日本でたびたび問題視されている少子化。コロナ禍での収入減や失業により、いつにも増して出生数が低くなることが懸念されています。ただ考えてみれば、少子化はコロナ禍も含めて決して「ここ数年の問題」ではなく、1975年に出生率が下がり始めてから、毎年多少の差はあるものの出生率は緩やかにそしてコンスタントに下がり続けているわけです。ずいぶん前から日本の少子化は問題視されてきたわけですが、なぜ改善されないのでしょうか。
子供と自宅で働く母
※写真はイメージです(写真=iStock.com/kohei_hara)

少子化は女性のせい? 精神論が中心の「少子化対策」

少子化問題の改善のために過去にはさまざまな対策案が講じられてきました。例えば2013年には「女性手帳」が話題になりました。当時の森まさこ内閣府特命担当大臣のもとで少子化対策を議論する内閣府の有識者会議「少子化危機突破タスクフォース」が開催されていましたが、「30代までの出産・結婚が望ましい」としてその旨女性に対して啓蒙できるよう「女性手帳」が提案されたのです。この女性手帳は、女性が自らの健康データを記録できる部分、そして「妊娠適齢期」など妊娠や出産に関する知識が記される部分の二部構成が想定されていました。晩婚化や高齢出産に歯止めをかける狙いで、翌年14年から市町村の主に若い女性に配られる予定でした。

ところが女性手帳が話題になるや世間は非難囂々でした。「こんな手帳を配布することに税金を使うよりも子育てしやすいように税金を使ってほしい」「女性の生き方が多様化しているのに大きなお世話」「不妊に悩むカップルのことを何も考えていない」などさまざまな声がありましたが、その中でも「女性だけを対象にした少子化対策なんて意味がない」という意見が目立ちました。批判を受け、結果としてこの女性手帳が配られることはありませんでした。

それにしてもこの幻の女性手帳に限らないことですが、日本では少子化対策というと「子どもを産むのは女性だから、産んでもらうには女性にその気になってもらえればいい」とばかりに「女性を啓蒙しよう」という発想が何かと目立ちます。「子どもを生み育てるには社会のどのような変化が必要なのか」などの具体的な案を出すことなく、女性に対して「とにかく子どもを産むよう自覚を持ってもらいたい」とばかりにいわば精神論を振りかざしても、少子化が改善するはずもありません。

母の苦労は、子どもに対する愛情なのか

子どもを産みやすい環境について考えるとき「子どもが保育園に入れること」「男女ともに育児休暇がとりやすい環境であること」など制度面が整っていることが必要なのは言うまでもありません。でもそれと同じぐらいに女性がお母さんになることを阻んでいる「遠因」の数々を消し去ることも大事だと思います。一見「子供を生むこと」そのものと関係のないことのように思えることであっても、「塵も積もれば山となる」で「ちょっと大変」だと思われるようなことが沢山あると、子どもを持つことを躊躇してしまうかもしれません。

例えば社会の中に断固としてある「お母さんなんだから、これぐらいして当たり前」という雰囲気。

普通に考えて「朝5時に起きてお弁当を作っている人がいる」と聞けば、「うわぁ、毎朝、早起きして台所で準備するなんて大変」と思いそうなものですが、実はお弁当を作っているのが「子どもを持つ女性」つまりは「お母さん」だと分かった瞬間に、なぜか「大変さ」にはスポットが当たらなくなり、「子どものためだったら、お母さんが早起きするのは当たり前」「ほかのお母さんも朝5時起きで頑張っている人はいっぱいいる」などという話の展開になりやすいのです。日本では「朝、早起きして子どものお弁当を作っているんです」と語る母親に同情してくれる人はまずいません。お母さんがどんなに睡眠不足になっても周囲はおかまいなしだったりします。子どものお弁当作りが本当に必要なのかどうか見直そうという雰囲気も見られません。

というのも「かあさんの歌」(歌詞「かあさんは夜なべして手ぶくろ編んでくれた」)のように日本では「お母さんの苦労」が「子どもの幸せ」だという感覚が強いのでした。

ドイツでは「苦労をいとわないお母さん」は美化されない

出羽守デワノカミで恐縮ですが、筆者の母国ドイツには子どものために朝早起きしてお弁当を作る「お母さん」は皆無です。幼稚園や小学校に通うわが子にタッパーウェアを持たせる親はいますが、タッパーの中身はバナナやリンゴだったりします。日本のキャラ弁のようにリンゴをかわいい形にアレンジして切るなどの工夫はされておらず、林檎は大ざっぱに4等分に切られているだけです。「キャンプに出かける」とか「子どもが急病」などの理由がない限り、朝5時に起きるドイツの「お母さん」はまずいません。そもそも「子どものために苦労をいとわないお母さん」はドイツだとあまり美化されません。。

ただし「お弁当」に関していうと、ドイツにはもともと「お弁当文化」がなく、また「手作りの食事」や「手の込んだ食事」の優先順位がそれほど高くない、といった「食文化そのものが違う」という点も大きいので、この問題をジェンダーの話だけに絞ることができないのもまた事実です。

日本では、母親が諦めなければいけないことが多すぎる

どこの国でも子どもを持つ女性は大変ですが、日本の場合は、欧米の先進国よりも「お母さんが諦めなければいけないこと」が多い気がします。これは必ずしも「制度」だけに問題があるのではなく、母親に対して「24時間母親でいること」を求める周囲のプレッシャーによるところも大きいです。

現に子どもを持つお父さんが仕事の付き合いなどで飲みに行くことをとがめる風潮はあまりありませんが(もっとも今はコロナ禍で飲みに行くこと自体が大変ですが……)、これが「お母さん」となると途端に「小さな子どもがいるのに飲みに行くなんて……」と言われてしまうこともあります。実はヨーロッパの社会でも多かれ少なかれ「お父さんに対してよりもお母さんに対して見方がシビア」な部分はあるものの、「子どもをベビーシッターに預けること」は日本より日常化していますし特にとがめられることはありません。そうはいっても「インターネットで全く知らないベビーシッターに頼むのは怖い」と考える人が多いのはヨーロッパも同じです。ただベビーシッターを利用している人口が日本よりも多いため、ママ友同士などでベビーシッターさんを紹介することが多いです。

ドイツの子育てを助ける「日中のお母さん」

ドイツに関してはTagesmutterも人気です。Tagesmutterとは直訳すると「日中のお母さん」です。つまり親が働く平日の日中に子どもを預ってくれる、日中のお母さんということで「保育ママ」と訳されることもあります。このTagesmutterは自宅で子ども(最大5人まで)を預かるため、子どもは家庭的な雰囲気のなか育つことができます。Tagesmutterになることができるのは子育て経験のある女性、または子どもが好きな女性で、自治体によって多少の差はあるものの、育児の基本的なことや救急処置等の講習を300時間受け、自治体の認可を得る必要があります。なお、Tagesmutterの住居に関しても、事前に自治体から子どもを預かることに適しているか等のチェックがあります。

Tagesmutterのメリットは、預ける時間や迎えの時間などの融通がきくことです。また保育料が1時間あたり2~12ユーロ(州によって違いがありますし、個人の事情による差もあります)と比較的安いことも魅力です。良いTagesmutterを見つけるには友達や知り合いの紹介だったりと口コミが多いのですが、市の児童福祉課で紹介してもらうこともできます。名前の通り、基本的には昼間に子どもを預かることが多いですが、事前に相談すれば夜預かってくれることもあるので、親が夜お出かけする際に便利です。最近はジェンダーの平等に伴い、Tagesvater(「日中のお父さん」または「保育パパ」)もいます。

母親を疲労させるPTA

日本のお母さんが子どもをベビーシッターさんなどに預けにくいのは「育児に直接かかわること」ですが、子育てが大変な「遠因」にはPTA活動もあります。もちろん「PTAがあるから子どもを産まない」という女性はいないでしょうが、近年メディアでも頻繁に「PTAで理不尽な思いをしているお母さん」の話が報じられています。実際に日本のPTAは父親よりも母親が何かと駆り出される傾向にあります。

PTAといえばベルマーク運動が有名ですが、切り取り作業に参加しているのは「お父さん」ではなく「お母さん」が多いです。時給に換算したらまったく割に合わないこのベルマーク運動がなぜなくならないのかというと、その根底にはやはり前述の「苦労するお母さん」が美化されがちだという日本特有の事情があるのだと思います。つまり「母親なら、時給のことなど言わずにこれぐらい無償で奉仕するのが当たり前」というような発想が根底にあるわけです。

こういったことも含めて「子育てはなんだかんだと、しがらみが多くて大変」というのが現実なのではないでしょうか。

「無痛分娩がいい」と堂々と言うヨーロッパ女性

「お母さん」または「お母さんになる人」に対して理不尽な苦労を求めるという構図は、日本では無痛分娩がなかなか社会的に認められず、実際に無痛分娩が可能な医院が少ないことからも明らかです。ちなみに以前この話をしたら医療関係者から「それは日本では麻酔医がずっと常駐することが難しいから」と、あくまでも制度上の問題だということを指摘されました。しかしあらかじめ痛みが伴うと分かっている出産という場のためになぜ麻酔医が常駐する制度が設けられていないのか、ということを考えた時にやはり「お母さんになるに人には出産の痛みぐらい我慢してもらわないと」という考えが一般化されているからではないのか……と勘繰ってしまいます。

筆者の知人の日本人女性は無痛分娩をすることを自分の中で決めていましたが、いざ妊娠して周囲にそのことを話すと、家族全員から反対されたそうです。これはヨーロッパではあまり見られない傾向で、ドイツを含むヨーロッパでは無痛分娩は当たり前ですし、その理由について女性に聞けば堂々と「痛いのは嫌だから」という答えが返ってきます。出産で痛い思いをするのは女性なのに、女性が「痛いから自然分娩は嫌だ」と言いづらい社会というのは、よく考えたらおかしな話なのです。

出生率を結婚と結びつけて考えるなんて……

「お母さんが子どものお弁当を作るのは当たり前」「シッターさんに頼らずやっぱり子どもはやっぱりお母さんが見たほうがいい」「やっぱりPTAはお母さんがやらないと」「昔の人も頑張ってたんだからやっぱり出産は自然分娩でないと」――一つひとつを聞くと、なるほど、と思ってしまいそうなものもあるかと思います。

「弁当作りが嫌だから子どもを産むのをやめよう」と考える女性はいないでしょうし、「PTAが大変だから子どもを産むのもやめよう」と考える女性もいないでしょう。でもこの手の「ちょっとしたこと」の数がとにかく多いので「塵も積もれば山となる」で、結局お母さんは大変な思いをすることになってしまいます。

先日「内閣府、新婚生活60万補助へ」というニュースが話題になりました。見出しだけを目にすると新婚なら誰でも60万円をもらえるのかな、と勘違いしてしまいそうですが、あくまでも「結婚新生活支援事業」を実施する市区町村に住んでいる人が対象で、これまでは「婚姻時の年齢が夫婦とも34歳以下」だったのが今後は条件を「39歳以下」と緩和し、また世帯年収も今までは「480万円未満」という条件だったのを「540万円未満」という条件に変えるというだけのことです。「新婚さん」を対象に規制が一部緩和されたのは少子化対策の一環だといえるでしょう。しかし出生率を結婚とつなげて増やそうとするなんて、今時、少なくとも先進国では聞いたことがありません。

例えばドイツでは出生率を上げるために2015年にElterngeld Plus(「両親手当プラス」)というものを導入しましたが、これは通常の受給期間に加え、両親が共に週25~30時間勤務する場合、最低でも4カ月の受給を可能にする「パートナーシップ・ボーナス」です。両親が結婚していなくてもこれを受けることができ、性別にこだわらずに時短勤務を奨励するものとなっています。

日本の少子化対策は時代遅れ感が強い

日本の少子化対策については、どこか時代遅れなところが一番の問題なのではないでしょうか。「子どもを産み、育てる」ということは、それ以上でも以下でもないはずなのに、そこに「婚姻しなければいけない」と生き方に縛りがあったり、ほかの先進国では見られない日本独自の「お母さんだからやらなければならないこと」が山積みになっているという状態。

どういうライフスタイルを選ぶか、どう生きていくかは本来自由なはずです。でも「お母さん」になったという理由だけで、自分の生き方を諦めなければいけないのだとしたら、お母さんになるという道じたいを選ばない人が増えるのは自然な流れなのではないでしょうか。