20年来縮小を続けるミシン市場、さらにこのコロナ禍に発売したにもかかわらず予想の3倍を超えるヒット商品を生み出したメーカーがあります。意外なことにその社長宅には、ミシンは1台もありませんでした。ミシン屋の社長が自宅にミシンを置かなかった深い理由とは――。

入荷3カ月待ちの人気ミシン

4月に発令された「緊急事態宣言」も地域ごとに緩和され、トンネルの向こうに少しだけ光も見えてきました。ただ元通りの日常を取り戻すには、まだもう少し時間がかかりそうですね。

アックスヤマザキ「子育てにちょうどいいミシン」
写真提供=アックスヤマザキ

一方で、季節は初夏。日に日に気温が高くなるに連れ、綿や麻など涼しげな素材を使い、手縫いで、あるいはミシンで「手作りマスク」を作る人たちも増えているようです。

そんないま、「入荷まで3カ月待ち」と言われるほど人気を呼んでいるミシンがあります。その名も、「子育てにちょうどいいミシン」。ヒットの裏には、大阪の老舗ミシンメーカー、アックスヤマザキの社長・山崎一史さんによる、驚きのマーケティング戦略がありました。

ミシン市場は20年で半減

突然ですが、皆さんの自宅にミシンはありますか? 「ない」という方も、多くは子どものころ、お母さんが家でミシンを踏む姿を見ていたのではないでしょうか。

昔は当たり前のように「一家に一台」とされたミシンが近年、売れなくなっています。ある統計で、日本国内の「家庭用ミシン」の販売台数を見ても、1999年には103万台を超えていましたが、20年後の19年には49万6000台と、半分以下に減少。いかに「ミシンがない家」が増えていたかが分かります(20年 日本縫製機械工業会調べ)。

なぜミシンが売れなくなったのか。3代目社長の山崎さんが、父親に「会社をどうにかしてくれんか」と頼まれ、同社に転職したのが05年。当時から、業界では取引先の経営破綻が相次ぎ、その後もどんどん市場は先細りしていった。アベノミクスによる13年以降の円安が、さらに追い打ちをかけたそうです。

「なんとかせなあかん」、そんな思いで山崎社長が周りの人々にミシンの印象を聞いて回ると、意外な声が次々とあがった。その一つが、「過去のトラウマ」だったといいます。

「こんなもん、作れるか!」と父親が激怒

「たとえば子どものころ、学校の授業でミシンを扱った際に、うまく糸をかけられなかった、あるいはスピード調整が難しくてうまく縫えなかったなど。逆にこうした苦手意識を払拭できれば、新たな市場を創れるのではないかと考えました」(山崎さん)

そこで同社は、「簡単に使えるミシン」の技術開発に着手。一方で、大人用のミシン市場は先細りで、中小企業の自社が他社といきなり争うのは難しい。考え併せたうえで、まずターゲットにと考えたのは、大人ではなく「子ども」。山崎さんが、社内会議で提案したのは、「子供用ミシン(「毛糸ミシン Hug」)」の企画だったのです。

ところが、山崎さんの父親(前社長)は驚き、会議中に「こんなもん、作れるか!」と書類を投げ捨て、出て行ってしまったそう。まるでドラマのようですね。

根気強く前社長を説得

前社長が怒ったのには、理由があります。山崎さん提案の「子供用ミシン」は、毛糸をひっかけて本体にセットしボタンを押すだけで、さまざまな生地を簡単に縫い合わせることができるもの。特殊な針によって毛糸と生地の繊維を絡ませるので、さまざまなタイプの生地に毛糸で刺しゅうすることもできます。

山崎さん提案の「子供用ミシン」
写真提供=アックスヤマザキ

そう、厳密にいえば、ミシンではなく「ミシンのように縫合できる(特許取得済)」商品。長年、ミシン一筋でやってきた前社長からすれば、認めたくない思いがあったのでしょう。

ところが、この様子を間近で見ていた社員たちが、「大丈夫ですか?」と山崎さんを気遣った。彼自身も、「社長を納得させられん自分が、アカン」と意を決し、根気強く前社長を説得したといいます。

結果的にこのミシンが、その後のヒット商品「子育てにちょうどいいミシン」の開発へとつながる、大きなヒントをくれたのです。

社長自ら飛び込み営業で販路を開拓

子供用ミシンは、従来の工業用品ではなく「玩具」の領域でした。ゆえに販路の開拓も、山崎さん自身が「飛び込み」で行ったとのこと。

発売を4カ月後に控えた15年6月、新大阪から新幹線でまず山崎さんが向かった先は、関東にある玩具小売大手の企業本社。まったく面識がない相手に、「よろしければ、この場で発注をかけてください」と頼み込み、仮受注を決めた。その直後、今度は玩具の大手流通企業に向かい、「あの小売大手が、仮発注してくれたんです」と訴え、初回で6000台の注文を取り付けたそうです。

ここまで急いだのは、この年のクリスマス商戦を「勝負時」と考えていたから。11月に入れば、親や祖父母が子や孫のプレゼントにと、子供用ミシンを買ってくれるだろう……この狙いが功を奏し、初期に準備した2万台以上はたちまち売り切れになりました。

重い、邪魔、ダサい、難しい……真逆のミシンを作れないか

その後、山崎さんの元に、子供用ミシンを購入したママたちから「ある声」が寄せられ始めます。それは、「うちの子がミシンやる(使う)のを見て、私も久々にやりたくなってきた!」といった声。

「昔のミシンを押し入れから引っ張り出して使い始めたママからは、『ミシン針が危ないから、子どもが寝てからでないと使われへん』などの悩みも寄せられました。また、妻の友達(ママ友)たちに話を聞くと、旧来のミシンに対して、『重い』『邪魔』『ダサい』『(扱いが)難しい』など、ネガティブワードが次々と出てきた。ならば180度“真逆”なミシンを作れば、きっと売れるはずだと考えたのです」

真逆なミシンとは、コンパクトで軽くておしゃれで、しかも扱いが簡単なミシン。デザイン家電のように部屋に飾っておいてサッと使えるような、まったく新しい観点の商品を出せば、売れるに違いない……。

山崎さんがそう確信したのには、もう1つ大きな理由がありました。自分を「一顧客」に置き換えたとき、すなわち、ミシンの購入を「自分ごと」として捉え直したとき、「自宅にミシンがあれば良かったのに」と痛切に感じる瞬間に気づいたからです。

ミシン屋の社長宅にミシンがなかった理由

それは、わが子の入園・入学シーズン。妻は親として「入園バッグや防災頭巾を、手作りしてあげたい」と感じていた。他方、自宅にはミシンがない。店に見に行っても、欲しいようなミシンは並んでいない。

でもなぜ、「ミシン屋」の山崎さんの家に、ミシンがなかったのでしょう。

実はこれこそが、山崎さんの見事なマーケティング戦略。彼は、自分が一顧客として「どうしてもミシンが欲しい」と感じる瞬間はいつなのかを知ろうと、あえて自宅にミシンを置きませんでした。

結果的にそのおかげで、妻が「ミシンがあれば、わが子のために手作りできるのに」と、「子育て」が強いニーズを生むことに気づいた。また、自宅から借りてきたミシンで妻が生地を縫っていると、横でわが子が正座してじっと見守っている。そして出来上がった作品を手に、本当にうれしそうにはしゃいでいる。

この様子を見て、山崎さんは「子育て中のママたちが使えるミシンを作りたい」と強く感じたそう。この「真のニーズを知るために、あえてその商品を遠ざける」という考え方は、マーケティングで「Breaching experiment(違背実験)」と呼ばれる手法です。

「当たり前」のありがたさに気づくための実験

違背実験とは、特定の商品やブランドを「当たり前」のように日常的に使うユーザーに対し、あえて一定期間、その使用を強制的に禁止すること。そのことによって、商品やブランドの価値を改めて実感してもらう手法です。

最も有名なのは、90年代初頭、アメリカで始まった「Got milk?(牛乳ある?)」キャンペーン。当時、カリフォルニアでは牛乳の消費が落ち込み、同州の牛乳加工業者協会は「なんとかしなければ」と考えていました。

一方で、総じて飲む量が減ったとはいえ、多くの家庭には「牛乳があるのが当たり前」だった。彼らに「なぜ牛乳を飲むのか?」や「牛乳の魅力は?」と調査しても、「そんなこと、考えたこともない」という返事ばかりでした。

そこで同協会が代理店と実施したのが、違背実験。対象者に、あえて1週間牛乳を飲まない生活を送ってもらい、その後でグループインタビューを行うと、「パンやクッキーを食べるとき、牛乳がないとイライラする」といった声が次々と出てきた。

つまり、多くの人は「あえて飲めない」状態になって初めて、「牛乳を大切だと感じる瞬間」に気づいたのです。

予想の3倍以上の売り上げ達成

山崎さんが行ったのも、これと同じ。ミシンをあえて自宅に置かないことで、本当のニーズが分かった。その結果、「子育てにちょうどいいミシン」という、絶妙なコンセプトと商品が生まれました。

20年3月27日、まさにコロナ禍で発売された同商品は、5月末現在、同社の直販サイトで売られるのみ。それでも急きょ、マスクの縫い方動画をアップするなど工夫したこともあり、なんと当初予想の3倍以上の売り上げを記録しました。ただ、売れた理由は、単に「手作りマスク」の効果だけではないでしょう。

ちなみに、「子育てにちょうどいい~」や「朝食りんごヨーグルト」(グリコ)、「ワンダ モーニングショット(缶コーヒー)」(アサヒ飲料)のように、商品名に限定的なシーンを入れることには、デメリットもあります。

それは、子育てに関係ない人達が、ターゲットから外れる危険性があること。それでもなお、山崎さんが「子育てにちょうどいい」の名にこだわれたのは、手作りをめぐる妻と子の様子を間近に見て、「絶対に売れる!」と確信できたからでしょう。

老舗メーカーが生んだ大ヒット。その裏には、40代前半の若手社長の、絶妙なマーケティング戦略があったのです。