大ヒット上映中の映画『劇場版 鬼滅の刃 無限列車編』。10日で興行収入100億円を突破した。SNSでは、「煉獄さんを300億の男に!」という声が盛り上がっている。人事・組織のコンサルタント、松木知徳さんは、「圧倒的に仕事ができる、エース社員というだけでは人はついてこない。煉獄には、今人々が求めているリーダーの条件がかくされている」と指摘する――。

※煉獄杏寿郎の「煉」は「火」に「東」が正式表記。

強さだけではない煉獄の魅力

開幕10日間で歴代最高の100億円の興行収入を記録したアニメ映画『劇場版 鬼滅の刃 無限列車編』。TVアニメ版が日本キャラクター大賞2020に選出されるなど、多様な個性を持つ登場人物が大きな魅力です。特に、劇場版で中心的な役割を演じている「炎柱」(鬼殺隊における最強剣士)である煉獄杏寿郎れんごくきょうじゅろう(CV:日野聡)についてはSNSなどで、多くの賞賛の声が寄せられています。

アニメ映画『劇場版 鬼滅の刃 無限列車編』
©吾峠呼世晴/集英社・アニプレックス・ufotable

筆者は人事・組織のコンサルタントであるため、作品自体の評価や個々のキャラクターに対する思いは他の記事に譲ります。本稿では煉獄が人々から支持されている理由を読み解き、今求められているリーダーシップについて考えます。

煉獄は、比類なき剣術の腕のみならず、端正な容姿、的確な判断力を持ち、面倒見もよい人物として描かれています。ビジネスパーソンであれば、いつも売り上げトップで、仕事もスマート、そして、後輩からも慕われるエースのような存在です。しかし、多くの観客が煉獄に魅力を感じるのは、他を圧倒する能力の高さではなく、むしろ、彼の弱さや苦しみや、人間としての誇りと信念をもって使命をまっとうする生きざまに共感しているからではないでしょうか。

ストーリーが進むにつれて煉獄が炎柱になるまでの生い立ちや家族からの期待が彼の心の礎になっていることが分かってくると、じわじわと共感の念が芽生えてきます。原作者の吾峠呼世晴ごとうげこよはる氏は「煉獄さんはつらい時も苦しい時も弱音を吐かず、家族や仲間を大切にする、前向きな人」と表現しています(*1)。人としての思いや背景を知ることによって、人は共感を抱くのです。

鬼という仇にさえ共感が生じるメカニズム

共感に関する興味深い研究に、「熟知性」と「類似性」を扱ったものがあります。前者は見知らぬ存在に対して人はネガティブであるが、接触頻度が増すうちに信頼と愛情の度合いも増し親密性が高まる(*2)ということ。後者は、お互いが似ている部分を見出すことで相手に対する魅力が高まる(*3)というものです。つまり、相手の人となりを理解するうちに自分と共通項を見つけ、ポジティブな共感の情が芽生え、心理的な距離が縮まっていきます。

アニメ映画『劇場版 鬼滅の刃 無限列車編』
©吾峠呼世晴/集英社・アニプレックス・ufotable

これは主人公のみに限ったことではありません。この作品では人間を捕食する悪役である「鬼」が登場します。しかし、醜悪で無慈悲な存在であるはずの仇ですら、組織の中での序列に苦しみ、心の弱さを垣間見せる瞬間があります。鬼それぞれにもバックストーリーが描写されることで、視聴者の多くが憎みきれない「人間性」を見いだし、つい共感を向けてしまうのがこの作品の大きな特色です。

コロナで際立つ共感の重要性

相手の思いを知ることによって共感が芽生えるのは、アニメの世界だけの話ではありません。例えば、2020年の3月18日に新型コロナウイルス(COVID-19)の流行下で行われたドイツのメルケル首相のテレビ演説は世界中から賞賛を受けました。

彼女の演説の中に「旅行や移動の自由を苦労して勝ち取った私のような者にとって、こうした制限は絶対に必要な場合にだけ正当化される」という発言があります。実は、この背景にはメルケル首相が旧西ドイツ生まれで、生後まもなく西側への移動が禁じられた旧東ドイツに移住しており、移動を制限された暮らしの不自由さについて身をもって知っていたのです(*4)。このように自身の生い立ちや心情を開示し、国民に真摯に理解を求める姿勢は多くの共感を呼び、国民を動かしました。3月28日には首相が自身のAudio Podcastで「多くの市民が行動を大きく変えた」と国民に謝意を伝えています(*5)

リーダー次第では多様性のあるチームがかえって障害になる

「VUCA」(Volatility:変動性、Uncertainty:不確実性、Complexity:複雑性、Ambiguity:曖昧性)と呼ばれる予測困難な時代だからこそ、組織は多様性のある人材を集め、活かす必要があります。そのためにも、リーダーは自身の思いや考えを開示し、メンバーからの理解と信頼を得る必要があります。

「相手の信頼を得るには、相手が嘘偽りのない本心で接していることが必要であり、周囲に知識、意見、気持ちが十分に伝わらない場合には、多様性のあるチームが成果創出の障害となる」(*6)という研究があります。VUCAの時代にはリーダー自身も経験したことのない環境で組織をマネジメントしていくことになります。戦略・方針を考え、伝える統率力だけでなく、意思決定の背景にある考えや、時には自身の弱みさえも開示することで、メンバーの共感を得ていくことが現代のリーダーには求められているのです。

自分の思いは意外とメンバーに届いていない

実際に、従業員一人ひとりに自身の思いを伝えることを大事にしている経営者もいます。例えば、京セラ、日本航空など多くの企業において立ち上げ、再建を経営者として担ってきた稲盛和夫氏は「フィロソフィ経営」を掲げています。その著書『心。』において、「大きな目標を成し遂げるためにリーダーがあらゆる機会をとらえて全身全霊、本気で自らの考えやめざすべき地平を部下たちに直接くり返し語りかける必要がある」(*7)と説明しています。

筆者がコンサルタントとして企業の支援を行う際にも、リーダーの思いができるだけ自身の言葉でメンバーへ伝わるようなコミュニケーション設計を心がけています。なぜなら、リーダー自身が思っているほど、その思いはメンバーに届いていないことが多いのです。管轄する組織が大きくなるほど、この傾向は強く、大きな組織を率いるリーダーは特に意図して発信をしていく習慣をもつ必要があります。

共感のないプロジェクトは頓挫する

ここまで、鬼滅の刃の登場人物に始まり、共感を得るために自己開示することの重要性とリーダーたちの事例を解説しました。読者の中には、組織の形態や大きさは異なっていても、ビジネスシーンにおいて、周囲の共感を得ることの重要性そして難しさを感じている人もいることでしょう。仕事の多くは、自分ひとりで完結できず、多くの仲間や関係者との協働が欠かせません。お互いに共感の念がないプロジェクトはぎくしゃくし、どこかで頓挫する可能性が高くなります。

特に昨今、コロナ禍により物理的な距離が組織内のコミュニケーション量を減らし、背景や思いが共有されにくい環境になっています。この様な状況だからこそ、リーダーは業務連絡的な伝達だけにならないように意識し、自身の思いや人となりを開示していくことが重要です。組織のメンバーから共感を得るリーダーシップが、結果としてチームの成果を高めることになります。

<参考文献>
1 吾峠呼世晴(2020)『劇場版 鬼滅の刃 煉獄零巻』集英社
2 Zajonc, R. B. (1968). Attitudinal effects of mere exposure. Journal of Personality and Social Psychology, 9(2, Pt.2), 1–27.
3 Byrne, D., & Nelson, D. (1965). Attraction as a linear function of proportion of positive reinforcements. Journal of Personality and Social Psychology, 1(6), 659–663.
4 毎日新聞(電子版) 「「さすがメルケル首相」新型コロナ対応で人気復活 世論調査満足度も64%」(2020年4月8日)
5 ドイツ連邦共和国大使館・総領事館(2020)「新型コロナウイルス感染症対策に関するメルケル首相のメッセージ」(3月29日)
6 F.フライ&A.モリス(2020)「リーダーの信頼を支える3つの力」DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー 2020年7月号 ダイヤモンド社
7 稲盛和夫(2019)『心。』サンマーク出版 p.113.