男性は、出産=ハッピーなことだと思い込んでいる
『ママをやめてもいいですか!?』(以下、ママやめ)は、命・家族・絆をテーマにした映画『うまれる』シリーズの監督、豪田トモさんが、“子育て”にスポットを当てて約3年間、50人以上のママや家族に取材した膨大な映像記録を編集して作られたドキュメンタリー映画だ。取材撮影を進める中で見えてきたのは、多くの母親が育児に苦しみ、孤独感を感じ、そして深刻な産後うつに苦しんでいる、この国の子育ての現状だった。前作『うまれる』の頃から、豪田監督の作品の支援・寄付を行ってきた小室さんは、試写会ではじめて『ママやめ』を見たときに、次のような感想を抱いたそうだ。
「日本における産後の妻の死因1位は、自殺です。その原因と言われているのが『産後うつ』。仕事柄、産後うつのことならよく分かっていると思っていたのですが、この映画を見て、何年も一緒に同じ家庭の中にいながら、これほどまでに男性は、子育てに葛藤している女性の状態というものが分からないんだとショックを受けました。映画内で、妻が孤独感や育児疲れを感じて泣いていた様子を見て、夫が『嬉しくて泣いてるんだと思いました』と答えるシーンがあるのですが、男性に悪気があるとか、仕事の方が心から大事で意図的にそんなことを言っているという感じではないんです。ただただ本当に、日常で妻が抱えている状況というものに気付かないまま、日々が過ぎていってしまっている、そのような男性心理の怖いほどの鈍さが印象的でした」
そこで小室さんが思ったのは、この映画は子どもが生まれる前の夫婦に見てもらわないと意味がないということだった。特に男性は出産イコールハッピーなことだと思い込んでおり、その先の子育てのつらさに目を向けて事前準備をする人がほとんどいない。それなら、誰かがそのことを出産を迎える夫婦に教えてあげたり、この映画を見せてあげたりするなどの働きかけをしない限り、この先いつまでたっても、子育ての状況が変わることはない。そう感じたのである。ちょうどその頃だった。小室さんは、育休を取得すべきかどうか真剣に悩んでいる一人の男性に出会うことになる。それが小泉大臣だった。
育休100パーセントを目指して「まずは官から始めよう」
「小泉大臣には、それまでも、何度か政策提言をお話にいくことがあったのですが、去年の3月に小泉さんと私が140名ほどの経営者へ向けて基調講演を行う、大きなシンポジウムがあったんです。そこで私は『2019年に、経営者としてやるべきことは男性育休の推進』とお話しさせていただいたのですが、そのときは小泉さんもまだ独身で、育児についてもお詳しくなかったので、私は、男性の育休取得が進まないと働き方も変わっていかないし、女性活用も進んでいかない。これが色んな改革のキーなんですとお伝えさせていただきました。そのシンポジウムの最後に小泉さんが掲げられた言葉が、『まずは官から始めよう』です。育休100パーセントを目指すには、まず官僚から育休をとれる組織にしていかないと駄目だという呼びかけをされました」
そのときは、まさか1年後に小泉さんに子どもが生まれるとは夢にも思わなかったと当時を振り返る小室さん。ただ、そのときに男性育休が日本社会にとってどれほど重要かインプットされた小泉さんは、子どもが生まれるとなった当初、かなり主体的に「育休を取ろう!」と思っていたのだという。しかし、そのタイミングで大臣になったことで、育休を取る可能性について、世論からバッシングを受けることになるのである。ネットにも批判意見が溢れた。
「地元の後援会の方たちからも『国民感情を考えると今は育休を取るべきではない』とアドバイスされて、自分は育休を取らない方が世論にかなっているという考えに、徐々に傾いていらっしゃるように見えましたね。ただ、ご本人の耳に届かないところで、実は30代男性の多くが小泉さんに育休を取ってほしいと強く願う声があったんです。しかしながら、30代の男性たちが今、組織内で『育休を取りたい』なんて言うと降格されたり、意に沿わない転勤を命じられてしまったりする可能性もあるので声はあげられないものの、『こんな、歴史的に男性の育休が注目されるタイミングはない。それだけに、自分たちの世代が育児休業をとれるか否かは大臣の育休取得にかかっている』という思いを、水面下で私たちに伝えてこられる方が多かったんですね」
30代男性たちの本音とネットの声が真逆状態であったというその頃。小室さんが、動き出した。
「表立って聞こえてくるネガティブな声にだけ引っ張られては、本来の世論を受け取れずに判断が変わってしまうと危機感を感じたんです。そこで、意思決定の材料にしていただける情報を提供しようと考えました。一つは、地元のワーキングマザーたちが立ち上げて、その時すでに4000筆以上集まっていた大臣の育休取得に賛成する署名活動の結果です。もう一つは、映画『ママをやめてもいいですか!?』でした」
ちょうどそのとき、大臣が友人3名に育休取得について相談をした。すると3名ともから「そういう相談ならば、小室さんに聞いたらどうか?」と返事が来たという。
「3人のご友人のおかげで、署名と、映画『ママをやめてもいいですか!?』のDVD、産後うつに関するさまざまなデータやプレゼンテーション資料をお届けすることができました。特にDVDについては、できる限りご夫婦で見てくださいとお伝えしたんです」
大臣の反応は?
その直後に、国会議員・国光綾乃さん主催のシンポジウム「議員の働き方改革」が開催された。国光さんの議員事務所の働き方改革をコンサルしていた小室さんも、そこにモデレーターとして参加したところ、小泉大臣も現れたのだという。
そして、「シンポジウム後『あのDVD、本当にありがとうね。妻も私もとても勉強になった』と、とても丁寧にお礼を言って帰られ、DVDをご夫婦で見られたんだな、良かったと思いました」。
小泉大臣の育休取得の発表があったのは、そのすぐ後のことだったという。
男性育休はなぜ必要か
小泉大臣が取得後、「ベビーシッターを雇うお金があるのに、なぜ育休を取得するんだ」という意見がネットに表れたが、これは全く意味がない批判だと小室さんは断言する。
「産後うつを予防するために重要なことは①夜の育児と②大変だけれどかわいいよねという感情、この2つをシェアすることなんです。まず1つ目の夜の育児ですが、夜にシッターさんに泊まっていただいて妻とシッターさんで夜泣き対応をするのは現実的ではありません。しかし夫が翌日も勤務の場合に、夫婦で夜泣き対応をしようとすると、夫が睡眠不足になって翌日の仕事に支障が出てしまうかもしれない。それなら自分だけでどうにかしようと、妻が一人で対応してしまうことの積み重ねで、睡眠時間が確保できず、産後うつが重症化していくケースが少なくありません。産後うつが重症化すると、感情がなくなり、子どもをかわいいと思えなくなることで虐待につながったり、自殺に追い込まれたりするケースがあります」
産後に自殺する女性の数が、世界でも日本は抜きんでている。国内で子育てをしていく女性が、世界的に見てもどれほど過酷な環境を強いられているのかを如実に示すデータだろう。
「2つ目の感情のシェアですが、これが妻にとって必要だということが知られていないから、今回のような批判が起きるんだと思います。孤独感を感じやすい産後の妻は、たんに夫にもオムツを変えてミルクをあげるなどのタスクを行ってほしいわけじゃないんですよね。大変なことはもちろんたくさんあるけど本当にかわいいねという感情を、愛するパートナーと毎日シェアできることこそが一番のサポートになるんです。夫婦一緒に体験するからこそ、一緒に乗り越えようと協力もしていけます。感情のシェアが大事だからこそ、シッターさんがいれば済む、ではなく夫の出番が重要なのです」
個人差はあるものの、とくに産後2週間~1カ月が産後うつにかかりやすいピークの時期であることが、「妊産婦のメンタルヘルスの実態把握及び介入方法に関する研究 平成26年度総括・分担研究報告書」内で報告されている。
熟年離婚が起きる原因としても、産後の夫の様子に妻が愛想を尽かして『そのころから離婚を決めていた』という妻側の声が多いそうだ。子どもが生まれてから妻が変わってしまったと感じている男性は少なくないかもしれないが、それは妻が産後うつ病に罹患したのにもかかわらず未治療のままに放置されたせいで、精神的健康に影響を受けた結果なのかもしれない。産後すぐに、たった2週間の育休を取るか取らないかで、夫婦の未来までも大きく変わる可能性が高いのである。
今後、国として取り組んでいくべきこと
小室さんいわく、今後国内の子育て環境を改革していくために必要な取り組みは最低限2つあると言う。
1.母親学級を「両親学級」に! 学びのゴールは出産ではないはず
ひとつは、全国の自治体で行われている「母親学級」を「両親学級」に変えていくこと。
「最近やっと、国のガイドラインも、夫婦で受けるようにしてくださいというふうに変わってきたのですが、現状の内容は母が中心。沐浴の仕方や出産の呼吸の仕方、背中のさすり方などのレクチャーを受けたあとに、男性が妊婦ジャケットを着るだけ。これだと、研修の目的は『無事に出産すること』になってしまうんですよね。『出産に向けて妻の大変さを知りましょう』という内容は3分の1くらいにしていただき、残りは『生まれたあと、いかに夫婦で助け合っていくか。夫がやるべき行動のイメージ紹介』等にしてほしいと思います。男性はこの機会を逃してしまうと、その後勉強する機会がなかなかないので。育児を経験した先輩男性を中心にした座談会などのプログラムが、両親学級という形でもっと広がってくれればと思います」
2.「勤務間インターバル規制」の義務化
「大きな法改正で、まずは男性の育児休業取得を企業に義務化することが大事ですが、それは現在、秋の国会に向けて法案が作られる段階に入っています。これが停滞せずに進んでいくようにしっかり見守りたいと思います」
その上でもうひとつ大切なのが、「勤務間インターバル規制」を義務化することだという。
「先進国のほぼ全てが導入している『勤務間インターバル規制』が日本にだけありません。EUに加盟する全ての国では、前日帰宅したら連続11時間あけないと、翌日の業務を開始してはいけないことが法律で決まっているんです。たとえば繁忙期に帰宅が23時や24時になった場合の、翌日の出勤時刻は昼頃となります。仕事時間帯や繁忙期は業界にとって多様だと思いますが、勤務間インターバル規制があれば、毎日一定の時間を自宅で過ごせるようになるので、夫が育休取得後に職場に復帰しても仕事一色にならずに、育児に参画することができます。睡眠時間を確保した上で、子どもと触れ合う時間も持つことができるんです」
日本でも検討が進んでおり、この前の法改正で努力義務になった「勤務間インターバル規制」。しかし努力義務だと、ほとんどの企業は実行しないのが実情だ。だからこそ絶対やらねばならない“義務”に再度法改正する必要があると小室さんは話す。
「今、私たちの提言が届いて、与党から、男性に産後4週間は給料を100%保証した休みを取れるようにする案が出ています。産後うつや自殺をなんとしてでも防ぐために、男性は最低2週間の育休を取得してください。法改正を私も頑張りますので、出産を控えたご夫婦にはぜひ一緒に『ママやめ』を見ていただければと思います。まずは現状を知ることから始めてほしいです」
虐待、自殺率、少子化、働き方、身近にあるさまざまな問題の解決を握るキーとなる「男性の育休取得」。その重要性を改めて考える上で、『ママやめ』の鑑賞は大きな一助となりそうだ。
information
『ママをやめてもいいですか!?』。5月31日までオンライン上映中。PCやスマートフォンから鑑賞することができる。