“ノマドワーカー”のようにオフィス内を移動
オフィス家具や設備機器製品を製造・販売するイトーキは、それまで4カ所に散らばっていた首都圏のオフィスを、2018年に「ITOKI TOKYO XORK」(以下XORK)と呼ばれる新本社に集約した。ここでは、Activity Based Working(以下ABW)と、WELL Building Standard TM(以下WELL認証)を導入。この2つを同時にオフィスで展開しているのは、国内の企業ではイトーキのみだ。
ABWとは、オランダのワークスタイル変革コンサルティング企業Veldhoen+Companyが創始した考え方で、同社の研究から導き出された“10の活動”がベースとなっている。それは①高集中②コワーク③電話/ウェブ会議④2人作業⑤対話⑥アイデア出し⑦情報整理⑧知識共有⑨リチャージ⑩専門作業。XORKでは、これらの活動ができるスペースを備え、社員自らがいつでも働く場所を選択できる。また、WELL認証は、建物内で暮らし、働く人たちの健康・快適性に焦点を当てた世界初の建物・室内環境評価システムである。イトーキでは、19年にWELL認証のゴールドレベル(インテリア)を獲得した。
昼間の社内を見渡すと各人の働き方はバラバラ。一定の時間が経つと違うスペースに移動する人が多く、会社の中に“ノマドワーカー”(遊牧民風に移動しながら働く人)がいるかのよう。人事や総務などの管理部門でさえも自分専用の席はなく、活動のエリアが区切られているわけでもない。この新オフィス移転の先導役が、現社長の平井嘉朗さんだ。
「ABWとWELL認証という素晴らしい概念をお客さまに理解し、導入していただくには、まずは自社から変えていかないと説得力がありません。そこでXORKを新しく誕生させたのです」
移転から1年以上経過したが、平井社長は「自己裁量でいろんな場所で自由な働き方をし、モビリティー(動きやすさ、移動性)を活用できる人ほど、仕事の結果を出しているようです。その半面、上からの指示待ち系の社員は、結果を出しづらいかもしれません」と感じている。
とはいえ、新本社オフィスに移転するまでは、従来の日本の会社にありがちな固定席の空間で多くの社員が働いていた。引っ越し後「自分で働き方をデザインしなさい!」と言われても、戸惑いを覚える社員は少なくなかった。新入社員はもちろん、中堅やベテランでも迷いながら働いている社員はいる。一方で新オフィスを上手に使いこなしているのは、現段階では2割程度。しかし、半数以上の社員は徐々に面白いと思い始めているのではないかと平井社長は推測する。
他部署の人々との交流で会社全体を俯瞰する
まだ環境に慣れていない社員もいるなか、うまく順応しているのが経営企画部で働き、CSRも担当する阿志賀由香さん(30代。入社15年目)。彼女がメインで作成した「サステナビリティレポート2018」は、環境省と地球・人間環境フォーラムが主催する「環境コミュニケーション大賞」で優良賞を受賞。レポートを書くために、他部署の多くの人々に取材を行った。
「以前のオフィスでは、自分がいるフロアから出なかったこともあり、他部署の人々との交流が少なかったのです。今は隣や近くにいる人が、私と全く関係がない部署の社員だったりするので、この部署はこんな業務をしているのだということがわかるようになりました」
図は、阿志賀さんの、ある1日の働き方のデザイン。あちこちのスペースを活用し、座ったり立ったりして仕事をし、集中度の緩急をつけることで作業効率を高めている。小さな子どもがいるので、週1回のリモートワークを申請しているが、出社したほうが仕事ははかどるそう。WELL認証のおかげで、室温や湿度、周囲の音環境が快適にキープされている。社員のなかにはストレスが軽減し、風邪をひきにくくなった、花粉症が改善されたとのケースも。よく歩き回るようになったため10kg以上のダイエットに成功して、かなり健康的になった男性社員もいるそうだ。
企業風土が変わらないとABWの良さが発揮されない
顧客のニーズに合わせて、オフィス移転の際の家具の搬入、間仕切りなどを設計するプロジェクト営業推進部で働く河村多恵さん(40代。入社19年目)。長く営業を担当しており、3年前からプロジェクトマネジャーを任されている。ABWを顧客に積極的に勧めているが、担当する案件でまだ導入事例はない。興味は持っても、自社オフィスで展開するのは難しいと考える顧客が多いからだ。設備投資にお金がかかるのはもちろん、企業風土などが大きく関係していると河村さんは言う。
「ABWは環境を変え、働き方革命を推進するいいきっかけになります。でもこれだけいい設備があっても、根本的な働き方の考え方やシステムを変えていかないと意味がありません。今は実現が難しくても、後々やっていけるように、お客さまと知識を共有していければいいなと思っています」
職業柄、社外を飛び回る河村さん。
「制度上最低週1回出社すればいいのですが、会社で過ごすことが多いですね」と、阿志賀さん同様にオフィスの居心地の良さ、仕事のしやすさを強調する。どこにいても必ず帰ってきたくなる、マイホームのようなオフィスと言ってもいいかもしれない。
また、入社2年目の後輩社員と一緒に組んで仕事をしていることで、考え方も変わった。2人作業の席で一緒に仕事をすることが多いのだが「イマドキの若者ですから、午後5時45分の定時になるとさっさと帰る(笑)。私も“だらだら残業”は不要だと思っているので、2人でやる作業はなるべく早く終わらせ、自分も早めに帰るように心がけています。おかげで睡眠時間が増えて健康的な毎日を送っています」と満足そうだ。
気になるのは、新入社員同士で集まっているのが多いこと。「ひっそり隠れられる場所があるので、そこで仕事の失敗を話し合っていることもあるみたい。上司や先輩に言いづらいことがあっても、すぐに報告できるような仕組みづくりが課題です」
働くことの楽しさを伝える。それが自分たちの使命
一方、管理職は今の状況をどう思っているのか。販促プロモーション企画室の室長を務める小泉佳子さん(40代。入社23年目)は、ショールーム勤務等を経て、自社製品のセールスプロモーション(SP)を行うチームのリーダーに。XORKに移転後、今まで以上に、仕事の内容や活動によって、1日のスケジュールを綿密に立てている。自分がオフィスのどこにいるべきかを考え、そしてチームメンバーがどこにいるかを把握するようにもなった。
「私のチームは、プロモーション企画実施部門なので、業務のフェーズが“10の活動”に落としやすく親和性が高い。みんなでアイデアを出したり、1人で企画書を作ったり、それをさらに共有したりと、おおいにABWを活用できます」
しかし、SNSやデジタルマーケティングなどを活用する、という考えが同社ではまだ立ち遅れている。新オフィスに移転する際、外部のPR会社と連携してSPを行ったが、今後も続けたいという構想がある。
「実際の仕事は辛いことも多いけれど、職場が快適でワクワクするような空間であることは間違いないです。“働くことは楽しい”というメッセージを、もっと世の中に発信したい。それが私たちのミッションです」
自由という名の放置を防ぐためにやっていること
ダイバシティ推進室の室長である服部由佳さん(50代。入社36年目)は20年以上、両親の介護・仕事・育児を同時にこなし、子会社の社長を経験後、本社に戻り現職に就いた異色のキャリアを持つ。自身の経験も踏まえ、業務改革や、育児休暇や介護休暇をとっても不利益を被らないような人事制度改革を行った。新人からベテランまで、男女の性差なく全員が活躍できる会社づくりをしたいとの熱い思いがある。しかしXORKは“自由という名の放置”にもなりかねない。
「個人の働きが見えにくくなったり、チームの一体感がなくなる恐れがあったりするからです。だから私のチームでは、週に1回はテーブルを囲んで、仕事の進捗共有と同時に何げない会話をすることに。同僚の事情やアイデンティティーを理解することが大事であり、定期的に顔を合わせることで信頼感が深まると考えています」
服部さんは地方拠点に行くことも多く、最先端のXORKと地方拠点では環境に差があると感じている。だが、地方では環境整備にさまざまな工夫をし、社員間で良いコミュニケーションをとっているそうだ。マイノリティーを孤立させずダイバーシティを推進していくため、XORKでもチーム内の信頼感、目標が同じだという一体感が必要なのだろう。
あえて“青臭く”いたい。社長が描く未来のビジョン
イトーキは創業130年の、もともと“古い体質”の会社だが、平井社長自らが旧態依然の社風を打破するために行動している。ガラス張りの社長室では、常に立ったままで業務やミーティングを行う。「動き回っていることが多いので、座りっぱなしよりも明らかに血の巡りが良くなっていますよね。立場上、夜の会食なども多いのですが、体形維持にも役立っていると思います」と平井社長は笑う。
会議では座っているときより沈黙が少なくなり、時間も短縮。社長の行動がわかるので、社員も社長に直接声をかけやすくなった。しかしガラス張りゆえ、すべての行動を見られることに。社長室で立ってランチをとっているときなど、見学に訪れた顧客からしげしげと眺められることも……。
「動物園の動物状態です(苦笑)。でも自分がいいと思ってやっていることですから、何も隠すことはありません。いい意味での開き直りができ、心のバリアから解放されメンタルの健康も良くなっていますね」。
働き方が充実していると、おのずと人生も充実する。働く姿勢は、そのまま人生観にも反映される。
「理想ばかり言って青臭いと言われるかもしれませんが、あえて僕は青臭い社長でいたいのです。もちろん、生活のために働かなくてはならないけれど、やはり働くことは楽しいことだと言いたい。そう思うためには自律的に働こうとする気持ち、それを支える環境づくりがとても大切だと言い続けていきたいのです」
会社が生き残るのが難しい時代だが、“自由に働く”をデザインすることで日本の元気に貢献したい。それが平井社長の未来予想図だ。