「外見より中身」とは言うものの、ネットも街角も容姿についての情報であふれ、外見の美醜で人を評価する風潮は根強く存在しています。助産師で「性教育YouTuber」のシオリーヌさんが、自身が「ルッキズム」(外見至上主義)にとらわれて摂食障害になった経験を挙げながら、自分のありのままの姿を肯定することの大切さを説きます――。

※本稿はシオリーヌ(大貫詩織)『CHOICE 自分で選びとるための「性」の知識』(イースト・プレス)の一部を再編集したものです。

ボディイメージに影響を与えるさまざまな情報
イラスト=どさんこつくし

なぜ「自分の身体が大キライ!」と思うのか

ボディイメージとは、自分の身体にたいして自分が持つ認識やイメージのこと。今の自分の身体を、どんなふうに捉えるか。どんなふうに評価するか。そんな要素をまとめてあらわす言葉です。

社会の中で暮らしていると、ボディイメージに影響を与えるさまざまな情報と出会います。

太っていることは、醜いこと。
痩せる努力をできる人が素晴らしい。
筋肉がない人は魅力が足りない。
ムダ毛の有無は女性の魅力を左右する。
髪の薄さは男性の魅力を左右する……。

例を挙げればキリがありませんが、自分の容姿が社会的に見てどうなのかを考えざるをえないような場面を経験することはたくさんあるかと思います。

ただ、あなたの身体にとって最も重要なのは、あなた自身が心地よく過ごせる身体であるかどうかです。

「美容体重」とは何なのか

ためしに時々テレビや雑誌で見かける美容体重というものについて、考えてみましょう。

インターネットで美容体重とされる体重を求める計算法を調べてみるとたくさんの計算式が出てきますが、そのひとつであった「身長(cm)マイナス120=美容体重(kg)」というものを例に計算します。

身長160cmの方の場合の美容体重は、40kg。これを厚生労働省が健康管理の指標として使用しているBMIという指数になおすと、15.6になります。

BMIの標準範囲は18.5~25(適正体重は22、18.5未満は痩せ)であることを考えると、この体重は身体にとって健康的な状態とは言えなさそうです。

「痩せている」ことより大切なこと

それでも社会の中では、雑誌やSNSでみるスリムなモデルさんをお手本のように捉え、美しいとされる美容体重を目指して多くの人がダイエットに励んでいます。

もう一度言います。あなたの身体にとって最も大切なのは、あなた自身が心地よく過ごせる身体であるかどうかです。あなたの身体をどんなふうに受け止めるか、そしてあなたの身体にどんな変化を起こすか(もしくはどんな変化も必要としないか)を決める権利は、あなた自身にあります。

どうか自分にとって一番心地よい自分の身体を、大切にして暮らしていただけたらと思っています。

『CHOICE 自分で選びとるための「性」の知識』より
イラスト=どさんこつくし

外見が人生を左右する「ルッキズム」

日本は、ルッキズムの文化が根付いた国です。

ルッキズムとは、外見でその人の価値をはかり差別する考え方のこと。例えば「太っている人は痩せている人より劣っている」とか、「二重(ふたえ)の人は一重(ひとえ)の人よりも価値がある」とかそういったものです。

そもそも生まれ持った顔の構造や体格、体質、肌の色は自分で選べるものではありません。生まれつき二重の人もいれば、目が小さい人もいる。同じ量の食事を摂っていても全く太らない人もいれば、脂肪がつきやすい体質の人もいる。

自分の意志で選べないもので人の評価を決めつけることは、ありのままの自分で生きるという、人の権利を覆す行為です。

ダイエットが摂食障害の引き金に

また日本では多くの人が「摂食障害」という疾患に悩まされています(*)。摂食障害とは、拒食や過食など食事に関する行動に異常がみられ、それによって身体的もしくは精神的に日常生活に支障をきたす症状が現れる疾患です。

摂食障害になるきっかけや、なってからの経過は人それぞれですが、ダイエットが引き金になるケースも多いのが特徴です。

実は、私自身も摂食障害の経験者です。きっかけは大学生の時、当時の恋人から、「もう少し痩せてほしい」という言葉を受け取ったことでした。

*2014~2015年 厚生労働省研究班の調査では、摂食障害で一年間に受診する患者数だけで約2万5000人といわれています。

過度なダイエットから、過食と嘔吐へ

食事制限と運動という典型的なダイエットに取り組み始めると体重が目に見えて減っていく感覚にのめり込み、カロリーは1日あたり500キロカロリーまでに制限。それしか食べていないのに6時間立ち仕事のバイトをした後に5駅歩いて帰宅するなど、明らかに行き過ぎた運動をするようになりました。

しばらくそんな生活を続けていると、ストレスのせいか身体的な異常のせいか時々自分でも制御できないような強烈な食欲を感じるようになり、過食と嘔吐を始めました。食べたいけど食べるのが怖い。食べてしまう意志の弱い自分が憎い。食事に誘ってくる友人を迷惑に思うこともありました。

それから数年経って、こんな生活を一生続けられるわけがないと思い、ようやく健康的な食生活に戻ることを決意しましたが、自分に植え付けられた恐怖心や身についてしまった嘔吐の習慣を手放すまでには長い時間がかかりました。

外見の評価、言葉にする前に立ち止まって

外見で判断される風潮に苦しめられるのは、体型に自信のない人だけではありません。

シオリーヌ(大貫詩織)『CHOICE 自分で選びとるための「性」の知識』(イースト・プレス)
シオリーヌ(大貫詩織)『CHOICE 自分で選びとるための「性」の知識』(イースト・プレス)

身長にコンプレックスがある人、顔のパーツが気になる人、自分の声が嫌いな人。そうしたコンプレックスを抱くようになった背景には、第三者からの評価があることも少なくありません。

誰かの外見を見た時に「綺麗だな」と思ったり「自分の好みではない」と思ったり、心の中でどんな感想を抱いたとしてもそれは自由です。でも人の外見に対しての評価を言葉にして伝えることは、その人の一生を左右する可能性のある行為であることを忘れないでください。

たとえそれが褒め言葉のつもりだったとしても、相手にとっては一生モノのコンプレックスを新たに植えつけられる経験かもしれないし、すでにあるコンプレックスを掘り起こすきっかけになるかもしれません。

外見を評価する言葉を手放して人を褒めようと思うと、意外と語彙が必要だなと感じますが、その気遣いの積み重ねがより豊かな人間関係を育んでくれる気がします。