日本最大級のクラウドソーシング「クラウドワークス」に入社して6年。現在、取締役を務める田中優子さんは、4回目の転職で同社にやってきた。業界も職種もまったく違う会社へ転職を繰り返した理由とは──。

転職の際はあらかじめ目標と期限を設定

クラウドワークス取締役の田中優子さん
撮影=小林久井

田中優子さんは2014年、20番目のメンバーとしてクラウドワークスに入社。10年来の友人だった社長兼CEOの吉田浩一郎氏から、「短期的な業績達成の目線ではなく、上場後の未来を一緒に考えてほしい」と誘われて入社を決めた。

「当時のクラウドワークスは、翌年の上場を目指して急成長中でした。でも、上場を達成したベンチャー企業はその後の目標を見失いがち。社長はそこに危機感を持っていて、経営コンサルタントだった私に声をかけてくれたようです」

ちょうど田中さんも、クラウドソーシングに興味を深めていたところだった。世の中を変えるトレンドの一つとして注目していたこともあり、吉田社長と話したその日に「この会社に行こう」と決意。そこから半年も経たないうちに正式に入社し、経営コンサルタントからIT企業の執行役員へと転身を遂げた。

田中さんの転職はこれで4度目。前職までは自己成長のためのステップという感覚だったそうだが、クラウドワークスへはこれまでとは違う意識から入社した。

「これまでは、この組織ではこれをつかみたいっていう目標がまずあって、その達成に何年かかるかを考えてから入社していました。例えば3年ぐらいかなと思ったら、その期限までに目標を達成できるよう自分を持っていく。それを繰り返してきたのですが、クラウドワークスはアウトプットの場と捉えていたというか、今までやってきたことを注ぐべき場所を見つけたという気持ちがあったように思います」

自動車業界から経営コンサル、そしてTV通販へ

新卒で入社したのはトヨタ自動車。ここでは職業人としての基礎を得ることを目標に、期限を3年に設定。実際には4年かかったが、営業部門で新型コンパクトカーの発売などを担当したのち、さらに新しい視野を持ちたいと安定した環境を飛び出した。

トヨタでは、完成された組織であるがゆえに昇進や人材教育のフレームや組織の培った勝ちパターンが固まっており、決まった型に近づくことが成功とされる環境に物足りなさを感じていたという。「キャリアや事業を成功させる方法は他にもあるはず。それを知りたい」という思いが、田中さんを次の転職先に導いた。

2社目として選んだのは、外資系コンサルティング会社のA.T.カーニー。業界も職種もまったく違うが、前例に縛られず自身の力でキャリアをつくれる点、経営者の目線で物事を俯瞰し本質的な解を見つけることが求められる仕事である点に惹かれたという。

ここでの目標は、広い視野を持って課題の答えを見つける力を身につけること。知人から「それなら3年の修行だと思ってコンサルに行け」とアドバイスされていたこともあり、期限は3年に設定した。

「本当に修行でしたね。猛烈に働きましたが、3年後にはどんな難題も一生懸命取り組めば解けると思えるようになりました。今の自分から見たらまだまだ甘いですが(笑)、その時は求めていた武器を手に入れたと感じました」

目標を達成した田中さんが次に求めたのは、事業の当事者になること。コンサルタントとして顧客の事業を成功させるのではなく、自分自身の事業を成功させることで実績を積みたいと考えたのだ。そこでA.T.カーニーのOBから紹介されたのが、TV通販大手のジュピターショップチャンネルだった。

田中さんは経営企画として入社。新規事業や新サービスの企画推進、他社との業務提携などのほか、新たな番組の提案も行い、さまざまな職種のメンバーと番組をつくり上げていく楽しさも知ったという。

LIFE CHART

育休ですべての仕事をいったんゼロに

トヨタの新人研修にて。新卒総合職約600人のうち30人弱しかいなかった女性同期全員と記念撮影
トヨタの新人研修にて。新卒総合職約600人のうち30人弱しかいなかった女性同期全員と記念撮影(写真=クラウドワークス提供)

入社の際に立てた目標は、自分の行動の結果が「売り上げ=数字」として出るプロセスを体験すること。期限は、事業会社で成果を出すのにはかかる時間を考えて5年とした。明確な目標と期限設定が功を奏したのか、4年目には新番組のプロデュースを担当して大成功を収める。

「この時期を通して、自分で決めた事業を自分でコントロールする面白さを知りました。でも大企業の子会社だったので裁量範囲には限界があって……。最終的な決定権は親会社にあるんですよね。最終決定の場にも意見を届けたい、そのためにはもっと上層部にリーチできる力をつけなきゃと思いました」

A.T.カーニーでの経営コンサルタント時代、プロジェクトの打ち上げにてチームメンバーと
A.T.カーニーでの経営コンサルタント時代、プロジェクトの打ち上げにてチームメンバーと(写真=クラウドワークス提供)

そこで田中さんは、再び経営コンサルタントとしてA.T.カーニーに“出戻り”。顧客の経営トップたちに刺激を受けながら、マネージャーとしてプロジェクトを成功に導いていくスキルも磨いた。

そして3年後、クラウドワークスに転職して執行役員に就任。会社と事業を成長させたいという目標のもと、中長期の成長ストーリーの策定やIR、広報、渉外、CEO特命プロジェクトなどに取り組み始めた。

「これまでの職と違い、クラウドワークスは自分自身の会社であり事業だという意識がありました。創業2年ちょっとの会社に20番目の社員として入ったため、“自分ごと感”がとても強かったですね。今も、クラウドワークス以前と以降では自分自身の働くモードが違うと感じています」

これまでのキャリアを振り返れば、ここからまた新たな躍進が始まるところだ。しかし入社から2年後、会社が急拡大で激しく変化していたさなか、田中さんはすべての業務をメンバーに引き継いで育休に入った。

「いったん全部をゼロにしちゃった」と笑うが、急成長のさなかに休めば会社の変化についていけなくなる可能性は高い。以前の業務も復帰後にはなくなっているかもしれない。不安もあっただろうが「その変化がベンチャーの面白いところでもあるから」と、気持ちは前向きだった。

ところが、復帰後には思いがけない試練が待っていた。会社では急拡大に伴って人材育成や組織改革が進んでおり、ES調査(社員満足度調査)も開始。その初回、田中さんがマネジメントするチームは全社で最下位クラスの結果に終わったのだ。

チームマネジメントの失敗を乗り越えて

「私が前職で身につけたマネジメントスタイルは、自分が決めたことに沿って部下を動かすやり方でした。でも会社が管理職に期待していたのは、社員一人ひとりが自ら動けるよう育成すること。これが私にとってはすごく難しかったんです」

田中さんが得意としていたのは、リーダーが立てた戦略をチームで達成していく「プロジェクトマネジメント」。メンバー一人ひとりの違いを生かしながら生産性を高めていく「チームマネジメント」はまた別物だということに、この時初めて気づかされたという。

自ら動くことを重視するあまり、マネジメントに徹するという発想がなかった──。今ではこう反省しているそうだが、当時はチームをまとめられない自分に落ち込み、マネジメントに対する自信も完全に喪失。育休復帰後の2年間はモチベーションも最低の日々が続いた。

このつらさを乗り越えるきっかけになったのが、思いがけない異動。会社は連結決算のプロセスを可視化する必要に迫られており、田中さんはその担当者の一人として指名されたのだった。決算はもちろん経理業務も未経験だったが、コンサル時代に得た「どんな難題も必ず解ける」という信条が支えになった。

「それまでとは違うミッションを与えられたことがよかったみたいです。結果的に達成できたので、自分はこうしたプロジェクトマネジメントのほうが役に立てるんじゃないかと思うようになりました。チームマネジメントは私より得意な人がいるはずだから、自分は自分にしかできないことで組織に貢献したいと」

ミッション達成を通して自信とモチベーションを取り戻し、翌年には取締役に昇格。成長戦略や経営判断が話し合われる取締役会の運営を任され、今何を決定すべきか、どんな観点を持つべきかといったことを、経営陣に提案する立場に立った。会社の意思決定に直接関われるようになり、会社の未来についてより深く考えるようになったという。

「私は自分にしかできないこと、自分なりの解を見つけられる仕事がしたくて、ずっと次のミッションを探し続けてきました。今があるのは、それがいつもいいタイミングでやってきてくれたからだと思います。次のミッションは、この会社を継続的に成長できる組織にしていくこと。いつか私がいなくなっても、成長に役立つ仕組みやマインドは残せるようにと心がけています」

役員の素顔に迫るQ&A
エルメスのスカーフ
撮影=小林久井

Q 好きな言葉
縁あることがまこと
「どちらの道を選ぶか悩んだ時、選んだほうが縁がある、つまり運命と信じてベストを尽くすことが大事。そんな意味で捉えています」

Q 愛読書
それから』夏目漱石

Q 趣味
子ども(3歳)の観察、日本の連続ドラマ鑑賞

Q Favorite item
エルメスのスカーフ
「ジュピターショップチャンネル勤務時にお世話になったスタイリストさんからいただいたもの。今も大事に使っています」