉首相も「全ての女性が輝く社会、作ってまいります。党においてもあらゆる意思決定に女性の参画を確保し、見える化するこの方針に沿って全力で取り組んでまいります」と党大会で挨拶をした。

今年中には衆議院選挙が行われる。森前会長の発言をきっかけに、女性の地位向上が注目されている中、政権与党がはたして有言実行できるのか、そして今の日本の政治がこの国の姿を反映するものに少しでも近づくことができるのか、有権者としても注目していきたい。