イギリスのボリス・ジョンソン首相は、2020年3月に始まったロックダウン中に、新型コロナウイルスに感染。一時は集中治療室に入るほど重篤な状態に陥ったが、回復して首相官邸に戻ってきた。「寝起きのままのようなぼさぼさヘアにお世辞にもイケメンとは言えない風貌で、国民に親しみを持たれ、あるいは蔑まれてきた」というジョンソン首相は、コロナ禍のイギリスをどうリードしたのか。在英21年のジャーナリスト、冨久岡ナヲさんがリポートする――。

※本稿は栗田路子・プラド夏樹・田口理穂・冨久岡ナヲほか3名による『コロナ対策 各国リーダーたちの通信簿』(光文社新書)の一部を再編集したものです。

子どもたちから送られたお見舞いカードを見せるボリス・ジョンソン首相。2020年4月28日撮影(イギリス・ロンドン)
写真=AFP PHOTO/10 DOWNING STREET/ANDREW PARSONS/時事通信フォト
子どもたちから送られたお見舞いカードを見せるボリス・ジョンソン首相。2020年4月28日撮影(イギリス・ロンドン)

感染後、別人のように変わった首相

学校が段階的な再開を始めた2020年9月には自宅勤務から出社組に戻る人も増え、街には少しずつ活気が戻り始めた。ところがその途端に感染者数が再度増えだした。1カ月ぶりにテレビ画面に登場したボリス・ジョンソン首相のスピーチを聞いて国民は耳を疑った。

「……私もみなさんも、すでに実施されている規則が守られるよう、より強力な取り締まりを望んでいるのです。このため、地方自治体の権限を増強し、繁華街などにCOVID-19(新型コロナウイルス感染症)安全係官を配置します。違反を見逃す店には罰金も科します」

すでに自主的に見回りを行っている自治体はあったが、首相の表現はまるで旧東ドイツの秘密警察シュタージの再来ではないか。フランス、ドイツ、イタリア、スペインなどと違い、近代から今までに一度も独裁者を出したことのないイギリスにはなじまないやり方だ。自由主義を愛するボリス自身が一番それをわかっているはずなのだが。

さらに9月下旬には、やっと活気を取り戻しかけた外食業界にまたしても、飲食店の営業時間は22時までという足枷がはめられてしまったが、納得できる科学的根拠は一向に説明されなかった。

言うまでもなく、リーダーとしてのボリスへの支持は下がり始めた。長年のサポーターたちまで「この男はもはや、自分たちが一票を入れて未来を託した人物ではない」と言いだした。「コロナの後遺症で慢性疲労では?」という噂は今や「脳にダメージを負ったに違いない」というレベルにまで上がっている。追い打ちをかけるように、首相を取り巻く大臣たちも財務大臣を例外に失敗策ばかり打ち出していた。

打ち出す施策がことごとく失敗

14兆円を投入して2021年には1日1000万件のPCR検査を行えるようにするという「ムーンショット作戦」案は、発表前にメディアによって達成不可能な目的と暴露され、激しい批判を浴びた。鳴り物入りでオープンしたNHSナイチンゲール病院は、重症者数が予想より少なかったことからほとんど使われていない。

新学期が始まると新入生用の大学寮でクラスターが発生し、入学そうそうに多数の学生が個室での自己隔離を命じられてしまった。また、児童や学生の公共バスの利用は高齢者を含む成人への感染リスクがあるとのことから禁止となったものの、各自治体はスクールバスを出すお金などないと反発。保護者が車で送迎するはめになり、通学時間にはとんでもない交通渋滞を発生させた。どこを見ても大混乱が起こっている。

さらに悪いことには、労働党のロンドン市長サディク・カーンをはじめ、コロナ禍は宿敵ボリスを引きずり下ろす好機とみた政党や政治家、EU残留派の公務員が組織の大多数を占める行政機関などが揃って、いけすかない離脱政府の指示なぞ素直に実行するものかという態度だ。

数々のコロナ政策は、このように政治的に複雑な理由も重なり現場での実施がうまくいかないことが多く、責任を追及されたのはもちろん首相だった。そして半年前に熱く盛り上がった国民の団結心はすっかりエネルギー源を失い、しらけてしまったようだった。

ロックダウンで閉店中のロンドンのパブ
写真=iStock.com/martinrlee
ロックダウンで閉店中のロンドンのパブ ※写真はイメージです

ボリスはなぜ変わってしまったのか

「別人」と呼ばれていることに気づいたらしいボリスは、10月にBBCのインタビューに応じた。その様子を伝えた新聞記事は、「去年の今頃はジャガノート(恐るべき突進力と破壊力、頑強な肉体を持つ超人間を指す)としか呼びようのない勢いですべての障害物をぶち壊して突破し、総選挙で圧勝し、(EUからの)離脱を果たし、冗談を連発しながらポジティブで楽天的なオーラを発していたのに、1年後の今は正反対で支援者にも見放されてきている」と、首相の変わりようを表現している。番組ではインタビュアーへの突っ込みも少なく、ジョークも出なかった。

コロナの後遺症に悩まされているのではないかという心配があるが……と聞かれると、「そんなのたわ言だ、でたらめだ、ナンセンスだ」と笑い飛ばし、「ボクは肉屋の番犬を何匹も合わせたよりも元気だよ」と健康問題を一蹴した。しかし「前よりおとなしくなったようだが?」には「こんな時におどけちゃいけないと思っているので……」と、以前には想像できない答えが。

最後だけ「わが政府はマニフェストから逸れるつもりはない。今は減速する時ではなく、加速する時なのだ!」と力強く言い放った。閣僚たちを叱咤しった激励するための一言だったらしいが、見ていた側は思わず「それって自分に向けて言ったほうがいいのでは?」とつぶやいてしまった。

EU離脱「しか」できない内閣なのか

しだいに、ボリスはEU離脱と移行期間中の交渉を邪魔されずに進めるため、政治能力は二の次で自分の味方だけを周りに配したという見方が定着してきた。ワントリック・ポニーという言葉が英語にはあるが、これは一つしか芸(トリック)がないサーカスの子馬を指す。今の政府はこのポニーに喩えられている。長期間かけて計画したEU離脱は実行できるが、計画外の事態には何一つうまく対応できない内閣。

そんな評を振り払うかのようにボリスの活動は活発になり、保守党のヴァーチュアル年次総会の基調講演では、まず自分ネタのジョークで参加者を笑わせた。

「コロナが私のMojo(モージョー=魔法の力)を奪ったという噂がありますが、それは私たちが失敗すればいいと思っている人たちのたわ言にすぎません。たしかに重症になりひどい目に遭いました。でもそれはですね……私が太りすぎていたからだったのです! あれから11キロも痩せたんですよ」

これは、たくさんあるボリスのニックネームの一つBojo(Boris Johnsonの名前と苗字の最初の2文字をくっつけてボージョー)とMojoをかけたシャレだ。

復活した「ボリス節」

ボリスが自慢する「魔法の力」の一つは、自分に反感を持つ人と話すのが得意なことだ。実際に、私の知る社会派ジャーナリストには、ボリスに密着取材する機会を得たので必ずや質問攻めにしてギャフンと言わせようと勇んで出かけたものの、半日行動をともにしただけで魔法にかかったようにその人柄に惹かれてしまったという人がいる。

オンラインで聞き入る聴衆を、このMojoですっかり自分のペースに乗せた後、ボリスは環境政策や産業推進策を矢継ぎ早に打ち出した。

「母なる大自然は私たちをコロナでズタズタにしました。でも自然界の掟に沿って私たちはよりグリーンに立ち直るでしょう。そして、この政府こそはそのグリーン産業革命を推進するのです」

過去には「役立たず」とこき下ろしていた風力発電が突然ここで登場した。それは、北イングランドとスコットランドの沖合にオフショア発電所を建設して6万人分の雇用を生み出し、これからの10年間でイギリスのすべての家庭において風力から作られた電力が使われるようにするという計画だ。

スピーチでは、キャッチーなフレーズやシャレもちりばめられており、以前のボリス節が復活している。さらに、年次総会後の10月5日にはすでに稼働している風力発電所を訪問した。報道陣のカメラに向かって電気自動車のチャージャーを構えておどけたポーズを見せる様子には以前の快活さが感じられた。

ボリスが描くバラ色の未来

リモートで行われた国連の気候行動サミット会議でもボリスは似た内容のスピーチを繰り返し、アフター離脱、アフターコロナのイギリスはグリーン産業で大いに潤う、という図を鮮烈に描いて見せている。

「2030年のイギリスを訪れたと想像してください。今日、私が描いた多くのプログラムが完遂されていることでしょう。あなたはゼロカーボンの国産ジェット機で到着し、離脱後に発行される青いパスポート(EU加盟国時代には赤だった)かデジタルIDを読み取り機にシュッとかざしてから電動タクシーに乗るのです。(中略)そこでは20代から30代の若い世代の収入で家を買うことができ、学校の教育は素晴らしく犯罪率は低い世界になっています……」

と、バラ色の未来とは緑色の未来である、という話をえんえんと続けていく。

「歴史を振り返ると、戦争、飢餓、今回のような伝染病といった大規模な災いが過ぎ去った後、(社会は)元の状態に戻ってはいません。こうした出来事はたいてい、社会と経済の変化を加速させる引き金となるものなのです。なぜなら、私たち人類は単に修復を行うだけでは満足はしないからなのです」

ここまで聞いてなるほど、と思った。

目の前の悪戦苦闘状態にすっかりのみ込まれている国民の目を、ボリスはアフターコロナの近未来に向けさせようとしている。2030年にはまったく新しい社会が姿を現しているという理由は、パンデミックでそれまでの経済が崩壊しまるで焼け野原のようになり、いわば地ならしができたから、と言わんばかりの勢いだ。

ボリスの中でようやく、出口の見えない「コロナ禍」と自分が偉人として名を残すべき「未来」の位置づけがはっきりしたのではないか。勝つことにしか興味がない人物というのが事実なら、ボリスは自分が勝者になれると確信できるゴールが見えないと、ジャガノートとしての怪力と魔法の力を発揮できないのだろう。そのゴールが国民にとっても望ましい場合には、イギリスにとって最強のリーダーとなれる可能性があるわけだ。

しかし、どれだけの人がこのグリーン産業革命という気宇壮大なストーリーに乗って首相についていくのだろう。大量の失業者は財務大臣の解雇防止補償の恩恵も受けられず、クリスマスすらまともに過ごせそうにない人々の顔色はグリーンな未来どころか、今すでにもう緑色=グリーンになっている(英語では顔色が悪いことを青ではなく、緑と表現する)。

分断と格差が広がるイギリス

11月3日にはついにイングランド全域が4週間のロックダウンに突入したが、効果はあまり上がらず、12月に入っても各種の規制が地域別にだらだらと続けられている。12月8日からは念願のワクチン投与が始まったとはいえ、全国民に行き渡るまでに1年くらいかかりそうで、急に状況が好転する兆しはない。

栗田路子・プラド夏樹・田口里穂ほか『コロナ対策 各国リーダーたちの通信簿』(光文社新書)
栗田路子・プラド夏樹・田口理穂ほか『コロナ対策 各国リーダーたちの通信簿』(光文社新書)。本書では英のほか、独、仏、米、ベルギー、スウェーデン、ニュージーランドについても詳しく触れている

年内休業を強いられた飲食店、通販サイトのない小売業、エンタメや旅行業界にとって今年のクリスマス商戦は、不戦勝ならぬ不戦負けだ。倒産、失職、コロナ離婚などにより、うつ病や自殺者の数も急上昇している。一方で、収入が減らなかった一握りの人々は「今年はホリデーにも行かれなかったし、外食も減ったしでお金が余っちゃって」と、新車を買い、ネットショッピングにいそしんでいる。長期にわたるロックダウン休校によって子どもたちの学力にもとんでもない差が開いてしまった。

どちらを向いても目につくのは分断と格差ばかりだ。ボリスといえば期限が迫るEUとの貿易交渉に没頭して各大臣にコロナ対策を任せっきりという印象が強く、もはやコロナ禍は天災ではなく政治的人災だという声が聞こえる。

新年には、ブレグジットだけはカタがついているだろうが、雷雲のように膨れ上がったコロナ試練が待ち受けているだろう。はがれ落ちた仮面をつけ直したらしいイギリス首相ボリス・ジョンソンは、再び前面から国民をリードし、この国を緑色の未来に牽引していくことができるのだろうか。