「専門性がない自分」にコンプレックス
女性総合職の第1期生として入社し、30年以上にわたってキャリアを積み上げてきた本島なおみさん。現在、三井住友海上火災保険では執行役員として保険金を支払う損害サポート部門の部長職と同本部の副本部長職を兼務し、MS&ADホールディングスでは執行役員としてダイバーシティ&インクルージョンを担当。経営から現場まで、多岐にわたる活躍ぶりに驚かされる。
「数年前まではずっと自分のキャリアにコンプレックスを感じていました。未経験の部署への異動が多かったので、専門性が積みあがっていないと思い込んでいて。そんな自分に自信が持てなかったんです」
損害サポート部門から出発して、グループ内のコンサルティング会社や生命保険会社へ合計3度も出向。この間にも、本社でまったく経験のない業務に就いたり新設の部署を担当したりと、振り幅の大きい時期が25年以上も続いた。
さらに、20~30代の頃には夫の転勤や育休明けの自信喪失で、退職を考えたこともあるという。たびたびのピンチとキャリアのコンプレックスを、いったいどうやって克服してきたのだろうか。順を追って語ってくれた言葉から、今の本島さんをつくり上げた3つの転機が見えてきた。
退職を思いとどまるも意欲は低空飛行
大学時代は弁護士を目指していたが、司法試験への合格がかなわず就職活動に方針転換。「人と人との間を調整する仕事」「総合職として採用してくれる会社」に的を絞って探し、前身の住友海上火災保険に入社を決めた。
女性総合職の第一期生で、同期の女性は5人だけ。しかし、職場で男女差や働きづらさを感じることはまったくなく、イメージ通りに働ける幸せな環境だったという。20代後半には、自分から申し出て女性初の長期海外研修も実現。部下の育成に熱心な上司に恵まれ、仕事への意欲も高い状態が続いた。
しかし、研修から帰国すると同時に、本島さんは大きな悩みを抱えることになる。アメリカへ行く前に婚約した同期の男性が、首都圏から長野へ転勤してしまったのだ。遠距離状態のまま結婚したものの、週一で東京と長野を往復する生活は想像以上に大変だった。
当時は「社内結婚は歓迎されていないのでは」と勘繰ったこともあったそう。会社から少し心が離れてしまったところに、いつになったら一緒に暮らせるのかという不安や疲れも重なった。先の見えない状態に闘志が失せ、本島さんはついに辞表を出してしまう。
「そうしたら上司に『簡単にあきらめるな。がんばれ』と一喝されまして。『辞表は俺が破って捨てた』と。あまりの勢いに圧倒されて、もう少しがんばってみようかなと思い直しました」
幸い、夫はその後すぐ首都圏に転勤になり、同居の希望はかなえられた。
これが第一の転機だった。もしあの時上司が引き留めてくれずそのまま退職していたら、早まったと後悔したのではないだろうか。社内初の女性執行役員になることもなく、まったく違う人生を歩んでいたかもしれない。
翌年、出産。育児休暇を経て職場復帰したが、そこからの10年間、モチベーションの面では低空飛行の状態が続く。育児のため思うように仕事の時間がとれず、周囲からの期待も感じられない日々。異動も2回あったが、いずれも未経験の仕事で「今から経験を積んでも周りの人に追いつけない」と自信をなくすばかりだった。
「この先も自信を持てる気がしなかったので、もう一度司法試験を受けようと。受かったら会社を辞めようと決意していました」
マインドが激変した「第二の転機」とは
ある意味、仕事からの逃避先として始めた試験勉強だったが、いざ始めてみるとどんどん気持ちが前向きになっていった。自分が成長しているという実感が湧き、闘志をかきたてられる目標を見つけることができたのだ。
壁にぶつかった時、それに真正面から向き合うことで乗り越える人もいるが、本島さんは「逃避することでやり過ごしてきた」と笑う。この場合の「逃避」は、ただ逃げるのではなく、視野を変えて違う課題に集中するということ。そうするうちに本来の闘志にあふれた自分を取り戻し、前へ進んできたのだという。
結局、司法試験に合格することはかなわなかったが、学生時代より大きな手応えを感じた本島さん。勉強が楽しかったこともあり、もう一度挑戦しようと前を向いたところへ第二の転機が訪れた。
2004年、本島さんは新設されたCSR推進室の室長に抜擢される。またしても未経験の仕事だったが、闘志が戻りつつあったこと、会社に期待されていると感じたことから、試験勉強も中止して全力で仕事に取り組み始めた。
この時、抜擢してくれた上司からは「会社との心の距離をゼロにしろ」と言われたそう。それまでずっと、本島さんは会社との間に距離を感じ続けてきた。それは夫の転勤、未経験の部署への異動、期待されない自分、と都度挫折を味わい、自信をなくしてきたためでもある。
それが、今回の異動で一気にマインドが変わった。CSR推進は会社全体の姿勢に関わる仕事。上司の言う通り、仕事から心が離れているようでは務まらない。会社に対して、初めて当事者意識を持った瞬間だった。
「でも同時に、距離を感じていた頃の気持ちも忘れないでいようと決めました。私が感じていた距離感は、きっと多くの社員も感じているはずだからです。会社の方針を判断する上では、社員が実際にどう感じるか推測することも大事。今も必ず、会社と社員両方の視点で考えるようにしています」
大きな気づきを得た後、本島さんはグループ内のコンサルティング会社と生命保険会社に立て続けに出向。今度は初めて管理職になり、どうすれば営業目標を達成できるのか、どうすれば頼れる上司になれるのかと悩んだ。
しかし、前者は数字を見える化し、自分はバックアップに回って部下を盛り立てることで達成。後者は「出向してきたよそもの」という自分の立場に向き合い、部下の本音をありのまま受け止めることで、徐々に信頼を得られるようになった。
この2つのピンチを乗り越えたことで、本島さんは管理職として心がけるべきことがおぼろげながらわかるようになったという。ただ、どの異動先でも感じたのは「私には専門性がない」というコンプレックス。この悩みは責任が重くなるに連れて少しずつ大きくなっていた。
役員就任は「夢」ではなく「自分の義務」だった
そこへ第三の転機が訪れた。担当部長になってしばらく経ち、会社主催の研修に参加した時のこと。プログラムの中に、社長になったつもりで議論する課題があり、本島さんは「自分に自信のない社長が社員から信頼されることなんてあり得ない」とはたと気づく。
「社長は、自分の強みを生かして会社や社会に貢献していく立場。じゃあ私の強みは何かと考えた時、多くの分野に全力で取り組んできたことだと気づいたんです。『専門性がない』のではなくて、『さまざまな視点を持っている』と思うことにしようと(笑)」
弱みだと思い込んでいたことを、逆に強みと捉えられるよう、自分で自分を切り替えた本島さん。以来「役割を果たす上で必要な自信を持つ」「自分を卑下しない」の2つを心がけるようになり、これが役員へのステップアップにつながった。
絶対に自分が役員にならなくてはいけない──。本島さんは、執行役員になる5年も前からそう思い続けていたという。社員の半数以上が女性なのに、女性役員がいないのは不自然。会社のためにも不可欠だと思っていたところに周囲からの期待も重なり、いつしか役員昇進を「自分の義務」と感じるようになっていった。
「でも自分一人で役員になれるはずもなく、自分にできるのは全力を尽くすことだけ。だから、昇進前の5年間は毎年、思い残すことのないよう、やれることをこの1年で全部やるという気持ちで仕事していました」
執行役員の内示を受けた時は、とにかくホッとしたそう。喜びよりプレッシャーや義務感から解放された安堵のほうが大きかったという。役員になるとプレッシャーもより大きくなりそうだが、第三の転機で得た自信が支えになっている。
今も女性執行役員は本島さんただ一人。だからこそ、自分の役割は「予定調和ではない何かをもたらすこと」だと考えている。会社のためになると思えば部署の垣根を越えて行動し、どのような会議でもあえて空気を読まずに発言。たび重なる異動で培ってきた幅広い視点と客観性が、今、大きな力を発揮している。
「少数派は、割合が3割を越えないと全体に影響を及ぼせないと言われています。意思決定のポジションに女性を増やし、会社を多様性のある環境にしていくのも私の仕事。さまざまな個性がぶつかり合って新しいものを生み出していく、そんな会社にしていきたいと思っています」
■役員の素顔に迫るQ&A
Q 好きな言葉
明日死ぬかのように生きよ。永遠に生きるかのように学べ。(ガンジー)
Q 愛読書
『イノベーション・オブ・ライフ』クレイトン・M・クリステンセン
『習慣の力』チャールズ・デュヒッグ
「2冊とも、目標を達成するための時間の使い方や、鍵になる行動を考える上で大いに役立っています」
Q 趣味
ランニング、バンド活動
Q Favorite item
アロマディフューザー