「ふとした偶然をきっかけに人生が変わるような幸運を得ること」は「セレンディピティ」と呼ばれるそうです。コロナ禍で人との接触が減り、仕事や飲み会もオンライン化する時代に、このセレンディピティと出合うための簡単なコツをセレンディピティコンサルタントの林勝明さんに教えてもらいます。

※本稿は林勝明『人見知りでもセレンディピティ 身近な奇跡が爆増する20のルール』(飛鳥新社)の一部を再編集したものです。

バーチャルハッピーアワーで一緒に乾杯する多くの人々
※写真はイメージです(写真=iStock.com/monzenmachi)

Google時代の恥ずかしい失敗

誰かと話をする時に「気づき」を邪魔するものがあります。それは先入観です。

私自身の恥ずかしい失敗例をひとつ紹介させてください。

私の前職はGoogleの正社員でしたが、同じチームには契約社員の方もいて、一緒に仕事をしています。

契約形態が違うので、たとえ同じような仕事をしている場合でも、契約社員は給与が異なったり、社内の権限の差もあります。

そんな環境下で、私はあたかも自分が序列として上の人間のような錯覚をしていたのです。

しかしある時、自分が主催しているサルサダンスの部活に遊びに来てくれた契約社員の方々と打ち解けて、プライベートな話をする機会がありました。

すると、博士課程で美術の研究をしていたり、地方で伝統工芸職人を目指していたり、地球を2周していたりなど、とんでもなく面白い経験をもった人ばかりで驚きました。

別に能力の差があって社内の雇用形態が違うわけではなく、単純に働くスタイルの違いというだけなのですが、自分の浅はかな先入観をとても恥じました。

それからは一緒に社外イベントを企画したり、旅行に出掛けたり、会社以外でも一緒にプロジェクトを立ち上げたりすることになったのです。

会社の立場での先入観のままでいたら、気づけない出会いでした。

みなさんも、年下だから、学生だから、外国人だから、などと勝手な先入観をもってしまったことはないでしょうか。

このように、知らず知らずにでも人を見下したり、偏見をもつことはセレンディピティの機会を自ら失います。

逆に目上の人だったりすると、変に遠慮や恐縮しすぎてしまい、せっかくの出会いがいい縁につながらないこともあるでしょう。

肩書きを忘れる場で先入観を捨てよう

そんな先入観をなくして交流するには、どうするのがベストでしょうか。

ただ話をするだけだと、どうしても余計な情報や肩書きがつきまとってしまいます。たとえば偉い人と話すと、なぜかその人の話をみんなでただただ聞くという構図になってしまいがちです。これは生まれ育ってきた環境からも、そのような立場への気遣いを完全になくすことは難しいのです。

けれども舞台を変えて、その偉い人も含めてみんなで牛の乳搾りをするとどうでしょう。

メンバーの中で誰も乳搾りが得意な人はいません。

ここでは特に上下関係は目立ってこないので、より自由な交流が生まれます。思い切りのいい人、用心深い人、ムードメーカー、真面目な人など、その人らしさが出てきます。

乳搾りはだいぶ極端な例ですが、「リアル脱出ゲーム」や「ボードゲーム」も、肩書きを忘れて自由な交流ができるゆえ、最近人気が出てきているとも分析されています。

みんな平等にちょっと苦手なこと、難しいことにチャレンジする。そんな交流をすると、より多くの気づきが得られるはずです。

トラブルがセレンディピティを生む

苦手なことをさらに進化させると「トラブル」とも言えます。

少し想像してみてください。映画『タイタニック』のように、船が沈没するトラブルがあってこそ感動する恋やドラマが生まれたりしますよね。

これは実際、とても理にかなっています。

たとえば突然、会社が停電になったとします。停電に慣れている人はそんなにいないでしょう。誰もが苦手な状況とも言えます。そんな時には周りの人の素の個性が出ます。年次が低かろうが、契約社員だろうが、みんなが今できることを必死に探して状況を解決しようと動くでしょう。そうしている内に、思ったよりも頼りになる人、そうでもない人、様々な人間模様が見えてきます。

人見知りだろうがなかろうが、この状況ではコミュニケーションをとらざるを得ませんし、そこで躊躇もしなくなっているはずです。

トラブルをたくさん経験した人は、先入観が減り、より多くの経験や信頼を得ていきます。

そう考えると、たとえトラブルが起きたとしても、それは気づきのチャンス、つまりセレンディピティとして捉えることで、人生が思わぬ方向に好転するかもしれないのです。

なぜオンライン飲み会は盛り上がりづらいのか?

少し視点を変えて、身近な例を見てみましょう。

リアルでの出会いと比べると、オンラインの世界ではセレンディピティは起きにくいと言われます。これはなぜでしょうか。

林勝明『人見知りでもセレンディピティ 身近な奇跡が爆増する20のルール』(飛鳥新社)
林勝明『人見知りでもセレンディピティ 身近な奇跡が爆増する20のルール』(飛鳥新社)

FacebookやTwitter、Instagramなどでうまく自分をプロデュースできる人は多様なつながりが生まれて、セレンディピティを楽しんでいるでしょう。

けれど、そんな人は実際多くはありません。

それは「フォロワー数」や「いいね!」数で数値化されることで、息苦しさを感じてしまうことも大きな要因です。

何か投稿してあまり反応がないとつらい。そもそも不特定多数の人にどう思われるのか心配。そんなにつぶやきたいことなんてない。そういう悩みもよく聞きます。

オンラインがもつ本来のポテンシャルを考えれば、自分のニッチな趣味に興味をもった人が地球の裏側にいても簡単につながる可能性がありますが……そんなことは現実にはまず起きません。

何故でしょうか?

それは、“「ゆるさ」を出しづらい”ということが最大の原因です。

たとえば、オンライン飲み会は一見ゆるいようで、変なぎこちなさを感じた人は多いのではないでしょうか。

「ずっと顔が見られているような感じがして気を抜けない」
「同時に話ができないので、1人の話を聞かないといけない」
「ちょうどよく画面から抜けるタイミングが意外に難しい」

というオンライン形式ならではの「ゆるくない問題」が生じています。

では、オンラインでゆるさを出すにはどうすればいいでしょうか。

この答えに絶対の正解はありませんが、「真面目に話さなくても成り立つもの」と考えるとよいでしょう。

オンライン飲み会を盛り上げるオススメ2つ

・ゲーム(クイズ、ボードゲーム、しりとり、人狼ゲームなどが最初はオススメ。慣れてきたらオンラインでも複雑なボードゲームができるサービスも多い。)
・運動(筋トレ、ストレッチ、ヨガ、ダンスなど)

このような活動は、誰かとしっかり向き合って話す必要がないのでそこまで気を使いません。

たとえば「オンラインで飲み会するよー」と言っても、いまいちピンとこない人も多いものです。実際には一緒に飲めないじゃないかと思ったり、誰が来るの? 何を話すの? というところに気が向いてしまいます。

けれでも「オンラインで一緒に筋トレするよー」と言えば、ニーズさえ合えばさほど迷いません。職業が違っても年齢が遠くてもそんなに気になりません。

特にここで挙げたようなテーマは、続けるほど個性や効果が出てきます。

一度集まってくれた仲間を大切にして、気長に続けてみましょう。

事情によっては顔を出したくないという人も気楽に参加できるように、ビデオをOFFでも参加歓迎な場づくりをしてあげることも細かいですが大事な点です。

まずはちょっと覗いてみようかなと思う人も参加しやすい雰囲気になります。

大ヒットのオンラインゲームに学ぶ「ゆるさ」

ゆるさをプラスすると予想外の発見や展開がどんどん生まれてきます。

少し話を大きくしてみましょう。

突然ですが、みなさんはゲームをしますか?

・どうぶつの森シリーズ
・荒野行動
・フォートナイト
・マインクラフト

ここで挙げた4つは、世界中で何億人ものユーザーがいて大人気になっているオンラインゲームです。

共通点は、ほどよい「ゆるさ」がプラスされているということです。

『どうぶつの森シリーズ』は、かわいい架空のキャラクターになりきって自分の村や島をどんどん自分好みにつくりあげていくというゲームです。

自分の村の美化を頑張ってもいいし、自分のキャラクターをおしゃれにすることにひたすら注力してもいい。そんな自由なゆるさがウケています。

新型コロナによる自粛期間では、最新作『あつまれ動物の森』の中で友人同士お花見をしたり、ゲームの中で集まってホームパーティーをしたりという様々な楽しみ方がされていたようです。

これといった目的がないゆるい世界観ゆえに、想定外の交流が生まれているよい例と言えるでしょう。

子供の遊び場はオンラインに移行し始めている

『マインクラフト』は仮想の世界で自由に建築をしたり、冒険したりできるゲームです。

世界観が自由すぎるというか何が目的なのかわかりづらいがゆえに、プレイヤーは友人つながりやネット情報を駆使して様々な発見をしています。

IT評論家の尾原和啓さんも「今の子供の砂場はマインクラフトなどのオンラインに移行してきている。そこで社交性を身につけている」と評していました。

実際に学校の教育現場でも『マインクラフト』が使われ始めており、プログラミング思考や、環境教育などの観点からも多くの国で支持されています。

自由なゆるさが多くの人を惹きつけ、多くの気づきを生んでいる好例です。

このように、オンラインの世界だからこそ起こりうるセレンディピティは、アフターコロナの世界での新たな潮流になっていくのかもしれません。