※本稿は三浦展『コロナが加速する格差消費 分断される階層の真実』(朝日新書)の一部を再編集したものです。
下流や男性はモノ志向、上流や女性はコト志向
「金持ちになり高級品を持ちたいか」という質問への回答を職業別に集計すると、男性正規雇用では「とてもそう思う」「そう思う」が合計で38%あり、男性非正規雇用では30%である。差があると言えばあるが、ないと言えばない。非正規の男性でも3割はもっとお金が欲しいと思っていることは確かである。
また「欲しいモノがすぐに思い浮かぶ」という男性は正規では44%だが、非正規では47%であり、非正規のほうが多い。もっと収入があれば欲しいモノを買いたいのである。
ただし海外旅行などのコト消費の志向性については、正規が非正規よりかなり強い。非正規だとまずは生活に必要なモノが欲しいという気持ちが強く、コト消費、サービス消費までは手が届かないのだろう。
また男性を年収別に見ると、「欲しいモノがすぐに思い浮かぶ」について「とてもそう思う」人は年収が低い人ほどやや多い(図表1)。
だが「行きたい旅行先がすぐに思い浮かぶ」人は年収が高い人のほうがはっきりと多い。ただし表にはないが女性では年収別の差はない。
参考までに見ると、バブル世代の女性では「行きたい旅行先がすぐに思い浮かぶ」について「とてもそう思う」割合が、年収が高い人で増える傾向が非常にはっきりしている。
このように見ると、現代の消費の格差は、非常に簡単に図式化すると、
下流はモノ志向、上流はコト志向
男性はモノ志向、女性はコト志向
と言えそうである。
上流はヨガや登山、下流はゲームやマンガ
階層意識による消費の差が顕著になるのは、まさにコト消費である余暇行動である。
階層意識別の余暇行動を見ると、「中の上以上」(上流)では、ヨガ・ピラティス・太極拳、スキー、ジョギング、ハイキング・登山、ウォーキングが多いなど、日常的に健康管理をしていることがわかる。予防的ケアが行われているのである(図表2)。
参加率が高いのは温泉、リゾート地、観光・名所めぐり、遊園地やテーマパークなどのレジャー施設であり、階層意識と参加率に比例関係がある。
他方、下流が上流より多いのは、パソコン、ゲーム、マンガ、録画やDVDレンタルでの映画鑑賞であり、階層意識が下がるほど内向的になっていく。
「中の中」と「中の下」の間に分水嶺
海外旅行に行かない人が7割を超えるのは「中の下」以下であり、数年に1回が2割を超えるのは「中の中」以上である(図表3)。
年に1回以上だと「中の上以上」と「中の中」にも2倍の差が生ずるが、それは別とすれば、「中の中」と「中の下」の間に大きな分水嶺があると言える。
しかし、今回のコロナ危機では、外出が大きく規制されたわけで、上流ほどしがちな旅行、なかでも海外旅行、あるいはスポーツ、各種の観戦、観劇など、外出して楽しむ余暇行動が大きなダメージを受けたのである。
むしろ、もともと家にこもってマンガを読んだりDVDを見たりゲームをしたりしている相対的に下流な人たちは、影響が少なかったわけだ。
消費のグローバル化による大打撃
これはなんとも皮肉なことである。バブル崩壊後、モノが次第に売れなくなり、デフレが進行し、モノの値段がすべて安くなっており、モノではもうからなくなった。人口減少も始まり、超高齢化が深刻化し、モノを次々に買い替える子育てファミリー層も減少し、ますます消費はコト消費、サービス消費にシフトした。
だが安いものしか買えない一般消費者が高いサービスを買えるわけはないので、コト消費、サービス消費は比較的裕福な人たち(つまり「中の中」以上)が主役となった。かつ、日本人だけでは「中の中」以上の人口が不足しているので、中国など海外からのインバウンドを大幅に増やした。消費がグローバル化したのだ。
ところがまさにこのインバウンドの中国人や富裕層のクルーズ船を始めとする海外からの帰国者が大きな火種となってコロナは広まった。政府のコロナ対策が遅れた一因も海外との交流を素早く規制できなかったところにあるし、さらにその背景には東京五輪の開催を中止したくないという思惑があった。インバウンドも日本人旅行者も少なく、五輪開催の予定もなければ、もっと対策は早く厳しく行われたであろう。
アフターコロナの消費意欲はどこへ向かうのか
コロナリスクの完全な払拭というのは難しく、事態は長期化するらしい。インバウンド、日本人の旅行、特に海外旅行、大規模施設でのスポーツ、観戦、ライブなどなどは当分元通りには回復しない。
飲食店も完全復活は厳しそうだ。となると、高級化して単価を上げる店が増える可能性もある。もともと低価格の大衆居酒屋チェーンは厳しいだろう。個人店の居酒屋で常連で成り立つという店はなんとかやっていけるかもしれない。
人々の消費意欲はますます健康、衛生、保険などのリスク関連、ケア関連に向かうのではないかと思われる。