幼い頃から父親の仕事の関係で海外生活が長かった。イギリス、シンガポール、マレーシアで暮らし、日本の大学へ進学。卒業後はグローバルな社風に惹かれて、ソニーを志望した。「女性が活躍しているイメージがあり、マーケティング職とはどういうものかという好奇心もありました」と川本さんは振り返る。
2003年に入社し、最初は国内の販売会社でコールセンターに配属された。お客さまの問い合わせに応えるため、商品知識を必死で身につけていく。2年目には本社でマーケティング職に就き、VAIOノートパソコンを担当。若年層向けに開発されたカラーバリエーションモデルのプロモーション企画を任された。川本さんは学生時代の友だちや現役学生の声をリサーチし、当時は珍しかったファッション誌のタイアップやPCケース入りバッグの商品化などを市場導入。女性の感覚を活かしたマーケティングを切り拓いていった。
「仕事がすごく面白くて、もうがむしゃらに猪突猛進という感じ(笑)。土日もずっと仕事のことを考えていましたね」
その先に目指したのはやはり海外のマーケティングに携わることだった。社内では他部署との交流も多く、いろいろ話を聞くなかで興味あるポジションに思いきって応募した。
一生懸命やるだけでは、周りはついてこない
入社5年目には米州・国内でカメラ周辺機器のマーケティングを担当する部署へ異動。それから3年後の2010年、ドイツの販売会社へ赴任を命じられる。初めての海外赴任と希望に燃えて、ドイツにあるソニーの販売会社へ。だが、そこで初めて逆境に向き合うことになった。
「それまでは猪突猛進に働いて、100%の結果を出すというのが自分のスタイルでした。一生懸命やれば報われると思っていたけれど、ドイツでは仕事に対する姿勢が日本の会社とまったく違っていたのです。長時間働くことは良しとされず、時間のリソースが限られている中でどうやってチームのアウトプットを最大に出すかということが大事。結果よりもむしろ効率性に重きを置いているチームだったので、ひたすら頑張っているだけでは評価されないのだと気づきました」
オフィスでは日本人の駐在員が10人未満、ほとんどがドイツ人という環境だった。その中でドイツ語を話せなかった川本さんにとって、コミュニケーションの壁も大きかった。
週末も仕事をし、夜中でもメールを送ったり、矢継ぎばやにリクエストを出したりしていたが、皆から反応が返ってこない。チームとしてのアウトプットも出ない状況が続き、空回りするばかり。そんなある日、ドイツ人の上司から注意を受けたという。
「そういう働き方では周りの人が付いてこないと。何が一番大事かというプライオリティを共有していく方が効率的だし、生産性もあがるというアドバイスをいただいたんです」
何もかも抱え込まず、優先順位を整理してチームと共有することで徐々にコミュニケーションの壁が改善され、仕事はやりやすくなっていく。自分自身も「無理をしない」ということを心がけるようになった。
実は赴任まもなく体調を崩した時期があった。言葉や文化の違い、長く厳しい冬の気候にも慣れず、精神的な辛さがつのる。そんなときに支えてくれたのが日本にいる家族だった。電話で相談すると、「自分の健康が一番大事だから、無理をせずに帰ってくればいい」といたわってくれる。少しずつ肩の荷が下り、週末にヨガや旅行を楽しむ心の余裕もできた。
遠慮して「ノー」とは言わない。それで広がる世界がある
自分の働き方を見つめ直していくなかで、さらにカルチャーショックを受ける出来事があった。自分よりも若い20代の女性がチームのマネージャーに起用されたのだ。ベテランの男性社員が大勢いる中での抜擢で、本当に務まるのかと反対する声もあったが、実際にチームの雰囲気は良くなったという。
「彼女はものすごくロジカルな人で、上司として的確にサポートしてくれる。コミュニケーションが上手で、ちょっと気になることがあるとすぐ席へ来て、『こういうところはちょっと違うと思うけれど、あなたはどう思う?』とフィードバックを即時にくれる人でした」
年齢や性別、経験に関わらず、能力主義で登用されていくことへの納得感。そして、彼女も遠慮して「ノー」とは言わなかったことが驚きだったと、川本さんの声ははずむ。
「彼女から学んだのは、チャンスが来た時に怖じ気づかないこと。自分には無理だろうとか、大変そうだからやりたくないと思う場面はけっこうあるけれど、それを引き受けることによって広がる世界があるということを彼女が見せてくれた。だから、自分も何かそういう機会があったら、思いきって一歩踏み出してみようと思えるようになったんです」
最善を尽くすことが、最適な関わりとは限らない
2016年にはチームのマネージャーに昇格。シンガポール、韓国など多国籍なチームを率いることになった。
「私も最善を尽くしたい、チームワークを最大に高めたいという思いがあって、ドイツの女性上司から学んだことをそのまま活かしたいと思いました。一対一のミーティングを設けたり、こまめにフィードバックしたりと気を使いながら取り組んでいたけれど、それが合う人もいれば、そこまで細かく入り込んでもらいたくないという人もいる。様々な人との関わりの違いを初めて痛感しました」
シンガポールは離職率が高く、辞めてしまう社員も多い。なかでも心残りなのは、新人の女子社員が辞めてしまったことだ。本人はやる気もあって、いろいろなプロジェクトに意欲的だったが、組織の中では当然ながらできることとできないことがある。理想と現実の間で壁にぶつかってフラストレーションを溜めていることを案じ、何度も話し合いをしたが、彼女は1年半ほどで退社したのである。
「すごくショックでした。今でもどういう関わり方をしたら彼女は続けていたのか、もう少し活躍できそうな場を考えて作り出すこともできたのではと、その答えがないまま引きずっている部分もありますね」
プライオリティの変化が良いチームづくりに生きていく
6年余りの海外赴任を終えて、2016年に帰国。次のキャリアを考えたとき、「デジタルマーケティング」に関わってみたいという思いがあった。従来の店頭やカタログなどの媒体に代わり、ソーシャルメディアを使ったデジタル一眼カメラα(Alpha)などのデジタルマーケティングを担当。また新たな分野へのチャレンジである。
チーム作りや仕事自体もまず形にするところから始まり、川本さんにとってもまさにトライの連続だ。なかでも冷汗ものだったのは、大規模なカメライベントで大任を命じられたこと。全米のプロ・アメリカンフットボール・リーグ(NFL)専属のフォトグラファーの講演で同時通訳を任され、「緊張のあまり失神しそうだった」と苦笑する。
どんな逆境もチャレンジと受けとめ、持ち前の度胸と向上心で乗り切ってきた川本さん。海外赴任で得た経験は日本での働き方にも活かされているようだ。
「プライオリティがどんどん変化していることを感じます。健康や家族のこと、チームがハッピーなのかどうか、自分も年齢を経るほどに大事にすることが変わっている。仕事は楽しいから没頭してやっていたけれど、幸せと思えることが多くなっている気がします」
自分のライフスタイルも変わっていく。週末は好きな海岸へ出かけ、ビーチスポーツのフレスコボールにはまっている。海の写真を撮るのも趣味になった。さらに今はパートナーとの関係も大切にするようになった。彼は海外在住で遠距離での生活が続くため、プライベートで会える時間を設けられるよう帰社時間を調整することも。互いのキャリアを尊重しながら、二人にとってより良い関係を模索しているという。
かつては猪突猛進で仕事を第一に考えていたけれど、自分の世界も広がったことで、マネージャーとして部下に求めるものも変わってきた。人それぞれの働き方があって、そのなかで最良のパフォーマンスを出せるようにサポートしたいと思う。そして女性たちに届けたいのはこんなメッセージだ。
「何かチャレンジできる機会を与えられたら、自分は無理と躊躇したり、遠慮はしない方がいい。周りの人が凄く見えてしまい、会議に行けば男性ばかりという状況も多いけれど、ポジションが“人”をつくると思うのです」
失敗や逆境が待ち受けていても、その先に広がる世界がある。だからこそ「チャレンジしてほしい!」と川本さんはエールを送る。